異管対報告第3号-11

「ばっ、化け物だぁ!」

「逃げろぉぉお!」

「でっ、出口!出口はどっちだぁ!」

「退け邪魔だ!俺が先だ!」

「押すなバカ」

「いやっ!痛ったぁぁぁ!」

「カメラ!動画回せよ!」


 突如として毒虫より遥かに大きく、壁や天井さえ破壊するほど巨大な体躯の怪物であるキキーモラとなったオノプリエンコの姿は店内を激震させた。

 だが、その激震はオノプリエンコより不幸にも居合わせた一般人からの方が圧倒的に強く、酔いと興奮、突然現れた異形への恐怖と混乱は店員さえも叫ばせると、多くの人々は出入り口へと殺到し始めた。

 しかし、野次馬根性のある者達はその人混みの濁流へあえてカメラやスマートフォンを片手に飛び込み、"一時の人気や知名度"のためだけにオノプリエンコの立つ方へ駆け出し流れを逆走しようとしたのである。そんな者達が逃げる人混みの先頭と衝突したことで、逃げようとした客はお互いの体でお互いを押しつぶし、その痛みが酔っぱらい達を無駄に争わせた。

 その人混みの乱闘はさらなる混乱を生み、相対する流れが唐突にぶつかったことで出入り口付近の人混みは最後に"ただ叫び蠢く塊"となってしまったのだった。


「大混乱だ……」


 店内で暴れる"一般人達怪物の群れ"とビル風を室内に流し込む大きな穴に手をかけ新宿の夜の街を眺める"怪人オノプリエンコ"を呆然と見つめる貞元は、最早どちらが制圧すべき対象かわからなくなりただ喧騒の音に掻き消される声で呟いた。

 だが、オノプリエンコがゆっくりと店内へ振り返り辺りを見回すと、彼は貞元の姿を捉えた。すると、オノプリエンコは耳まで裂けていそうな口の端を上げ笑みを浮かべると、貞元の眉間に目掛けて鋭い爪の伸びる指を差したのである。


「Я даже не запомнил лицо, которое присутствовало на японском OCB! Но эй, дело сделано! Позволь мне отвезти тебя домой!《まさか日本のOCB異管対が同席していたとは、私も顔の覚えが悪かった!だがなぁ、仕事はおわった!ここで帰らせて貰おう!》」


 激しい巻き舌に早口で捲し立てるオノプリエンコの声は、それまでのものとは異なり野太く地の底から這うような背筋を凍らせるような不快な響きである。その声が店内に響くと、それまで乱痴気騒ぎを起こしていた客達は一斉に黙って彼の方を向きなおった。その光景に更に白く鋭い歯が無数に見える笑みをひけらかすオノプリエンコが曲がった背中を大きく背後にそらし周りの瓦礫を吹き飛ばし着ている服をたなびかせるほどの遠吠えを見せると、ようやっと市民は己の命の危機を理解して逃げ出したのである。


「Прощание!《さらばだ!》」

「まっ、待てぇえぇえ!追え、逃がすな!地球連合の国際指名手配だ!ほら、皆ぁ早く立てぇ!」


 オノプリエンコは最後に捨て台詞と共にビルの床を吹き飛ばして跳躍した。その衝撃は更に逃げ惑う酔っぱらい達の千鳥足を加速させたのである。

 その将棋倒しはオノプリエンコを追おうとしたコールマンの前にバリケードとなって立ちふさがった。その鳴き叫び手当たり次第に助けを求める逃げ遅れ達に奥歯を噛み締め見下す視線を一瞥させると、彼女は直ぐ横に倒れ伏す新宿局員へと怒鳴りつけたのだった。


「イテテ……サブリナ、無事か?」

「背中打っただけだ……そっちのが重症っぽい見た目だろうが?」

「あぁ、クソが。俺のバーバリーが台無しだ、古着だけど!」


 オノプリエンコがキキーモラへと変身し始めた段階で、新宿局員達の多くはその場から離れるように慌てて走り出し、距離が近かった者は飛んで伏せる者さえいたのである。その過去の訓練や貯筋による反射ととっさの判断によって、新宿局員は事務員達を含めて誰一人として負傷せず軍属が伊達ではないことを示したのだった。

