第6話 カッセンロストの狂犬


ひっくり返したベッドを戻し、そこに女を座らせてなだめー。


俺は一体何をしているのだろうという自己問答を五回ほど繰り返したところで、漸く女は泣き止んだ。


泣き止んでくれた。


「それにしても、よくご無事で…大変な深手を負われたとのことでしたが…」


鼻を啜る女の目が、失われた左腕に向いたようだった。


「若様…お労しい…そんな…」


女の言葉に、六道はうむ、と頷いた。


「確かに深手には違いないな」


主に、精神的にだが。という本音は伏せておこう。


いや確かに腕がないのは痛手ではあるし問題だが、所詮は他人の体だしな、という思いが強い。


意識の転移なんぞという未曾有の事態に頭がついて行ってないのだろう。


否、意識的に考えないようにしているというのが正解か。

取り乱したところで破滅するのは自明の理。

これに関しては、超感覚能力者として、日常的に生活していた事に感謝だ。


どこまでも客観的に物事を考えてしまうのも問題だが、今に限れば功を奏していると言える。

手に負えん超常や、理解の外の物事なんぞ考えるだけ無駄と割り切ってしまう。


それが超感覚能力者の特性だ。


ただでさえ頭のキャパを酷使し、圧迫する能力の特性であり弊害。

いちいち考え、理解が及ぶまで悩んでいればその前に頭がパンクする。

まずは目の前の事象を、だ。


あの神もどきの女が超感覚能力者を探していた理由はこの辺りなのだろう。


甚だ迷惑な話だが。


気を取り直し、六道は女を見て口を開く。


「それでだが、何故君に俺は殺されそうになったのかな?」


出来るだけ優しく、タイミングを見計らって聞いたつもりだったが、ブワッと女の目から涙が零れ落ち始めた。


「そんな、いつものようにマリーとお呼び下さい!」


女の叫びに近い声が、ハンマーでぶっ叩かれたような衝撃になって頭を揺らしてくる。


―なぜだろう、やけに身が竦んでしまう。


眼を潰されたときよりも恐怖感が出てきているが、これはこの体の主の記憶なのだろうか。

なるほど、体に刻み込まれた記憶というのは消えないものらしい。


トラウマの確認が出来たのは喜ぶべきなのか?それともトラウマがあること自体を悲しむべきなのか?


いかんいかん、と六道はかぶりを振った。


「ああ、すまない。まだ混乱していてな…腕の方は仕方ないが、この記憶ばかりはどうにも…」


記憶と書いてトラウマと読んでしまっている六道に向けられていた女の目が、これでもかと見開かれた。


「まさか…記憶を…私のことも覚えてらっしゃらないのでしょうか!?」


まるで死刑宣告でもうけたかのような、そんなとてつもない衝激を受けた顔をしている。


「すまない…」


気圧され、思わずそう言うと、女の拳が震えているのが見えた。

その手にはまだ無骨な短剣がある。


もう一度言おう。まだ、手には、短剣が、ある。


(おっかない事この上ないのだが。)


ああそんな…。と呟き、震える片手を押さえながらマリーは口を開く。


「貴方様は此処、カッセンロストに名高いグランドル家の時期当主、ネイブ・フォン・グランドル様で御座います。此度の戦での総大将を任命されておりました」


―貴族かな?

