14話 ノブレスオブリージュ

 灰色の君。


そう呼ばれた主の元を去り、幾らの年月を過ごしたであろうか。


50年か100年か。あるいはもっと前か。


大事な事だった気がするが、長すぎる時の歳月の中で忘れてしまった。


忘れてしまったのはそれだけではない。


生まれた場所も、家族の事も、名前すらも。

いつの頃からか有りとあらゆるものを忘れてしまった。


この身に宿る能力は金行。

陰気が集まり土中に生まれし属性。

発現した能力は、偽りの命。


既にこの身は滅びているのだろう。

だが、朽ちたはずの肉体は金属と土塊で再現されていた。


こんな能力が昔からあったのかは分からない。


だが、事実として生き返ったらしい。

たしかに薄らと死を迎えたような気はするのだ。

だが、残念ながら、記憶までは補完されていなかったらしい。


何をどう生きてきたのか。

人々の優しさで生きてきたような気もするし、あらゆるものを利用して生きてきたような気もする。

そんな中で、生活に困らない程度の記憶は戻ったが、己に関する事は全く思い出せなかった。


不死である事を隠す為に各地を転々とし、土塊と差して変わらない顔を作り変え。

この国に流れ着いたのは30年程前だろうか。


その時だ。灰色の君の事を思い出したのは。


なんとも懐かしさを感じ、珍しく長く滞在し、店まで持ってしまった。


そんな中、記憶を戻す力を持った者が現れた。


場末の飲み屋にも関わらず、その男は上等な衣で身を繕い、上々なオーラを纏っていた。


男は問う。


貴方も神のサイコロを振ったのか、と。


神のサイコロ。8面の三つのダイス。


望む者に現れるとも、神の悪戯とも言われる伝説。


既に廃れた伝説であったはずだ。


数多の不幸と星の数ほどの犠牲の果てに、人々が忘却を選んだ伝承のはずだった。


しかし、男はそれを持っていた。


男の名は、ネイブ・フォン・グランドル。

現代の灰色の君だという。


なるほど、確かに、分たれた半身を求めるような熱き熱意があり、その眼には蒼き水の凍つきがあり。

そして、全身からは息の詰まるような土の重みを発している。


太極が片割れ、陰気の持ち主には違いなかろう。

長い年月で太極の片割れに出会ったのは五指で足りる程度だが、確かに一、二を争う能力の大きさのようだ。


そう、かつての我が主のように。

そして、この若者には、気高さと孤高さがあった。

我が主が無くした、それを。


彼の問いかけなど半ば聞こえず、忘れたと思っていた記憶の断片が脳裏を駆け巡っていた。


記憶の本流の中、ふと思う。


我が主人は、何を望んでダイスを振ったのだろうか。

考えたところで、記憶を失った自分には分からなかった。


男の話を聞く中で、自らの不死に関しても、神のサイコロが関わっているような気はしていた。

たしかにその神の悪戯に加担したのだと、記憶のない自分であっても、なぜか理解していたのだ。


男は共に立とうと言ってきた。

仲間を集めているとも。

聞けば、名を知るものもいれば、顔見知りも少なくなかった。


しかし、私は無下に断っていた。


忠誠心でも義理人情でもなく、私には彼のように理由がなかったのだ。

今の己は、身も心も、人形に等しかったから。


男は無理強いはして来なかった。

だから、店を使うのを許可したし、助言を求められれば応えた。

助力を請われれば手を貸しただろう。


私は、彼を気に入っていたのだ。


数年の月日が経ち、男には多くの仲間と、多くの敵が生まれていた。


ここに出入りする連中も、目に見えて質が落ちているようだった。


この男もこの程度だったかと思っている頃、出兵し、死んだとの噂が聞こえてきた。


負けたらしい。


少なからず己が落胆している事に驚いていると、今度は生還していたとの噂が耳に入る。


そして、今度はまた消息不明と。


驚きは失せ、興味が出ていた。


味方を、敵を、仲間を、裏切り者を。

全てを偽り、男は戦い始めたのだと察しがついてしまったから。


側から眺めていたからこそ気がついたのだろう。


然して男は現れた。

同じ顔で、だが、別の命を身に秘めて。


裏切りの君。成り代わったのは、下賎の民。


同じ顔の男が、全く違う口調で言葉を吐く度、胸に火が灯ったようだった。

あの男の獰猛なまでの熱が身に移ったように感じてしまった。


そして、錆びついた歯車が動き出した。


名前も、顔すらも覚えていない連中の首を刎ねながら、あの男に心の中で問うていた。


これも、私が動き出すための小細工なのだろうか、と。

妄想の中の男は、思い上がりだよ、とも、その通りだ、とも言っていた。


なぜこのような戦いを始めたのか。

そう思った時、誘われたあの時に問うた事があった事を思い出した。


気取ってネイブはこう言ったのだ。


それが持つ者の義務だからだ、と。

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