昭和奇談

葵染 理恵

第1話 小学生~高校生

僕が色に取り憑かれた話を聞きたいらしいね。けど色に取り憑かれているなんて思ってないから、正直なところ何を話していいのか。まぁ面白いかは、分からないけど、僕の生い立ちを、話しましょうか。

僕の誕生は東京でも自然が豊かなA市にある柳家の三男として生まれました。小さい時は兄たちと甲虫や蜻蛉など捕まえて遊んでいました。ただ兄たちと違うのは捕まえた昆虫を闘わせたり標本にしたりせずに、写生をして逃がしていました。

この頃から絵を描く事が好きだったので、美大へ行く事が出来て、とても幸せです。

何故なら長男は否応無しに父と同じ公務員の道に進むと、次男も周りから説得されて、野球選手になる夢を諦めて公務員になっているからです。

公務員になって安定した生活を送る幸せもありますが、僕は夢を持って、行きたい道に進む幸せを選びました。


僕が小四の頃、兄たちは中学生でした。遊びより学業に勤しんでいた為、僕の遊び相手は専ら近所に住む同級生の謙ちゃんでした。謙ちゃんの両親は共働きで、いつも家に居なかったから遅くまで謙ちゃんの家で遊んでました。昔だからテレビゲームなんてありません。けど絵を描いたり、庭で虫探しをしたり、おやつを食べたりと、楽しく過ごしていました。

兄たちと遊べなくなりましたが、謙ちゃんが居たので小学生時代は寂しくなかったです。

中学になって、僕と謙ちゃんは美術部に入部しました。クラスは別でしたが部活後は、いつも一緒に帰宅していたので、宵の道も怖くありませんでした。

そんなある日、文化祭の出し物で、僕のクラスはカキ氷を出す事に決まりました。

(何故、秋にカキ氷なんだ?)と疑問はありましたが、多数決で決まったので文句は言えま

せん。そして屋台の看板作りに僕が選ばれ

ました。理由はクラスの中で美術部は僕しかいなかったからです。

放課後、僕は美術室からアクリル絵の具とベニア板を調達して誰もいない教室で一人、看板作りを始めました。十五分程で下書きを描き終えると初めて使うアクリル絵の具の瓶に筆を浸しました。

水彩絵具とはまた違う色の美しさに「綺麗だな」と心から思いました。

赤色、青色、黄色と塗っていくと無機質だったベニア板が、みるみる色鮮やかになっていき、勉強の時には発揮されない集中力で看板を仕上げました。ですが、外は真っ暗で、もうすぐ二十時を回ろうとしていました。

僕は片付けもそこそこにして、急いで帰ろうとすると、下駄箱の端に置いてある傘立ての

上に座っている謙ちゃんがいました。

僕は驚いて「謙ちゃん!まだ帰ってなかった

の」と声をかけると、いつもの笑顔がなく「話があるから待ってた」と、言って、悲しそうな顔で僕をながめてました。

あんな顔をした謙ちゃんは初めてで、漠然と不安が襲ってきました。

「謙ちゃん…話ってなに?」と、恐る恐る訊ねると、謙ちゃんは無言で校門の方へ歩き出してしまいました。

「あっ、ちょっと待って」

焦った僕は上履きを脱ぎ捨てて、謙ちゃんの後を追いました。ですが、今日の謙ちゃんは、やたらと歩くのが早くて気が付いたら謙ちゃんの家の前まで来ていました。

僕は息を整えてから「話があるのに何で何も言わないの?」と、聞くと、ここまで後ろを見向きもしなかった謙ちゃんが突然、振り向きました。

「急な事だけど、オレ明日、山梨に引っ越す」

「えっ、山梨?何故!」

「親の転勤…引っ越し理由の定番だよな」と謙ちゃんは苦笑いした。

「そんな明日だなんて。本当に急すぎるよ」

「悪い、なかなか言い出せずに今日になった。まぁ同じ関東だし会いたくなったら会いに来るからさ、元気でやれよ。さよなら」

謙ちゃんは駆け足で明かりが灯されていない家に帰っていきました。

僕も(さよなら)と伝えたかったのに喉の奥が熱くて言葉が出ませんでした。

悲しみと共に、友達はこんな簡単に居なくなるのかという気持ちを抱えて帰宅しました。

翌朝、早めに家を出た僕は、まだ謙ちゃんが居るかもしれないと期待をしつつ謙ちゃんの家に行きました。

けど謙ちゃんは出発した後で、もういませんでした。謙ちゃんが引っ越してから三ヶ月、何をしても上の空で文化祭も楽しめず冬

期を迎えました。

この時期は毎年開催される絵画コンクールに出展する為、絵を描いていましたが、今年は描く気力がなかったので見送ろうとすると、母に「今年は出展しないの?」と、言われて、僕は正直に「謙ちゃんが引っ越してから描く気力がないんだ」と、伝えました。

