異管対報告第2号-4
旧海上自衛隊厚木航空基地は、神奈川県綾瀬市と大和市の堺を滑走路とする関東最大の航空基地である。元は帝国海軍の航空基地であったが、進駐した在日米軍により基地は拡張され、その敷地は戦中のものとは比較にならないほどである。その様変わり方は同じく旧帝国海軍の基地を多く流用する海上自衛隊の基地とは比較にならないほどの充実のし方であり、軍事施設として最新鋭の設備は当然であり、スーパーやフードコート、映画館と隊員やその家族の生活の質は何より高品質なものとなっていた。
しかし、人類が悪魔と起こした戦争である"平和戦争"における自衛隊の戦闘力不足と日本国民の日和見主義と反戦デモによる避難の遅れから、米軍は早々に価値のなくなった日本から撤退したのである。
その結果、日本国防軍が全て管轄することとなった厚木基地の広大な敷地は、異種族との戦争を経験しながらも非現実的な平和思想ばかりに固執する世論によって削減された予算により多くが手入れされず老朽化していた。その寂れ方は凄まじく、倉庫として使われることとなったもぬけの殻のスーパーやフードコートはタコベル等の看板を残していた。
それだけ日本国民は、今も昔も自国や自身を護ることに関心がなかったのである。
「結構、手こずるね。大丈夫か、あの2人?」
その厚木基地の中でも飛行場施設である管制塔や着陸誘導管制所、格納庫やレーダーは基地周辺での大規模なデモと引き換えになんとか保全と近代化を強行していた。
そのおかげで海軍の艦載機の母基地となった厚木のエプロン地区では、貞元とコールマンが2人並んで駐機スポットを眺めていた。コンクリート舗装の地面に描かれた円の内側にはアルファベットともアラビア文字とも見れる文字が複雑な模様と共に描かれていた。更には周辺をストライカーや給水車、手隙の地上救難班や整備員だけでなく航空警備隊や首席幕僚までもが取り囲む程の物々しさを見せていたのである。
「港君はヤワではないよ。それだけは保証する」
2人の見つめるスポットの中央地表から人の胸程度の高さには、米粒にも満たない小さな黒い点があった。遠くから眺めるそれは飛蚊症と間違えられそうな程に小さくぼんやりと薄かった。だが、その黒点の下には物々しい無骨な銀色の箱型の機材やアンテナが何個も置かれ、黒や赤いケーブルが貞元の横まで伸びていた。その場所ではキーボードを叩く音と不満そうに唸る女の声が響いていたのである。
「どうだか……」
「ゆっ、雄大さん!」
黒点がただ浮かびそれを見つめる状態は終わりがないと思えるほど静かに続き、異管対以外の不必要にやってきたギャラリー達は喋りや考察、飛行場の運用停止に悪態をつき始めた。それだけ厚木は建物が廃れ始めても海軍の重要拠点である。
そのいつまでも進展しない一歩とサブリナの融合実験は、失敗と思えるほど予定外の始まり方であった。厚木基地へと入った一行は、ロータリーを越えて滑走路付近までゴルフ場を横断する長い直線道路を走り抜け、4空群の平屋建て本部へ向かった。そこで融合までの一連の流れを確認し、彼等は4空群司令や作戦幕僚数名と共にエプロンへ向かった。そこでの作業はどこからか漏れ出した情報によって人が集まり騒がしく、勝手気ままに隊員達が口々に己の意見を披露し始めたのである。
その光景に苛立ち始めたサブリナは、計測機器が仕込まれたベストを纏う途中の一歩へ突撃した。空中へ跳躍し一回転する身体能力を見せつけるサブリナが天地を返し降ってくる光景は一歩に驚きを与え、思わず受け止めようとした彼の左手を彼女が掴んだことで指輪が触れ合い準備も半端に融合試験が始まった。
