異管対報告第2号-7

「おい、何だあれ!」

「何がだよ?」

「いやぁ……あれ……」


 ことは数時間前に遡る。

 ようやく日が登り影になるものの何もない神奈川県は相模湾沖を照らす中、白と青に塗られた小さな漁船の上で1人の漁師が更に沖へ向けて指を指した。その顔は日に焼けて赤くなっているが血の気が引き始め額だけ白かった。更にはその指先が異様に震えていると、周りの彼の仲間も気にしてその先を見たのである。

 そんな漁師達の姿に船長はその髭だらけの日焼けた顔を顰めてどやすように甲板へやってくると、たどたどしい口振りの新米漁師のもう真っ青になった顔を見ながら激しく震える指先を目で追った。


「あぁん?あれは……」

「くじ……ら……?」


 船長の目に映る海面は朝日に輝き、ゆったりとした波を大きく広げている。

 その波の先には一筋の大きな白波が立っており、その波は漁船へ向けて大きく迫っていた。その白波は明らかにゆっくりと先へと進み、船長に航跡であることを示した。その波飛沫は船の類のような人工的な波ではなく、僅かにうねるような不規則さを見せていたのだった。

 だからこそ、目を凝らす船長を含めて多くの者はそれがクジラのような大型水生生物と考えた。

 しかし、彼らの目に見えたその波を作る影は陽の光に赤く輝いている。その宝石のような輝きは明らかに海の上では不自然であり、クジラと呟こうとした漁師もその言葉を濁すのである。

 そして、全員が沈黙して航跡を眺めた瞬間、白波は大きな水柱となった。


「まっ!魔獣だぁあぁ!」

「取舵!漁より命だぁ!」


 水柱の中から姿を表したそれは、まるでコンクリートのような凹凸や傷のある質感に紫色をした体表と星を思わせる大きな5つの突起を上下に持っていた。それはまるでヒトデを上下に重ね合わせたようであり、その上下はそれぞれ反対に回り、推力となってその体を前に進めた。その体も異様に大きく、水柱を上げて浮上したその魔獣が海面にその身を落とすと、辺りの波は激しく荒れ狂い波が波を飲み込み漁船さえも飲み込まんと乱れるのである。

 そして、その魔獣は上面の中央の巨大な赤い結晶を不気味に光らせ、逃げる漁船を気にせずに唸り声を上げつつその進路を東に向けた。

 その動きは、まるでなにかに導かれるようなのだった。


「海棲の魔獣か。一歩、お前のいたところの連中じゃ対応できんのか?」

「海自……海軍は政府からの"害獣駆除"の要請が出ないと出動できない。まして、国会承認が必要になるからすぐには出せない。後出しでも内閣は自民でも野党でも直ぐ支持率を持ち出して渋るから、異管対が対応する訳だ」


 そして、漁船はそのことを海上保安庁へ通報するとともに警備ヘリコプターが現場に駆け付け事態を観測する。

 こうして、悪態をついたサブリナへ一歩が説明するように2人が訓練からの帰投を取りやめ現場へ急行することとなった。既に2人は要撃管制官の指示の下で進路後方から魔獣に迫っており、轟音と共に空を切るAPOLLO・15は僅かに震えていた。

 その震えるに一歩は何度か体の異常や速度に高度計を確認した。そこには何ら異常はなかった。


「力あるものが直ぐに動けないなんて、訳がわからんな」

「死に直面しない限り、日本人は危機から目を逸らすのさ」


 そんな一歩のチェックを遮るように、サブリナは呆れたように肩を竦めて彼へ悪態をついた。その肩の動きに体は僅かに宙でよろめくも直ぐに持ち直し、彼の返答に彼女も満足したのか何度となく頷いてみせた。

 サブリナはただ沈黙が嫌だったのだ。


[APOLLO・15、DC.Break,聞こえるか?貞元だ]

[DC、APOLLO・15.Break,聞こえます。あらかたさっきの女の子の説明から理解しましたけど、なんで領海内に大型魔獣がいるんです?"封印柱"が設置されてるんでしょう?]

