第12話 ナツノオワリ 橘さん家

志堂御一行様に用意された特別個室のテーブルで、舞は改めて本日集った面々を見つめた。


「私一人だったら絶対食事どころじゃなかったから、綾小路君や、矢野さんたちが居てくれて、ほんっとに良かった!」


「大げさだぞ、舞。志堂専務もいたって普通のサラリーマンだ」


「普通じゃないからっ!うちみたいな一般家庭とは違うのっ」


「その言い方も微妙に傷つくけどな・・・頑張って出世するよ」


「え、あっ、ち、違うのーっそうじゃなくってーっ」


苦笑いをする徹に、舞は慌てて縋り付いた。


そういうつもりで言ったんじゃないのだ。


「ああ、わかってる、わかってるって」


「志堂さんって、幸さんの旦那さんでしょ?すんごいイケメンでめっちゃ優しいお兄さんだよねー」


「茉梨、安藤さんは、今、志堂さんの会社で働いてんだぞ、緊張するだろ、そりゃあ」


「休日、街でいきなり社長に出くわすみたいなものだよ、矢野」


「カズくん、分かり易い説明ねー」


徹の言葉に、茉梨、勝が続いて、さらに一臣と絢花が端的に事情を説明した。


「ああ、社長かーそりゃあ、気を使うよねー」


「まあ、お前の場合あんまり気にしなさそうだけどな」


「ま、そうね。向こうも同じ人間だし?」


「矢野さんの強心臓今日だけ借りたいよ・・・」


昔と少しも変わらない後輩の様子に、舞は少しだけ笑う事が出来た。


今回の旅行だって、志堂一鷹が居なければ実現しなかったわけだし、たまたま同じようにして呼ばれた学生時代の友人たちとも再会できなかった。


物凄く感謝しているが、舞にとって志堂一鷹というのは、社内の全体朝礼位でしか見たことのない雲の上の存在。


いくら、夫である徹の同期とはいえ、軽々しく口を聞いたりできない相手なのだ。


そんな相手から、結婚祝いの代わりとして贈られた一泊二日のリゾートホテル宿泊券。


緊張しないわけがない。


そもそも、ことの起こりは、夫である徹だ。


志堂のグループ会社に勤める徹は、新人研修で一鷹と親しくなったものの飲み友達というわけでもなく

会議などで顔を合わせた時には、話をする程度の関係を続けていた。


その為、会議で会った時に、世間話のつもりで、最近結婚したことを告げたのだ。


そうしたら、一鷹が、そんな祝事をすぐに報告してくれなかったのは水臭い、と言って、後日プレゼントが届いたというわけだ。


舞は当然ながら恐縮しまくった。


徹はというと、有難く使わせてもらおうと、あっさりホテルの予約を入れた。


たまたまその日が、8月最後の週末で


偶然にも志堂夫妻とその友人家族のスケジュールと丸かぶりだったという話。


ホテルのプライベートビーチでばったり再会した徹を、一鷹は当然のように夕食の席に招待した。


びくびくしながら案内された席についたら、懐かしい顔を見つけて漸くひと心地ついたところだった。


シャンパンで喉を潤して、ほろ酔いになった舞を確認して、徹は新妻の友人たちをぐるりと見回した。


「えっと・・・綾小路君と、舞が同級生なんだよな?」


「ええ、どうです。彼女は、あっちのテーブルに座ってる、浅海夫人や篠宮夫人の同級生なんですよ」


現役医大生の一臣が淀みなく答えた。


さすがに一臣は、相手が志堂一族であっても全く動じることが無かった。


年齢で分けるならば、志堂一鷹や浅海昴のグループに自分が入って、若妻たちがこっちに来ればより盛り上がるのだろうとは思うが、さすがにこの状況で舞を放り出すわけにもいかない。


