第5話 転生、或いは変容
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周囲の喧噪が煩わしかった。
未だ己は眠っているらしいがー。
眠っている、というより、眼が開かないと言った方が正しいらしい。
初めての経験だが、それよりも先ほど見た夢の方が気がかりだった。
否―夢…だよな。
そう思ってしまっている。
実に、不愉快だ。
現実とは、眼から取り入れた情報を脳が処理し、投影された物。
それの補助機構が触覚であり、嗅覚であり、味覚である。
つまりは、己がそうだと認識したもののみが現実だと、六道は痛感している。
これを強く認識することは、超感覚能力者にとっては必須技能であり、逆に言えば、これが揺らげば超感覚能力者は自滅。
良くて発狂、悪くて狂い死にだ。
そして、こと超感覚能力者の自滅には先触れがあるという。
まず前提として、数多の能力のどれにもリスクはあるし、能力が高位であるほど自滅の危険度も上がる。
炎を操っていた者が、キャパを超えた行動のために人体発火を引き起こした事例なんて、規模の大小はあれど、人身事故程度はあった。
超感覚能力者も例に漏れず、高位能力者の場合は精神安定に四苦八苦する者ばかり。
投薬やルーティンなど、方法は様々だが、能力が理由で狂い死ぬ場合にのみ一つだけ共通点がある。
順当に考えを巡らせる中、内心で六道は漸く思い出せた名前を吐き出していた。
『グレゴリー』。
それを口にし、或いは記し。
何らかの形でそれを示し、超感覚能力者は終焉を迎え始める。
その理由が恐らく―現実と夢の、境界の揺らぎ。
眼が開かないのも症状の一つなのか、自らでは判断がつかないがー。
(これは、あまりにもマズいな)
それだけは、身の毛がよだつほどに理解出来ていた。
逡巡し、六道は感覚を広げ始める。
五メートル、十メートル、三十メートル。
視覚は使えないが、超感覚は生きている。
普段なら同時進行で領域の展開とマップの作成を行うが、無意識に怯えが出たのだろう。
今回は順に行っていた。
広げた領域に、集積出来た情報を元に、細部を投影していく。
此処は病院のようだ。
だが、あの夢のような病院では無い。
もっと簡素な…これは野戦病院だろう。
四肢に力を込めてみれば動きは出来そうだ、出来そうだがー。
左腕が無い。
それだけではない。脳内に浮かぶイメージでは、身長や体格もこれまでのものとは若干、異なっている。
(落ち着け。イメージを否定するな。ありのままを受け入れろ)
此処は戦場ないし、それに準ずるところであり、自分は負傷し、治療中である。
そして…体は別人のモノと変わっている。
恐らくはグレゴリーの元で見た、あの映像に映っていた指揮官らしい男のものだろう。
どういうわけか、その体に意識が移っている。
能力は失っていないが、この体の男の記憶は現段階では継承されていないと考えるべきらしい。
成程、状況は最悪に違いないが、把握出来ないレベルではない。
元々がよろしくない状況だったのだ。
最悪のパターンが変わっただけだ。
そう思おう。
ろくでもない家に産まれ、頭の狂い易い能力を持ち、国からの援助も得られずに、ずるずると悪党の道にのめり込んだ。
そんな先の見えない人生から、予想のつかない人生に変わっただけだ。
…そう思っていないとやってられないだけなのだが、とりあえずはそうしよう。
そう。
頭の狂い易い能力を得ていたからこそ、現実をありのままに受け入れられ、だからこそ取り乱さなかったわけでもある。
何事もプラスに考えよう。
自己肯定感の高さは幸せの高さと関係するという、そうしよう。
実際には逆だとエビデンスが示されていた気もするが、些細なことだ。とりあえずはそうしよう。
かの御仁と面会したということは、恐らくは狂い死ぬ可能性が増したのだろうが、まあ、それもいい。
目下の問題はー。
(参ったな。他人になったのは兎も角、この御仁の記憶の類いがないのは…)
都合よく二人分の記憶が混線せずにあるなんて幸運もないか、しかしながら、さてどうしたものかと考えていると、何者かが近づいて来ているのに気がついた。
一応は指揮官クラスだからか、寝かされている病室は、野戦病院内では数少ない個室。
扉の前にも護衛らしい者達がいる。
護衛達が退き、誰かが病室内に。
女…のようだった。
しかし、何とも違和感がある。
ああ、と女が近づくにつれ膨らんでいた違和感の正体に気がついた。
足音が無いのだ。
そういう能力ではなく、これはー。
思い当たるや否や、思い切り体をひねり、ベッドから転がり落ちた。その直ぐ後に短刀がベッドに突き刺さる。
落ちた衝撃からか、漸く眼が開いた。
同時に無いはずの腕が酷く痛んだが、それに構っている余裕はない。
(全く、ご勘弁願いたい!)
追撃の一手を防ぐために、未だ霞む視界を無視し、ベッドをひっくり返した。
「何のつもりだ、こちとら怪我人だぞ」
漸く霞の取れ始めた視界。
頭の中に浮かんでいた人影に、色がつき始める。
明確に人の姿になっていく。
返り血を浴びた服と髪。
手には無骨な短刀。
兵隊とは思えない、華奢な体つきだ。
纏めている金糸のような髪も、解けば腰程までの長さだろう。
あの神もどきのような幻想的な美しさはないが、現実的な美しさがある。
スタイルの良さや顔立ちの凜々しさはモデル顔負けだ。
―まあ、どちらにせよ、戦場には似合わないが。
「若様」
ぽつりとそう言葉を零し、女は短刀を力強く握りしめた。
(若様…?)
恐らくは此方を呼んだであろう言葉にどう返答したものか考えている内に、女の目から大粒の涙が滝のようにこぼれ始めた。
「ご、ご無事で何よりですぅぅぅ」
もはや絶叫。
美しさも何も無く、鼻すらも啜り始めた女。
かける言葉も見つからず、六道は久しぶりに混乱の極みに叩き落とされていた
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