第6話 謎めく密謀(1)

 かくして、リスベツとニキフォロスはトマス騎士団の本部がある聖地エスティムを離れ、船でリオルディアへ送られた。港で下船してからは、裁判が開かれるチェザーナまで馬車で陸路を護送される手筈である。武装した教皇庁直属の騎士たちに周囲を厳重に取り巻かれながら、二人を乗せた馬車は北へ向かって進んでいた。


「絶対おかしいわ。こんなの納得行かない。父上が竜を操って王やマルスを暗殺したなんて、どう考えてもあり得ないわよ」


「しっ。お声が高うございますぞ。リスベツお嬢様」


 腸が煮えくり返りそうになりながら憮然とした表情で呟くリスベツを、一緒に馬車に乗っているニキフォロスがたしなめる。教皇への不敬とも取れる文句を言っているのを警護の騎士たちに聞かれれば厄介で、裁判官らの心証を一層悪くして余計に罪が重くなってしまいかねない。


「今はとにかく辛抱するしかございませぬ。弁解は裁判の席で、貴族や聖職者たちの前で大いにさせていただきましょうぞ」


「でも教皇庁は私たちに罪ありって最初から決めつけてるわ。こっちの主張なんてまともに聞いてもらえるかどうか……」


 罪人を護送するための馬車には窓がなく、ここがどこなのかも、今が昼なのか夜なのかさえも二人には分からない。ただガタガタと喧しい音を立てながら車体が小刻みに揺れ続けている異常な乗り心地の悪さからして、整備された街道ではなく砂利だらけの山道を走っているらしいことは推測できた。


「どうしたのかしら」


 急に馬車が停まったので、不審に思った二人は顔を見合わせた。外の様子は車内からは見えないが、どうやら前方から誰かがやって来て停車を命じたらしく、警護の騎士たちとその男が話している声が聞こえてくる。


「……その必要はない。ここで」


 話し声の中で、リスベツがはっきりと聞き取れたのはその一言だけだった。何の必要がなくて、ここで何をすると言っているのか。前後の文脈が分からなくても、これが自分たちにとってこの上なく不穏で危険な意味をはらんだ指示だということは二人ともすぐに理解できた。そしてその予感は、次に二人の耳に入ってきた騎士の科白で確信に変わる。


「――れ」


 リスベツが反射的に身構えた次の瞬間、彼女の目に信じられないものが飛び込んできた。まるでカマキリの前脚のような巨大な緑色の鎌が馬車の車体を外から突き破り、彼女の隣に座っていたニキフォロスの胸を刺し貫いたのである。


「ぐがっ……!」


「ニキフォロス!」


 咄嗟にリスベツは馬車の戸を両足で蹴破り、反対側から車外へと素早く脱出した。外は既に真っ暗な夜。左右を林に囲まれた狭い峠道の砂利の上を転がってすぐに立ち直った彼女は、その暗闇の中で更に想像を絶するものを目にする。


「怪物……!?」


 血に濡れた鎌を馬車の中から引き抜いたのは、カマキリを擬人化したかのような奇怪な蟲の怪人だった。鎧のように硬質な緑一色の全身を月光に煌めかせながら、その恐るべき異形――マンティダエゼノクは妖しく光る赤色の両眼でリスベツを睨みつける。


「わざわざ裁判など開く必要はない。リスベツ・ローゼングレーン、並びにニキフォロス・ホレバス。両名をここで処刑せよとの教皇猊下のご命令だ」


「猊下のご命令……?」


 大きな鎌の形となっている右手から血を滴らせながらマンティダエゼノクは哂った。車内で心臓を一刺しにされたニキフォロスは、恐らく即死だろう。


「この化け物! ニキフォロスをよくも……」


「次は貴様の番だ。父親とこの老いぼれ騎士の後を追って地獄へ逝け!」


 幼い頃からずっと世話になってきた老臣を目の前で惨殺されて怒りに震えるリスベツだったが、剣などの武器は当然全て取り上げられていて戦う術がない。じりじりと後ずさる彼女を林道の端に追い詰めたマンティダエゼノクは、今度は左手の鎌を勢いよく一閃して斬りつけた。


「あっ――!」


 右の肩から左の脇腹までを深々と斬り下げられ、血飛沫と共に倒れたリスベツはもんどりうって草むらの中へと転がり落ちる。林道から跳び下りたマンティダエゼノクは再び鎌を振り上げ、倒れている彼女に止めの一撃を叩き込もうとした。


「しまった! 遅かったか」


 遠くから全速力で馬を駆けさせてきた青年が息を荒げ、通りの良い透き通った声に疲労と無念さをにじませて叫ぶ。だが次の瞬間、彼はこの世のものとは思えない不可思議な光景を目にし、その輝かしさに馬上で目を覆うことになったのである。


「くっ、何だ……!?」


 リスベツが倒れ込んだ草むらの茂みの中から、青色の光が炎のように立ち昇っている。今にも鎌を振り下ろそうとしていたマンティダエゼノクは、その眩しさと空気の波動に怯んでよろめくように後ずさった。光は更に勢いを増し、その神々しい光の中で既に致命傷を負っていたはずのリスベツがゆっくりと立ち上がる。


「何っ!? まさか……」


 思わぬ事態にうろたえるマンティダエゼノクの眼前で、青い炎のような光はやがて収束し、リスベツの体にまとわりつくようにして吸着した。まるで溶岩が冷え固まるかの如く物質化した光は海の猛獣を彷彿とさせる分厚い全身装甲の鎧を生成し、彼女を禍々しく、それでいて気高く美しい人外の姿へと変貌させる。カマキリの魔人であるマンティダエゼノクと同様に、リスベツはサメの姿を模した異形の超戦士・スクァルスゼノクと化したのである。


「神の奇跡だ……まさかこんなことになるとは」


 銀色の鎧に身を固めた馬上の青年――サムエレ・ディ・リーヴィオ伯爵がそう言って感嘆し、期待に目を輝かせて状況を見つめる。スクァルスゼノクに変身したリスベツはマンティダエゼノクに猛然と突進し、戦いを挑んでいった。

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魔王統譚レオサーガ・マルセロ伝 ~反撃の新大陸~ 鳳洋 @o-torihiroshi

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