 その中で、一歩は瓦礫の破片と埃塗れの頭を振りながら顎下まで落ちたメガネを元の位置に戻した。その遠心力で斬れていた頭の傷から血が吹き出すと、白いシャツや黒のジャケットに真っ赤な血の跡が付いた。そんな一歩の横では同じく瓦礫の破片塗れではあるものの彼にシャツの襟首を引っ張られたことで回避が間に合ったサブリナがぶつけた背中を抑えて悶絶していたのである。

 痛みが僅かに引いた後に声をかけた一歩へサブリナは吠えようとしたが、彼女はその声を抑えて彼に肩を掴んで顔を青くしつつ勢い良く振って尋ねかけた。その言葉に自分の血で染まった服を見た一歩は慌てて頬に伝う生暖かい感触を辿り髪の毛に手を突っ込み傷を探した。

 だが、既に血が止まっていたことで一歩は自分の血や埃などで汚れに汚れ、袖や裾が細かくあちこち破れたお気に入りの服上下の変り果てた姿を嘆いたのである。

 そんな一歩の姿に、サブリナは半口開けて呆れるように彼の顔を見上げたのだった。


「貞元さん、アイツは?」

「おぉ、港くん無事だったか」

「それより、アイツはなにもんだ!」

「おっ、落ち着いて、サブリナちゃん!ドウドウ……」

「うちは馬か!」


 頭やジャケット、ズボンに付いた埃を払いジャケットの襟を使って肩の位置を直す一歩は、エレベーターや非常階段へ殺到しするも再び出入り口で詰まる人混みの光景を首を鳴らしながら眺める貞元の背中へと歩み寄りサブリナもその後を追った。

 自分にかける一歩の声を背中に受けた貞元が項を撫でつつ振り返ると、彼の言葉を無視したサブリナは貞元へ怒鳴りつけ飛びかかろうとしたのである。そんなサブリナの肩を一歩が抑え込み、身体の間で両掌を向ける貞元が態とらしく彼女を落ち着かせようとしながら煽った。

 そして、一頻り吠え散らかしたサブリナは肩で息をつき、必死に抑え込んだ一歩は膝に手をつき大きく息を整えようとしたのである。


「あの男はトリーフォン・オノプリエンコ。新ソ連のKGB工作員だ。新ソ連は地球連合傘下にあるが、ロシア時代の"アレコレ"で理事国入りどころか地球連合大統領選への出馬も出来ていない。だから、嫌がらせとして元NATO諸国内に工作員をバラ撒いた。その中でもタカ派の奴はアメリカ、イギリス、ドイツとかあっちこっちで要人暗殺に共産主義武装革命派への武器横流し、薬物生産販売による国力低下だので暴れまわってるんだ」

「そんなやつが日本にいるなんて」


 まだ息を整えきれてない一歩を置いて、貞元は体制を整え始める新宿局員と一層混乱を極める群衆を横目に見比べながら、壁に空いた大穴からオノプリエンコの姿を探そうとした。その最中に彼は一歩とサブリナへ一通りのことを説明しきったのである。

 その内容にようやく息の整った一歩は、新小田急百貨店ビルの屋上にて街の夜景と月夜を背景に遠吠えをするオノプリエンコを指さして呟いた。

 オノプリエンコは突発的な急変身にまだ体が整っていないようであり、毛を逆立てながら蹲っていたのである。それでも、その姿は少し前よりより大きくなりつつあり、いつの間にか大型トラック並みの大きに変わりつつあったのだった。


「入国管理局はなにやっとるんだ!何を!」


 サブリナはオノプリエンコの姿を見つけると、その変わりようと危険な存在が直ぐ間近を彷徨ける国の脆弱さに怒鳴った。彼女は自分が悠々と食事を楽しむ背後にそんな指名手配犯がいたことが不愉快だったのである。

 しかし、サブリナは直ぐに自分の後頭部や紬を見つめる視線を感じて振り返った。そこには貞元と一歩が彼女をジト目で見つめており、一歩に至っては呆れて肩を落としたのであった。

