第3票:それはいつもの市議会議員選挙


 投票日の朝、僕は午前四時五十分に自然と目が覚めた。


 これは目覚まし時計が鳴る十分前であり、ゆえにそのスイッチを切ってから上半身を起き上がらせる。


 夏至が近いということもあり、カーテンの向こう側はすでに明るい。おそらく天気は晴れなのだろう。そして天気が良ければ投票率が上がる傾向にあるのは自明の理。


 また、これだけ空が明るければ、早い時間に目が覚める人も多いに違いない。


 つまり念のため、自宅を出発する時刻を少し早めた方が良いということになる。こうした判断もゼロ票確認を達成する際には重要な要素だ。


「ふぁ~あっ……。よしっ、起きるかっ!」


 体調はすこぶる良好。僕は大きく伸びをすると、部屋を出て洗面所へと向かった。


 その後、出発の準備を終えた僕は部屋で待機。するとあっという間に時刻は午前六時となる。


 なお、この時間になると投票所によってはすでに動き出しているガチ勢の皆様も多くいる。


 確かに出発が早ければ早いほど投票所一番乗りが出来る確率が高まるが、それでは面白くない。やはりギリギリのタイミングで一番乗りをする方が疲労も溜まらないし、夏場なら熱中症、冬場なら風邪をひくリスクが減らせる。


「――とはいえ、今回はほかの人たちの動きや情報を得るためにも、そろそろ出発するか」


 経験値を溜めておけば次回以降の選挙で有利に行動することが出来る。だが、選挙参加回数が少ない今の僕には圧倒的にその経験値が不足している。理論はあくまでも理論であり、実際には様々な要素がどのように影響してくるか分からないからだ。


 ゆえに今回は得られる経験値を優先することにする。こうした判断も、長期的にゼロ票確認を続けるためには重要になってくる。





 予定より少し早めに自宅を出発した僕が投票所に着いたのは、午前六時十五分だった。


 出入口の前にはほかに誰もいない。つまり僕は今回も投票所一番乗りを達成し、ゼロ票確認をすることが確定となる。ひとまず目的達成といったところか。


 ちなみに投票所が開くのを待っている間、立会人や腕章をつけた私服警察官の皆様が通用口から続々と入っていき、視線が合うたびに僕は『おはようございます!』とご挨拶をする。


 また、投票所の周りでは選挙管理委員会の皆様が看板を立てたり駐輪スペースを作ったり、投票箱を運び込んだりといった作業をしていて、それらを見守りながら時間を過ごす。


 そして午前六時三十分、投票所には二番手のお爺さんがやってくる。年齢は八十歳くらい。深く刻まれた目元や頬のシワと真っ白な髪が印象的だ。また、服装には清潔感があって裕福そうな雰囲気が伝わってくる。


 もちろん、その方ともご挨拶をする。さらに世間話をしていると、その後は断続的にご年配の皆様を中心に集まり始めたのだった。




 ――さて、これで僕には分かったことがある。それはこの投票所では六時三十分頃までに来れば一番乗りが出来そうだということ。


 ただ、今後もデータを蓄積して総合的に分析をする必要があるので、その情報を脳内のメモリーにしっかりと記録しておくことにする。





「間もなく開場しまーす。あと少しお待ちください」


 六時五十五分、出入口の前に選挙管理委員会の皆様が何人か集まった。


 ドアを開ける人、スマホで時報を確認する人、開場を知らせるハンドベルを持った人――。さらに僕のところにはアンケートボードを持った選挙管理委員会の方が歩み寄ってくる。


 否が応でも緊張感が高まり、場の空気が引き締まる。


「では、投票所にお並びいただいた最初の三名様には投票箱の中がカラであることを確認していただきますので、こちらの書類に住所と氏名をご記入ください」


 差し出されたボードとペンを受け取った僕は、その書類に自分の氏名と住所を記入し、二番手のお爺さんに手渡した。その際に書類を見ていると、どうやらお爺さんはという氏名のようだ。


 読み方は『あさのしののめ』でいいのかな? 疑問に思いながら見ていると、それに気付いたのか浅野さんはケタケタと笑いながらこちらに視線を向ける。


「兄ちゃん、俺の名前は『とううん』って読むの。『しののめ』じゃねぇよ?」


「あ、そうだったんですかぁ」


 なぜ僕の考えていることが分かったのだろう? これが年の功というやつだろうか。それともお爺さんは異世界からの転生者で、心が読めるなどのチートな能力持ちとか?


 ……いや、単に今までにも名前の読みを間違われたことが何度もあるということだろう。


 そんなことを思っていると、三番手の水谷みずたに警氏けいしという六十歳くらいのお爺さんも書類に記入を終え、選挙管理委員会の方はボードを回収。あとは開場を待つだけとなる。


 静まり返っているその場には、選挙管理委員会の方が持つスマホのスピーカーから時報が響いている。




 ――そしてついに時刻は午前七時を迎える。


 その瞬間、ハンドベルが高らかに鳴らされ、出入口のドアが開いた。


「市議会議員選挙、第五十三投票所、開場しまーす!」


 選挙管理委員会の方が大声でそう宣言すると、僕たちは投票所の中へ案内された。その移動中に僕はポケットから入場券を取り出し、受付でその照会を受けて投票用紙を受け取ると会場内へ。


 そこには左右と奥行きがどちらも肩幅くらいの長さの記入台がいくつか並べられていて、その中には候補者名一覧が張り出されている。


 なお、台の左右にある仕切り板パーテーションは感染症対策ではなく、隣の人に記入内容が見えないようにするためだ。また、ここには筆記用具が用意されているので、候補者名を確認しつつそれを使って用紙に記入していく。


 その後、記入した投票用紙を持ち、僕を含めた先着の三人は投票箱の前へ進んだ。投票箱はまだ開封されたままで、施錠もされていない。その横では立会人や私服警察官、選挙管理委員会の方々が様子を見守っている。


「では、投票箱の中をご確認ください」


 選挙管理委員会の方の声に応じ、僕は投票箱の中をしっかりと眺めた。確かにそこには空気や日本の未来以外は何も入っていない。今回も公正な投票が行われることをこの目で確かめた。


 その手続きが終わると、選挙管理委員会の方は投票箱を閉めて南京錠で施錠。そこへ僕が最初の一票を投じ、投票が無事に終了したのだった。


 ちなみに投票所によっては投票箱の写真撮影が許可されていたり、投票を終えると投票済証や粗品がもらえたりするなど、様々な対応がされているらしい。


 僕の投票所ではどちらもないけど、それは全然気にしていない。だってゼロ票確認さえ出来ればそれだけで満足なのだから……。



 さて、次の選挙は年末に行われる市長選挙。その日が来るのが待ち遠しい!



(つづく……)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る