異管対報告第2号-2

 港一歩には嫌いなものが少なからずあり、彼が直ぐに挙げるものは3つある。

 1つは"起床ラッパ"であり、趣味に睡眠と掲げる一歩にとっては土日祝日明け休み問わず朝に鳴り響くドミソは彼の浅い眠りと下宿を取らせるきっかけとなった。

 2つ目は"訓練熱心な飛行隊"であり、とかくヘリコプター部隊は嫌いであった。どれだけ機体に不調があっても幅広い許容範囲を以て訓練を断行し、洋上で機材トラブル騒ぎを起こすだけ起こしてRTBするパイロットは反吐が出るというほどである。

 そして、3つ目は一歩にとって前の2つ以上に頭を抱えさせるものだった。


「おぉ、これが改札か!ピッピと煩いしこんな朝早いのに人間が右往左往しとるのは滑稽だな!しかも全員同じ服装とは気色が悪いし、死にそうな顔しとる!そんな顔して働くくらいならもっと好きなことをして働けばいいのにな!それか、趣味でも持てばいいのに、あれが社畜というやつか!憐れだのぉ、別に"代わりは幾らでもいる"というのに、無理に頑張るとか、早死するだけだろう。それにしてもなんか、駅の改札とか言うのは思ってたよりちゃっちいな。もっと全員が駆け出して"駅員"?というのが必死に抑えるとか……」


 一歩の嫌いなもの3つ目は、"朝から騒がしい者"であった。だからこそ、港一歩は朝から憂鬱であった。彼は昔から眠るのが好きで目覚めがすこぶる悪く、眠りの質を求める男である。

 だが、日も上がらぬ4時にスマホの起床ラッパアラームがなったとき、一歩は既に布団の中で目を覚ましていた。異管対への唐突な異動と初出勤、そして戦闘の見学は彼の理解を大幅に超えつつ余りなも疲労困憊となることであり、意識は一瞬で夢の中へと旅立つそうなものと一歩も考えていた。

 しかし、厚木基地にて"融合実験"なるものを行うとなれば不安はひとしおであり、久しぶりに出ていってから変わらぬ実家の部屋の布団へ疲れ果てた体で横になっても、一歩の意識は悪夢にさえも旅立たなかったのである。

 そんな寝不足の一歩を襲ったのは、まだ夜闇に包まれる新宿エルタワー正面玄関にて目をランランと輝かせながら両足で小刻みに貧乏ゆすりのようにステップを踏むサブリナであった。灰色のスーツ姿は一見すれば早めに出社する会社員だが、彼女の角や瞳に衣服に合わない幼い見た目や動作は明らかに異質であった。


「馬鹿言うな!小田急線は神奈川へ出るのに最強の路線だぞ!」


 そんなサブリナが小田急線改札口とそこから吐き出される無数の労働者と学生の波へ向けて顔を仰け反らせ見下す視線と彼等を馬鹿にする大きな声により、一歩は素っ頓狂な口頭注意チョップを彼女の後頭部へ炸裂させ早速体力を奪われた。そんな彼の行動はサブリナを壊れたテレビのように一瞬静かにさせ、彼女を目を丸くして振り向かせた。その瞳は人間のものと大いに違い、視線だけで寿命を縮ませかねない圧がある。

 しかし、上瞼を下瞼とドッキングさせようとする眠気と肩腰にのしかかる疲労へ必死に耐える一歩にとっては縦に切れたサブリナの瞳孔やオーラなどどうでもよく、彼は必死に人の波を鮭の川登よろしく掻き分け、サブリナを引き連れ小田急線改札へ向かったのであった。

 

「全く、なんで自費で移動しなきゃならないんだ」「仕方ないじゃろ?人間の金が無いんだからな」


 入った正面に急行列車のホームを臨む改札口から吐き出される人の波をの掻き分けて進む一歩は、眠気に襲われる瞳を擦り大あくびと共に涙目で愚痴をこぼした。そんな一歩の疲れは、後ろから一張羅であるヒューゴボスのスーツの裾を鷲掴みにするサブリナの誇らしげな言葉と笑みでさらに重く伸し掛かった。

 一歩はサブリナへ僅かに向けた顔を直ぐにホームで停まる列車へ向けたのである。


「だとしてもこんなに早く……」


 そして、一歩はサブリナを曳航しながら全く人が通過しない入場専用改札へと入った。そして、彼は改札を通った瞬間に後ろへと仰け反り革靴のそこをタイルで鳴らし背中から倒れた。


「おい、何やって!……何やってるの、危ないだろ」

「いや、それ、どうやったんじゃ?魔術の類か?」


 改札扉に背中を預け中途半端に倒れる一歩は頭上に見える困惑した顔のサブリナに思わず怒鳴りそうになった。だが、脳裏を駆け抜ける悲しい気持ちを前にして彼はゆっくりと鼻で息をしつつ落ち着いてサブリナへとイタズラに対する注意をしたのである。

