白霧之藍 霧中にて舞う②

「5人か」


 敵がいるであろう方向へ歩きながらダミアンがぼそりと呟き、鉄兜のバイザーを下ろすと、思い出したようにボニファーツが疑問を投げかけた。


「なあ、ダミアン」


「うん?」


「さっき、砦が攻撃を受けたときに、指揮官らしき者は見えたか?」


「いや、見えなかった。……なるほど、そういうことか」


「ああ、そういうことだ。僕たちはまんまと敵の罠にまったみたいだな」


「非常にしゃくだが、敵の方が上手ということか」


「そうだな。それでどうする?」


「何をだ?」


「このまま進むか、戻るか、或いは退避してくることを期待してここで待つか」


「追いかけ始めたときからはらは決まっているんだ。そんなこと聞くまでもないことだろう?」


「怖気付いたのかと思ってさ」


 そしてボニファーツも鉄兜のバイザーを下ろし、二人は追う足を速める。

 時折、枝葉の間から見える嘘のように鮮やかな天藍てんらん色の空のもと、やがて追い付いた二人の目に飛び込んできたのは、だが、嘘のように凄惨な光景だった。


 遠くから聞こえてきた悲鳴、雄叫び、そして鉄のぶつかりあう音に急ぎ向かえば、近づくにつれて増える死体の数。その数は敵味方合わせて20は下るまいが、黒地に白のセイヨウサンザシを描いたリベリーお仕着せ布を着た者が多い。それを横目に音の中心を見つけると、味方は二人から見て左右二手に分かれて応戦していた。一方はダミアンの手勢、もう一方はボニファーツの手勢であろう。


 しかし、周到に待ち伏せていた敵を相手に、味方の兵は次々と数を減らしていった。


「ダミアン! ためらうな!」


 突如、ボニファーツが大声を上げると、その場にいた者は一人を除いて誰もが彼に振り向き、味方はじりじりと後退を始め、敵はそうはさせじと手数を増やした。だが、ボニファーツの意図を汲み取ったダミアンが、特別製の大きなカイトシールド三角盾を前に出して左前方の敵に鋭い突進で肉薄し、その動きを牽制する。右前方はと言えば、ボニファーツが同じように盾を構えて敵に近寄り、逃げ遅れた敵兵を一人、二人と目にもとまらぬ速さで斬り伏せた。


 これを契機に戦況は変わるかと思われたが、如何いかんせん、こちらはまだまだ立て直し途上、更に敵の数はまだまだ多い。恐らく森に潜み、クロスボウで狙撃を狙う敵兵もそれなりにいることだろう。


「カルツ隊! 塊になって左前方の敵兵を駆逐する!」


「バルベ隊! 右前方の敵を包囲しながら殲滅する!」


 ダミアンとボニファーツが声も高々たかだかに指示を出し、鼓舞するも、ここは既に敵の掌中しょうちゅう。後ろにも回り込まれて大乱戦の様相となり、いよいよ撤退も難しくなったところで、冒頭の場面へとあいなった。


「こんなところで死んでたまるか! 生き残るぞ!」


「ああ!」


 ダミアンとボニファーツ。如何いかに二人が将来を嘱望された剣の達人といえど、集団戦で不利な場面に遭遇してしまえば、その命の灯火ともしびたちまちのうちに消されてしまうものだ。既に満身創痍となった二人は、いよいよ討ち死にを覚悟し、それならばせめてどちらか片方だけでも生き残ろうと、味方のために退路を確保しようと、背後の敵を引き付けながら、奥にいるであろう敵指揮官を目掛けた敵中突破に命を使おうとしていた。そうと決まれば二人に躊躇はない。揃って駆け出し、一撃、もう一撃、そして踵を返して敵の奥へ突撃するのみ。

 だが、その作戦が完遂されることはついぞなかった。


 大乱戦とはいえ、気付けばクロスボウによる射撃はなくなっていた。そして目に見えている敵兵も短い間に随分と数が減ったようだ。生き残っている味方の兵士たちも、既に多くが限界を迎えている状態で、敵をすんなりと打ち倒したとは考えにくい。その理解を超えた状況に二人は今まで以上に周囲を警戒したが、果たして答えはすぐに現れた。


 意識を失ったように崩れ落ちる味方兵。すかさず剣を振り上げ襲いかかる敵兵。誰もがその味方兵の死を予想したが、しかし、突如現れた甲冑姿の人物によって、敵兵は鉄鎧をひしゃげさせて地面に転がる。そして、余韻に浸る間もなく次の兵士へと、その手に持ったツヴァイヘンダー両手持ち大剣を突き出せば、相手に反応する間も与えず、正確に首を貫いた。その後も、天藍てんらん色のリボンで束ねた長いダークブランの髪をたなびかせて、襲い来る敵兵を巧みな足運びで躱し、まるで背中に目があるかのように体を翻しては、横に薙ぎ、斬り上げ、或いは間合いの外から突きを繰り出し、敵を次々と討ち果たしていった。驚くべきことに、この乱戦の戦場いくさばにおいて鉄兜を装着していなかったのだ。


 そのお陰か、彼女の端正な顔立ちと舞うような動き、それに合わせて揺らめくつやのある髪は、その場にいる者すべてを魅了した。ダミアンとボニファーツはおろか、敵兵ですらも見惚みとれていたのかも知れない。

 けれど、多くをとりこにした彼女も軍に身を置く者。遊兵を見逃さず、その容姿に見合わぬ大声で周囲を叱咤する。


「あんた達、ぼさっと突っ立ってんじゃないよ! この勢いでとっとと駆逐しちまいな!」


 その迫力のある大きな、しかし、凛として澄み渡る声に我に返ったダミアンとボニファーツ、それからどうにか動ける兵士数名が反撃に出れば、少しの戦闘の後に敵は再び森の奥へと消え失せた。


 窮地の味方のもとに単騎で駆け付け、40もの敵を斬り伏せて救援に成功したうるわしき彼女の名はジルケ。後に王国指折りの剣士と称えられる彼女は、この時まだ22歳。後にドリテで『森の鬼姫』と語り継がれる、実に華々しい初陣であった。



 ――そして世界は渦に呑まれて崩壊し、霧が再び形作る。

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