第12話 『勘太郎、冷凍庫に向かう』
12. 勘太郎、冷凍庫に向かう
あと数分後に現場に来るという沼川英二巡査に池口琴子の死体を任せ部屋を出た勘太郎と羊野は、そのまま真っ直ぐに厨房へと向かう。
厨房の中は割とこぢんまりとしていたが調理器具や料理機器は全てが揃い、一人で切り盛りしているとは思えない程に掃除も綺麗に行き届いていた。
そんな几帳面かつ仕事熱心な料理人でもある岩材哲夫の仕事ぶりに感心しながら勘太郎は一番奥にある冷凍室の扉を開ける。
ガチャリ、ギギギギギーーィィ!
重い扉をゆっくり開けると中からまるで煙のような冷たい冷気が勢いよくあふれ、その冷たさに勘太郎は思わず身震いする。
「さ、流石に冷凍庫の中は寒いな。外で感じられる異常な暑さとは偉い気温の差だ。たしかここには今は仮置きの保存がされている日野冴子の遺体があるんだったな」
「ええ、でもしばらくしたら池間島の漁業組合の人達を引き連れた沼川英二巡査が日野冴子さんと池口琴子さんの遺体を引き取りに来ますから心配は無いと思いますよ」
「そうだな。それでここに来た理由はあれがあるかを確認する為か」
「ええ、そうです。昨夜の死伝の雷魚は高峰やすし工場長と菊川楓宣伝部長の二人を崖から海に落とすために大きな正方形の氷を使っていましたがそんな氷を直ぐに準備できるはずがありません。たとえ前もって準備をしていたとしてもその大きな氷は必ずどこかで保存をしていなけねばいけませんから必ずそんな場所が近くにあるはずです」
「確かにな。だが大きな氷を保管できる所は漁港の方にもあるだろ。町がある漁港は当然海産物とかを扱う訳だから氷を保存できる冷蔵設備の整った所なんて結構あるだろう」
「確かにそうですが、あの死伝の雷魚と遭遇したフナクスビーチ側には大きな氷を保存できる倉庫はどこにもありませんから、外の気温で氷が溶ける前に持って行けるとしたら、フナクスビーチ側に一番近いこのペンション内の中にある冷凍庫から氷を持ち出した方が早いとは思いませんか」
「確かにそれは思うけど、それだけにリスクもあるだろ。なにせ俺達のような他の目撃者に見られるリスクも大いにあるんだからな。それなら丈夫な袋に海水を入れた方がいいんじゃないのか。海水ならその場で海から汲めるし海に戻せば証拠も残らないだろ」
「でもその大きな海水を入れる袋は証拠として残ってしまいますよね。そんな怪しげな大きな袋が海に浮いていたら流石にあのトリックがどういう物かがわかってしまいますし、物的証拠にもなってしまいます。だからこその氷なのですよ。氷なら袋のような物的証拠は残りませんし、被害者に繋がっている丈夫な釣り糸なら、被害者の体からその釣り糸を外すだけで釣り糸は勝手に海のどこかへと流れて行き、もう探し出す事はできないはずです。たとえ奇跡的にその釣り糸が見つかったとしてもこの海には釣りをする人はかなりいるはずですからその釣り糸が本当に事件に関係する者なのかどうかと言うのは調べようがないですからね」
「そして、お前の読み通りに大きな正方形の氷は確かにあったな」
「読み通りってほどではありませんが、その氷の出所を探すとしたらやはりこのペンション内にある厨房の冷凍室は真っ先に疑りますしここに来るのはむしろ当然の事ではないでしょうか。そして冷凍室の中に(死伝の雷魚が使ったような)大きな正方形の氷があったとはいえここから持ち出された氷と同じ物だという確証はありませんし、仮にここの冷凍室から持ち出された物だとしても、料理人の岩材哲夫さん以外の誰か別の人が忍び込んで氷を運んだという可能性もあるのですから、まずはこの辺りをじっくり調べて見ないとわかりませんわ」
「なるほどな。にしても犯人は、その氷を一体どんな方法で持ち出し、フナクスビーチ側まで運んだのか……それが謎だな」
「昨日の十五時三十分に高峰やすし工場長と菊川楓宣伝部長の二人がペンションを出た時、岩材哲夫さんは漁港がある南側の商店街で食材の買い出しをしている所を各店にいた馴染みの主人達が目撃しています。なので岩材哲夫さんにお二人を拉致してどこかに監禁する時間はまず絶対にないはずです。それに昨日の夜の二十二時三十分に私達がペンションに戻ってからの事なのですが、パンクをさせられて動けないという岩材哲夫さんが運転するワゴン車の中も一通りは調べてみたのですが、荷物を置く荷台の方は海産物や取り立ての野菜を乗せていたのか荷台が水でかなり濡れていました。本人になぜ濡れているのかを聞いて見た所、魚が入っている箱の中にある氷水を荷台にかなりこぼしてしまったと言っていました。あとこれは補足なのですが、あのワゴン車の荷台は冷蔵機能も完備されているみたいですが冷蔵だけで冷凍の機能はないとの事です」
