第二話



 午後の修練が終わりやっと解放されると、束の間の自由時間が手に入る。


 夕餉までの一刻いっときだけだが、この時間がなにより楽しみだった。


 春。邸の敷地内に咲く桜も満開になり、庭は薄紅色の花びらで埋め尽くされそうだ。


 そんな中、いつも気になっていたのは、本家の邸から見える丘の上に立つ老木だった。


 去年一度、ひとりでこっそりあの丘に行ったことがある。


 ここにある木々の何倍も太く、背も高いその木は、一輪の花も咲かせていなかった。


 今年もきっと咲かせることはないのだと解っていながら、竜虎りゅうこはそれでも確かめずにはいられなかった。


 薄青の空に茜色が混じり始めた頃、疲れた身体を無視して修練で纏っていた衣を着替える。

 

 代わりに袖と裾に朱と金の糸で複雑な紋様が描かれた白い衣を羽織って、ここから四半刻しはんときもかからない距離にある丘の上を目指す。


(・・・だれか、いる?)


 老木の姿が見え始めた頃、その下に誰かがいるようだった。


 近づいて行くにつれ、それが同じくらいの子供であることが解る。


 邸の従者が纏う黒い衣を羽織り、老木の下でくるくる回っているその子供は、額から鼻の先辺りまでを白い仮面で覆っている。


 その見た目だけでそれが誰かすぐに解った。


(あいつがなんでこんなところに?)


 離れた所からその様子を窺う。


 老木に何かを話しかけながらくるくる回って適当に踊っている姿は、どう見ても変な子供としか思えない。


「ららら~るる~」


 今度は歌い出した。しかもものすごく適当な音程なのに、上手いのか下手なのかが解らない。


 竜虎りゅうこはただひとりでのんびりと老木を眺めようと思っただけなのに、と肩を落とす。


 よりにもよってあのれ者がいるなんて想像もしなかった。


「君はいつからここにいるの?」


 どきっと竜虎りゅうこは思わず顔を上げる。しかしその言葉は自分に向けられたものではなく、老木にかけられたものだった。


 見上げれば、あのれ者が老木に手を触れ、話しかけていた。


(・・・いや、木に話しかけても意味ないだろ)


 思わず突っ込みを入れてしまう。頭がおかしいとは聞いていたが、木に話しかけるなんていよいよどうかしている。


「そうなんだー。じゃあおばあちゃんだね」


(会話してる・・・いや、妄想か?)


「え?そうなの?じゃあ俺の霊力をあげる!え?いらないの?じゃあどうしたらまたお花を咲かせてくれるの?」


(は?何を言っている?)


「なーんだ。そんなことでいいの?いいよ!そこでみてて」


 れ者、もとい無明むみょうはそう言うと、先ほどまでのふざけた踊りとはまったく違う、見たこともない舞を舞い始めた。


 短い手足でなければ、きっともっと美しいものだったろう。


 しかしそれでもその舞は見事なもので、竜虎りゅうこはしばらくその姿から目が離せなかった。


(・・・え?なんで、・・・うそ、だろ)


 無明むみょうが老木の下で舞を舞い始めてすぐ、ぽつぽつと枯れ木に白い蕾が生まれた。

 

 それは無数に広がりやがて老木全体に広がると、ゆっくり時間をかけてその蕾を開き始めた。


「・・・花が、咲いてく・・・っ」


 思わず声が出てしまい、慌てて口を塞ぐ。無明むみょうは満開の白い桜の花たちを見上げながら舞を続けていた。


 それはもう楽しそうに、声を上げながら。


「わぁ!すごいすごいっ」


 飛び跳ねながら舞を舞い、今度は満開に咲き乱れた老木の周りを回り出す。夕暮れで染まっていく空と相まって、白い花びらが橙色に染まる。


「楽しんでくれた?来年も遊びに来たら、また咲いてくれる?うん!じゃあ母上に頼んでもっと色んな舞を教えてもらうねっ」


 上の枝の方を見上げながら老木に抱きついて、明るい声で誰かと話しているように見えるが、竜虎りゅうこには無明むみょうの視線と同じ場所を見ても何も見えない。


 けれど、現に無明むみょうが舞を舞ったら、老木はそれに応えるように満開の桜を咲かせた。


 これは偶然ではないし、もちろん奇跡とも思えなかった。


「じゃあ俺は行くね!また遊びに来るから、またお話し聞かせてねっ」


 両手を広げて最後にもう一度くるりと綺麗に回ると、無明むみょうは満足したのか老木に向かって大きく手を振りながら、丘を駆け下りていった。


「・・・・あいつは一体なんなんだ?」


 ひらひらと舞い散る桜は花びらが白っぽく薄紅色にはほど遠いが、それが逆に神聖に見えた。


 丘を彩る白と夕陽に感動し、目の前で起こった事がまるで夢かなにかのように思えてきた。


 

 今思えば、それが無明むみょうを間近で見た、一番最初の出来事だった。



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