 だが、サブリナにはその視線の意味がわからなかった。


「なんだ?」

「「お前が言えた義理か?」」


 だからサブリナは貞元と一歩に首を傾げて尋ねかけるも、肩を竦める2人は声を揃えて呟き他の局員達の元へと向かった。


「所詮は日本の入国管理に警察機構だ、"来る者拒まず去る者は追わず"に大事起こすまで"後は野となれ山となれ"だ。だから"スパイ天国"言われて未だに新型戦闘機の1機も開発できないんだ」

「なんとまぁ、"外の人"はボロクソに言ってくれる……皆、無事か!しっかりしろ!」

「おいおい、お前らしっかりしろ!」


 新宿局員達は無事な者が衝撃でまだ上手く動けない者を介抱しており、既に湯野川や事務員達は混乱する客達を落ち着かせて誘導しようと取り掛かり始めていた。

 その中で指揮を取るコールマンは貞元達の軽口を遠くから聞いていたようであり、ようやっと揃った彼等に苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てたのである。

 その豪速球な皮肉を前に貞元は乾いた笑いを浮かべると、亀山やアデリーナ、足立達へと声をかけたのである。


「痛った〜〜い、アイツやってくれんじゃん、何なの!」

「まさか、亜人……いや、変身したから怪人?だったとは」

「拙者も抜かったでござる。紅美殿や他の女性陣を護ることしか」

「しっ……死傷者はゼロやな。良かったぁ、皆が無事で」


 新宿局員は一歩やサブリナと異なりオノプリエンコの変身とはかなり距離を取っていた。更に捜査員としてある程度修羅場をくぐっていたのか、殆どの面子は衝撃の余波で軽く吹き飛ばされても余裕を見せているのである。


「その疾風のように現れて荒らしに荒らして去ってゆく様から付いたアダ名は、"新ソ連のキキーモラ"という訳だが。これが"新ソ連"がわざわざ流した脅しの冗談じゃなく本当だった訳だ。そうなんだろう、そこの雑魚工作員?」

「ひっ、ひぃ!」

「ちっ……アイツはいいから、新宿局の威信にかけてもあの怪人をとっ捕まえろ!何としてもだ!ホラ行けぇ!」


 そんな仲間の軽口に頭を抱えくどくどと語りだすコールマンだったが、彼女は突然笑みを浮かべながら腰に手を当て背筋を伸ばすとそのまま大きく後ろへ海老反りになった。その上下反転する絶世笑みはその場では逆に不気味ささえあり、その視線は群衆の中で逃げようとするヴァシムを捉えていた。

 そして、蛇に睨まれた蛙が動けなくなるように、ヴァシムも小さな悲鳴を上げるとその場にへたり込んで動かなくなったのである。

 ヴァシムの小物過ぎる態度や自分を見て怖がったり見とれたり危険な状態でおかしくなった男達が声をかけようかと余計に騒がしくなったことで、コールマンの怒りのボルテージは急激に上昇した。そして、彼女は両手を叩いて局員達を仕事へと急き立てた。


「それって、融合許可ってことですか?」

「当たり前だ、さっさと追いかけろ!みんな融合!早く!」


 コールマンの指示に足立が即座に反応すると、コールマンは更に檄を飛ばした。それに促されるように足立や戸辺蔵達は軽くストレッチを始めた。


「なら、俺とアデリーナは残った面子とこの異邦人と周辺の避難誘導するから、お前ら皆で行きぃ!」

「アタシ達だと、多分"やり過ぎちゃう"からさ!」


 一方で小笠原は目まぐるしく変わる事態の中でも完全に酔い潰れてイビキをかく木瀬を担ぎ上げ、亀山とアデリーナは避難誘導へ向かう事務員や白川達に加わるために駆け出した。

 一歩はその背中を止めようとするも、アデリーナの最後の一言が引っかかり彼はそのまま引き下がったのである。

 そんな一歩は後ろからジャケットの背中を引っ張られる感覚に振り向くと、サブリナが足立とエリアーシュの2人を指さしていた。


「了解。エリアーシュ、行くよ!」

「畏まり、紅美殿!」


 足立の掛け声にエリアーシュの呼応すると、彼女の正拳突きが彼の元へ炸裂した。その拳をエリアーシュが右手で受け止めると、中指にはめたお互いの指輪が合わさり2人の周りに泡のような無数の光が煌めいたのである。その光が2人の指輪の周りに集まり一気に弾けると、足立とエリアーシュの影が1つとなった。