「なるほど、ワゴン車の荷台の中に冷蔵庫の機能が一応は完備されていて、魚や野菜を冷やす事はできるのか。そしてその荷台の中に残されていた水は発泡スチロールに入っている魚の鮮度を保つための氷水という訳か。確かに辻褄は合うな。しかも商店街の皆さんにその存在を目撃されているんだから岩材哲夫に高峰やすし工場長と菊川楓宣伝部長の二人を拉致する事はまず不可能と言うことか」
「でももし岩材哲夫さんが円卓の星座の狂人・死伝の雷魚なら花間建設のトラックを使って道路を封鎖して高峰やすし工場長が運転する車を止め、予め用意して置いた買い出しようのワゴン車に二人を乗せてそのままフナクスビーチ側にある何処かの隠れ家に監禁する事もできるのですがね。そして実行時間の二十一時になる前にその氷の仕掛けを作り上げる事もあながち出来なくはないとも思ったのですが、彼には絶対に崩せない強固なアリバイがありますからね。」
「ありますからねじゃねえよ。なら岩材哲夫は犯人ではないということだろ。確かに管理人でもある岩材哲夫なら日野冴子や池口琴子を殺害する仕掛けを仕掛ける事もできるからな。しかも日野冴子が死亡後にあの部屋を池口琴子に進めたのも岩材哲夫だから確かに怪しい人物の一人ではあるんだが、完璧なアリバイが奴にはあるんだよ」
「いいえ、少なくとも岩材哲夫さんが日野冴子さんの死に関与していることだけは間違いないようです」
その自信たっぷりな羊野の発言に勘太郎は思わず体を前のめりにしながら羊野の顔を見る。
「なにぃぃぃ、それは本当か。ならその根拠を聞かせてくれよ!」
「それはかまいませんがまずはこの冷凍庫の氷と裏の倉庫を調べるのが先決ですわ」
「そんな事を言ってお前、まだ池口琴子の死体のあった部屋の排水口から外に渡って通していた銅線むき出しのコードが一体どこに繋がっていてどこにあったのか。その重要な話もまだ語って貰ってはいないんだからもういい加減、もったいぶるのはやめろよな!」
「別にもったいぶっている訳ではありませんが、そろそろ後半戦に差し掛かるような次のイベントが起きるかも知れませんからそれに備えているだけですよ。あの銅線むき出しのドラム式のコード線が私に見つけられていたことにそろそろ犯人側も気づいているはずですから、この後一体どう動いてくれるのかが楽しみでなりませんよ」
「楽しみでなりませんよって、お前……なら早くその先端の銅線むき出しのコード線を直ぐに手に入れて確保しないと、その証拠が犯人の手で隠滅させられるかも知れないじゃないか!」
「証拠隠滅ですか……私はそうはならないと思いますよ」
落ち着いた声で意味ありげに言う羊野は手に持つトンカチを振り上げると、奥に数個ほどある正方形の形をした大きな氷の塊の先端だけを砕いて回る。
「お、お前は一体何をしているんだ。人様の物を無闇に傷つけるんじゃない。こんな光景を誰かに見られたら一体どうするんだよ。言い訳の仕様が無いだろ。それに後で賠償金を請求されるかも知れないからいい加減にやめろよな!」
「全く、小心な事を言ってないでその数個ほどある氷の中から一つづつ氷の欠片を取り出して私の所まで持ってきてください」
「いや、ここは流石に寒いからとにかく冷凍庫の中から出ようぜ。話はそれからだ」
体を小刻みに震わせながら話す勘太郎に従うかのように羊野は、仕方が無いとばかりに冷凍庫の中から出る。
冷凍庫から出たのと同時に暖かな空気の流れを直ぐに感じる事ができた勘太郎と羊野は、外の暖かな気温と冷凍庫の中との外気の差に思わず安堵の溜息をつく。それだけ冷凍庫の中は寒く冷たいのだ。
「黒鉄さん、大変申し訳ないのですが、ここでその持ってきた氷を一つづつ口に含んで見てください」
「なんだってぇぇ。体が冷え切っているのになぜ俺がそんな事をしないといけないんだよ!」
「いいから、早くやってください。お願いします」
「しょうがねえな!」
ため息交じりにぼやきながらも勘太郎は手に持つ各氷の欠片を一つづつ口に含んでは溶かして飲み込んで行くが、ある氷の欠片を口に含んだ瞬間、勘太郎は思わずぺっとその氷の欠片を吐き出す。
