「輝け!異管対新宿局」

異管対報告第3号-1

 薄暗い部屋の中で、1人の男が小さな机の上に載せたパソコンに身を細めて向き合っていた。画面の光に照らされる男は短く刈り揃えられた金髪に生え放題の髭というアンバランスな掘り深い欧風な顔立ちに、最低限鍛えた高身長に細身の体をしてる。

 その体躯を細める理由は部屋の狭さではなかった。古ぼけた壁紙は隅が黄ばみ、窓際はカビだらけであっても決して男1人が住むのに空間管理に困るほど狭くはなかった。なにより、その部屋には最低限の家具しかなく、その殆どは電源さえ入れられていない。

 ただ、その部屋には天井にまで届く黒い布のパーテーションで囲われた空間があった。遮光性が高いその布の隙間からは薄暗い部屋へ僅かに光が漏れ、パソコンの画面へ暗い面持ちで向かい合う男の顔を照らしたのである。


[成る程、一斉検挙ですか]

「はい、同志。この頃の日本政府は諜報活動については干渉しないものの、どうにも工作活動については排除の傾向にあります。既に工場は4つほど……」


 パソコンの画面には緑色の線が真っ直ぐ伸び、スピーカーから甲高く加工された声が響くとそれに合わせて揺れ動いた。

 その加工された声に合わせて男は薄ら笑いを浮かべつつゆったりと話し始めた。そんな2人の会話は日本語であり、明らかに日本人離れした男の見た目からは考えられない程の流暢さである。ただ、男の話し方には妙な巻き舌が多い。

 そして、男がテーブルの上のパソコンを操作しつつ言葉を濁した瞬間、パソコンは一面真っ赤になった。


[だからどうしたというのです?]


 その真っ赤な画面から甲高い声が優雅に画面を見つめる男へ語りかけると、その画面にゆっくり黄色の鎌と槌が現れながら管楽器の和音が轟いた。

 その和音はそのままメロディを奏で始めると、狭く薄暗い部屋は男も小首を傾げながら襟足を何度となく撫でたくなるようなおかしな雰囲気になっていった。


「いやっ……ですから……」

[貴方の工場は正規の工場などと言えないアパートメントの一室を使ったものばかり。作付けも適当なフリーターというものを使う人材不足。貴方の祖国への貢献は現状たかが知れてると言われています]

「そっ……そんな!」


 その音楽に合わせて合唱まで響くと、男は真っ赤な画面へ手を振り額に汗をかきながら言葉を紡ごうとした。それに合わせてパソコンのマウスを激しく動かしながら肩を震わせるのである。

 しかし、画面からは無情な言葉が投げかけられた。その言葉は男のこれまでの努力を踏みにじるものであった。それ故に男は当然怒りに拳を握り締めた。

 それでも、男は僅かに呻くばかりでありそれ以上何も言えない。それは、流れる曲が彼の心を震えがらせ、真っ赤な画面が彼の脳を引き寄せるからなのである。


[それでも、貴方を見捨てないのは確実に最低限、一定数のブツを持ってくるからであって、今後の貢献で真の同志になれるかもしれないからですよ?これだけ貢献しながら労働者として恥ずかしいと言われるのは許せないでしょう?]


 男は何も言えず、ただ目を見開かせる真紅に槌と鎌の画面を見つめ流れる祖国の言葉と歌に耳を傾けた。その心を締め上げるあらゆる要因は彼から発言の意志を奪い、画面から響く声に従わせようと思わせるのである。

 その僅かな間隙に男が怠慢を思えば、彼の脳裏に全身を駆け巡る電流の痛いとも苦しいとも言えぬ不快感と止まらない水滴の音が過る。

 つまり、男はこの加工された不快な声の言うことに従うしかないのである。


「わかりました。期日までには予定通り、品を納品します」

[それでいいのですよ、同志。ではまた]


