第5話 サンルビーニョの惨壊(5)

 マルセロが乗る船を撃沈したウォルギロスはサンルビーニョ港に上陸し、その巨大で禍々しい全身を露にした。体長はおよそ四十ファズ(二十メートル)。ワニのように前方に長く突き出た口に無数の鋭い牙を生やし、背中には船の帆のような大きな鰭が並んでいる。


「何だ? あの化け物は……」


「悪夢だ。あんな怪物、神話の中でしか聞いたことがないぞ!」


「神よ、お助け下さい!」


 港に集まっていた兵士や貴族らが恐怖に慄いて大混乱となる中、埠頭に乗り込んできたウォルギロスは発達した太い二本の後ろ脚で立ち、長い尻尾を振るって近くにいた人間たちを薙ぎ倒す。勇気ある騎士や兵士の一部は弓矢や火縄銃を手に取って懸命に射撃し倒そうとするが、この凶暴なドラゴンは矢玉を浴びても傷一つ負わず、口から火炎を吐いて彼らをたちまち焼き払い全滅させてしまった。


「兄上、どうしよう!?」


「今はとにかく、国王陛下のお命を守るのが第一だ。陛下の元へ馳せ参じるぞ」


 港を包む爆炎から辛くも逃れたディオゴとミランダは、悲鳴を上げて逃げ惑う貴族諸侯の人波をかき分けてセルヒオ王がいる広場へ急いだ。


「叔父上!」


「おおディオゴ、それにミランダ。よう参った。不測の事態じゃ。陛下をお守り致せ!」


「ははっ!」


 二人はセルヒオの手を引き、埠頭の端に停めてあった馬車まで素早く誘導する。すぐに御者が手綱を引いて馬を前進させ、馬車は海から離れる方向へと全速力で走り出した。


「か、神よ……! 何ゆえこのような災厄を我が国に……」


「陛下、お気を確かに。……おい、もっと急がぬか!」


 蒼ざめた顔で天に向かって呟くセルヒオを励ましながら、共に馬車に乗り込んだハモンはもっと速度を上げるよう大声で御者に指示を飛ばす。立ち止まったウォルギロスは逃げる馬車をしばらくじっと見つめていたが、やがて両肩に生えた角のような突起を眩しく発光させ、その先端から二本の稲妻を同時に発射した。


「陛下!」


「叔父上っ!」


 同じ一点を正確に狙って放たれた二本の稲妻は塔を焼き切り、真っ二つに折って馬車が走っている街路の方へと倒壊させた。倒れてきた塔の下敷きとなり、セルヒオらを乗せた馬車は一瞬の内に押し潰されて瓦礫の山に埋もれてしまったのである。




「……と、そのような経緯いきさつで、ジョレンティアの国王と王子は不幸にもサンルビーニョにて命を落とされたのです」


「そんな……マルスが……?」


 聖地エスティムにあるトマス騎士団の城館で、教皇庁の使者であるペトロニウス・ティトゥス枢機卿から事件の顛末を聞かされたリスベツは愕然として言葉を失っていた。


「俄かには信じられぬほどの話です……。それで、その巨大な竜はその後どうなったのですか?」


 あまりのことにすっかり放心状態となっているリスベツに代わってニキフォロスが質問すると、ペトロニウスはこの常識を超越した惨劇を嘆くように首を振りつつ答えた。


「塔を破壊した後、すぐに踵を返して海へ帰って行きました。まるで目的を果たし終えて満足したかのように……」


 サンルビーニョの街に現れたウォルギロスはただ野生の本能のままに暴れていたわけではなく、セルヒオとマルセロの抹殺という明確な目的に沿って極めて合理的に行動していたように見えたとペトロニウスは強調した。だがそんなことを考えられるような知能があの竜にあるとは思えず、その挙動は極めて不自然だったと言わざるを得ない。


「なるほど。事の次第は承知致しました。何とも痛ましく恐ろしい話です。……が、それでなぜリスベツお嬢様が罪に問われなければならぬのですか? 申し訳ないが、お話の筋がどうにも読めぬのですが……」


 竜の行動の疑問点などはともかく、遠い海の彼方のサンルビーニョで起きたこの事件がエスティムにいたリスベツとどう関係するというのか。要点を掴みかねるようにニキフォロスが訊ねると、ペトロニウスは彼の目を突然睨むように鋭く見据えて言った。


「罪となるのはリスベツ殿だけではない。ニキフォロス殿、貴殿も含むトマス騎士団の構成員全てが、今回の事件を引き起こした黒幕であると断定され有罪判決が下ったのです」


「何ですと……!?」


 さしものニキフォロスも、これにはリスベツと同じように絶句するしかなかった。ジョレンティアのみならずアレクジェリア大陸全土を震撼させたこの空前の大事件が、自分たちの陰謀によるものだなどというのは思ってもみない話である。