[それについては原因不明だ。政府お抱えの学者は駄目だ。"何もかも情報不足だから"と自分の地位にビクついて発言を控えてる]


 しかし、2人の間に皮肉合戦が始まる前に貞元が無線で一歩に通信をかけた。それに応答する彼は貞元の焦りも見え隠れする早口に急き立てられ、捲し立てるように返したのである。

 一歩のその口振りに、貞元は無線をダブルトランスミッションを起こしながらも喋り口を緩やかにした。その内容は穏やかになった口振りとは反した悪態であり、声を殺して笑う一歩に内容をそれなりに聞いていたサブリナは小首をかしげたのだった。


「"封印柱"?」

「INNER ADIZには一定間隔で柱が建ってんだ。黒くて赤い"刻印"だのなんだのが掘られたやつ。写真とか見せて教えたろ?」

「あぁ、"大型魔獣避け"か。そんなに効くのか?」

「少なくとも戦後直後と比べれば漁船も輸送船、護衛艦も沈まなくなったさ」


 サブリナは一歩と貞元の会話内容より、言葉に首を傾げたのである。そんな彼女の言葉に一歩は少し黙った後に口調を正して説明した。その説明にサブリナは思い出したように呟きながら一歩に尋ねかけると、彼は少しだけは吐き捨てるように話を終えた。

 一歩の言葉にサブリナは何も返せなかった。それだけ、彼の薄ら笑うような言葉が不気味に思えたからであった。


[APOLLO・15、そこで俺の知り合いに聞きまくったらある程度情報が纏まった。ちなみに防衛省は当てにするな。まだ東京湾の防衛線は疎か沿岸部の避難も済んでない]

[DC、背広組は当てにしてませんよ]

[APOLLO・15、ならいい]


 その空気を知らず貞元が再び無線で2人へ情報を送ると、その内容にいよいよ一歩は呆れたのか腹がったのか語気を荒く返事をした。その口調に貞元は笑って返すと、一歩も鼻息ら荒く息をついたのだった。


「こいつ等、本当に国を護ってるのか?」


 だからこそ、サブリナは一歩と貞元の上位組織へ対する悪意に呆れた。彼女からすれば、貞元達こそ不穏分子に見えるのである。


[通報してきた漁船"ろーらんど丸"からの話を纏めると、魔獣は"スターマン"種と思われる。体表は厚い甲殻に覆われ、上下の星型殻の回転によって水陸を進むらしい。同種の個体が米海軍の"ロナルド・レーガン"後部を吹き飛ばしたことで"空母キラー"と渾名されているみたいだな]

[DC、そんなのを単機で相手しろって言うんですか!護衛艦の防衛線もなく空軍も来てないんでしょ!]

[APOLLO・15、心配するな。ランカスター条約を振りかざして外務大臣から火器の無制限使用の許可を貰った。とにかく、油断せず好きにぶっ放して良いからなんとしてもアクアラインと海ほたる……いや、ベイエリアは死守しろ]


 不審そうに自身の胸元を見るサブリナを無視して貞元は一歩へと情報を送り続けた。その内容は一歩の腹の底をゆっくりと冷やしていき、最後に軽く吹くように言ってみせる貞元の言葉に彼は空かさず噛み付いた。その声音は明らかに不服や不満、負の感情が満々てスピーカーが割れるとも思えない声であった。

 それでも貞元はそんな一歩の声をどこ吹く風と無視して命令を飛ばすのである。スピーカーから聞こえる彼の声はなぜか自信に溢れており、一歩へと最後に言い放った言葉は異様な信頼感があった。

 それ故に貞元の言葉を真っ向から食らった一歩は反論の言葉を飲み込んでしまい、返す言葉を言おうにも文字は喉に引っ掛かり空いた口から何も出てこないのである。


[DC,APOLLO・15.Copy.Now 8nm South of Target.Altitude 2300]

[APOLLO・15,Roger]


 結局、一歩は貞元へと了解と位置通報を送信していたのである。それに対して貞元が了解の通信をすると、一歩は今現状はなく感じられないはずの歯を噛み締めた。


「安請け合いしか出来ないってのが、虚しいなぁ」「いいじゃないか、実戦だぞ!戦いだぞ!最高じゃないか!盛り上がるじゃないか!」

「お前がそうでも……」


 顎の力を緩めて呟く一歩だったが、彼の独り言はしっかりとサブリナに聞かれていた。そのために彼の悪態に対して彼女は大いに盛り上がりつつロールや手足をバタつかせて喜んでみせた。