 そこにはほぼ足立の姿と思える影の内側には虹が波打ち、少しずつその輪郭がまるで粘土のように変わっていったのである。

 そして、最後には虹色の影が弾け飛び、その中の融合体が姿を表したのだった。


「工エエェェェェエエ工えぇえぇえぇぇえ!」

「あれで……融合?」


 足立とエリアーシュの融合した姿が遂に現れたが、その姿を見たサブリナを声を上げ一歩は言葉を失った。

 融合には自身の強いものと恐れるもののイメージが合わさることや、自分達の融合体の姿や他の局員が変身した姿をある程度知っていた2人は足立達の姿も怪獣めいた物を予想していたのである。

 しかし、そこに立っていたのは殆ど足立の姿である。大きな緑のリボンで結んだポニーテールにアイシャドウまで入れたメイクをした彼女は、首から上だけ見ればキレイにオシャレをしただけなのだ。

 問題は足立の首から下の格好である。白いシャツに緑のジャケットは陸自の制服のように見えるが、ノースリーブにフリルやレース、脇腹がメッシュになっていたりへそ出しなのだ。更にミニスカートもレースや深いスリットが入りスパッツ履いていながらも際どい見た目なのである。そこにアームカバーやレッグカバーに厚底ブーツという見た目は、露骨に女児向けヒロインのコスプレのようなのだった。

 更に、そんな足立の背中には装飾の少ない霧骨な大太刀が一本背負われており、彼女の姿のコスプレ感を更に高めているのだった。


「では!」

「行ってきます!」


 そんなおおよそ融合体と思えない姿の足立は、オノプリエンコが飛び出していった建物の穴へ向けて駆け出すと、一気に跳躍した。その勢いは彼女の姿を夜闇の空に舞い上がらせ、道路や建物を飛び越えさせた。足立とエリアーシュの声が夜の街に響く中、一歩とサブリナは追跡を開始する2人の姿を見送りつついそいそと建物の外へ出ようとする流れへ合流したのだった。


「嘘でしょ、フリルだらけのスリーブレススーツにミニスカで日本刀とかめちゃくちゃじゃん。あんなん、下手すりゃ"月に代わって"か"ふたりは"じゃん!」

「うちらは三百倍マシだろ?いやぁ~、良かったなぁ、うちの感性がマトモで」

「うっせいやい!」


 その途中に一歩は足立とエリアーシュの融合体を見た衝撃で腹の中に渦巻いた感想を思わず口に出していた。それを聞き逃さないサブリナは空かさず彼の脇腹を小突いてしたり顔を見せたのである。

 そんな取り止めないことを話しながら走る2人が非常階段にたどり着くと、殿を務めていた新宿局員達と合流できた。そこには木瀬を背中におぶりながら客を避難させる小笠原の姿があり、彼にサムズアップを見せた一歩に呼応して4人は階段を降りる足音に加わった。


「港さん、サブリナ、早く!木瀬、しっかりしろよ、士官だろ!」

「ギボヂワルイ……」

「なんで"こんなやつ"が"資格だけ"で士官になれるんだよ!」

「小笠原さん、自衛隊は"そういう"組織だから」

「"犯罪歴しか見てない"ってことですね!あと、とっくに国防軍!」


 階段の足音が反響することで、一歩はまだ上階に逃げ遅れがいるのではないかと足を止めて上を確認しようとした。そんな彼を小笠原が手招きして呼ぶと、背中におぶられる木瀬が口に手を当て青い顔をしながら呻くのである。

 木瀬の酔い潰れる姿はおおよそ軍属とは思えぬものであり、遂には小笠原も彼女を背負い直すと顔をシワクチャにして悪態をつくほどであった。それでも横に並ぶ一歩の軽口で直ぐにその表情を改めると、申し訳なさそうな木瀬の上目遣いに軽口を返した。


