最終話 暁天の蝶
「闇に眠れ。
箱の在った周囲には当然何もなく、しかし、クレーベは彼女の視界の片隅で、彼女が予測していなかった場所で、ジルケの
アルマが記憶を
アルマが呆然としている中、ジルケがツヴァイヘンダーを引き抜き、その切っ先を
「闇に眠れ。ナハト――」
しかし、凛とした
その壊れた顔と心のままに相手を
――ああ、
――実に、
次の瞬間、アルマは駆け出していた。目指すは四つん這いの異形。衝突の後、
「ふ!」
素早く間合いを詰めたアルマが右、左と次々と双剣を繰り出せば、四つん這いのケモノは器用に躱し、或いはガントレットを使って身を守る。そして、隙を見て大きく後ろに飛び退くや、そのまま二本足で立ち上がり、
「浄化せよ! グローサーヴァーゲン!」
だが、これでアルマは得心した。なぜケモノの形が歪だったのか。そんな思考をよそにケモノは白銀の剣を見て一人嘆く。
「ああ、我が王よ。どうしてご自害なされたのか。
「あなた、もうどうしようもなく混ざっているのね」
「ああ、その通りだ。悲しみ、後悔、嫉妬、狼、エメリヒ・クレーベ、熊、そしてお前たちが悪魔と呼ぶ者。様々な感情や記憶が混在していて、煩わしいことこの上ない。だから」
――早く殺されて楽になりたい。お前たちを殺して楽になりたい。
そう言ったケモノは緩慢な動きで四つん這いになったかと思うと、刹那に間合いを詰めながら白銀の剣を突き出す。虚を突いたはずのケモノの一撃。しかし、予想に反し、難なく横に躱してみせたアルマ。
だが、アルマが咄嗟に反撃を試みたときには、既にケモノは宙へと逃げていた。いつの間にかその背中に生えたコウモリのような羽を、しかし、コウモリとは異なり大きく羽ばたかせて宙に留まっている。
その束の間、アルマは思い出したかのように「ふぅ」と息を吐き、改めてケモノを、周囲を
ほんの少しの睨み合いは、ケモノがその羽を細かく羽ばたかせたことで終わりを迎えた。
ケモノは正面から飛び込んで剣を横に薙ぎ、躱されるのも、弾かれるのも気にせず、次々と一撃離脱を繰り返す。対するアルマは稽古によって研ぎ澄まされた反応速度と鍛えられた体幹により、己の側面や背後に回り込もうとする動きの
しかし、飛び回る敵に、アルマが未だ攻撃を合わせられずにいたことも事実。双方、決め手を欠いたまま持久戦の様相を呈し始めたところで、アルマが動いた。
上空から地面すれすれまで急降下し、その勢いを借りた急接近からの横薙ぎ。うんざりするほど対応したことにより、このときばかりはケモノの軌道が手に取るようにわかったのである。
「一つ」
予測軌道上にアルマが素早く移動し、水平に刃を向けて羽を1枚切断。
「二つ」
アルマは地面に墜落してもんどりうったケモノに猛然と駆け寄り、もう1枚の羽を切断。
「三つ」
追撃の手を緩めず、革のブーツでしか守られていない両足に刃を突き立て、切断した。
「四……」
だが、足を即座に回復させたケモノが間合いを取り、それ以上の追撃はかなわなかった。これも
間合いを取り、追撃を躱したケモノは今度は二本足でアルマに迫り、先端が歪に曲がった白銀に輝く長剣で斬りかかる。
――先端が歪に曲がった?
そうだ。あれは繊細で優美で、真っ直ぐだったはずだ。それがいつの間にか、
そしてケモノは羽を失った直後の無様な状況から一転、アルマの間合いの外ぎりぎりから、振り下ろし、横に薙ぎ、袈裟に斬りと、息もつかせずアルマに斬りかかった。
死。
アルマの脳裏に不意にその言葉がよぎった。そして、自身の死のイメージと共にある結論を導き出す。
――ああ、簡単なことではないか。どうして今まで気が付かなかったのだろう。全ては導かれていたのだ。
次の瞬間、彼女はこれまでよりも力強く大袈裟に白銀の剣を弾き飛ばし、全力でケモノの横を駆け抜けた。すれ違いざまに放たれた苦し紛れの斬撃により、
一心不乱に目的地――濃い
「
直後、
「ぬう!」
辺りに大きな金属音が響き渡り、ケモノが呻き声を漏らして
「はっはー! クレーベよ、あんた
ケモノの刃を弾き、
「アルマ! 何か隠してるのがあるんだろ! さっさと使っちまいな!」
ジルケが言い終わるが早いか、アルマは刃の無い右手の長剣を突き出して、再び唱えた。
「喰らい尽くせ!
声が終わり突如として現れたのは、辺り一帯を埋め尽くさんばかりの万の如き紫黒の蝶の群れ。この世の終わりを思わせる異形の一団。動きの鈍くなったクレーベに、先ほどの蝶と共に四方八方、あらゆる方向から襲い掛かり、その体を構成する高密度の
程なくして蝶が消えると、そこにはクレーベの兵装だけが残されていた。
「さあ、帰ろうか」
やがて空は
そして、いつもと変わらぬ
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