 しかし、そんな一歩の言葉を受けるサブリナは目の前で倒れる彼に目を丸くしており、怒鳴ろうとした一歩に対抗するように声を張りながら僅かに震える指で彼の手を指差した。

 そこには長方形で手のひらサイズの革製小銭入れがあった。そのカードポケットからは銀と緑のカラーが少し覗いていたのである。


「Suica、知らないのか?」

「あれか、種のいっぱいあるやつ!拘置所で何度か出てきたぞ?」

「それは西瓜」

「酸っぱいイカのお菓子か!」

「それは酢イカ」


 一歩の財布から覗いていたのはSuicaであった。交通系ICカードが消失しつつあるも未だ根強く使う人間はいるため、運行会社も廃止できず並行運用は続いていた。

 だが、サブリナがSuicaを知っているかどうかではなく、一歩はサブリナに戸惑った。それは僅に震える手と力の入った彼女の頬である。それはただ怒鳴られたことに対する驚き以上のものを一歩に感じさせた。

 だからこそ、一歩はあえて戯けてサブリナへ尋ねた。ゆっくりと立ち上がり軽くスーツを払う彼の笑みに彼女も直ぐに答えた。その得意げに腰へ手を当て話すサブリナのボケに一歩ツッコミが入ると、数回の掛け合いの後に2人は少し足元や改札へ視線を逃したのだった。


「おい、サブリナさん?」

「サブリナだ!」

「なら、サブリナ。金は持ってるか?」

「地獄から出てきた時から一文無しだ!」


 目頭を揉んで視線を閉じた一歩の言葉に応じるサブリナは、勢いよくスーツのポケット全てを裏返した。そこからは毛玉か数個飛び出すだけで確かに財布はなく、入れっぱなしの一円玉さえないのだった。


「嘘だろ……」

「嘘はついてない。何なら……」

「そういう意味じゃない!」


 ポケットの中を見せながらその場で何度か回ってみせるサブリナは、最後に上着のポケットへ手を突っ込みながら裏地のポケットも一歩へ見せつけた。当然そこには何か入っているような厚みは全く無く、真の無一文のサブリナに一歩は言葉を失いかけた。

 そんな彼の憐れむ視線を勘違いしたサブリナは、突然上着を脱いてシャツのボタンさえ外そうとし始めた。それを慌てて止める一歩は、彼女の手を取りそこに自分の財布を置いて握らせたのである。

 

「解った、解ったよ。俺が代金出すから、コイツで切符買ってこい」


 それが肩を落とし改札の反対側にいる一歩が出来る優しさであった。


「切符ってなんだ?」

「オマエ、スパルタンだとか知ってて"切符"だ"Suica"を知らないって何だよ、知識の偏りが凄いだろ!」


 しかし、サブリナは小首を傾げて財布を何回か宙に放って受け止めた。彼女の言葉は一歩の呆れをさらに加速させ、頭を抱えた彼は膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えつつサブリナへと悪態をついたのである。


「あのぉ……お客様……」

「あっ、すみません。一旦改札出てもいいですか?」


 一歩はサブリナの後ろにいつの間にかでき始めた列を前に全てを諦めると、苦笑いと共に歩み寄る駅員に同じ顔で何度も頭を下げるとサブリナの襟首を掴んで引きずり券売機へと走った。

 その間にホームからはけたたましい発車メロディが流れ始めた。


「電車とやら、来とるぞ!」

「違う、そっちは片瀬江ノ島行だ。乗るのはこっちのホーム」

「何が違うんだ……?」

「日本有数の観光地に行くか、神奈川屈指のなにもない山中へ行くかの違いだ」


 その音に急かされる2人は改札口を駆け抜け電車に飛び乗ろうとした。2つの列車が並ぶホームのそれぞれに駆け出した2人だったが、サブリナの声が離れてゆくのに気付いた一歩は直ぐに彼女の腕を掴むと反対側で客を飲み込む電車を見つめる姿に小声で愚痴るのである。


「おぉ!思ったより速くないな!これなら地獄のうちの方がもっとぶっ飛ばしてたぞ!」

「静かに乗ってくれ、これでも通勤時間なんだぞ?」

「うちが知るか!」


 駆け込み乗車で大学や地方へ出勤するサラリーマンや学生を車内へ押し込みつつ何とか間に合ったサブリナは、扉の窓から見える外の景色を観て驚に声を出しつつ僅かに勝ち誇る顔を浮かべた。その表情より周りの視線を気にする一歩はサブリナへ見えるように自分の口へ手を当てるジェスチャーをするも、彼女は黙らなかった。

 周りの乗客の多くは視線をスマートフォンの画面とサブリナの角で往復させていた。


「いや、うん……」

「判ればいいよ」


 その視線に気付いたサブリナが瞼を痙攣させつつ辺を睨みつけた後に黙ると、一歩は何度となく頷いた。


「意外と栄えとるじゃないか!」

「海老名駅周辺はな。問題はこっからの道だ」


 海老名駅は美化された景観を意識して白いタイルやレンガを使い遊歩道が数多くのショッピングモールを繋ぐ大規模な開発を経ていた。そのため一歩達以外にも降りる乗客は多く、サブリナはショッピングモールとその内側から僅かに見える五重塔のような建物へ感心しつつ辺を見回した。