そのような突発的且ついきあたりばったりに流れが始まりだしたことは寺岡の神経を苛立たせ、心配するように腕組みするコールマンへ柔らかい笑みで言葉をかけた貞元へ小言で文句を呟かせた。その声は飛行場故に強く吹き付ける風の音に大半が掻き消されるも、すぐ隣に立つマルガリータにはきちんと聞こえ彼女の背筋を凍らせた。
多少距離があったものの、寺岡の声は貞元を振り返らせる程度には響いていた。
「寺岡君、"空母いづも"は知ってる?」
「えぇ、まぁ。出港して早々に沈んだってことは」
不服そうに目を細める鼻息を僅かに起てた寺岡の様子に少し肩を落とした貞元は、彼から視線を外し再び黒点へその顔を向けた。刈り揃えられた後頭部はただ静かに寺岡の言葉を響かせつつ風に靡いた。
寺岡は貞元の唐突な話題変えに少しだけ困惑した。それでも、質のいいスーツの脇腹をマルガリータに摘み引かれたことで彼は貞元へ返事をした。その言葉に返事はしばらく返って来なかった。
足元の計器が数十秒単位でピンガーの様な音を鳴らし困惑の唸りがそのたびに響く中で、貞元は足元のウェーブ黒髪の旋毛を一瞥した。
「港君、適当なこと言ってたけどさ。あの艦は確かに真っ二つに艦体が裂けて轟沈した。艦内へ突入してきた無数の悪魔の攻撃でね」
「突入?」
「そこから生き残ったんだよ、彼は。死にそうになってる仲間を2人も担いで」
ようやく貞元はただ静かに口を開いた。その言葉は隣に立つコールマンの視線を向けさせ、足元の黒髪の唸声も止まらせた。彼の言葉は聞き流そうと思えば軽い響きであったが、言葉の端々には不思議と暗い感情が見え隠れしている。
だからこそ、寺岡は貞元の語る過去に尋ねかけ、彼の返答に言葉を失った。地上でも負傷者を運び出すのは大仕事であり、それを敵だらけの狭い艦内で負傷者2人という事実は寺岡を黙らせた。
「彼は体力もやる気もないが……"根性"だけは人と違うんだ」
口を開きかけた寺岡に貞元が更に畳み掛けると、その場には冷たい沈黙が吹き荒れたのである。
「とはいえど、かれこれ30分は経ってるぞ?そろそろギャラリーも飽き始めてる。木瀬ちゃん、無事?」
貞元が作った冷たい雰囲気の中でも実験作業は続き、何度となく沈黙にピンガーが合いの手を入れた。その音にその場にいた新宿局員は少しづつ苛立ち、管制塔下の運行当直室から走ってきた小笠原は早々に距離を取った。
そして、ピンガーが余裕で千を超える程なったところでコールマンは貧乏揺すりが激しくなり、進まない事態を前に貞元の足元に広がるタブレットやキーパッド、機材の山へと声をかけた。
「生きてますよ!何で直ぐに殺したがるんですか!物騒ですよ!」
「冗談くらい笑って流せよ」
機材の中には木瀬が埋まっており、視線を数台のモニターとタブレット間を何往復もしながらキーパッドを激しく叩いて小首を何度となく傾げていた。その身振りはまるでミーアキャットか小動物のように慌ただしく、コールマンの軽口で彼女は画面を何度も指で叩きながら答えた。
木瀬の視線の慌ただしさは言動と反する彼女の技能から考えると鮮麗さがなく、貞元はしゃがみながら彼女が並べる画面を覗き込んだ。
「それで、どうなのさ?」
「なんか、凄く変です」
「どこが?」
「最初から」
貞元に吊られコールマンも画面を覗き込んだ。そこにはメーターや線グラフの表示が様々な小窓で出され、全ての小窓のタイトルを読んでも貞元やコールマンはよくわからなかった。
何より、コールマンが木瀬に尋ねても彼女の答えは要領を得ないのである。
「木瀬君、説明してくれ」
「それがですよ、局長。一歩さんとサブリナさんが融合してから融合回路に流れる魔力の数値28