 男の弱々しい返答に画面の向こうは僅かに鼻息を荒くため息のような音を鳴らすも、直ぐに返事返したのである。


「ソビエト連邦、万歳!」


 男は声高に叫んだ。それは彼の意志ではないのだが、体が勝手に叫んだのである。そのことに男は心底深く肩を落とした。

 だが、男は直ぐに自分の部屋の壁が薄いことを思い出すと両手で口を抑えた。しかし、既に大声は響き渡っていたようで、上下左右の部屋から猛烈な打撃音が響き渡るのであった。


「くそっ、何が委員会だ!俺をこんな訳のわからん黄色猿共の群れに蹴落としておいて、貢献が足りんだと!どこがだぁ!」


 椅子の上で縮こまる男はひたすらに悪態をついた。それが現状をどうにかできる訳ではないにしても、彼のはち切れそうな心に僅かな余裕が出来るのである。

 その余裕のおかげか、男は椅子から立ち上がると頭を掻きながらパーテーションに囲われたスペースへと足を向けた。


「糞が……でも、持っていかないと俺が党への裏切りで粛清される。委員会の連中は容赦がないしな……」


 呟く男はパーテーションの前に立つと、その隙間に手を入れて横にずらした。その中には8台の植物育成ライトが煌煌と範囲の中を照らしている。その光の下には何個もの鉢植えや水槽が並んでいる。その植物達は根や茎に葉、花が生えたりと植物として不自然ではない要素を持っていた。

 しかし、青々とした葉がまるで蛇のように波打ったり小さく真赤な実が呼吸するかのように膨らみ萎む様子は明らかにこの世のものではない。

 植物の根本には巨大な装置が栄養と水を纏めて送っている。鉢植えや装置によって文字通り足の踏み場がないパーテーション内の栽培スペースを爪先立ちで歩く男は、己の育てる商品1つ1つつを手にとって触り香りをかぎながら状態を確かめるのだった。


「乾燥ハオマが3kgに夢想剤3kgなんて、作るのも売り捌くのも難しいだろうに。それを用意しろなんて……」


 男は違法な魔法植物と霊薬の製造をしていたのである。


「明日からは大忙しだな……とりあえず、気を紛らわせるか」


 一通りの確認を終えた男は足を引きずるように歩くと、人のために用意されていない部屋の片隅に有る小さなテレビの前に倒れ込んだ。体に感じる畳のホコリと植物臭さは男の顔を皺くちゃにすると、彼はため息を吐きつつテレビをつけた。


[……であり、アクアラインは上下線とも通行止めとなりました。また、魔獣駆除の爆炎や2次被害防止のために羽田空港では空の便の遅れが多発しました。この件に関して、曽田内閣官房長官は"防衛のための致し方ない対処"と説明。市民からは国防軍の初動の遅れや異管対の過剰な防衛行動に対して非難が……]

「こんな馬鹿な国、さっさと攻め落とせば良いんだ。アメリカも見捨てる腑抜けだらけで、自国もまともに護ろうとしない資本主義社会なんだ。簡単に潰せるだろうに」


 そんな男の視線の先で流れるニュースは既に数日前の古いものであり、男は直ぐに電源を落とすとくらい部屋の天井を見つめて吐き捨てた。

 それだけ、男は日本が嫌いだった。


「こんな発展途上国、出ていきたい……あらゆる物は高いのに小さくて不便だし、家も小さい……ロッカーキーを渡すのも居酒屋だしな……」


 男は腹の底に渦巻く不快感をひたすらに吐き出した。すると、軽くなった心は少しづつ男の疲れた脳に眠りを促し、彼は呟く速度を急減速させると胸の上で手を組んだ。


「この納品が終わったら、配置転換を希望しよっと……」


 まるで棺桶の中の死体のように真っ直ぐに狭いスペースで眠る男は最後に一言呟きながら眠気に手を引かれながら夢の中へと飛び込んだ。薄れゆく意識の間で故郷の森へと還る男は、幸せであった。

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