「げっ、なんだこれは、今の氷の欠片だけはなんだか塩辛かったぞ。まさかあの数個ある大きな正方形の氷の中に一つだけ海水で作った氷が混じっているのか!」
「その反応からしてどうやらそうみたいですね」
「海水で出来た氷か。普通かき氷や飲み物の中に入れる氷や何かを冷やす氷には当然海水は使わないからな。と言うことは羊野の読み通りに死伝の雷魚はこの厨房の中にある冷凍庫に人知れず侵入してあの大きな海水で作った氷を二つほど持ち出した事になる。あれは一つ200キロくらいはあるから、倉庫の外にあるフォークリフトを使って運んだのだと推察するぜ」
「そのフォークリフトを使って一体どの車に乗せて海水で作った氷を運んだのかは分かりませんが、この冷凍庫に最後に一つだけ残った海水の氷はどうやら予備用のあまりの品のようです。ですので密かに処分される前に見つけることができてよかったです」
「と言うことは後この冷凍庫に近づくことができるのは岩材哲夫と仲がいい、昔なじみの大島豪氏か。話では岩材哲夫とはかなり仲がいいと聞くが、なら当然岩材哲夫が買い出しに行く時間も把握しているかも知れないな。しかもこのペンションの持ち主でもある花間建設の花間敬一社長がこのペンションを訪れる度に何度も話し合いを希望して押しかけているみたいだから密かに合鍵を作っていても可笑しくはないのかも知れない」
「つまり黒鉄さんは沖縄の海を守る会の会長でもある大島豪さんが怪しいと思っている訳ですね」
「まあ、そういう事だな」
「フフフフ、でもお客さんがあまり来ないこの民宿のようなペンションは普段は岩材哲夫さんがお一人で管理しているみたいですから、前もってこの池間島に来て合鍵を密かに入手してさえいれば、他のお客さんにも海水の氷をペンション内に運び入れることは結構簡単かも知れませんよ」
「た、確かにな。あの円卓の星座の狂人が相手なんだから幾多のターゲットのいるペンション内の合鍵を前もって密かに入手する事くらいはたやすいという事か。ならそのついでに日野冴子や池口琴子の死亡した部屋の仕掛けもその準備段階で、もう仕掛けていたのかも知れないな」
「あくまでも仮定の話ですがね。そして昨夜に、自室にいたはずの政治家の金丸重雄さんがこのペンション内から車も使わずに一体どうやってフナクスビーチ側の海まで移動したのかがまだ謎のままですわ」
「確かにな。昨夜は俺も羊野も赤城先輩も、そして沼川英二巡査も、各道路に深夜中張り込んでいたからな、絶対に誰かにその金丸重雄を乗せた車は目撃されるはずなんだが……その移動した車の記録と痕跡は全く見えなかった」
「そしてアリバイがある人やない人達もそれなりになんだか皆怪しいですから、まだ答えを急がない方がいいと思いますよ。時間はまだ半分ほど残ってはいるんですから」
「もう一日半は過ぎてしまったのか。正直タイムリミットがあると気分も焦るし中々に厳しい捜査になりそうだな」
「ホホホホ、黒鉄さんったら、またそんな心にも無い事を言って、冗談がきついですわ。本当は余裕なくせに謙遜はやめてくださいな!」
「いや、いつもマジでそう思っているんだが……お前もいつものように俺を焚きつけるかのような過大評価はいい加減やめろよな」
「過大評価ではありませんわ。黒鉄さんは……いいえ黒鉄の探偵と呼ばれる者はいついかなる時でも犯人に負けることは絶対に許されないのですから、私はそんなあなたを陰ながらに探偵助手として支えて適切なサポートをするだけですわ。私がいかなる手段を使ってでも必ず黒鉄さんに事件解決という名の勝利をもたらして見せますわ!」
「いかなる手段を使ってでもというセリフにはかなり首を傾げるが、勿論お前に期待はしているぜ。元円卓の星座の狂人にして、白い腹黒羊という二つ名を持つ、お前のいつものような悪どい推理と豪胆さにな」
「ではそろそろ、倉庫の方に行きますか。その倉庫には地元の酒蔵メーカーから取り寄せたという保存してある酒樽が沢山あるみたいですよ。しかもその倉庫の中はちゃんと温度管理がされてあるらしいですから、こだわりのある美味しい焼酎や地酒が頂けると中々に評判もいいそうです」
「そうか、ではその酒樽のある倉庫に向かうか!」
そう力強く言うと勘太郎は不気味な羊のマスクを被る羊野瞑子を引き連れながら酒樽のある倉庫の方へと向かうのだった。
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