第2話 大学生~現在

大学は東京カサイ美術大学に入学した。大きい大学ではないが、油絵に特化した大学だと有名だった為、この学校に決めた。

入って驚いたのは、ほぼ全員、基礎どころか技術や知識を身につけていたこと。

僕は隣の席にいた同級生に話をきいた。

「美術大学を目指している人の大半は高

校二年生から美術予備校に通って基礎知識を勉強して受験に臨んでるから、基礎が出来ているのは当たり前だろ。お前も予備校に行っただろう?」

「いや、そんな美術予備校があることすら知らなかった」

「えっ?嘘だろう?予備校に行かないでよく入れたな」と驚いていた。

(そんなに驚かれたら予備校で、どんな勉強をしたのか聞きづらいじゃないか…)

どうも僕は運が良かったらしい。けど、この先、運だけじゃ勉強についていけなくなると感じた僕は、その日から大学の図書館で美術の歴史、デッサン画、浮世絵など、あらゆるアートについて学んでいった。

美術大学の図書館は市が運営する図書館と違って、純喫茶のようなお洒落な造りをしていて落ち着いた雰囲気が拍車をかけて勉学に励むことが出来た。

そんなある日、休憩がてらに見てた海外の画集コーナーで【色彩の魔術師・アンリマティス】と書いてある本を見つけた。

(色彩の魔術師?!)

僕は勇む気持ちを抑えて本を手に取った。

濃紺色の重厚感がある表紙を開くと、そこには別次元の光景が広がっていた。

部屋全体が赤色に染まったアトリエや全身朱色をした人たちが輪になって踊る姿。

そして顔の中心に緑色の縦線が入った女性の絵画は僕の頭に衝撃を落とした。

(どういう絵なんだ?この女性は病気で緑色の線が入っていたのか?それとも刺青というやつか?それに、お世辞にも上手いと言えない絵なのに心を惹き付けられるのは何故だろう?)

ページをめくる度に僕の心は、かき乱されて画集の最終ページになった頃にはマティスの虜になっていた。

僕は居ても立っても居られず、駆け足でアンリマティスと書かれた題名の本を全て借りた。

一冊一冊、熟読玩味して読み込むとマティスの絵に対する思い、色使い、繊細なタッチではなく何故、力強い線で表現するのかが読み

取ることができた。

この中で僕が感銘を受けたマティスの言葉は【現実の色合いを、そのまま描く必要はない。心や感情のまま色彩表現すればよい】だった。

(感情のままの色彩か…)

今まで絵画といえば静物画や風景画など見たものを忠実に美しく描くものだと思っていたが、マティスはフォービズム(野獣派)という独自の手法を編みだして自分を表現した。

マティスが見ている色の世界が美しすぎて僕も同じ世界を感じたくなった。

因みにアンリマティスの生涯はというと…

二十一歳の時、虫垂炎になり入院中の暇つぶしで絵を描き始めたら「楽しい世界を発見した」と芸術の道に進む。

初めは僕と同じく静物画、風景画を描いてい

ましたが、ラッセルとゴッホに出会った事で刺激を受けて独創的なタッチと独特な色使いをするようになった。

ここから色彩の魔術師がスタートする。

マティスの原色使いは目に焼き付くほど素晴らしく唯一無二と言われていた。

だが晩年、マティスは十二指腸癌を患い車イス生活になってしまった。絵を描くのが困難になったマティスは線と色彩の単純化の究極地、切り絵を始めて数々の作品を残していきました。

僕は画家であって、物書きではないので上手くマティスの魅力を貴方に伝えられたか分かりませんが、その日から僕の色彩のタッチはマティスのように目で見た色彩ではなく、心で感じた色彩を入れるようになりました。

不思議なことに描き始めると筆が勝手に進むんですよ。

見様見真似ですが風景画を単純な線で描き上げて、感じた色を塗っていくと、僕はマティ

スの生まれ変わりかもと思わせるほど美しい色合いを使いこなせるのです。

ちょっと天狗になってない?と思われそうで

すが、先生に絵を見せに行ったところ「はあーあ、色彩感覚がまるでアンリマティスのようじゃないか」と御墨付きを頂いたので、僕が天狗になってしまうのも致し方ない。

誰にでも好きな人の真似をして少しでも近づきたい気持ちはありますよね。好きなアイドルが愛用している香水を自分も付けたいとか好きな俳優さん持っているバッグと同じ物が欲しいとか…それと同じです。