貞元は顔面で苛立ちを表すコールマンの歪んだ顔を無視して木瀬に尋ねた。それに答える木瀬は"アビゲイル値"と名打たれた画面の小窓を指さしながら早口で答えた。その小窓は車のスピードメーターのような表示の下にデジタル数字か移されていた。
しかし、木瀬が首を傾げるように細かく目盛のついたメーターはゼロの付近を僅かに震えるだけだったのである。
「確か人間は成人男性で毎秒28AB以上、女性で23ABの魔力は出してるんだろう?」
[そうなんです、それも生きる上で必要な魔力の最低量です。どれだけ不調でも人間は90以上は出るはずなのに、抵抗器を介しても3なんて値が出るのは異常です。冬眠してるクマ以下ですもの]
貞元の知識に木瀬が更に細かく説明をするも、コールマンは目の前の異常さに理解が追いついていなかった。それだけ目の前の光景が人でも悪魔でも異様と解ると、寺岡とマルガリータ、ようやく近寄ってきた小笠原にも事態の異常性が解り始めてきたのであった。
「となると、コールドスリープ状態みたいなものか」
「一歩君とサブリナちゃんは現状死にかけてるのかい?」
コールマンと貞元の言葉に木瀬は直ぐに言葉を返せなかった。
「死んでるという訳ではないですけど、ここまで魔力が落ちてるのは……心拍数の異常な低下とか内臓機能の猛烈な低下、肉体に異常が起きないと無理です。しかも相補性があるから片方にどれだけ異常があっても融合中は身体機能に異常は起きません」
少し遅れて返す木瀬の説明は長い割に解りづらく、頷く貞元の横でコールマンは理解のために瞳を閉じて頭を捻った。
「となると、なんだ?2人揃って融合中に死にかけてるのか?なんだ、結局やわじゃないか」
「ゆっ、雄大さん!」
そんな木瀬達のやり取りで黒点へ吐き捨てる寺岡と宥めるマルガリータの言葉にコールマンは2人を凝視した。
「死にかけ……死にかけ……?死にかけだと!」
「不味い!あの2人、揃ってウサギを追いかけたか!」
寺岡とマルガリータの言葉にコールマンの思考は繋がり、貞元は叫んだ。その瞬間、全てのメーターはゼロへと落ちる。
「あっ、ヤバっ……」
そして、何もかもが目盛りを振り切りタブレットからは猛烈なアラームが鳴り響いた。
「「うおおおぉぉぉぉぉぁぁぁああ!」」
新宿局員全員の視線がタブレットから響く警報に向いた瞬間、エプロン地区に居た全ての人間の鼓膜を絶叫が揺らした。その声は一歩とサブリナのものであったが、悲痛とも断末魔とも取れるエコーがかかり強弱の波が激しいその絶叫にその場の全員が耳を塞いだ。叫びはモニターを数カ所割り、マルガリータは思わずその場に座り込んでしまった。
往年の巨大変身ヒーローの変身効果音の様な加工の効いた叫び声は、少なからず瞬間的に人体へ影響を与えるほどであった。
「空間が……」
「割れる……」
「来るぞ!」
そして、その叫びに耐えるために視線を落とした全員が顔を上げたとき、彼らの視界はひび割れた。だがよく見るとそれは融合実験をしていたスポット上の空間だけであり、どの位置から見てもまるで鏡のように蜘蛛の巣状に激しく砕けていったのである。
「う嗚呼ァァあぁぃあぁああ!」
ひび割れた空間からは、黒い影がゆっくりと現れた。どこから見ても正面に見えるその黒い影は揺らめきながら赤や緑、白い光を付けながら割れた空間の向こうに広がる漆黒から現実へ現れようとした。
「うゎあぉ……」
「ヤヴァいよ、これは!」
割れた空間から姿を表した巨大な影は一匹のドラゴンであった。歩むそのドラゴンの正面は貞元達の立つ方向であったようで、異次元から這い出したそれは全方向に正面を見せながらその巨体をあらわにし、居合わせた全ての人間の認識と思考、視界や空間を歪めてようやくその身を露にした。
確かにその姿は一見してドラゴンではあるのだが、その全身を見た瞬間に貞元は言葉を失いコールマンは肩を震わせ声を上げた。
