第9話 兄と妹と

「そう言えば、アルマさんはイヌイに来るのは初めてだとか」


 ドロテの起床とお召し替えを手伝った後は、家族揃っての朝食の時間である。食堂の壁で待機していたところで、アルマは執事長ヴィンシェンツに「ちょっとだけ」と声を掛けられ、廊下で話をすることになった。質問の意図は分からないが、そのまま正直に「はい」と返事をする。


「とすると、どこにどんなお店や施設があるのかも分からない状態かな?」


「はい、生憎あいにくと」


 次の質問でアルマは意図を推し量ったが、言葉少なに返事をする。ドロテが食堂から呼びかけてきたとしても、聞こえるようにするためだ。


「ふむ。それだといずれ不都合が出るかも知れないな。折りを見て外に出る用事を作るから、そのときに町の様子も見てくるように」


「……その間、ドロテ様のお世話が出来なくなりますが?」


「他の者を付けるからそれは大丈夫だよ。ドロテ様のことを心配しているのかも知れないが、お嬢様は大変に賢くていらっしゃるから何も問題はない。それよりも君を1日でも早く1人前の侍女にしなくてはね」


「承知しました。ところで二つ、質問よろしいでしょうか?」


なんだね?」


「このような広いお屋敷では執事と侍従じじゅうを分けることがあると聞いたのですが、ヴィンシェンツ様は侍従長じじゅうちょうも兼任してらっしゃるんですか?」


「兼任ではなく、お館様のお考えで男性は執事と近侍の仕事を分けていないのだよ。ドロテお嬢様と君のように女性には侍従じじゅうを付けるがね」


「そうでしたか。ところで、シュテファン様はどのようなかたなのでしょうか?」


「? どうしてシュテファン様のことを?」


「いえ、ただ他の二人のご子息様と雰囲気が異なりますので」


「ああ、そうか。兄のオスヴァルト君がシュテファン様にいているから、気になったのだね。……シュテファン坊ちゃんはグスタフ様の弟であるロータル様の遺児だから、ランプレヒト様やハインツ様と雰囲気が多少違うのも当然なのだよ。ロータル様が亡くなってから奥方のエレオノーラ様もこのお屋敷を去り、シュテファン様ただ一人残された御身でありながら、寂しいなどとおくびにも出さずに、笑顔で……うぅ……」


 老執事は言い終わる前に涙ぐみ、言葉に詰まってしまっている。アルマもグスタフとロータルのことは聞いているが、やはり間近で関わってきた者にとってはつらいものがあるのだろう。


「……これは失礼」


「……いえ」


 このやり取りの直後、壁の向こう側から自らを呼ぶ元気な声が聞こえ、アルマは食堂に戻る。本日4つ目の仕事は、ドロテの口の周りの食べ残しを、綺麗に拭き取ることだった。

 大人しく拭き終わるのを待つと、すかさずドロテはアルマの腰に抱き付き、「お花の良い匂い!」と顔全体で幸せを表現している。アルマがふと気配に気付き視線を辿れば、グスタフも大きくほおを緩めていた。



「さて、アルマさん。これからお使いに出てもらうよ」


 その日のお昼を少し過ぎた頃、早くもヴィンシェンツがアルマのもとに用事を言い付けに来た。兄のオスヴァルトをともなって。


「やぁ、アルマ。久しぶりだね。3年ぶりくらいかな?」


 6年ぶりに見たオスヴァルトは大人びた顔になっていたが、少し背が縮んだようだとアルマは思った。それは自分の背が伸びたせいだとすぐに訂正したが、それにしても6年ぶりを3年ぶりとは誤差が過ぎる。


「お久しぶりです、オスヴァルト兄様。お変わりないようで安心しました。ですが、3年ぶりではなく6年ぶりですよ?」


「おや、そうだったかな?」


 穏やかな笑みを浮かべておどける兄。そして、聞こえる咳払せきばらい。


「んっんー。兄妹きょうだい久闊きゅうかつじょする気持ちは分からなくもないが、そろそろ用事を伝えてもいいかな?」


「は、申し訳ありません」

「はい、よろしくお願いします」


 オスヴァルト、続いてアルマが少し重なるように返事をする。


「さてさて、お使いの用事だけどね、全部で三つある。一つ目は西大通に近い孤児院で、院長から最近の様子を聞いてくること。二つ目は、河岸かしのある南東街区で亜麻リネン生地の卸値おろしねを調べてくること。三つ目は、東大通にあるギードの花屋でリコリス・オーレアの球根を100ほど注文してくること。どの順番で回っても構わない。以上だ。道案内はオスヴァルト君に言ってあるから頼りたまえ」


