異管対報告第2号-10」

「Jesus loves me! This I know,

For the Bible tells me so.

Little ones to Him belong;

They are weak, but He is strong」


 爆煙が未だ雲一つない真っ青な空を黒く汚し、青黒い海に真っ赤な魔獣の血液が漂うなか、海ほたるの展望デッキに椅子へ腰掛けテーブルを前に置く人影があった。展望デッキの床は無数の踏みつけられた土産のビニール袋やかさばるカバン、熱変形した自撮り棒と様々なものが転がっている。

 その人間のいた形跡しかない展望デッキの上の人影は、空になった紙カップ2個とティーセットをテーブルの上に広げ、片手にソフトクリー厶のコーンを握り悠々と舌で舐めながら鼻歌にしては大きすぎる声量で歌い海を眺めていた。

 その「シャボン玉」と同じリズムで流れる賛美歌に、人影は白いワンピースから伸びる白肌の腕で茶髪のボブカットを軽く撫でた。


「Yes, Jesus loves me!

Yes, Jesus loves me!

Yes, Jesus loves me!

The Bible tells me so」


 ソフトクリームを食べ紅茶を飲みながら歌うその人影は楽しそうに笑みを浮かべると、足を大きく上げて行儀悪くテーブルの上に置いた。それと同時に歌もサビに入り、彼女は黒煙の混じる青空を大きく仰いだ。

 それと同時にソフトクリームは白肌の手から地面へと放られ、溶けた誰かのスマートフォンの上に落ちたのだった。


「Jesus loves me he who died

heaven's gate……」

「君が賛美歌を歌うことほど、この世界で違和感のある行為はないと思うよ?」


 そして、再び歌おうとする彼女へと声が掛けられた。

 その声質高くどこか幼さの残る舌足らずな言葉は、親しさに溢れ異様に近い距離感を感じさせた。それと同時にその言葉の端々にはどことなく棘があり、不思議と彼女への辛辣さを感じさせるのである。


「来たか。ソフトクリーム3個に紅茶じゃ保たないかと思ったよ」


 ワンピース姿の女が見つめ声をかける先には、小柄な女が立っていた。子供と思われてもおかしくないその身長に銀に近いプラチナブロンドへ黒いメッシュを入れたツーサイドアップ、青い瞳に幼気ながら整った顔立ちに病的なまでの白い肌はまるで人間離れしている。

 そんな小さな体躯を胸元に薔薇のモチーフがついた黒のリボンにフロントのフリルや襟と袖に黒レースの装飾が施されたブラウスとタイトなラインとゆらりと広がる黒いフレアスカートのようなマーメイドスカートにピンクのリュックを背負う少女は化粧も含め完璧に地雷系であった。

 まさに、人形のような計算された魅力がある姿なのだ。

 そんな地雷系の少女へとワンピース姿の女は片手を上げて声をかけつつ手を振ると、指を鳴らして手招きするのである。その手招きに地雷系の少女は軽く肩をすくめると、近くに倒れた椅子を片手で持ち上げながら歩み寄りった。


「まぁ、魔獣騒ぎのドタバタとはいえ、この国はザルもびっくりな"来る者拒まず去る者追わず"だよ。なにより……」


 布や木材で作られ座り心地よりデザインを優先したその椅子を頭より上へと持ち上げ軽々しく運ぶ地雷系の少女は顔に笑みを浮かべつつ軽口を吐き、ワンピース姿の女の反対側へ置いて座った。

 その鈍い木材の音へと続く軽やかな布と肌の擦れる音に、ワンピース姿の女は地雷系の少女の敢えて間を持たせた言葉に目を細め彼女を見つめた。


「僕はどこにでもいるし、どこにもいないさ。なにせ"怠惰"だから、"主"の如く気ままなのさ」


 その冷たい視線を前に怠惰の少女は肩をすくめて笑って見せつつ、ワンピース姿の女へと吐き捨てた。

 その一言でワンピース姿の女の瞳は怠惰の少女の浮かべる笑みと異なり笑っていない。それどころか、彼女の視線はまるでワンピースの女を刺すように鋭かった。

 だが、怠惰の少女は直ぐに頬へと冷や汗をかきつつその視線を反らした。


「いや……そこまで……」


 怠惰の少女の一言はワンピースの女の眉を僅かに震わせた。その瞬間、彼女の瞳はただ静かに怠惰の少女へと突き刺さった。その瞬き一つしない冷たい視線は刺すなどという言い換えさえも通じない不気味さに溢れてる。