「あぁ、建物めちゃめちゃじゃん!」

「参ったなこりゃ」


 そして、4人が建物の外へ出ると、一歩とサブリナが驚きの言葉を漏らすほど新宿三丁目は数時間前と異なる惨状になっていた。彼等が飲み会をしていた建物は当然道路に瓦礫を撒き散らし、その破片で怪我をした人々は居合わせた人々から応急処置を受けたりそのまま放置され悲痛な叫びを上げたりしている。当然被害はそれだけでなく、オノプリエンコが飛び移ったであろう建物の外壁は無惨に削られ剥がれ落ち、中には煙が吹き上がったているビルもあるほどだった。そして、新宿通りひ散乱した大小様々な瓦礫は当然道路上のあらゆるものへ二次被害を起こし、道路の車や他の建物に人のべつ幕無しに被害をもたらしたのだった。


「うおぉおおあぁ!8億3千万かけて弁償した街がぁあ!弁償しろおぉおぉおお!」


 その中でもかなりの被害を受けているのはコールマンの精神状態であり、眉と唇を震わせ奥歯をガタガタと鳴らすと絵画の美女のような彼女の顔色はは赤や青と虹色と思えるほと変わり続けた。そして、最後には膝から崩れ落ち頭を抱えるコールマンはビルの隙間を飛び回り足立に追われるオノプリエンコへ絶叫したのだった。

 その横を戸辺蔵とインノチェンツァが駆け出すと、ある程度瓦礫のない幅が取れる場所で2人は左手を出しあった。


「トヘ!」

「おう」

「へんしーん!」


 そして、2人はお互いに握手をしあい融合を始めたのである。握りあった2人の手から辺りに猛烈な雷撃が駆け抜け、眩い雷光が辺りを照らした。

 すると、2人の姿は雷光の煌めく一瞬で変わり、その影はまるで万華鏡を覗き込むかのようであった。目まぐるしく移り変わる赤や青、緑や黄色のアラベスクとも描き殴る落書きとも思える模様が数度入れ替わって最後に、2人の融合体も真の姿を表したのであった。


「あっ、こっちはまともな感じなのね」

「いや、これはこれで歪だろ!なんだ"犬の背中から人みたいな上半身生えてる"なんて!」

「両腕ガトリング砲で、頭が10式の砲塔、人っぽい部分のサイズ感デカいから、俺たちと比べられても見た目の世界観は共通してるよな」


 戸辺蔵とインノチェンツァの融合体を前にした一歩は足立と違う異形の姿に安心するも、サブリナは納得できないとばかりに大声で反論したのである。

 その姿は、サブリナの言葉通り戦車並みに巨大な犬のような四脚の動物の背中には人の上半身が生えるというものなのである。

 犬のような生き物は確かに似てこそいるものの、茶色の毛に焦げ茶色の斑がある体にはブロック状の装甲を無数に着け、骨格や筋肉は犬のものより遥かに大きく、何より目の部分に近代的なバイザーを着けるその頭は体に対して比率が大きかった。

 四脚の獣の背中の接続部は戦車のターレットのような装置となっており、その上に伸びるのは女性の上半身であった。その身はサイズのある胸に括れた腰とバツグンのスタイルであっても、足立と異なり肌の露出は殆どない。その体はボディラインにフィットする迷彩戦闘服の上に角ばった装甲を付けたもので包まれ、ガトリング砲を生やす両腕の関節はシーリングされていた。

 その体を経て頭があるべき場所に戦車の砲塔が被さるその見た目は、一歩のデザインセンスからすると納得できる見事なものである。それでも、サブリナは納得いかないと体で表すように大股で融合体へと近づくと、獣の大きな耳を生やす頭を何度となく撫でながら口をへの字に曲げたのだった。


「サブリナちゃん、犬じゃなくて"ブチハイエナ"!トヘがドライバー担当してるよ。よく見ると可愛いでしょ!」

「"装甲まみれ"が可愛い訳あるか!しかもその砲塔脱げるのか!」

「脱げないけど、顔が少し出せるくらい?」


 巨大な毛玉を黙って撫で回すサブリナに獣の頭は困惑するように口端を落とした。その反応を見た人型の上半身はガトリング砲となっている両腕の銃身を器用に使うと、キグルミの頭を脱ぐように砲塔縁へ銃口をかけた。

