16話 胡蝶の夢

「ほう、成程な。此方の世界では能力者は全人口の半数程度か」


タブレットを片手に、左目から零れる血を拭う。

大分血は止まったようだ。

それを確かめつつ、足元に転がる男に視線を向ける。


「その代わり、属性は陰陽も含まれる…だと?嘘をほざくな。貴様ら、人為的に発現させているだろう」


問うと、ギチギチと骨の軋む音をさせながら足下に転がっていた男は顔を此方に向けた。


「ひかりとやみ…にかんしまして…は…てきせい…しゃ…に…てきせ…つな」


ああ、もう良い、と男ーネイブは片手を振る。

すると、ぎこちなく話していた男はまた床に伏した。


「全く…碌でもない状態のようだな。能力者なんてものは量産するようなものではあるまいに」


ネイブの言葉に、側で控えていた女は同意を示した。


「ご同情致します。しかしながら…少々お戯れが過ぎるかと…」


女ー朱鷺原綾は周囲の惨状を見渡した。

先程まで、六道総司に拷問を加えていた男達は見るも無惨な姿になっている。


両手を拘束していた軍人二人の頭は、紙くずを握りつぶしたようになり、周囲には血と脳漿が飛び散っている。

そして、眼を潰した男は、頭の左半分を抉り取られたまま。ネイブの足下で不気味に痙攣をしていた。


「ふむ、確かにな。あちらにいた時には無かった激情がある。この世界で言う超感覚能力者には有るまじき感情の揺れだ。この世を呪うような、身勝手な感情の波を感じるな」


軽やかに立ち上がると、ネイブは痙攣していた男の頭を踏み潰した。


「こう見えても、あちらでは仁君として過ごしていたのだがな。恐らく、この六道総司とやらの影響だろう。幾ら内面のみの転移とは言え、この体に刻まれたもの全てを失くすわけでもないようだ。こいつらの言うことを聞く限りでは、悪党のようだが?」


はい、と頷き、朱鷺原がネイブの傷に手を伸ばそうとするが、ネイブがそれを手で制した。


「無駄だ。これは怪我では無く、転位による損失なんだ。あちらでは片腕を失ったからな」


死にはしない、と言葉を続け、ネイブは微笑みかけた。

それを見て、朱鷺原は内心で怖気を走らせる。


「左様ですか…」


朱鷺原綾は、六道総司のパートナーであった。


ある日、このネイブによる世界を超えた囁きを受け、見返りとして能力の開花を受け取り、六道総司に近づき。


彼のパートナーとなり…そういう風に生きて来ていた。


付き合いの長さも10年を超えるが、目の前の男は確かに見た目は知っている男だが、心が別人であると断じて止まない。


「理解はしなくて良い。それよりも六道総司とやらの情報を」


再度、はい、と頷き、朱鷺原はネイブからタブレットを受け取り、データを呼び出した。

その様を繁々とネイブは眺めている。


「便利な物だな。これが情報端末という物か。話には聞いていたが、実物を見ると感動すらある」


そう語る男は、夢の中で語り合うような、世界越しの囁きと同じだと思えた。思えたが。

どうにも止まらない怖気を堪え、朱鷺原は口を開く。


「あちらの世界に渡った者は、あちらの技術に驚いているのでしょうね」

「生き延びていればな」


微かに嗤い、ネイブはタブレットに視線を落とす。


「同位存在とはいえ、真逆の生き方のようだな。恨みの買い方は似たようなもののようだが」

「此方の世界ではそれなりに名を知られた能力者でもありました。頑なにフリーランスを貫く姿勢には好感を持つ者も居たようです」


六道総司のデータを読み終えると、ふはは、とネイブは嗤った。


「なんだ、この世界でも、一人で世界にケンカを売っていたのか」


ネイブとは違い、朱鷺原は遠い目で乾いた笑いを零した。


「本人にそのつもりがあったかは不明ですが、綱渡りの連続でした…」

「随分と苦労をかけたようだな」

「彼は…確かにこの世界の基準では高位能力者ですが、別段強いわけではありませんでしたから…」


なるほどな、と言いながらネイブは足下に視線を向ける。


「この程度の相手に傷を負うくらいだ。察して余りあるな。しかし、それにも関わらず、陰を纏い、神の眼を得るとは…偶然ではあるまい」

「同位存在ならば同じ能力を発現するのではないのですか?」


ふむ、と呟くと、ネイブは朱鷺原に向き合う。


「そうとも限らん。同位存在とは、単に世界が重なった際、同じ位置にいる存在に過ぎん。余程遠くに飛ばない限りはな。だが、この世界では能力者の出現自体が遅く、そして希。この世界で言う無能力者である可能性も低くはなかったろう」


雄弁にそう語り、しまった、とネイブは思った。

その思いが杞憂でないことを、目の前の女ー朱鷺原綾の不安げな表情が物語っていた。


「しかし…本当に人為的なのでしょうか…」

「五行もだが、陰陽はそう数が産まれるモノでは無いからな。陰陽を後天的に発生させる技術なんぞ、能力者の存在が当たり前の世界でも無かった」


意を決したように、朱鷺原は問いを吐く。


「本当に、何者かの仕業だと?」


そう問われた時、ネイブは自分の頭の奥が冷たく覚めていくのを感じていた。

これが己の感情なのか、この六道の感情なのか判断はつかない。

だが、不快だという事は分かる。

哀しみであり、怒りであり、絶望感であった。


内心では、随分とヒトらしくなったものだ、とネイブは嗤いながら口を開く。


「…さあな。正直なところ、分からん。あの神の賽子の影響かもしれんし、神達の暇つぶしかもしれない。魔法と科学の融合により、自身の世界の進歩を促したい輩による実験というのもあり得るな。だが、結果として世界は混乱の渦中にある」

「そんな…」


女の反応を見ることを止め、ネイブは言葉を紡ぎながら部屋の出口に向かう。


「過剰な進化は破滅を齎す。歩みにあってこその進化だ。少なくとも、私が居た世界はあんな進歩は望んでいない。故に、それを止める」


部屋の入り口を開くと、一応、振り返って見る。

すると、朱鷺原が深々と首を垂れていた。


「申し訳ありません。私は…朱鷺原綾です。その筈ですが…」


酷く震えていた。


「構わん。これまで良く仕えてくれた。後は自由にするが良い」


はい、とか細く返事が聞こえ、ネイブは部屋を出た。


周囲に人の気配は無い。


この気配探知は、六道とやらの能力。それの残滓があるようだ。


「今の己が本物か、それともこれは夢なのか。疑い始めれば能力者は…いや、人は終わりだ」


慣れていた。


こうなってしまうのは。

だから、あちらの世界では一人で進めていたのだ。

だがー。


(感情というものはヒトの証とも言われるが、中々どうして。ままならないものじゃないか。)


身のうちから湧き上がる憎悪感に焦がされ、衝動のままに片手を閉じる。


(なるほど、マリーの抱いていた激情とはこういうものか。好みはしないが…カタルシスの度合いはたまらないな)


そして、掌を開くと、小さな黒い球体が浮かんでいた。


ふわりとそれを放ると、ネイブの背後の景色が闇に飲まれた。


施設の半分を、黒い球体は一瞬にして飲み込んだ。


急激な吸引による吹き戻しの突風の中、能力の過剰使用により、ネイブは出血を引き起こしている。


失った片眼からだくだくと流れる血で身を濡らしながら、ネイブは新たな世界での戦いの狼煙を上げた。

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