「木瀬ぇぇえ!」
「はい!」
異管対は悪魔や魔獣、亜人や魔術といった地獄の門によって生じたあらゆる異界に関する事態へ対応し解決する組織である。
だが、彼らも体表の鱗の代わりに航空機の様な"金属板"を身に纏い、背中にウィングチップまで付けた"長スパンの直線翼"を生やし尻尾の先の左右に巨大な円形の"ターボファンエンジン"を付けたドラゴンなど前代未聞であった。まして、両腕にミサイルの様な何かを懸架し脚の脛に航空爆弾の様なものや怪しげなハッチがあるドラゴンに、戦闘要員である寺岡とマルガリータも面食らった。
警告標識や翼端灯、衝突防止灯さえ輝くその姿は、A-10サンダーボルトⅡ攻撃機を無理矢理2足歩行のドラゴンにさせたような歪な姿である。
その中でコールマンは木瀬にありったけ怒鳴りつけ、応える彼女はスーツの袖から杖を小さな小枝のような杖を取り出し勢いよく紫色の曳光をたなびかせた。
「「ウゥゥウオオォオォオォオエアアアア」」
木瀬の杖を振った瞬間にスポットに書かれた文字や模様は同じく紫色に光り輝き、勢いよく同じ色で輝く鎖のような光を吐き出した。
その光の鎖は勢いよく一歩とサブリナの融合体である異様なドラゴンの首や胴体、脚へ巻き付き固定しようと締め付けたのである。その鎖は一歩とサブリナが観測機材を吹き飛ばし雄叫びと共に暴れる程に締め付ける力を強くして、装甲板は擦れる不快な音を掻き立てる。それでも一歩とサブリナは暴れもがき、遂には尻尾のエンジンをけたたましく点火させると爆音とともに辺りへ振って魔法陣をエプロンごと叩き砕こうとした。それを更に伸びる光の鎖が抑え込むと、本来出るはずのないアフターバーナーがエンジンから吹き出し、野次馬達を吹き飛ばすほどの嵐を巻き起こした。
エプロン地区はもう人が普通に立っていられる状況ではなく、イヤーカフを着けエンジン気流やローターダウンウォッシュも耐える整備員さえ蹲らせる程であった。それでも突風と轟音に耐える警備隊員達は必死に吹き飛ばされそうになる他の隊員達を支えつつ、持っていた小銃を構えた。ストックやグリップに年季ゆえの変色と傷が目立ち、銃身が歪みつつあっても退役させられない64式小銃はあまりにも頼りなく情けない見た目だった。それでも立ち向かおうとする彼等の多くは平和戦争の生き残りである。
厚木基地のエプロン地区は、地獄の戦時下へと巻き戻った。
「魔力がオーバーフローしてるのか!」
「さすが融合係数が高いだけある。一歩君の魔力をサブリナ君が上手く増幅した訳だ」
何度となく藻掻き続ける一歩とサブリナは力任せであり、光の鎖とその体は変わらず激しく音をたて、地団駄踏むその重量は辺を激しく揺らした。アスファルト舗装は巨大な足とそこから生える鋭い爪により傷つけられ、周辺へ無数の亀裂を走らせた。ひと踏みするするごとに亀裂は広がり、激しくコンクリート片を振りまき始める頃には多少貞元とコールマンは被害の弁償と後の始末書や事情説明という大事を前に冷静になった。
その冷静になってしまった思考で目の前の状況を分析しようとするコールマンは、一歩とサブリナの融合体の外観を観察する貞元を横目に木瀬の横に落ちていたタブレットを拾った。そこには今現在も全ての小窓の計測値を猛烈な勢いで上げる表示があった。円形のメーターの様なものはその針をひたすらに回し、一部の小窓は測定不能と表示さえしている。
その数値に満足したコールマンは木瀬話しかけたが、直ぐにその顔を青くした。杖を握る手を震わせ全身を強張らせた木瀬は何度となく鼻をスーツの袖で擦っては啜った。それでも彼女の鼻の穴からは止めどなく血が溢れ、水気の少ない鼻水と混ざり糸を引くそれは地面へと滴っている。それはスーツの袖も同じく、木瀬の目は据わっていた。
