ビン底メガネを取ったら…


 保健室へとやってきた俺たちだったが、どうやら保険医の先生がいないようだった。

 けれどこっちは緊急を要するので、勝手に上がらせてもらう。

 傷口を水にさらす支倉さんをよそに、俺は救急箱を取り出した。えーと、これとこれか。

 

 「そこ座ってくれ。沁みるかもしれないけど我慢してな」

 「はい……っっ!」


 傷口に消毒液を振りかけると、彼女は唇をぎゅっと噛んだ。身体を小さく震わせ、必死に耐えている。

 クラスでの普段もこんな感じなんだろうか? デリケートな問題だから、聞くのはやめとくが。


 ガーゼを貼り、肘のところにも濡らしたタオルを当てたりしつつ、処置を終えた。

 お互いにホッと一安心とばかりに息をつく。


 ちょっとズレていたビン底メガネをかけ直し、支倉さんは顔を上げた。

 

 「……あの、ほんとにありがとうございました」

 「気にすんな。困ったときはいつでも頼ってくれていいから」

 「は、はい……じゃあ、わたしはこれで」


 照れくさかったのか少し慌て気味に立ち上がった彼女は、胸ポケットからなにかを落っことした。

 よくよくみるとそれは手帳のようで、開いたページを悪いと思いつつも凝視してしまう。

 

 『憧れリスト』

 ・誰かにあいさつをする

 ・誰かと一緒にお昼ご飯を食べる

 ・誰かと登下校してみたい

  :

  :

  :


 「……あっ、あのっ」

 「あ、悪い」


 ついつい見入ってしまった。ずいぶんと事細かに書かれてたが、憧れって書いてあったな。

 言葉通り、普段の彼女にとっては、憧れに近いのだろう。誰かとなにかをするってのをそもそも経験してない可能性すらある。


 落ちていた手帳を拾って渡すと、手の中で握りしめてしまった。やや赤らんだ肌を見るに恥ずかしかったのだろう。


 「見るつもりじゃなかったんだが、その、目に入ってしまって」

 「わ、忘れてください……」

 「…………」


 忘れてと言われてポンと記憶から消せるようなタイプの人間じゃない。それにこういったことを見て見ぬ振りできるタイプの人間でもない。 

 

 「なぁ、提案があるんだが」

 「っ?」

 「それ、やってみないか? 憧れなんだろ」

 「……っ! で、でも、わたし、友達いない……」

 「俺がいるだろ」

 

 目の前で息を呑む様子が、はっきりと感じ取れた。掴みは上々、あとは。


 「俺は支倉さんのこと、友達だと思ってるけど」

 「わ、わたしは、結城くんのこと……」

 「お節介野郎だとか思ってる?」

 「そ、そんな! わたしも友達っ、だって」

 「じゃあ、一緒にこなしてかないか? その手帳に書いてあること、全部」

 「…………っ、」


 俺の放った言葉は、彼女の心を深く揺さぶったらしく、しゃべれないほどだったらしい。

 なんどもなんども頷いて、そのうちに身体が小刻みに震えだした。

 ぐすぐすと鼻をすする音が聞こえてきて、頬を透明な雫がだんだんと伝っていく。


 「な、なんで泣いてんだ? ほんとはイヤだったとか」

 「う、嬉しくて……勝手に出てきちゃいます」

 「そっか。とりあえず、ハンカチやるから」

 「ぐすっ……ありがとう、ございます」


 俺の渡したハンカチを大事そうに抱え、涙を拭うべく、かけていたビン底メガネに手をかけた。

 その動きがスローモーションのようにみえたのは、きっかけだったのかもしれない。

 予想もしてなかった現実を、受け止められるかどうかの。

 

 「――――っ」


 素顔を晒した支倉さんを見て、俺は息を呑んだ。

 だってそこにいたのは、目を見張るほどの、美少女だったのだから。

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