 すると、頭の砲塔の隙間からは大きくなったインノチェンツァの顔が覗き、サブリナへ訂正を入れたのである。そのギミックに驚くサブリナだったが、直ぐにブチハイエナ部分が戸辺蔵であることを理解し反論をしながら撫でるのを止めたのである。

 そして、サブリナはインノツェンツァの言葉を背に受けながら一歩の元へと駆け出した。


「よし、一歩!ならうち等も……」

「ダメダメダメダメ!ダメ!もっと広い所移動して!あと、飛ぶ以上はジェットの被害が周りに出ないようにしないと、ダメ!」

「そんなとこあるか!」

「予算を食いつぶす気かぁ!ダメなの!」


 勢い良く一歩の元へと駆け出したサブリナは、気合ある声を出し彼へ目掛け左手掲げて跳躍しようとした。それを変身の合図と察したコールマンは彼女の腰に飛びつくように抑え込むと、サブリナの両肩を掴んで鼻先三寸で向き合うと鬼気迫る表情で怒鳴りつけたのである。その顔に気圧されるサブリナも負じと応じようとしたのだが、それも押し負け顔を叫ぶコールマンが飛ばしたツバまみれになるほどだった。

 つまり、コールマンも必死なのだ。


「ただでさえこのビルは壁ブチ抜かれてるし、アッチャコッチャの建物が"キキーモラ"だっけ?あれの着地だのしがみつき、跳躍でベコベコだから。これ以上被害を出すといよいよアレだ!」

「一歩、お前までそう言うのか!」

「しゃあないだろ、市民は"何も出来ない"のを良いことに"クレーム"にして応えてくれるんだよ!新宿局まで戻って……」

「時間がない!」


 そして、コールマンの言葉に一歩も同意すると2人は駄々をこねるサブリナを"捕まった宇宙人"の写真のように掴んで引きずり、変身のために借りているビルの屋上へ連れて行こうとした。


「なら、私が2人を上にぶん投げるとかどうです?」


 そんな一歩達の中に、インノチェンツァは爆弾発言を投下した。


「えっ?」

「はぁ?」

「いえ、建物より上で融合してそのまま飛んでけば建物の被害が出ないかなと思ったんですけど……無理……かな……とも……」


 当然ながらその発言ほコールマンと一歩を困惑させた。サブリナも理解できてないように小首を傾げて見せる中、いつの間にか合流した貞本だけは顎に手を当て考えを巡らせ始めたのである。

 そして、インノチェンツァが口籠りながら自分のアイデアを説明し始めると、サブリナは眉をひそめたしかめっ面を輝かせていき、一歩は反比例するように顔を青くさせていった。


「逆バンジーからの空中融合か!」

「ありあり!それはイケるかもしれないよ、2人共!」


 インノチェンツァのアイデアをイメージし理解した貞元は顎に当てていた手を打ち理解すると、彼の一言でコールマンもイメージを固めたのである。すると、彼女も納得したように何度となく頷くと、顔を興奮で赤くするサブリナと青ざめさせる一歩へと提案した。


「なぁぁぁぁぁし!」

「了解だ!」


 その提案に一歩とサブリナは即座に答えるも、その中身は真逆であった。

 しかし、状況は一歩に拒否権を与えないのである。


「はっ?お前、バカ……うげっ、引っ張んなバカ!」

「こうなったらやるしかなかろうて!このまま奴らが手柄を上げるのを横で見てるのは性に合わん!何より仕事だ!緊急出勤だ、手当分働かねば!」

「こいつぅ……」

「航空管制官なら要撃管制だって適当でもできるだろ!」

「んナコタあるか!こっち航空管制は安全に"間隔"取るんであって、あっち要撃管制は危険に"ぶつける"んだぞ!」


 やる気になったサブリナは一歩の胸ぐらを掴むと、大手を振ってインノチェンツァと戸辺蔵の融合体へ歩き出した。そんな彼女の手を振りほどこうとする一歩だったが、悪魔である彼女の腕力は異様に強く振りほどけないのである。