 その視線を真っ向から受ける怠惰の少女は、背筋を凍らせ瞳を沸騰させるようなその氷点下の視線に僅かな呻きをあげた。

 そして、怠惰の少女は横顔を溶かすような視線にしばらく頬を強張らせて耐えると、過ぎ去った冷感の後に正面を向いた。


「次の不敬は死に繋がると思え」


 ワンピースの女が怠惰の少女へと向ける笑顔はそれまでの猛烈な拒絶と異なり温かかった。

 だからこそ、怠惰の少女はその柔らかな笑みに肩を震わせ、首筋を擦りながらズレたリボンを何度となく直し始めたのである。


「いやぁ、流石は首席だっただけはあるね。視線がそれっぽいなぁ」

「神の使いっぽい?」


 何度となく黒いリボンが右左へ揺れに揺れた最後に、怠惰の少女はワンピースの女へと向けて声をかけた。その笑みは僅かに引き攣っていたものの、直ぐに帰ってきた言葉を前にすると顎の力が抜け、彼女は開いた口が塞がらないまま暫く黙ったのである。


「君、よく言うよね?それがいっちゃん不敬でしょうに」


 つまり、怠惰の少女はワンピース女の無茶苦茶な発言と態度に理解が追いつかず笑うしかないのだった。

 そして、怠惰の少女は視線を未だ真紅に染まる海に目を向けると、少し口を開いて言葉を選んだ。それだけ、彼女はこの掴みにくい空気から先に進みたかったのである。


「しかし、結構あっさり殺られちゃったねぇ。あの"スターミーモドキ"、そこそこ海底で大切に療養させてたんじゃないの?あちこち改造したりとかさ」

「寧ろ、"あの程度か"と興ざめだ。"改造"とか"二代目"は強いものだというのに」

「まぁ、ここまで来れないってのは生物兵器ウンヌンはともかく"魔獣"としても落第だわね」


 怠惰の少女の視線の先には未だ魔獣の死骸が漂い、辺りに体液を垂れ流している。その人でのような見た目に怠惰の少女は見下すように笑って見せながら軽く指差して軽口を聞かせた。その言葉に返すワンピースの女も同様に軽口を返すと、怠惰の少女の言葉で2人は静かに笑いあった。

 だが、話題を振ったはずの怠惰の少女は既にその視線を魔獣から移し、黒煙混じる青空に白い雲を描く機影に向けていた。その視線を追って彼女の見るものに気がついたワンピースの女もその近づく機影を前にすると、半口開けたままの少女に肩をすくめたのだった。


「それより、君はあの2人の方が気になる感じかな?」


 つまり、ワンピースの女が言う通り怠惰の少女は先の戦闘から既に魔獣への興味が失せていたのである。


「彼女の力は未知数だ。伊達にソロモン72柱が1人の娘ではないということさ」

「僕的には、相方の男が一番不思議だけど?」


 そんな怠惰の少女の横顔に、ワンピースの女は腕を組んでテーブルに肘をついた。そんな彼女の僅かに上を見ながら呟く言葉に怠惰の少女は視線だけを向けた。その瞳はひそめられる眉と同じくただ訝しさを示した。

 更に眉と瞳を援護するように怠惰の少女の口から疑念の言葉が投げかけられると、ワンピースの女は大きく腕をテーブルから離し広げて見せた。

 逆光に翼のように開く両腕と風に靡き輝く髪は、ワンピースの女をまるで天使のように見せるのであった。


「だって、あの娘との融合係数もそうだけどさ?そもそもどうしてあそこまで増幅させられる魔力があるのかって話」


 だが、反論し辛いその状況でも怠惰の少女は言い返した。それは彼女達からすれば当然不自然な話であり、正面を向いてワンピースの女と見つめ合う怠惰の少女はただ答えを待つように黙ったのである。