 一方で一歩はその景色を鬱陶しそうに数回見ると、直ぐにロータリーでテトリスのように客を待つタクシーの群れへ手を挙げつつそのうちの1台を呼び付けた。

 タクシーが近づき扉を開けるも、運転手は一歩の隣にいたサブリナを見ると扉を閉じて先に進もうとした。だが、扉の開いた一瞬の空きに2人は後部座席へ滑り込ませたのだった。


「凄い坂だ!」

「この坂で大汗かくんだ。初任海士なんて免許も車も持てないから、自転車を必死にこいだもんだな」


 海老名駅からショッピングモールを横切り、一歩とサブリナを乗せたタクシーは緩やかな丘を越えて急勾配かつ長い坂を登り始めた。その急さにサブリナは遥か先のてっぺんに見えるドン・キホーテの看板を見つめ、その横で一歩は遠い目をしながら坂の横に見える荒い鋪装の歩道を見た。そこにはまだ肌に潤いを残し目に活力を魅せる若い一歩がクロスバイクを立ち漕ぎして駆け抜け、やがて消えていった。

 そんな道のりに驚きや懐かしさを覚える2人を他所にタクシーはどんどんと先へ進み、遂に大きく"海軍厚木航空基地"と看板を建てた正面ゲートへと辿り着いたのである。そのゲート脇に並ぶ自販機の隊列の前には、一歩が見たことある顔と見知らぬ顔を合わせたスーツ姿の4人の男女が立っていた。


「おっ、来たな!」

「貞元さん、お疲れ様です」

「おう、元気に……ぶげっ!」

「流石にそれは許せん、ちゃんとしろ!」


 ゲート前の自販機に立っていた1人は異管対の貞元であり、仕立てのいいダンヒルのスーツは見た目からその地位の高さを見せつけていた。それでも、気さくな態度で軽く手を上げてタクシーから降りる一歩達を呼び寄せるその態度は不思議と身構えさせない柔らかさを醸し出していたのである。

 その貞元の態度に頭に乗ったサブリナが会釈しながら挨拶する一歩の横で武尊に掌を見せて横柄に答えようとした。その後頭部に再び一歩の指導が飛ぶと、彼女は何度か頭を撫でつつ彼を睨みつけて脇腹を肘で突いた。


「お疲れ様……です」

「よろしい」


 それでも貞元へ挨拶するサブリナに一歩が満足そうに頷くと、その場には沈黙が流れた。


「あれ?私には挨拶なしかい?」

「必要あるんか?」

「どうも」

「私には"あくまで"ドライだなぁ」


 その沈黙に我慢ならないコールマンが口を開き目を丸くして会話に飛び込むと、露骨に肩を落として一歩とサブリナは雑に挨拶を返したのである。

 そんなコールマンの軽口を無視して、一歩とサブリナは貞元達の後ろに控える残りの見覚えない2人へと視線を向けた。


「陸曹長、寺岡雄大です!」

「マっ、マルガリータと申します」


 10度の敬礼を一歩に向ける寺岡雄大と名乗った男は一歩より僅かに若く遥かに身長の高い男だった。白髪混じりながら揃えられたスポーツ刈り黒髪短髪が輝く強面であり、安っぽい紺のスーツの上からでもわかるガチムチであった。

 そんな寺岡の横に立つマルガリータという悪魔は、サブリナと比べると幾分か大人びて身長も高かった。風になびくプラチナブロンドのロングヘアーを撫でるその手はサブリナよりも白いガラスのような白さで、さながらハリウッド女優かモデルのような女であった。だが、その側頭部から伸びる鹿のような角と血の色よりも濃い赤い瞳は明らかに彼女を人間以外のものと主張していたのである。

 そして、2人の姿を何度か見た一歩は、寺岡の目元に歌舞伎町にて化け物相手に大立回りを繰り広げる漆黒の砲撃騎士を思い出したのだった。


「あっ、君達か新宿で戦ってた……って、えっ?陸曹長!嘘、その若さで!」

「はい、野戦任官でしたが」

「俺より有能やん……」


 そんな寺岡の若さと階級に驚く一歩の隣では、サブリナがマルガリータへとガンを飛ばしていた。その光景はまるで散歩の途中で他の犬と遭遇した気性の荒い犬そのものであった。


「えっと……あの……」

「ふん!」

「ひぃい!」


 挨拶をするかしまいか迷うマルガリータにサブリナは軽く吠えてみせた。その声と指すような視線にマルガリータは身を竦め手で口元を隠しながら小さな穴悲鳴を上げた。

 そんなサブリナの子供じみた行動に一歩は不思議と襟首を引っ張って対応した。彼の脳裏にはもうサブリナが犬のようにしか見えず、散歩の時と同様に彼は彼女の首を引いたのである。


「子供かオマエは」

「へへへ」


 叱る一歩にサブリナはいたずらっぽく笑うと、彼の手を払い基地のゲートへ向けて1人歩き出した。


「ほら、そろそろ行きますよ!ダラダラしてられる時間もあんまりないんですからね」


 そんなサブリナの行動によってようやく状況を開始した一歩達は、コールマンの急かす声に促されながらサブリナの背中を追ったのだった。

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