【第三夜 あの人の元へ】

この『わびしさ』を何と表現したら、私の気持ちは満たされるのだろうか。

ぽっかり、と浸食してくる空洞に抗うだけの若さも、私には残されてはいない。



 あの人がいなくなっても、毎夜、空には月が浮かぶ。

月光を浴び手を伸ばすだけで良かった。

視界に映し出される月が、あの人そのものだと、私の中では認識されている。

だからこそ、あの人自身がこの世に存在していなくとも、月さえ確認できたなら、私の心は満たされたのだ。



 今、私の世界に存在するのは、一面の闇だ。

どこに目を向けても『黒』しか存在しない。

濁った悲しみを浄化してくれる光が、一筋も届かない。

これが老いと言うのなら、いっそのこと迎えに来てくれやしないものか、と見えない月を探しては考える。

あの人と一緒になる時の約束を、月の中に見ていたかった。いつまでも永遠に。


「もし僕が夢を成し遂げた時には、君の名前を借りてもいいかい?」





 あれはいつのことだったか。

美しい花火を視界に、大好きなあの人の言葉を聞いていた。

あの人のくれた約束が嬉しくて、私は詳しくもない天体を好きになっていた。

君の名前をつけるからね、と向けられた満面の笑みがいつまでも忘れられない。

苦労をかけるだろうけど、と渡された指輪のデザインが好きだった。

もうこの目で見ることが出来ないなんて、神様はとても意地悪だ。



 どうして私からあの人も月も想い出でさえも取り上げてしまうのだろう。

どうして私は……。あの人の不調にもっと早く気付いてあげられなかったのだろう。

長年の自責の念を飼い慣らすことにも慣れたと思っていたが、神は私を許してはくれないようだ。



 唯一のよすがと言えば、定期的に来てくれる孫に、月のことを聞くことだけなのだ。

なんとみじめな老婆だろうか、と嫌になってしまう。



 前を向きたい。

いつも私を照らしてくれていたあの人のように、私も周りを照らしたい。

頑張りたい。

意気込みはいつも、闇に呑まれて消える。

真っ暗闇の中で独りいることが恐ろしいのだ、さびしいのだ、孤独しか身の内にはない。

あの人を投影していた拠り所を失い、自分を支える術も私にはわからなかった。





 今日も夜風に当たりながら見えない空を見上げている。

隣には誰かの気配があった。

彼はブランケットを優しく掛けてくれた。

ああ、そうだ。どうして忘れていたのだろう。

もうすぐ結婚する愛しい人に似ているのだ。

愛しい人といるような安心感が不思議と心地良い。



ーー私は自然と目蓋を落としていた。

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