本当なら実物の絵画を鑑賞したいところですが、展示されている場所がニューヨークやワシントンなので大学生の僕には到底行けるところではないので、また図書館でマティスの絵画を閲覧しようと向かっていたら前方から、カサイ美術大学のパンフレットを持った原先生が歩いてきた。僕は心臓が止まりそうになった。

「おっ柳、久しぶりだな。君はここの大学だったのか」

「…はい、先生は何故ここに?」

原先生はパンフレットを見せながら「娘が希望する大学を見て回っているんだよ」と頭を掻いた。

「娘さんの…」

「親バカだろう。けど同じ芸術の道に進むからには良い大学で学んでほしいんだよ」

「それは素敵ですね」

僕の言葉に原先生は照れ笑いをしながら、キャンバスに目を移した。

「新しい絵か。見てもいいか?」

「はい!」

僕は自信満々に包んでいた風呂敷を解いて見せた。

「これはフォービズム手法じゃないか。もう習うのか」

「いえ、大学の図書館で偶然、見付けたマティスの画集を見て僕も同じ世界に行きたい

と思って独学で描きました」

「この出来で独学なのか!」と感心して隅々まで見入っていた。

そんな原先生の姿を見て、僕は気分が良かった。

「もともと美しい色彩感覚を持っているからここまで原色を使いこなせるんだな…こりゃ娘の絵が楽しみだよ」

(忘れてなかったんだ…)

僕は顔が引きつりながら「ご期待に添えるよう頑張ります」と返答した。

「今年は受験で大変だから来年、頼むよ」と言うと、原先生はパンフレットの端っこに自宅の電話番号を書いて渡してきた。

連絡先を受けとると、僕は深々挨拶をして原先生と別れた。

それから原先生に連絡する事はなく、大学二年生になった。

僕は相も変わらずマティスの画法を用いて創作していると、長い髪を一つに束ねた女性に声をかけられた。

「あの、柳さんですか?」

「…はい」

「私、◯◯高校で美術教師をしている原の娘

の真穂といいます」

(娘さん!)

僕は驚き過ぎて変な声が出てしまった。

「あぃ…えっ…娘さんですか」

「はい、滅多に褒めない父が柳さんの絵を絶賛していて、柳さんの描き方や色使いを勉強したいと思ってカサイ美術大学に入学しました。どうぞ宜しくお願いします」と、人懐っこい笑顔を見せてきた。

(そんな事を言われても、僕は面接官でも先生でもないから教えるなんて無理)と言いたかった。けど滅多に褒めない原先生が絶賛していたと言われれば悪い気はせず、つい「分かりました」と言ってしまった。

僕は褒められると断れなくなる性格なんだなと実感した日だった。

次の日から授業が終わると真穂さんのアトリエで家庭教師のようなものをすることになった。

「立派な家ですね。美術教師は公務員だから

稼ぎが良いんだなー」

お屋敷のような家を目の前にして本音が出てしまった。

「うふふ…あまり大きな声では言えませんが、父には別名があって、その名前で個展を開いた収益も注ぎ込んで建てたそうですよ。なので美術教師の稼ぎは…」と言って、また悪戯に笑った。

(あの時は逃げるように部活を辞めて関わらないようにしていたから先生の事はよく知らなかったけど、個展を開いて、しかも売れる絵を描いていたなんて…)