「お友達が引っ越したから寂しいのね。可哀想に……ねぇその気持ちを絵にしたらどうかしら?」と、塞ぎ込んでいた僕にアドバイスをしてくれたのです。

心配してくれる母の言う通りに、僕は今の気持ちを絵にすることにしました。

キャンバスにアクリル絵具の白色で心臓を描くと、薄紫色で心臓を覆う血管を這わせた。

その心臓の中心に肌色(ペールオレンジ)で乱雑な穴を描いた。

これは僕の寂寥感を表現したのだが、まさかこの絵がグランプリを受賞するとは夢にも思いませんでした。

受賞した事で、僕は絵に対する熱が復活して意欲的に取り組むようになりました。

結局、謙ちゃんにさよならを言えないまま、絵を中心に中学生活を過ごしました。


高校は何処でもよかったんですが、公立の方が学費が安いので公立を受験しました。自慢ではありませんが、頭は良い方だったのでさほど苦労せずに公立の高校に入学できました。もちろん高校でも美術部に入りました。

そこで初めて油絵の描き方を習いました。

油絵の具はアクリル絵の具と違って乾くのが遅いので、自ずと絵の完成も遅くなります。ですが、直接キャンバスの上でボカシやグラデーションが出来きるので、どっぷり油絵にハマりました。

次第に自分の道具が欲しくなり小遣いを貯めて油絵セットを購入。

木箱に入っている新品の油絵具たちは、まるで宝石のように輝いて見えました。

僕は画材を持って気に入った景色を見付けるとプロの画家になった気分で風景を写し描いた。部活でも風景画ばっかり描いていた僕に美術部顧問の原先生が「君は肖像画は描かないのか?」と、聞いてきました。

(肖像画か…)

原先生に言われるまで気付きませんでした。人の形をした石膏像なら、デッサンの練習で描いたことがありますが、生きている人をモデルに描いたことがありませんでした。

「僕にも分かりませんが、肖像画を描くという選択肢はありませんでした。何故、描かなかったんだろう?」

「それは珍しい。人物画や肖像画が嫌いで描かなかったわけじゃないなら、これをきっかけに一度描いてみるのはどうだ?」と、提案してくれました。

高校二年の夏、人生初めての肖像画に着手することになりました。

(さて、誰を描けば良いんだ?)

僕は人見知りで、友達という友達がいません。

父も兄も忙しくてモデルなんてやってくれないだろうし…僕は回転椅子に座って、くるくると回りながら思案に余っていると、階段下から「ご飯、出来たわよ」と、母の声がしたのです。

(そっか、母がいた)

僕は母が作ってくれた煮物を食べながら絵のモデルになってくれないかと相談すると母は快く承諾してくれました。

それから三週間、僕と母は食後のデッサンがスタートしました。

母としっかり向き合う機会なんてなかったから、始めは気恥ずかしさがありましたが、絵を通して普段では話さないような会話が増えたのが嬉しく充実感が芽生えました。

ですが、その幸福は長く続かなかった。何故なら、僕の大好きな色を入れる作業に入ると、不思議な事が起こったのです。

(母の色白な肌が表現できない…)

肌色が作れないわけではありません。赤色と橙色を塗って乾かしてから白色を白粉のように薄く乗せていけば肌色は作れます。

ですが、それでは母の肌にはなりません。

黄色を入れてみたり桃色を入れてみたりと試行錯誤しましたが、納得のいく色にはなりませんでした。

ですが、母は「とても綺麗に描いてくれて嬉しいわ」と、喜んでいました。

達成感はなかったけど、母の絵を原先生のところへ持っていく事にしました。

次の日、美術室で作業をしていた原先生に完成した絵を見せると「これは凄い!肌の透明感も美しいが、絵と写真の狭間にあるような絵画だ。君はセンスと独特な感性があるから、もっと肖像画を描いて極めていって欲しい」と、興奮していた。

そんなに興奮する理由が分からなかった。

とりあえす「…は…い」とだけ返事をすると「君が有名な画家になるのが楽しみだよ。そうだ、私には君と同じくらいの一人娘がいるのだが、娘をモデルに一枚描いてくれるか?」 と、言った原先生の金壺眼が怪しく光ったように見えて、僕はゾクッとした。

「わ…分かりました。今度、描かせて頂きます」と、言いながら日本語とは、なんと便利な言葉なんだろうと思いました。

今度という曖昧な言葉で、その場をやり過ごす事が出来る不思議な言葉。

僕は肖像画を描きたくない。だから曖昧な言葉に救われた。あとは、なるべく原先生に会わないようにすれば、約束のような約束じゃない約束を流す事が出来る。と考えました。そして、僕は大学受験の勉強が忙しいという理由で部活を辞めた。

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