「貞元、これは……」
「海将、下がってください!危険です!」
「何を言っとる!危険がないように準備してたんだろうが!何が起きて……」
「不測の事態です!こちらで対処しますので……」
一歩とサブリナの暴走は激しさの一途であり、2人が藻掻くとそれだけで基地西側の機能崩壊の危機が秒読みとなった。その事態を避けるため遂に4空群司令は海士海曹の制止を振り切りると貞元の元へと一目散に駆け寄り、彼の襟首を掴み締め上げた。
問い詰められる貞元も喉の締まる声を上げ司令の腕を払うと、彼の両肩を掴んでとにかくその場からの離れさせようとした。
どちらも一歩も引かない司令と貞元の押し問答だったが、その2人のやり取りは一歩とサブリナの目に留まった。その瞬間、彼等の頭に付いているバイザーが目元に降りると、鼻先からけたたましいモーター音が響いたのである。
「木瀬!」
貞元が叫んだ瞬間、一歩とサブリナの鼻先が硝煙と爆音を唸らせながら徹甲弾を辺りへ吐き出した。鼓膜を破るその轟音と衝撃は一瞬で未だ残る隊員達の芯を凍らせ、衝撃は肺から吐息を吐き出させた。
その衝撃の中で、木瀬は震える腕を千切れんばかりに振るった。
「ぶっ!!」
木瀬が新たに魔法を張ったことで、スポットは赤いフィルムの様な壁の球に覆われた。その中で鼻先のガトリング砲から無数の徹甲弾を吐き出す一歩とサブリナだったが、壁に当たった弾丸は激しく跳弾し球の中を暴れまわった。まるでスノードームの銀フィルムのように徹甲弾は球形の結界の中で暴れまわり、彼等自身の体を傷つけた。
しかし、結界を張り銃弾とは比べ物にならない徹甲弾を防ぎ、数百トン単位の重量である巨大な攻撃機のようなドラゴンの数千馬力の藻掻きは確実に木瀬の魔力を奪い取った。それどころか、彼女が一度に出せる魔力量を遥かに超える量を放出させたことで、大量の血で血管が避けるように彼女の魔術回路もズタズタに引き裂かれた。
その反動で木瀬は腕の毛穴や瞳から血を吹き出させ、こみ上げる血混じりの吐瀉物を地面にぶち撒けた。
「きっつぅ……!」
木瀬の蚊の鳴くような声に限界を感じた貞元だったが、一歩とサブリナは両腕についていたミサイルのような物の存在に気付くと、それを辺りに発射しようと胸を反らし腕を広げたのである。
コールマンや寺岡達もその意図に気付き、全員が木瀬の限界を悟ってその場に伏せた。
「手足もがんじがらめに縛り上げろ」
しかし、貞元の号令に木瀬は即応したのである。
血を吹き出し眼球が取れることを恐れ必死に瞼を閉じながらも木瀬は眼の前で暴れ狂う魔力の流れを感じ取り、ミサイルがパイロンから外される微量の魔力へ向けて鎖を放った。
「「ガァぁいいイァぁあアァあ!」」
「なんつう馬鹿力だ!これじゃ、木瀬の魔力がいくらあっても……」
ミサイルの推進剤が添加された瞬間に腕のパイロンごと鎖を巻き付けられた一歩の腕は推進力も相まって引き伸ばされた。まるで十字架に貼り付けられたような2人は絶叫と共に身を捩り、高速を解こうとした。その激しさは魔力の鎖に亀裂を走らせ、そのたびに木瀬は黙って痙攣した。その姿に戦火の過去を呼び起こされた貞元は、柔和だった顔を研ぎ澄ましながら辺りを見回した。
「ばっ……化け物……」
「嘘だろ、アンナの魔獣じゃないか……」
「クワバラクワバラ……」
「退避ぃ!退避しろぉ!」
「海将、こちらに!」
「貞元、貴様ぁ!」
そこには怒声を上げる小笠原のもとでようやく退避を始める厚木基地の隊員達が走り抜けており、上級将校に引き連れられる4空群司令は白髪混じりの髪を乱し、シミとシワだらけの顔をもみくちゃにして激怒した。