ひとまず落ち着くまで側にいようと心に決めて、徹は頷く。


「で、矢野さんと、貴崎くんが、舞の後輩にあたる・・と」


「安藤先輩の作ったお菓子は毎年学祭で大人気だったんですよ!調理実習の後は、男子が列をなしてたって」


茉梨が楽しそうに説明する。


舞が慌てた様に首を振った。


「ちょ、矢野さん、言い過ぎ!そんな事ないからっ」


確かに料理は好きだったし、部活でもよく作っていたけれど、男子生徒が列をなした事なんて一度も無い。


ぶんぶん首を振る舞を見つめて、一臣が口を開いた。


「ああ、それは。ほら、いつも望月やタイガや俺が欲しがって群がってたから」


「で、南さんや、タイガさんたちの威嚇攻撃で、根性なしの男どもは追い払われてたから」


勝が後を受けて説明する。


「カズくんがたまに持ってくるお菓子が異様に美味しかったのは、そういう理由だったのね」


漸く謎が解けたわ、と絢花が笑みを浮かべた。


「ごめんねー絢花ちゃん。ほとんどコレが食ってたから」


勝が茉梨の頭を小突いた。


「あんたもでしょ!」


茉梨がすかさず突っ込む。


「成程、学生時代から人気があったわけだ」


徹がしみじみと頷いた。


よくもまあ、これだけ可愛くて、家事が出来て、料理も上手な子が、誰にも見つからずに隠れていたものだ。


おかげで、手つかずの舞を探し当てて早々に結婚出来たわけだが。


単純に、高校卒業と同時に、女性料理家のアシスタントになって、女子ばかりの調理学校に通っていたせいだと思っていたが・・・


当然だけど、舞にも高校時代があったんだよな・・・


社会人になってからの彼女しか知らない分、高校時代は可愛かったんだろうな、という想像しかできなかったが・・・


こうして、学生時代の彼女を知る人物を前にすると、改めて実感する。


「しっかり守ってくれて助かったよ。その子たちに感謝しないとな」


「もう、何言ってるの・・」


舞が頬を染めて徹を睨み付ける。


唇を尖らせる様子に、茉梨が、安藤さんって相変わらず可愛い!と絶賛した。


徹はすかさず、家ではもっと可愛いよ、と付け加えておく。


舞はもう言葉も無くて、俯くしかない。


一臣と絢花は、困ったように微笑み合った。


「新婚さん羨ましいわ」


「待たせちゃってごめんね」


「いいのよ。お医者様の奥さんになるのが、今の夢だから」


医師になるにはまだまだ時間がかかるし、一人前になるにはさらに絢花を待たせる事になる。


それでも絢花は文句ひとつ言わずに、一臣の夢を応援すると言った。


彼の母親が経営する病院を継ぐのは彼しかいないと心底信じていた。


「でも、安藤がこんなに早く結婚したって知ったら、田代とか本気で泣くと思うよ」


「綾小路君までそんな事言って!!」


「いや、結構本気だったみたいだしね」


今度会ったら、幸せな結婚生活を送っていたって伝えておくよ、と一臣が笑う。


ひとしきりメニューが出そろうと、各々が席を移動し始めた。


予想通り、絢花、冴梨、桜は冴梨の娘、果慧を囲んで話をし始める。


茉梨と勝と一臣は、久しぶりの第二生徒会室メンバーで盛り上がっているようだ。


一鷹夫妻も、昴を交えて談笑中だった。


「楽しい高校生活だったみたいだな?」


これ以上は禁止、と梅酒のグラスを取り上げながら、徹が静かに言った。


舞はトロンと眠たげな瞳を揺らせて微笑む。


「すっごく楽しかったの。久々に皆に会えてうれしかったー・・」


此処に来るまで散々、話題をどうしよう、失礼な発言をしたらどうしよう、と気にしていた舞だ。


見知った顔を見つけて、食事を楽しむことが出来て本当に良かったと思う。


けれど、彼らの学生時代が輝かしいものであればあるだけ、嫉妬も覚える。


どうしたって自分はその輪の中には入れない。


「俺の知らない舞が、沢山見られた気がしたよ」


学生時代の部活や、学祭の事なんて、今まで一度も聞いたことが無かった。


今日みんなに会わなければ一生訊くことはなかったかもしれない。


「・・・たった三年なのにな」


「うん?」


「俺が、知らない三年が、物凄く恨めしいよ」


「・・徹?」


「悪い、酔ってるな、俺」


思わず口にした本音に、首を振る。


舞を困らせるつもりも、傷つけるつもりも毛頭なかった。


ただ、彼女の過ごした時間が幸せで良かったと、そう、言えばいいだけなのに。


”どうして”その場所に自分がいなかったのか、と馬鹿みたいな事を考えてしまう。


舞が作ったお菓子を皆が取り合いするその場所に、俺が居たなら。


誰より一番に舞のお菓子を貰いに行くのに。


他の誰にも譲らないのに。


そんな徹の本音が聞こえたのか、舞が身を乗りだした。


「あの・・・あのね、徹・・・」


滅多に無い夫の愚痴っぽい姿に驚きながらも、舞は懸命に話しかける。


「学生時代の私は・・・私が作ったご飯や、お菓子を皆が美味しいって食べてくれることが、一番嬉しかったの。先生のアシスタントになってからは、ちょっとした工夫を褒めて貰えたり、アイデアを認めて貰える事が一番嬉しかった。でも、今はね・・・そうじゃないの」


舞から取り上げた梅酒に口を付けた徹が眉を上げる。


舞好みの、甘くて飲みやすいジュースのような梅酒だ。


徹には向いていないお酒。


いつもならそのまま残してしまうのに、今日だけはそうしたくなくて、飲み干す。


焼けつくような甘さと、梅の香りが、舞のイメージとダブった。


ああ、だから、一滴も渡したくなかったのか、と今更、馬鹿みたいな独占欲に気づいて、徹は小さく笑った。


「そうじゃないって・・・?」


「今は、毎日作るご飯も、お休みの日に作る、デザートも・・・勿論、自分のストレス発散で作る事もあるけど・・・でも、どれも、全部、徹に一番美味しいって言って欲しくて・・・この味は好きかな、とか、この見た目の方がおいしそうかな、とか・・・私が二人の家で作る料理は全部、徹だけの・・・為、だから・・・ね。帰ったら、また・・・いっぱい食べてくれる?」


梅酒のグラスを戻した手を、舞の小さな手が包み込む。


「なんか、俺子供みたいだな・・・」


「たまにはいいよ?私が、いっつも甘えてるから」


舞が恥ずかしそうに微笑む。


その頬を熱の籠った指先でなぞって、徹が頷く。


「だから、舞が作る料理が一番美味いと思うんだろーな」


「嬉しい・・」


「3年なんか、これからの人生考えりゃ一瞬か・・・」


呟いた徹が、納得したように頷いて立ち上がる。


「ちょっと待ってろ」


「え?」


「志堂に挨拶してくるよ。部屋に戻ろう」


「でも、まだ、みんな・・・」


楽しそうに話を続ける茉梨や、絢花たちの姿を見回して、舞が困惑した表情を見せた。


およばれしておいて、それはマズいんじゃないだろうか・・・


けれど、舞の心配をよそに、徹は素知らぬ顔だ。


「いいよ。あいつだって、新婚旅行のつもりで使えってくれたんだから」


「え!?」


ぎょっとなった舞の肩を掴んで、徹が耳元で囁く。


「俺は、早く二人きりになりたい」


「・・・あ、私もお礼言いに行く」


赤くなった頬を押さえて、舞も急いで立ち上がった。

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