その4 明日に備えて

「ストレスによる脱毛症かしら。心の病気では珍しくない症状だと思うけれど」


「ええ、それはお医者様から聞きました。ただ、不可解なところがあるんですよ」


「──不可解、ですか?」


「ええ。髪の毛が無いんです」


 ……うむ。なるほど、髪の毛がないと。

 ネフが首をかしげて僕を見る。


「……それが脱毛症よね?」


「あ、いえいえそういう意味ではなくてですね。抜けた髪の毛が見つからないという意味ですよ」


 両手を振りながら、フィリップさんが言った。





 カンテラの明かりがゆらゆら揺れて、テーブルに落ちた影がぼやけて動く。ちょっと埃っぽい部屋の中、ネフと二人でパンをかじる。

 僕のなけなしのお金は、なんとか安宿三泊分はあった。一部屋しか借りられなかったけど、それは許してほしい。


「どう動こうか……」


 手帳のメモを眺めながら、僕たちは頭を捻っていた。

 シャーリーちゃんと別れた、次の日の朝。起きてすぐ、ローラちゃんは異変に気づく。フィリップさんの寝室に飛び込んできたローラちゃんの髪は、切られたのではなく根元から無くなっていた。

 すぐにローラちゃんの部屋に向かったけど、髪の毛はひとつも見つからなかったみたいで、文字通り「消えてしまった」のだという。

 確かに不可解で、意味ありげな出来事だけど。


「脈絡が無さすぎて……ねぇ」


「うーん……困ったわね」


 例えるなら、宝の地図がない状態で、宝箱の鍵だけ渡されたような気持ちだった。


「とりあえず、わかってることを書き出しましょう」


 ネフがからり、と鉛筆を走らせてゆく。

 目的は、ローラちゃんの笑顔を取り戻すこと。ローラちゃんは仲良しのシャーリーちゃんと別れてから、心がすっぽり無くなってしまったこと。

 そしてその翌日に、ローラちゃんの髪の毛が全て、消えてしまったこと。

 それから、最後にフィリップさんから聞いた、ローラちゃんが孤児だったということも。


「確かなのは、原因がシャーリーちゃんとのお別れだということよね」


「うん。もともと孤児だったって考えると、どうしても愛情に飢えてしまうだろうし……それを突然失ったら、普通の人よりもずっと大きなストレスを感じるはずだよ」


「ただ、それで髪の毛が消失するというのはよくわからないわ……事件性もありそうだけれど、なんとも言えないし」


 顎に鉛筆をぐりぐりしながら、ネフはむー、と唸る。


「君の魔法で何か、わかったりはしない? 占いとか」


「——魔法って、使う人が明確にイメージできてないと使えないのよ。今回はそもそも、何をどうするかあやふやだもの」


 魔法、万能というわけでもないんだな。こっそりそう思った。


「とりあえず明日、図書館で精神病の専門書を探そうか」


「そうね——ふぁ」


 時計の針がもうすぐ重なる、そんな時間。ネフが眠そうにあくびした。


「寝ましょ」


「そうだね」


 ベッドはもちろん一つだけ。

 こういう時、リュックは枕になるから便利なものだ。

 寝転がると、硬い床材がぎしっと鳴った。


「……何してるの?」


「見ての通り、寝るんだけど」


「そんなとこで寝たら背中痛くなるでしょ? ちゃんとベッドで寝ないと」


 手を引っ張るネフ。

 待て待て。


「大丈夫だから。ネフが使いなよ」


「二人で使えばいいでしょ」


「いや狭いよ」


「わたし細いし、レノンだって太くないわ。平気よ」


「あのね、そういう問題じゃ——」


「ほら、さっさと寝る! スラーミンに襲われるわよ」


「そういえば何なのさ、スラーミ——」


「おやすみなさい?」


 背中越しに怒りのオーラ。

 まあ、ネフがいいならいいか……。


「——おやすみ、ネフ」


「ええ。おやすみなさい、レノン」





(その5へつづく)

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