「ランカスター条約の範囲です、協力願います!早く逃げて、邪魔です!」
「被害を出したら、貴様の首を叩き斬ってやるからな!」
貞元は安心した顔で高官たちを追い払い、その背中に悪態を受けながら再び眼の前に立ちはだかる問題へと向き合った。
「「ハァァァァァァァアアア……」」
だが、貞元が何かをできる状態はとうの昔に過ぎていた。
一歩とサブリナの2人は鋭い牙が丁寧に生え揃った口を開いた。喉の奥には細かな針のようなものが均等に生え、その先には生物とは思えないリング状の何かが回転していた。
それに貞元が疑問を覚えた瞬間に一歩とサブリナは唸声を上げ、喉の奥が激しく光った。
「ヤバい気がする!」
「木瀬、口もだ!縛れ!」
一歩とサブリナの光はコールマンも見ており、貞元は木瀬に命令を出した。木瀬は返事をすることなく、魔法陣から鎖を出して口を縛った。
「「グぐゴゴおオォォ!」」
それにより未だ乱射されるガトリング砲の反動さえも受けることになった木瀬は身動ぎすることもせず、呻き暴れる一歩とサブリナを抑え込もうとした。
「うぅ…………あっ……むっ……」
「木瀬さん!マルガリータ!」
「はっ、はい!」
コンクリートの地面に少しづつ血溜まりを作る木瀬は限界だった。彼女の出血は全身の毛穴へといたり、出血量は致死へ至る危険性を全員に感じさせた。
だからこそ、寺岡とマルガリータは迷いなく右手の中指にはめたリングを触れ合わせた。その瞬間、2人のリングは火を放ち影が伸びると、無数の光が煌めき寺岡とマルガリータの融合体であるLEO•01に変身した。
「2人とも、麻酔弾だ!」
「下手なとこ撃つなよ!大丈夫かい?」
「マルガリータ、麻酔弾装填!」
「はっ、はい」
迷いなく右腕の砲門を一歩とサブリナに向けるLEO•01に貞元とコールマンは念押しするも、寺岡ら無視してマルガリータに指示を出した。その言葉に従う彼女は右肩を脈動させ弾種を変えると、薬室へ砲弾を送り込み撃鉄を起こした。
そして、寺岡は一歩とサブリナの脇腹左心室へ容赦なく麻酔弾を撃ち放った。球形の結界は外からは干渉出来るので砲弾は当然直撃コースを突き進み、風切り音を立てて攻撃機ドラゴンの装甲板を貫通して炸裂したのだった。
「命中!続けて……」
「撃つな!」
直撃から追撃をしようとするマルガリータは即座に次弾を装填し、寺岡は再び同じ場所を狙い撃鉄を落とそうとした。それは、必殺である。
だが、それより先に貞元が叫ぶと2発目は外れ、結界によって背中へ着弾した。その命令違反にコールマンが全力ハイキックをLEO•01の背中に撃ち込むものの、貞元は気にせず爆炎が晴れるのを待った。
「再生しない……」
「そうか、一歩君のトラウマから"怪我が治らない"という点を得てしまったのか」
一歩とサブリナの脇腹には焼け焦げた炸裂跡があった。だが、その後は砲弾の直撃にしては異様に小さかった。
それよりも貞元が気になったのは、その炸裂跡が再生せず、火傷と裂傷から血を吹き出していることであった。融合体は継戦能力を優先しているので傷の治りが異様に早い。それがないことはコールマンにも驚きを与え、事情を察した貞元が呟くのを寺岡は一瞥した。
その寺岡の視界にコールマンが僅かに映ったが、彼女は2度見するほどに顔を赤くして青くするとムンクの"叫び"のようになった。
「いやそれよりもっと不味いぞ!」
寺岡の砲撃が致命打となり、木瀬は蹲って赤い泡を吹き血溜まりの中で意識を失っていた。
それは、一歩とサブリナの拘束が解けたことを意味する。
「「ヴァァぁアァァアァアアァァァアァ!」」
