白霧之参 静かな剣①

「弟子にして頂けるまで、私はここから動きません!」


 辺りは茜色あかねいろに染まる夕刻。

 次にアルマの瞳に映し出された光景は、どこか見覚えのある屋敷の門の前であった。見慣れた3メートルほどの高さの石壁に無骨な鉄の門扉もんぴ。それは彼女が実家を思い出すには十分な景色。

 しかし、扉の覗き窓を介して誰かと問答をしている様子の、その丸坊主の若者は、アルマには見覚えが無い。自身の身の丈もあろうかという大きな剣を背負ってはいるが、その服装は、どこでも見かける年季の入った麻の上下に革の靴。先ほどの口上から察する限りは、剣の達人を多く輩出するフォーゲル家の誰かに稽古を付けてもらいたいのではあろうが。


「まったくしつこいガキだね! わたしゃ弟子を取らないって何度も言っただろう。とっとと帰んな!」


 それはアルマが何度も聞いた聞き馴染みのある声。ジルケから発せられたものだった。坊主頭の若者は、ジルケに弟子入りしようと粘り強く嘆願しているとみて間違いないだろう。


「どうか、どうかお願いします! ジルケ殿の弟子にして下さい!」


「帰れ!」


「帰りません!」


「勝手にしな!」


 覗き窓が音を立ててぴしゃり閉まるが、坊主頭の若者はなお微動だにしない。すぐに覗き窓が開き、彼は傍目はためにも分かるくらいぴくりと動いたが、目を出したのは門衛で、外の確認だけだったのだろう。間もなく覗き窓は閉められた。

 がすっかり落ち、空が茜色あかねいろから冥色めいしょく、そして更に滅紫けしむらさきに移りながらも、往来の好奇の目もいとわず、若者はしばらく仁王立ちの如くその場にたたずんでいたのだが、やがて疲れ果てたのか。大きな剣を肩掛けのソードベルトごと取り外して石壁に寄りかかるように座り込み、そのまま寝息を立て始める。

 しかして壁の中からジルケの声がすれば、坊主頭の若者は門衛によって屋敷の納屋に放り込まれる運びとなった。


 そして翌朝。


 彼は納屋の窓から差し込む新鮮な東雲しののめ色の朝陽あさひに目覚め、自身の置かれた状況に狼狽ろうばいした。整然と置かれたはさみ大鎌おおがまなたすきくわなどの造園道具、そして乾いた草と土の匂い。窓から外を見れば石の壁と、質素な造りながらも大きい屋敷。そして周囲を見渡してみても、狭い小屋の中には有り金をつぎ込んで買った己の大剣は見つからない。

 これは昨日、粘りすぎたがゆえに無礼をとがめられたのだと、慌てて戸を開け出ようとするが、鍵は外からかけられているらしく、それも叶わない。ならば武人の端くれとして見苦しくジタバタするまいと覚悟し、二度寝をしようとしたそのときだった。

 外から何やらがちゃがちゃと音が聞こえ、次の瞬間、壊れそうな勢いで戸が開けられたかと思えば、聞こえてきたのは昨日の大声。


「起きろ、クソガキ!」


 不意打ちの如き荒々しい仕草と口汚い言葉に、二度寝を決め込んでいた若者の背筋はぴんと伸びるが、言動に反して彼女のスモーキークォーツの瞳は実に穏やかである。そのギャップに混乱をしていた彼を見越してか、ジルケが更に声を掛ける。


「グズグズするな! 打ち合ってやると言っているんだ!」


 先ほどからの言葉や仕草のどこにそれがあるのかと疑問にも思うが、是非もない。弟子入りを断られた翌日なのだ。実に人懐っこい笑顔で「はい!」と返事をすることしか、彼には選択肢が浮かばなかった。


「ジルケ様。突然、押し掛けたのにお相手して頂けるとのこと、ありがとうございます」


 これから裏庭に移動するとのことで、若者は歩きながら憧れのジルケに話しかける。


「何だい。まだ成人したばかりに見えるのに、随分と大人しい喋り方をするじゃないか。調子が狂っちまうね。名前は?」


「え?」


「名前だ。あんたの名前だよ。ほら、親なり誰かなりから貰った名前があるんだろう?」


「あ、あ、はい。私はバルナバスです」


「名字はあるかい?」


「いえ、ありません」


「平民なのに話し方が随分と丁寧だね。なにか商売でもやってんのかい?」


「いえ、何も。……あの、何か気にさわることでも?」


「そんなんじゃないよ。大体が剣に生きる奴なんて、ガサツな喋り方をすると相場が決まっているからねえ。珍しいと思っただけさ。ああ、着いたよ。ここでやろう」


 ジルケが裏庭と言ったこの場所は文字通り屋敷の裏にあるスペースであるが、奇異なことに石壁が途切れている箇所があり、そこから林へと出られるようになっている。なんとも不思議な造りだが、彼女が何も言わない以上はと、バルナバスは喉まで出た疑問を奥にしまい込んだ。


「ほら。お前の大剣と同じ大きさの木剣ぼっけんだ。これを使え」


 裏庭の片隅で何やらがさごそとしているかと思えば、彼女から無造作に渡されたずしりと重い木剣ぼっけんは、先端から柄頭つかがしらまでおよそ150センチ少々と、確かにバルナバスの宝物とほぼ同じ大きさである。しかも、ご丁寧に剣身の根本にある持ち手――リカッソまで用意されているではないか。


 バルナバスは初めて手にした訓練用の木剣ぼっけんと、これから憧れの達人と打ち合える喜びに瞳を輝かせ興奮していたが、ジルケにとってはどうでも良い事で、淡々と打ち合いの準備を進める。やがて彼女はバルナバスと同じ木剣ぼっけんをその手にたずさえ、彼と4メートルほど距離を取った。


「とりあえず、構えてみな。そしてお前の覚悟ができたら打ち込んでこい」

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