僕は原先生が描く絵を見たくなった。

「真穂さん、よろしかったら原先生の絵画を拝見する事は出来ますか?」

「勿論、玄関に飾ってありますからどうぞ」

四畳ほどの玄関に通された僕は金色の額縁に

囲まれたヒヤシンスの絵画を発見した。

(桃色と白色のヒヤシンスに金色の額縁って。

花びらも葉脈も丁寧に描かれているのに何故、金色の額縁を使うのだろう?これじゃ絵が引き立たない)と思ったが、娘さんの手前そんな事は言えなかった。

「玄関にある絵は四季に合わせて絵も変わるんですよ」

「それは手が込んでいて面白いですね」

「ええ、とても。柳さんは父の絵を見て、どう思いますか?」

「そうですね、葉脈まで丁寧に描かれていて、絵画のお手本のようですね」

「お手本だなんて、褒めすぎですよー」と、笑顔が溢れていた。

だが僕が言った[お手本]とは基本に忠実で面白味がないという意味で言ったのだが…敢えて訂正する事はせず「真穂さんのアトリエに

行きましょう」と促した。

すると僕は外に出されて離れの小屋に案内さ

れた。

「父が私のために物置小屋を片付けてアトリエにしてくれたのです」

「とても愛されていますね」

僕のように好きな人生を歩ませる愛情もあれば、子供の夢を全面的にサポートしてくれる愛情もあるのだと知った。

辺りを見渡せば質の良い画材道具と描きかけの絵が置いてある。僕は真穂さんの油絵を見せてもらった。

遠近法も濃淡の付け方も原先生から教わっているそうで、綺麗に描けていた。

(僕から学ぶことなどあるのか?)と首を捻りたくなった。

「上手だと思いますけど、僕は何をしたら良いのですか?」

「デッサンと静物を描いているところを見学させてほしいです。可能ですか?」

「まぁそれくらいなら」

「ありがとうございます。しっかり勉強させ

て頂きます」

絵の上手・下手を判断する要素は売れる絵か売れない絵かで判断が出来るが、僕は完成し

た絵に満足出来るか出来ないかで判断しているので、真穂さんの勉学に役立つのか不安になった。きっと真穂さんも原先生も売れる絵を描きたいはずだからだ。

僕は不安な気持ちを残しつつ用意された石膏像のデッサンを始めた。

真穂さんは僕の左後ろにイーゼルを立てたので、一緒にデッサンをするのかと思ったら、僕の描いている絵を模写し始めたので驚いた。

(見学って、こういうこと!)

石膏像をデッサンする僕、その僕の絵をデッサンする真穂さん…なんとも可笑しな光景が二時間じゃく続いた。

久しぶりのデッサンは楽しく、よく描けていたので満足だったが、真穂さんはまだ完成していなかった。けど、もう二十一時を過ぎていたので僕は「デッサンが終わったので帰り

ます。僕は先生ではないので、ここはこうした方がいいとかは言いません。模写をする事で確実に力がついてきますから頑張って下

さい」と自分の経験から感じた事を伝えた。

「ありがとうございます。また明日、宜しくお願いします」

「分かりした。では、さよなら」と言って家路へ急いで帰った。

次の日、僕は一人で真穂さんのアトリエに向かったら、もう真穂さんは帰宅して準備を始めていた。昨日と同じく僕の左斜め後ろに真穂さんのイーゼルが置かれていた。唯一、違うのは石膏像から果物の盛り合わせに変わったくらいだ。

僕は挨拶もそこそこにして、絵に取り掛かった。いつもなら三~四十分かけて対象物を観

察してから描き始めるけど、今日はフォービズムではなく写実なので見たままを忠実に描き写した。黙々と描き進めて一時間が経った。僕は油壺にペインティングオイルを入れてパレットに何種類か暗めの絵具を出した。

ペインティングオイルで潤った筆で絵具を馴染ませると着色を始めた。大まかに色づけし終わって片付けていると、ふっと思い出した。

「すみません。真穂さんの事を忘れて、いつも通り描いてました。真穂さんも出来ましたか?」と絵を覗き込むと、やっと着色に取り掛かった所だった。

僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。そんな気持ちを察したのか「気にしないで下さい。柳さんの早さについていけなかったのは、まだ未熟な証拠です。もっと頑張ります」と言ってくれた。

僕はその言葉でいくらか気持ちが楽になった。

そして何故か、この娘の肖像画を描きたいとも思った。

「昔、原先生と約束した事がありまして是

非モデルになってもらえませんか?」

モデルと聞いて一瞬、戸惑いを見せていたが、経緯を話すと快諾してくれた。

それから一週間で静物画を完成させた。

デッサンも静物も真穂さんが用意してくれた画材を使って描いてきたが、今回は自分の画材道具を持って向かった。僕が到着すると、真穂さんは緊張した面持ちで部屋の中を歩き回っていた。