全ての光の鎖が消え去り赤い結界が溶けたとき、一歩とサブリナは口を開いた。その瞬間に辺りは猛烈な輝きとともに熱気が狂い、耳を劈く高周波が全員の神経を逆撫でた。
小笠原はその轟音にすかさず振り向き口の先を見ると、そこには青白いプラズマを巻き起こす赤、青、黄色の光流が空を焼いたのである。その光の濁流は滑走路を横断し反対側の格納庫の屋根を焼くと、青空の彼方に消えていった。その後には光線の残響と共に残った空気がプラズマ化して近くを飛んだ鳥を焼き焦がした。
「これは駄目だ、ヤバすぎる!」
「寺岡!なんとしても黙らせろ!」
撃った張本人である一歩とサブリナを含めて、その場に異様な沈黙が流れると、貞元とコールマンの絶叫が響き攻撃機ドラゴンの巨体が彼らの元へ駆け出したのである
「「うおぉぉお!」」
「「ヴアァァぁあ!」」
雄叫びを上げる2体の融合体は対峙し、寺岡とマルガリータはひたすらに弾丸を吐き出し一歩とサブリナは貞元とコールマン目掛けて走り続けた。その速度は、尻尾からの推力と翼の浮力が合わさり見た目に合わず俊敏である。
だからこそ、寺岡はありったけの砲弾を放った。だが、どれだけ撃っても一歩とサブリナは止まらなかった。それどころか、被弾し体に穴が空くほど彼らは加速していた。その加速を止めるために寺岡とマルガリータは砲の口径や弾種の威力を上げたのである。
しかし、砲撃が150mm滑腔砲と同程度になっても止まらない一歩とサブリナに寺岡とマルガリータは我武者羅に撃ち続けた。
「んっ?コールマン、あれ!」
「あれは……なんだ?」
無数の砲撃が着弾し爆炎を上げるにも関わらず、一歩とサブリナは一向に止まることを知らなかった。
その迫りくる危機の中で、貞元は爆炎の中に目を凝らした。一歩とサブリナの融合体は攻撃機がモチーフとなっていることで各所に航空灯がついていた。だが、航空法の規定より明らかに速い速度で明滅する赤い光を見た彼は煙の中を指差し、木瀬に回復体位を取らせるコールマンもその指先を見つめた。
「赤いランプ……さっきまで緑だったのに?」
その明かりは一歩とサブリナの融合体である攻撃機ドラゴンの胸に光るランプであり、電子音の警告が響く中で彼等は手で煙を掻きながら前へと進んだ。
だが、明滅が早くなり警告音が加速すればするほど一歩とサブリナの足取りは遅くなり、最後には完全に足を止めた。
「「アァ……あ……」」
激しい明滅が常に光り続けているように見える頃には、前後に揺れた攻撃機ドラゴンはゆっくりとその巨体を前へと倒した。
「ちょっ、まっ!」
「マルガリータ!」
「ひっ、ひぇえ!」
その巨大さ故に倒れるコースはLEO•01だけでなく、貞元やコールマン、動かすには状況が危険過ぎる木瀬を余裕で覆っていた。それ故に、寺岡は圧倒的体格差を前にしながらも跳躍し体当たりで倒れる方向を変えようとしたのである。
その跳躍の少し前に、再び目の前の空間に亀裂が走った。その空間が割れて向こう側に闇が広がると、一歩とサブリナの融合体はまるで水面に落ちるかのように飲み込まれた。そして、その変わりに一歩とサブリナの元の姿か闇の中から飛び出すと、空間は元通りになり2人は抱き合いながらコンクリートの地面に落ちたのである。
2人は融合前のままのスーツ姿で抱き合いながら眠っていた。
「これは……何とかなったか……」
「いや!十分やらかしでしょう!ロスの融合失敗事件並ですよ!」
「言うな、小笠原君!これは事故だ!」
貞元は寝息を立てる一歩とサブリナに安堵しながらあたりを見回した。そんな彼の呟きと現実の乖離は小笠原のツッコミ通り悲惨なものである。西側エプロン地区のコンクリートはあちこちが砕け、格納庫も衝撃で壁や屋根が破損していた。さらに、一歩とサブリナが放った光線は滑走路を斜めに横切るように表面を融解させ、東側格納庫の屋根を溶かしたのである。