「彼は"運のいい男"なのさ。ただそれだけ。魔力耐性が異常なだけさ」


 しかし、ワンピースの女は怠惰の少女へはぐらかすように答えたのである。何より、彼女の情景はたとえ返答に論理が無くても不思議と納得できるような圧があるのだった。

 その圧が、怠惰の少女をテーブルへ向けて前のめらせた。


「それだけ……ねぇ?」

「その程度だからこそ、あの程度なのさ」


 お互いに腹を探り合う2人は、ただテーブルを挟んで見つめ合った。その間も海風は吹き荒び波音は響くのである。


「"傲慢"故の過小評価かい?」


 そして、怠惰の少女は傲慢と呼んだ女から顔をそらして天を仰ぐと、皮肉と共にリュックへ手を伸ばしその中を探り始めた。

 その探る音が止まると、怠惰の少女は怠惰の女へ向けて小さな棒状のものを放った。


「それで、"これ"を持ってくればよかったんだろ?僕をこんな小間使みたいに」

「その程度の存在だろ、貴様は?」

「いやいや、これでも大罪の1人よ?」

「無職が偉ぶるな、晒すぞ?」

「ヘイヘイ」


 テーブルの上を舞う小さな影を掴んだ傲慢の女は、肩を回す怠惰の少女の言葉を聞き流しながら手のひらを見た。そこにはちいさなUSBが陽の光に輝いている。

 そのUSBのキャップを開き端子を出しながら傲慢の女は怠惰の少女へと楽しげに笑って見せた。その笑みに怠惰の少女も応じて笑った。

 そして、2人は表情と相反する低く暗い声でお互いに悪態で殴り合った。その結果は殺気さえ出した傲慢の女が圧勝であり、最後には怠惰の少女が引き攣った笑みを再び浮かべながら手を上げるのだった。

 傲慢の女は怠惰の少女を無視して端子の先に指を触れさせると、瞳を閉じて眉をひそめた。


「有力な者を絞ってもこれだけいるのか?」

「何せ、僕達のおかげて世界にはゴタゴタと荒事が沢山が更に増えたから。まぁ、それ以前にもウクライナとかウイグルとか、馬鹿げた乱痴気騒ぎが多すぎたけどね。まぁ、アホな"人類"って生き物は、自分で首吊りしといて、困ったら同族より認識さえ出来ない"我らが主"を頼るのさ」


 傲慢の女の苦々しく棘のある疑問の声に、怠惰の少女は答えた。その口振りは皮肉たっぷりながら楽しげに軽く、肩をすくめて手を上げるその仕草同様に戯けていたのである。

 だが、怠惰の少女の瞳だけは全く楽しさを見せておらず、ただ冷やかに傲慢の女の後ろに広がる景色を見た。

 怠惰の少女の瞳には、港街が反射して広がっている。


「神を信じていない癖に、都合の良い連中だ」

「自分達から食事を奪い肉を得ようとする"書記長"や"国家主席"、"首相"だの"大統領"よりはさ、見えないし聞こえなくても、偶然でも自分達に食事をくれる神にこそ、人は忠誠を誓うのよ」


 怠惰の少女の瞳に映る景色を見る傲慢の女は、彼女と異なり大いに顔をしかめながら吐き捨てた。その言葉は棘以外に何なく、ただ不快と嫌悪を固めたような響きなのである。その奥歯を噛みしめ眉間に深くシワを刻む顔は、怠惰の少女に傲慢の女を酷く疲れたように感じさせるのであった。

 だからこそ、敢えて怠惰の少女はわざわざ港町へ指差し変わらぬ口調で真剣に軽口を吐いたのである。

 

「愚かしい……世界の為にも消えて然るべきだな」

「とはいえど、先に君は"連中"を消し去りたいんだろう?こっちに来る前でオーストラリアでエライ邪魔されたからさ」

「まぁ、私達の考えには反するからな」

「邪魔者は皆殺しか」

「苦しみが無い分、優しさかな……」


 だが、怠惰の少女の言葉も傲慢の女は軽く聞き流し、彼女は再び瞳を閉じてUSBの端子を撫でていた。つまり、傲慢の女の言葉は適当に会話を続けようとする惰性からきていたのだ。

 それ故に、2人はただ淡々と言葉を投げ合い、最後には沈黙が風と共に流れたのである。


「とにかく、やることはやったから僕は帰るよ」

「また"世界観光"か?」

「アジアはおろか、まだヨーロッパ20カ国も巡れてない。意外とこの世界は広くてねぇ」


 そして、その沈黙に飽きた怠惰の少女は遂に席から立ち上がると、ブラウスやスカートを直しつつ傲慢の女へ一言かけた。その言葉に彼女は怠惰の少女の背中へ声をかけた。その口振りはまるで鼻で笑うように引っかかる口調であり、怠惰の少女は僅かに肩を震わせた。

 背中を向けたままの怠惰の少女は、そのまま背中を向けつつ肩をすくめて語りかけた。何ら変わらぬ戯けた言葉に身振りは、傲慢の女に笑みを浮かべさせた。

 怠惰の少女は僅かに力んで足を震わせていた。


「矮小な連中の文化とやらになんの価値があるのか?石造りの修道院の建設に百年単位で時間を使っている連中だぞ?文化を自ら壊し、歴史を主観で改ざんする……」


 それに気付かない傲慢の女はただ蔑むように語り、楽しげに笑った。それは反論しない相手へ一方的に自己の意見をぶつける快楽からであり、自己満足以外の何物でもない。

 だからこそ、傲慢の女は笑うのである。

 しかし、その愉悦も怠惰の少女が床に僅かな亀裂を入れたことで止まった。


「君は"野生の思考"を読むべきさ」

「こんな"木"もない"野原"に住む"獣"を知れと?」


 背を向けたままの怠惰の少女言葉はそれまでとことなり、ただ淡々としていた。それに対する傲慢の女は変わらぬ口調で答えてみせた。その表情さえも変わることはなく、更に席へ寄りかかり彼女は鼻で笑ったのである。


