第3話 サンルビーニョの惨壊(3)
「よっ、とっ、ほっ!」
出港した船はゆっくりと陸を離れ、サンルビーニョ湾から沖へ出ようとしている。次第に遠ざかってゆく母国の景色を名残り惜しそうに見つめることもなく、マルセロは船の甲板の上に一人で立ちながら、革袋に羊毛を詰めて作った人間の頭ほどの大きさの球を爪先ですくい上げ、床に落とさないように器用に空中で蹴り続けて遊んでいた。
「殿下。出発早々何をしておられますか。殿下が生まれ育った母国ジョレンティアの美しい景色も、これでしばらく見納めになるのですぞ」
父王からマルセロの旅の世話役に任ぜられた老臣のエドゥアルド・プジョールが、そう言って若い主君をたしなめる。鬱陶しそうに、甲板の上に落とした球を片足で弄びながらマルセロは振り向いた。
「何って、蹴球だよ。フィリーゼの民が村祭りなんかでやってる遊戯らしい。元々は、戦で討ち取った敵の首を戦勝祝いに皆で蹴り合ったのが始まりなんだってさ」
面白い話だろ、と言わんばかりに笑いながら、マルセロは球を力強く蹴って船の転落防止用の柵にぶつけた。革製の柔らかい球は木の柵に当たって跳ね返り、床を転がってマルセロの足元へと戻ってくる。
「またローゼングレーン騎士団長のご令嬢から妙なことを教わったのですか。そのような野蛮な起源を持つ遊び、王族の嗜みとしては相応しくございませぬ。第一、足で物を扱うなどお行儀が悪うございます」
「そう言うなよエドゥー。結構楽しいし意外と奥が深いんだぞ。それに民が好んでいる娯楽を実際にやってみてよく知るのも、統治者たる王族にとっては大事だと思うんだ」
言い訳なのか本気なのか、どちらともつかないマルセロの言葉にエドゥアルドは呆れて溜息をつく。
「斯様な品のない球遊びが、民を統治する上で一体どんな役に立つと仰るのですか」
「そうだな……例えば演劇や演奏会みたいに、試合をするのを
「古代の剣闘士のようなものということですか? 興味深いご発想ではありますが、そのような話、果たして現実味がありましょうか……」
マルセロの斬新な構想にエドゥアルドの老いた頭は全くついて行けなかった。ただ足で球を蹴るだけの不作法な行為が、やり方次第で莫大な富を生み出す一大興行にすら発展し得ると大真面目に考えているこの王子は天才なのか、それとも人々が陰で噂しているようにただの
「ん、何だ?」
困り果てたようにエドゥアルドが首をすくめたその時、船の甲板の上に何かがどさりと落ちてきた。音を立てて床を転がったその小さな物体――否、生き物は、グゥ、と苦しげな声を上げて二人の方を見る。
「これは、竜の子供でございますな」
「網が絡まってるんだ。可哀想に」
頭に短い二本の角が生えたその赤い竜の子供は漁師が捨てた網を被ってしまい、体に絡みついて身動きできなくなっていた。助けを求めるように、船に飛び込んできた幼いドラゴンはジタバタともがきながら甲高い鳴き声を上げる。
「よしよし、今助けてやるぞ」
マルセロは床に膝を突いて屈むと、絡みついた網を外して竜の子供を助けようとする。背中に生えた板状の
「おやめなされませ。殿下。噛みつかれるやも知れませぬぞ」
「大丈夫だよ。こいつはアヴサロスだろ。臆病で警戒心は強いけど肉食性じゃないし、子供なら大人しいもんさ」
王宮の図書館で以前に読んだ図鑑の記憶を頼りに竜の種類を言い当てたマルセロは、暴れて床を転げ回るその小さなドラゴンをなだめて落ち着かせながら器用な手つきで網を体から引きはがした。自由になったアヴサロスの幼体はきょとんとした様子で動きを止め、それから助けられた礼を言うようにマルセロの手に自分の鼻を押しつける。
「ほら見ろ。可愛いじゃないか。この鼻を押しつけるっていうのがアヴサロスの愛情表現の仕草だって図鑑に書いてあったぞ」
「はあ……」
マルセロが無邪気に笑いながら頭を撫でようとした瞬間、それまで彼に懐いていたアヴサロスの子供は突然何かに驚いたようにびくっと身を震わせ、背中についた翼を羽ばたかせて素早く飛び立ってしまった。
「どうしたんだ? 急に……」
穏やかだった海が
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