 立場が逆転したと言えど最後の抵抗とばかりに文句をつける一歩だったが、サブリナはどこ吹く風とばかりに止まらないのであった。


「覚悟はいいかい?俺は出来てる」

「アンタは"始末書書くだけ"でしょ!」

「他にも色々やるに決まってるでしょ。国防軍は"自衛隊と同じく"、"死者にだけ"は"ほんの少し"優しいから」


 真っ暗な天を仰ぐ一歩を励ます貞元の言葉もまるで買い物を頼むような気軽さであり、思わず彼は声を荒らげて睨みつけようとした。

 しかし、貞元の気軽そうな顔に反してその目はまっすぐ一歩を見つめており、彼への軽口はその腹の底と一致していないのである。そんな腹の読めない貞元の態度にいよいよ諦めを付けた一歩は、引きずられる足を地につけサブリナの隣を歩き始めたのだった。


「心配するな、一蓮托生だ!」

「それが何とも嫌なんだよ」

「融合の練習しただろ?」

「お前がメモに落書きした絵を見せただけだろ!」

「解りやすいだろ!」


 悪態をつき合うサブリナと一歩は戸辺蔵のブチハイエナのような体をよじ登り、どつき合いながらインノチェンツァの腕に足をかけ睨み合った。その大きなリスクと連携を必要とする変身を前にしたコンビとは思えない2人の状況に、インノチェンツァは提案したことを後悔したのである。


「あの、お2人さん?眼の前で喧嘩するのは良いですけど、そろそろ行きますよ」


 だが、インノチェンツァの戸惑う姿を無視して貞元は親指を立てて手を振り上げコールマンは大きく腕を振って見せるのである。

 そして、インノチェンツァの最後の確認に一歩とサブリナはお互いの右腕を組み、ダメ押しとばかりに手さえも組んだ。それでも、一歩の顔は青いままであり、土壇場になってサブリナも顔を白くし始めたのである。


「くそっ、死ぬなら痛くないのがいいのに」

「落下死は確かに痛いな!」

「怖くないのか!」

「手を離さなければ、怖くない!」

「それとこれとは……」

「アクアラインへ突っ込んだ仲だろ?」

「馬鹿野郎!」


 しかし、サブリナは一歩の弱気を軽口と檄でいなし、冗談をもって彼の血の気を上げたのである。それでも、僅かに震えだした彼女の足に気づいた一歩は奥歯を噛み締めると、左手で心臓を何度となく叩いてからインノチェンツァに大きくサムズアップを見せつけた。


「イノ!行くぞ!」

「了解!トヘ、せぇ〜の!」


 一歩の準備良しを受けた戸辺蔵とインノチェンツァは体を大きく下げながらガトリング砲の腕も下げ、2人を空に掘り上げる準備をした。

 その挙動に腹の底の臆病が顔をのぞかせた一歩は僅かに口を開こうするも、サブリナがそれを左手で閉じさせた。


「「そいっ!」」

「「ぶっ……」」


 その瞬間、戸辺蔵は大きく上へ跳躍しインノチェンツァは全力で腕を振り上げ一歩とサブリナを上空へ放りだした。

 猛烈な内臓の浮き上がる感覚と衝撃は一歩とサブリナの口から息を吹き出させ、2人は全身に受ける風圧で空を錐揉みしたのである。


「「うぅわぁぁああぁぁああぁいぁぁあ!」」


 一歩とサブリナの加速は激しく、一瞬で新宿の明かりが一望できる程の高さに辿り着いた。2人の周りには空とドコモタワーか東急歌舞伎町タワー、TOHOシネマズビルだけである。


「一歩!掛け声そっちから!」

「全く、このお嬢さんはぁ……行くぞぉ!」


 加速が止まりつつある空の上で、サブリナは一歩の腕を軸として己の体を上に振り上げると組んだ右手を解き一歩に叫んだ。その行動で一歩の脳裏はサブリナに見させられたメモの変身ポーズアイデアがいくつか頭を過ぎらせた。

 そして、一歩は左手を突き出すサブリナのために組んだ右腕を解くと同時に彼女のデモンズリングへ左手を伸ばした。


「デモニックっ!」

「タッチっ!」


 新宿の淀む黒い空に、2人のリングが火を放つ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る