「だからね、君は傲慢なの」


 そして、傲慢の女によって怠惰の少女の逆鱗は触れられ剥がれ落ちた。


「僕は、サルミアッキの不味さやフィッシュアンドチップスの脂っこさ、エスカルゴの毒々しさもトマトの偉大さも知ってるつもり。でも、まだよくわかってない。"足が生えてれば何でも食べられるのか?"も"極寒の中でのむウォッカの味"も。そして、更に知りたいと思うけどね」

「獣と生きたいとは、殊勝だな。私は……」


 だが、怠惰の少女は消して暴力には出なかった。たとえ逆鱗が剥がれ落ちても、怒る相手と同じレベルに立ちたくないのである。

 だからこそ、怠惰の少女は持論をただ好きに述べた。その一言に意見しようとする傲慢の女さえも無視して。


「僕はね、"保護"って考えは"差別"と同じだと思うのさ。だって、"保存"して"護る"って何様さ?自然とそこに生きる全ての生き物は普通に彼らの"当たり前"の中で生きて普通に繁栄してるのに。それを人は自己の発展の為に乱し、欲求不満の解消相手として撃ち殺し、スッキリした後に数が減ったと気付けば知性がある人間が苦しめてると判断する。それって他の生物を知性が無いと見下してるのと同じだろ?自然はそのままで恒常性がある。それを乱すのは人間だが、共に生き"同等に生きるべき"と主張するなら"共存"というべきだ」


 既に傲慢の女は言葉を遮られたことで腕を組み僅かに怠惰の少女の背から視線を外して少しずつ迫る飛行機雲を見ていた。その飛行機雲はゆっくりと海ほたるパーキングエリアへ続く高速道路へと平行に飛行し始めると減速して高度を落とし始めたのである。

 それに気づいているのかいないのか、怠惰の少女はただ語り続けた。


「何が言いたい?」


 しかし、全てを聞いた上で小首を傾げる傲慢の女の一言に怠惰の少女は肩を落とした。根本的に、傲慢の女は興味のあることしか理解しようとしないのである。

 たとえそれが仲間の考え方であったとしても、傲慢の女は気にしないのだった。


「僕はね、この世界で環境保護団体が嫌いだ。彼等は散々世界を壊す側に立ちながら、それを反省して贖罪することなく、ただ今更に騒ぎ、自分達のストレス発散に偽善を持ち出した。本当に世界を守る気なら、山のような資産を以て開発と伐採をされるアフリカや南アメリカの自然を守るため人の侵攻を阻止するべきだ。大量消費をする人間を君のように軒並み皆殺しにすべきだ。それを、自分のお先真っ暗な人生を"より哀れなもの"を持ち出してただプラカード片手に歌って踊って騒ぐという偽善で埋めようとするのさ」


 それ故に、怠惰の少女は最早相手への理解など気にせずに語り始めた。

 端から、2人は同じ空間にはいても場所にはおらず、目的を同じにしていても同志ではないのである。


「"過去の画家が死にものぐるいの必死に描いた絵をスープ缶で汚して騒ぐしか能のない人間が世界を変える"とか、君はあり得ると思うかい?少なくとも、ゴッホやフェルメールを汚す人間なんてゴキブリ以下の価値しかないから路肩で八つ裂きにすべきだ」

「私も"それ"と同じだと?」


 それでも、傲慢の女は自身への評価にだけは敏感であり、これまでの聞き流していた会話にようやく興味を示したのだった。

 そして、怠惰の少女は苦笑いと共に振り返った。


「君はもっと性悪さ。だから、そんなに傲慢なんだろ?」


 怠惰の少女の言葉と共に、海ほたるには耳を引き裂くような爆音とコンクリートが崩れる音が響き渡り、辺りに煙や粉塵、コンクリートの破片が飛び散り青い海へと落ちてゆく。

 そんな周りの景色を眺めていた傲慢の女の眼の前はいつしか人のいない荒れた空間が広がり、彼女はただ1人になった。


「人間よりは、己を恥じている。だからここにいる」

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