「僕はプロの画家じゃないので緊張しないでください。それとスクウェア柄のワンピース、とてもお似合いですよ」と伝えると、真穂さんは照れ笑いをして「ありがとう」と言った。

真穂さんを椅子に座らせてから、いつも束ねている長髪を下ろしてもらった。そしてモナリザのように微笑んで欲しいと頼んだ。

真穂さんの微笑みはモナリザにも負けないほど美しかった。品があって大人の女性を思わせる雰囲気なのに、どこか幼さの残る感じが

真穂さんをより輝かせていた。僕はこの感覚を表現したかったので、左側の表情より右側の表情を微妙に幼く描いた。

順調に下書きを終えて着色に入ると、真穂さ

んは緊張と慣れない疲れから船を漕ぐようになっていた。

「疲れますよね。下書きは終わったので目を

閉じてても大丈夫ですよ。その代わり、もう一時間ほど頑張って座ってて下さいね」と、お願いした。

服から順に色を足しながら着色していくと、あの嫌な胸騒ぎが再び襲ってきた。

(肌の色が作れない!)

いつも完成の色を想像しながら色をつけていく。パレットで何度も色を混ぜ合わせても想像している色にならず、次第に腹が立ってきた。

(何故だ!)

フォービズムで描いている時は、こんな事、一度もなかったのに…色彩の魔術師マティスは、こんな事があったのだろうか?マティス…僕はマティスの晩年を思い出した。

(色が作れないなら切って貼ればいいのか!やっぱりマティスは天才だ!)

急いでペンたてから鋏を取ってくると寝ている彼女の口に先端を差し込んで皮膚を切り裂いた。

彼女は驚いて椅子ごと転倒すると大声を上げたので、僕は静かにして欲しくて力一杯、口

を抑えた。段々と大人しくなったので、僕は頬、額、首の順に彼女の皮膚を切った。

どうしても肉が一緒に付いてくるので、切るのに苦労したが張り付ける量の材料が用意できた。このままでは貼れないので、自分のカッターナイフで皮膚と肉を切り離してからペインティングオイルで赤色を落とすと白色の油絵具を接着剤がわりにして張り付けた。

「最高の色だ!」

僕は歓喜の声を上げた。

真穂さんにも見てもらおうと思ったら、彼女の顔は穴の空いたパッションフルーツのように、ぐちょぐちょになっていた。

彼女の姿を見て(最高の作品を作るには犠牲が伴う)という事を学んだ。

その時、後方から物音が聞こえた。

振り向くと大人になった謙ちゃんが居た。

「謙ちゃん?どうして此処に居るの?」

「助けにきたよ。君は色に取り憑かれて壊れてしまった」

「僕が?僕は壊れてなんかないよ」

「あの娘の姿を見ても、そう言えるのか?」と、言われて僕はもう一度、彼女の姿を見たが自分が壊れていると思わなかった。

そんな僕を謙ちゃんは後ろから、そっと抱きしめて「もう大丈夫」と言った。

意味は分からなかったけど、謙ちゃんの温もりに安心を感じたのは覚えてます。

それから、どうやって此処に来たのか、何故、僕はここにいるのか分かりません。

貴方はその理由を御存じですか?

原謙一さん。

白壁一面の部屋に白衣を着た原謙一は、冷たい笑みをみせなから佇んでいる。

「沢山お話されて疲れましたね。少し休みましょう」と、言って、彼をベッドに寝かせた。

「心配しないで。もう大丈夫ですよ」

彼が眠りについたのを確認すると、原はカルテの備考欄にペンを走らせた。


観察101日目

登場人物の中に、原謙一が友人として登場。小さな変化が起きたもよう。だか相変わらず罪悪感はみられない。

色に異常なまでの執着をみせる奴に、白、以外の色を奪って101日目。

私の娘を殺しておきながら、娘の父を友人と思い込み話す奴の精神は理解不能。

本物の芸術家は頭のネジが何本も外れている。次の変化が楽しみでもある。


ペンを胸ポケットにしまうと、三重ロックされた扉を閉めて、原は奥部へ消えて行った。



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昭和奇談 葵染 理恵 @ALUCAD_Aozome

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