「明らかに、あの巨大な竜は何者かに操られてセルヒオ王とマルセロ王子だけを標的にしていました。それで捜査を進めたところ、あの竜を黒魔術で操っていたのは貴殿らトマス騎士団だという証言が得られ、更なる取り調べの結果、複数の騎士団員がそれを認める自白をしたのです」


「お、お待ち下さい枢機卿猊下! それは何かの間違いです。竜を操ってジョレンティアの国王と王子を暗殺するなど、我々には考えもつかぬこと。それにリスベツお嬢様はマルセロ殿下とはご幼少の頃から親しく、殺害を企てる動機などあろうはずがございませぬ」


 柄にもなく狼狽し、声を上擦らせて必死に抗弁するニキフォロスだったが、ペトロニウスは取りつく島もなく断罪の言葉を続ける。


「ニクラス・ローゼングレーン騎士団長は何ヶ月にも渡り、チェザーナの城館に籠もってロギエル教が禁ずる黒魔術の研究に没頭していました。そしてとうとう竜を意のままに操る秘術を我が物とし、あの巨大なドラゴンを利用してセルヒオ王らを襲撃させたのです。ニクラス騎士団長のご令嬢とその側近であるお二人も、当然この企みについてはご存じだったはず」


「知らないわ! 事実無根よ。そんなとんでもない話を父上から聞いたことはないし、そもそも父上がそんな陰謀を企むなんてあり得ないわ!」


 ようやく正気に戻ったリスベツは思わず椅子から立ち上がり、声を張り上げて必死に無実を訴えたが、ペトロニウスは氷のように冷たい態度でそれを跳ねつける。


「無駄な悪あがきはやめて正直に神に懺悔しなさい。これは既に十分な捜査によって裏づけられた事実なのです。ロギエル教の禁忌を犯して黒魔術に手を染めたこと、それを悪用してジョレンティアの王と王子を暗殺し、その上サンルビーニョの街に壊滅的な被害を与えたこと。いずれも死に値する重罪です。教皇猊下はあなた方トマス騎士団の取り潰しと、騎士団に属する者全ての破門をお命じになりました」


「取り潰し? 破門? ……そんな! 無茶苦茶よ! たった何人かの言葉だけでこんな大それた話を事実と決めつけるなんて、いくら何でも軽率に過ぎるわ!」


「お控えなされ。リスベツ殿! これは教皇庁が直々に下した決定です。これに異議を唱えるのは、父なる神ロギエルに逆らうことと同じですぞ」


「そんな……!」


 巨大な権力と権威が、あまりにひどい不条理を自分たちに押しつけてくるのを体感してリスベツはわなわなと身を震わせた。証言をしたのは自分たちの敵かも知れないし、自白だって内部の裏切り者が嘘をついたか、もしくは拷問によって力ずくで言わされただけの偽りかも知れない。そうした可能性を精査せず、当事者である自分たちには発言の機会さえ与えずに勝手に下した結論だけを一方的にぶつけてくるなど公正性の欠片もないではないか。


「説明は以上です。ご理解できましたら、お二人とも大人しく縄についていただきたい」


 ペトロニウスがそう言って顎を動かすと、長剣を佩いた教皇庁直属の兵士たちが縄を取り出して二人に迫る。


「……どうしたらいいの? ニキフォロス」


 困惑したリスベツに訊ねられたニキフォロスは観念したように目を閉じ、大きく嘆息して言った。


「どうしようもございません。リスベツお嬢様。どうやら我らは何者かの罠に嵌められたものと見えます。無念ですが、ここで我ら二人が何をどうしたところで状況が変わるものでもないでしょう」


 椅子から立ち上がったニキフォロスが両手を前に差し出すと、ペトロニウスの配下の兵士は彼の手首を縄で縛って拘束した。それを見て、やむなくリスベツも彼に倣って無抵抗で捕縛に応じる。


「お二人を初めとする騎士団の方々は船でリオルディアまで護送させていただきます。チェザーナに到着して準備が整い次第、裁判が開かれることになるでしょう」


「その前に、一つ質問いいかしら?」


 自分を連行しようと縄を引っ張る兵士に逆らうように、足を踏ん張って歩くのを拒否したリスベツは煮え立つ不満を隠そうともせず言った。


「先ほどの私の説明が不十分なようでしたら、何なりと」


「父上は今どこでどうしておられるの? チェザーナに行けば父上にも会えるのかしら」


 父であるニクラスの身の上についてリスベツが訊ねると、そのことか、とペトロニウスは冷酷な笑みを浮かべた。


「これは失礼。私としたことが、確かに一番大事なことを申し忘れておりました。あなたのお父上は――」


 まさか、と蒼ざめるリスベツにゆっくりとうなずいて見せながら、ペトロニウスは残酷な事実を彼女に告げた。


「今回の事件の首謀者として、既に火刑に処されました」

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