第4話 ゾビ子(2)

「そういえば、いつだか攻略本を読んでたよね。あれは何のため?」

 チヒロはふと思い出してサエキさんに尋ねた。

「あれは、ゾンビの増やし方を模索してたの」

「増やし方? 増やしてどうするの?」

「離島を買って、ゾンビ農場を作ろうと思って。でも、お金がかかるんだよね。パートナーを増やして、順次ゾンビにしていくとなると」


「彼女が何人もいるの?」チヒロは目を丸くした。

「それは……ランコウってやつ?」

「違う。そんなことはしない」

 サエキさんはぴしゃりと否定した。

「ひとりずつだよ。一人がゾンビになったら、次って。今はまだ三人だけ。島を買ったら、すっからかんになっちゃったから、家を建てたりするのはこれから。それで、割のいいバイトでもないかと思って」


 リアルマネーで課金するのではなく、ゲーム内で仮想通貨を稼ぐ方法を探していたのだとサエキさんは言う。


「ゲームの中のことは、ゲームの中で間に合わせたいじゃない」

「ごめん、よくわかんないや」


 チヒロは素直にそう言った。屍彼女にのめり込んでいた頃の兄は、ゾンビ退治用の特別な武器を買うために課金しまくって親に叱られていた、とチヒロが言うと


「それ多分、ゾンビ用じゃなくて死神用の武器だよ」

「何、死神って」

「プレイヤーの中には、他のプレイヤーの恋人を殺して喜ぶような迷惑な奴がいて、そういう連中は『死神』って呼ばれてる。死神から恋人を警護する仕事に雇ってもらえたら、結構いいお金になるよ」

「え、そんなことできるんだ。でも、誰かがうちのゾビ子を殺してくれたら、お礼を言うけどなあ。あの子、全然ゾンビにならないんだもん。名前負けも甚だしいよね」

「愛情が足りないんじゃない? ラブラブじゃないカップルには、死神だってちょっかいかけて来ないよ。失っても惜しくないような恋人を無理やり奪っても意味ないじゃない」

「そういうものなの」



 その晩、チヒロは初めて発情するゾビ子の誘いを受け入れた。マグロのように寝転がっているだけで向こうが張り切ってくれたので、チヒロとしては大いに助かった。


「チヒロは、いつも私じゃない他の誰かを見ているんだと思ってた」


 ゾビ子はゲームの中のチヒロの薄く平らな胸(文系男子なのだ。筋肉などない)に顔を埋めて言う。


「でも、それでもいいの。あたし、こう見えても一途なんだ」


 ゾビ子は、そこは日焼けしていない白い豊満な胸をチヒロに押し付けてくる。早くゾンビになればいいのに、と日々願っていることが申し訳なく思えてきたチヒロは、そっと呟いた。


「愛してる」


 ゾビ子は心なしか寂し気な表情を一瞬浮かべてから、にっこり笑って毛布を跳ね除けると、チヒロに馬乗りになり、唇を重ねて、元気に訊いてきた。


「もう一回する?」



「なんか……ゾビ子をゾンビにするのが可哀想になって来た」


 ゴーグルを外し、自室のベッドの上からそうメッセージを送信したチヒロに、サエキさんの返信は冷たい。


「じゃあ、もうそろそろ死んじゃうね、ゾビ子。これはそういうゲームだから」



 教室で暗く沈んだ顔で物思いに耽っていたチヒロに、サエキさんが言う。


「VRの恋人がゾンビになったのがそんなに悲しい?」

「だって、もう半年もつきあってたんだもん。ハムスターだって死んじゃったら悲しいでしょ?」

「バカみたい」


 サエキさんはそっぽを向いて、寒いから早く帰ろう、と言った。いつの間にか、教室に残っているのは、二人だけになっていた。


「見た目はビッチだけど、可愛いところもあったんだよね。しょっちゅう他の男に色目使ってると思ったら、私にやきもち焼かせたかったんだって。いじましいじゃんね」

「それで、ゾンビになって、家に帰って来て、どうしたの?」


 そう、屍彼女は、本来はそこから始まるゲームなのだ。ゾンビの彼女を受け入れて愛し続けるのか、それとも――

 チヒロは溜息をついた。


「あんなに恐ろしいとは思わなかったよ。ずーっと家の周りをうろついて、ドアや窓をカリカリしながら、『中に入れてよ』『チヒロ、私も愛してるよ』って切ない声で訴えてくるの。とりあえず、家中戸締りして耳を塞いで、朝までどうにか頑張ったよ。ゾンビになったあの子、一体どんな姿に変わり果てているのか怖くて見られなかった。でも、ここで『ターミネーション』するのも、なんだか癪だし」


「ターミネーション」はゲームを強制終了させる最終手段のことだ。ゲームの記録がすべて消去され、VR彼女はこの世から完全に消え去ることになる。

 たかが仮想恋愛だとあなどるなかれ。パートナーと深い情愛を紡ぎ出してからの恋人の死とゾンビ化を深刻に受け止めてしまうプレイヤーは意外と多い。ゾンビになって戻って来た恋人の姿に耐えられず発狂する者も出ている。ターミネーションという不可逆的破壊行為でしかその恐怖や精神的喪失を乗り越えられないこともままあるのだ。


「夜になったらまた戻ってくるよね。あーもうどうしよう」

 チヒロは深刻な顔で悩んでいたが、ぱあっと顔を明るくした。

「そうだ、サエキさんの島にうちのゾビ子も住まわせてくれない? 他のハンターや死神にとどめを刺されるのは可哀想だし」


 小さな無人島は課金またはゲーム内で稼いだ仮想マネーによって購入できるが、かなり高い。島の利用方法は購入者の好き好きだ。サエキさんは自身が所有する離島でゾンビ農場を経営しており、今では十名を超えるゾンビを飼育しているという。


「キムラさんの恋人だった女を? 絶対に嫌」


 強い口調でサエキさんは言い放ち、そっぽを向いた。どうも、腹を立てているようである。

 チヒロはしばらく呆気にとられて彼女を眺めていたが、教室の窓の外が暗くなりかかっているのに気づき「早く帰ろう」とサエキさんの手をとった。


「うん」


 素直に頷いたサエキさんが、なんだか嬉しそうに見えたので、チヒロは彼女の手を握ったまま教室を出た。

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Living Dead Honey -屍彼女- 春泥 @shunday_oa

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