知らん地名に、知らん名前で、おまけに到底想像が出来ない業務内容なのだが。

とりあえずは横に置こう。

それよりも―。


「…色々とあるが、それよりも何故、君―マリーは俺を殺そうとした?」

「貴方様の命で御座いました。万に一つの時は、命を絶ってくれと…」


心此処にあらずと言った様子でマリーはそう答えた。


「なんでまたそんなことを俺は言ったんだ?」

「…私見なのですが…」


僅かな間で、少しばかり余裕を取り戻したらしく、女は居住まいを正す。


「能力者の存在が理由かと思われます。瀕死の人間を思うままに操る能力者の存在。未だ捕まらぬかの大犯罪者の魔手に落ちぬ為、必ず命を終わらせるように、と」


それはまたとんでもないのがいるんだな、と単純に驚いてしまった。

およそ聞いたことの無い能力だ。


そこまで思うと、シニカルな笑みを六道は浮かべた。

だがまあ、神もどきがいるくらいなら、完全催眠のようなものを使える奴がいてもおかしくはないだろうと思い直したのだ。


そんな最中、ふと、ダイスの存在を思い出した。

あれは、今どこにあるのだろうか、と。


それはさておき。

「成程な。それで、その戦ってのはどうなった?」

「当方の敗走となりました…しかし、講和が結ばれたと聞いております」

「それはさぞ不平等なものだったんだろうな」


はい、と頷くと、マリーは苦々しそうな表情を浮かべた。


「おっしゃるとおりで御座います。政府からは出頭命令が出ておりますが、いかが致しましょう」


―いかがと言われも。

とんずらかますのが一番ですよね、とは言えんのだろうな。いざとなれば、逃げ出せば良いだけの話でもあるが…

とは言え―。


「もう少し状況が分からねば話にならんな。どこかで落ち着いて話が出来るところはないか?」


一瞬、マリーの目が輝いたような気がした。

酷く怪しげに。それでいて、熱烈に。


輝きを秘め、とても元気に、勢いよくマリーは立ち上がった。


「それでは!ご自宅に参りましょう!ご心配なく!出頭の件は私が何とか時間を稼いでみせます!」

「お、おお…」


鼻息の荒さまで感じるマリーから視線を逸らし、病室内を見渡して見て、ふと思う。


「しかし…この病院というのは、大丈夫なのか?あれは護衛ではなく見張りなのだろう?」

「此方は若様の寄贈されたものですので、ある程度は…いや、確かに…仰る通りで御座います」


スッとマリーの目が据わった。

これまであった体の気負いが無くなったのが見て分かる。

そして、自分が良くない発言をしてしまった事も。


「若様の一件で我を失っておりました。少々お待ちくださいませ」


今なお我を失っているようだと言ってやろうかと六道が思うより前に、音も無く、マリーは動き出し、程なく病室の外へ。


―何故だろう。とても嫌な予感がする。


これもこの体に染みこんだ、表面には出てこない、反射的な記憶なのだろうか。

そうならばもっと具体的な形で出てきて欲しいのだが。


思わず女の姿を眼で追い、つい能力を発動していた。

今更言うまでも無いが、この眼は様々なモノを見透す。

壁なんてものは意味をなさない。

故に、音も無く動く女の姿も見えるわけで。


まるで、獣のように。

死角から一息に。

ためらいも何も無く、超人的な身体能力で。

瞬きの間に、部屋の前に居た護衛の命をマリーは消した。


手早く死体の懐をまさぐると、死体を側の用具入れに乱暴に押し込み、マリーは病室に戻ってきた。

実に申し訳なさそうな顔で。


「若様のご慧眼の通りで御座いました。病室の前におりましたのは、政府の息の掛かった連中であったようです」


あったようです。ということは、確定ではないのかな?と言う言葉を六道は飲み込む。


おやおや?推論で不可逆的な結果を出してはいけない気がするが、気のせいかな。これもゴクリと勢いよく飲み込む事にした。


そして、咄嗟に、実に便利な、社会人には必要不可欠なスキルの行使を六道は選んだ。

つまりは、微笑みの仮面を顔に貼り付けた。


「恐らくは、若様の意識回復の報告…いえ、もしかすれば件の能力者の手先の可能性もありましたので、迅速に処理を行いました。若様のご指摘がなくば、見逃すところで御座いましたが、これで憂いは無くなったかと!」


まるで狩りを終え、褒めてもらうのを待つ猟犬のような顔で此方を見ている。

尻尾があれば、ちぎれんばかりに振り乱しているだろう。


なるほど、こいつヤベーやつだな。

そう判断した六道は女の服に付着している返り血に納得し、立ち上がった。


そして。


満面の笑みを浮かべ、鷹揚に頷き。軽く頭を撫でながらねぎらいの言葉を送り。

そして、何一つ異論を挟まず、六道はマリーの手筈で病院から脱出した。

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