厚木基地の惨事はさながら敵からの攻撃後であった
「これはどういうことだ、貞元!」
「ふざけるなよ、これだけの損害を出して!ここは戦場ではなく基地だぞ!」
「このような事態になるとは聞いていないぞ!防衛省から直々に命令が来たと思えば……これは外務省の責任問題だぞ!」
「まさか……」
騒乱が一旦は終わったエプロン地区では、血塗れの木瀬と一応意識のないという括りの一歩とサブリナが衛生隊の救急車に担ぎ込まれ、車両はそそくさとその場を離れていった。
それと入れ違いにやってきたのは服装から何もかも怒りに乱れた4空群司令と基地隊司令、航空管制隊司令である。彼等は一応に貞元の元へと駆け寄ると、その胸ぐらや襟首、頭を掴んで責任や言い訳を問い詰め始めたのである。
しかし、貞元は笑ってその腕を乱雑に払うと乱れたスーツをただしよれたネクタイを直した。
「ランカスター条約の規定と附属書には"各国政府及び軍は、地球連合への全面協力義務"の項目があります。国際異界管理統合局は地球連合の傘下組織ですよ?」
貞元はスーツを直すついでにその胸元から茶色の封筒を取り出した。更にその中を探り1枚の紙を出したのである。それは縮小コピーした協力要請であり、その紙を指差し説明する彼は最後に書かれた赤い線で強調された一文を指さしてみせた。
そこには"ランカスター条約に則り、日本国防軍海軍は如何なる損害に対して金銭的賠償及び職員への責任を追求しない"という異常な文が書かれていたのである。
「そして貴方は協力に同意した。貴方は、たった1人で日本の世界的地位を下げるお積もりですか?」
その書類には防衛大臣や外務大臣、海上幕僚長のサインまでもが認められており、一介の将校がどうにかできるほどのレベルではなかった。
「異管対の裏切り者共め……」
だからこそ、第4航空群司令の悪態を先頭に彼等はその場を去っていった。
「コールマン、2人はどうだい?」
「生きているのは確実だ。まさか、ここまで暴れてくれるとは」
嵐のように荒れ狂いあっという間に去っていった事態を前にして、貞元は大きく深呼吸しながら噎せ返った。彼の肺は緊張と混乱を前にして縮み上がっていたのである。
その深呼吸は貞元に元の柔和な笑顔を与えると、頭を掻き疲れた表情を見せるコールマンの報告に何度となく頷いた。
「データはどうかな?」
「取れてます!」
「なら、後は対策するだけか」
木瀬の血塗れになった機材を拭く小笠原は僅かに眉を細めながらパソコンにタブレットを繋いだ。その姿にデータの安否を尋ねたコールマンは彼からの報告に胸を撫で下ろしつつ、先程までの騒ぎが嘘のようなスキップ混じりの足取りで借りていた4空群の会議室へ残った血塗れの機材をそのまま抱きかかえて向かい始めた。
そのコールマンの姿と荒れ果てた周辺の光景に、変身を解いた寺岡とマルガリータはただ呆然とするのであった。
「こんな奴らが……」
「わっ……私達の仲間ですか……」
最大火力が出せなかったとはいえど、自分達より遥かに高い戦術兵器のような火力に、寺岡達は呆然と呟いたのである。
「ということだ。こうなったら地道に調べるしかない。運のいいことに時間はたっぷりあるから調べよう」
落ち込むとも違う暗い表情の寺岡とマルガリータの肩を叩く貞元の言葉は、彼自身が一歩とサブリナに抱く感情かそのまま出てきた。それだけ、彼等は異質だったのである。
「思ったより、先は長いか」
異管対新宿局の一向は自分達が作り上げた惨事を背に、その場を後にした。
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