 その出鱈目な動きに一歩は慌てるも、彼のサブリナと共有する視界に一瞬映る手を前にして彼は言葉を止めた。


「何じゃ、何が言いたい?」


 一歩の言葉の不自然な止まり方はサブリナの気になるところであり、彼女は直ぐに手の関節を鳴らすように右拳を左手で握ったのである。


「いや、とにかく実戦だ。これまでの訓練とは絶対に違う突発的な何かが起こる。たとえ余裕を持っていても……」

「クドっクド、クドクド!しつこいぞ!それくらいわかってる!うちは至って冷静だし余裕だ!」


 一歩はサブリナの態度に対して説教を始めだした。その内容はサブリナが訓練を始めただした頃から何度となく聞いた内容であり、彼女も直ぐに彼へ苛立つように怒鳴ろうとした。


「そんな奴が手を震わせるか?」

「武者震いだ……」


 一歩の静かな言葉に、サブリナは少し間をおいて答えた。

 つまり、サブリナは気丈に振る舞うのが得意なのだった。


「いいか、俺はお前のTACOだ。お前がヘマすれば俺も死ぬしサブリナ、お前も死ぬ。だが、俺は死ぬ気がないしお前もやりたいことがあるんだろ?お互いに死ねないわけだ」

「何を今更……」


 そんなサブリナに一歩は再び説教を始めた。その内容は説教という通りに彼女を指導するものである。

 だが、一歩のサブリナに対する口調は冷静ながらも彼女に不快感を感じさせなかった。その内容は普段なら彼女が苛立つような皮肉や批判的なものだが、サブリナは一歩の言葉を止められなかった。


「俺は落っこちるのが怖いだけだ。今更に悪魔と相乗りくらいはなんともない。だから、たったと終わらせて帰ろう。俺はこんな沖で海水浴なんてゴメンだ」


 サブリナも、本能的に一歩の本質を理解できる気がした。

 つまり、一歩は軽口がないと生きていけない人間であり、彼女が思うよりお人好しなのである。それ故に、サブリナは一歩の言葉にただ薄っすらと笑ってから怒るような表情を作った。

 だが、それも一歩には見えないのである。


「好き勝手に言いおってからに……励ましのつもりか?」

「そうだったんだがな?」

「だとしたら、訳もわからんし最悪だ。でも……」


 だとしても、なし崩しであっても短い期間とはいえど体を共有して訓練してきた2人は少しずつお互いを理解し始め、悪態のつきあいも様になっていた。


「少しは楽になった。薄っぺらい奴な割には役に立つな」

「初めて会ったときから気になってたがさ、"薄っぺらい"ってなんだ?」


 しかし、一歩は相変わらずサブリナの"薄っぺらい"という言葉を理解できていなかった。その言葉については一歩もこれまでの生活で忘れつつあり、彼女を実家に居候させて共に生活していてもその意味を聞けなかったのである。

 それを笑ってサブリナから言われたことで遂に尋ねられた一歩だったが、彼女は即答せずに暫く黙った。その沈黙は彼女が思考を巡らせていることを露光に示し、一歩は沈黙の中でサブリナの答えを待った。


「おまんの意志が薄っぺらいよさ」

「おまっ……噛んだ上に訳の分からんことを!」


 一歩はサブリナの答えとその噛み方に思わず声を上げた。


「見えた!いや、Target in Sight!」

「確認した。あんなにでかいのか!全長でも300mはあるぞ、空母を単機で沈めろってかい?」

「"鉄屑"を沈めるほうが易いわい!」


 そんな2人のやり取りはいつの間にか移動の時間の暇を大いに削り取り、サブリナの視界には房総半島や三浦半島と東京湾、そしてその海を白き波で切り裂く魔獣の影を見たのである。その影は一歩もレーダーや視界で確認しており、その大きさは改めて彼の想像を凌駕していた。

 とはいえど、今更に引き返せないサブリナは一歩の弱音を怒声で掻き消し速力を上げた。上空を駆ける2人は海面を奔る魔獣より遥かに早く、迫るその影に一歩は大きく息を吸って覚悟を決めた。


「やるか……照準起動レンジ・オン

戦闘開始コンバット・オープン!ぶっ叩く!」


 一歩の言葉にサブリナが降下と共に加速し、2人は遂に実戦の空を駆け抜けた。

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