「承知しました」


「さ、行こうか。アルマ」


 上役が立ち去るや否や出発しようとしている兄を見て、オスヴァルトは相変わらずオスヴァルトのままのようだとアルマは思い、それが嬉しくて自然と顔がほころぶ。


「ええ、行きましょう、お兄様」


「ところでアルマはどういう順番で用事を済ませるのがいいと思う?」


 お屋敷の大きな鉄柵のような門を出たところで、オスヴァルトがアルマにたずねた。


「そうね。花屋は暗くなったらお店を閉めるだろうし、亜麻リネンおろしているところもきっと同じよね。だから、最初にお花屋さん、次に亜麻リネン卸値おろしね調査、最後に孤児院でどうかしら?」


「うん、良いと思う。流石は私の妹だ。では、早速、ギードの花屋を目指して歩こうじゃないか」


 オスヴァルトはそう言ってアルマの先をややゆっくりと歩いていく。彼なりに妹に気を遣っているのだろう。そうやって二人は話に花を咲かせながら、ギードの花屋でリコリス・オーレアの球根を注文し、南東街区の商人組合で亜麻リネン卸値おろしねを調べた。

 用事をこなしながらもアルマはオイレン・アウゲン梟の瞳で様子を探ることに余念は無かった。これまでのところケモノや不自然なもやは感知していない。目新しかったことは、たまに、はぐれたもやが道に転がっているが、人通りが多いお陰かすぐに吸収されてしまうくらいだ。目新しいとはいうものの、ジルケに教わった通りのことが目の前で起こったのだ。さして驚きもない。


 ところが最後の孤児院に近づくにつれ、アルマは目に見えて緊張を高めていった。表情が消えるのだ。オスヴァルトが心配して声を掛けるも「大丈夫」と返すばかり。

 彼女にプレッシャーを与えていたのは、例の白い炎だった。消えかけのものではなく、限りなく小さな黒いもやを内包する力強い白炎びゃくえん。昨晩にたそれは、間違いなく孤児院の中で動いている。しかし、ふと今朝会ったばかりの小さい炎の持ち主、シュテファンのことを思い出して、急速に心を落ち着かせていった。

 オスヴァルトは表情を取り戻しつつある妹に安心したのか、ノックもせずに孤児院に入り、声を張り上げた。


「こーんにーちはー」


 我が兄ながら、なんとも間の抜けた声で恥ずかしいとアルマは思ったのだが、すかさず耳打ちしたオスヴァルトによれば「子供が喜ぶんだ」ということらしい。その通り、元気よく出てきた5人ほどの子供たちが勢いそのままに彼に駆け寄る。続けて品の良さそうな女性が一人。


「あらあら、オスヴァルトさん、いらっしゃい。子供達が元気でごめんなさいね」


「良いんですよ、マザー。あ、こちら私の妹のアルマです。ほらアルマ、院長さんに挨拶して」


 まとわりつく子供たちの頭を手荒に撫でながら、オスヴァルトはアルマを紹介する。しかし、どうにも心ここにあらずと言った表情だったので、オスヴァルトが催促をすればハッとした表情で口上を述べた。


「あ、すみません。ぼーっとしちゃって。オダ様のお屋敷に務めておりますアルマと申します。兄ともども、どうぞよろしくお願いいたします」


 オスヴァルトがマザー、或いは院長と呼んだこの女性。亜麻リネンのシフトドレス、草色のステイズに草色のスカート、そして小鹿色こじかいろの長い髪を覆う草色の頭巾。庶民的でありながら品の良い服装だと思った。身長はアルマと変わらないが、院長としての風格だろうか、少し大きくも見える。


「アルマさんね。私はこの孤児院の院長をしているクリスタ・ホルツマンよ。よろしくね」


 そういってクリスタは、そのアクアマリンの瞳で真っすぐにアルマを見つめ、柔らかく微笑んだ。だが――


「あら? アルマさん、ぼーっとして大丈夫かしら?」


 その言葉にアルマは反応できなかった。クリスタに内在する大きな白炎びゃくえんが気になってしょうがないのだ。その炎は主の言葉に合わせるかのように、踊り、揺らめく。しかし、人というものは、特に前向きな者ほど、ときに大きな誤解をするものである。

 クリスタはハッとした表情の後、早口でまくしたてた。


「アルマさんったら、私の美貌に見惚みとれてしまったのね。でも、ごめんなさいね。私にはそっちの趣味はないのよ。だけどそれじゃあなたが可哀そうだから、特別にアルマちゃんって呼んであげるわ。私の次くらいに美人さんだしね。それで許してくれるかしら?」


 クリスタの大袈裟な身振り手振りで我に返ったアルマは慌てて否定し、ちゃん付けを丁重に辞退。だが、数年後、アルマがこのクリスタから重大な決断を迫られることになろうとは、誰も想像もしていなかった。

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