第13話 葡萄

誰しもが浮き足立つ金曜の夜。


夕食を終えるや否や、早々に妻専用のお城=キッチンに籠った舞。


鼻歌交じりに何やら調理を始めた妻を斜め後ろから眺めつつ、徹はゆったりと食後の番茶を啜った。


舞が部類の料理好きである事は、結婚前、いや、付き合う前から知っていた。


それがきっかけで知り合ったのだから、当然と言えば当然だ。


が、食後落ち着く暇もなくキッチンに籠られるのは、少々複雑なところだ。


毎日手の込んだ美味しい食事を食べる事が出来て、文句の付けようのない良い妻を貰ったと感謝こそすれ、不満などない。


が、料理に関してはとことん拘る舞は、しばしばこうして一人でキッチンに閉じこもってしまう。


折角の金曜日、しかも、残業が殆どなくて、久しぶりにゆっくり二人で食事を楽しんだ。


出来る事なら、もう暫くお茶でも飲みながら取り止めのない話をしたかった。


まさか、こうなるとは・・・


元凶となったブツを舞が嬉しそうに持ち上げるのを眺めつつ、徹はこっそりため息を吐いた。


そして、諦め悪く言ってみる。


「それ、そのままでも十分美味いらしいぞ?」


が、舞は満面の笑みで返した。


「そこに、ひと工夫するともっと美味しくなるの。


ちょうど、テレビで葡萄を使ったデザートの特集やってたから、試してみたかったのー。


タイミングよく徹が、お土産に買って来てくれて、ほんとに嬉しい!


美味しいデザートにするから、もうちょっと待っててね」


「ああ、まあ・・うん・・」


こうまで喜ばれると、そんなつもりじゃなかった、とは言える筈もなく。


曖昧に笑って、再び舞の手元へと視線を戻す。


帰りしな、ビルのエントランスで、緒方に鉢合わせて、駅前の果物屋で綺麗な葡萄を買ったと言われたので、乗っかってみたのだ。


舞はお菓子も手作りが基本なので、ケーキや焼き菓子の土産は殆ど買って帰った事が無い。


店で出るものとなんら遜色ない上等な菓子が我が家で出て来るからだ。


その為、妻への手土産は、果物やアイスを選ぶ事が多かった。


食後に二人で夫婦団欒しながら、摘まむつもりで買った葡萄。


思わぬところで、夫婦団欒に水を差してくれた。


が、結果として舞は大喜びして腕を奮っているので、徹の下らない我儘は、行き場を失くして燻るしかない。


美味しい葡萄に、何ら罪はないと分かっていながらも、どこか恨めしい視線を向けてしまうのは仕方ない事だ。


そんな夫の心境には気づかないままで、舞はてきぱきと調理を進めていく。


冷凍庫にストックしてある、週アタマに徹が買って帰ったビターチョコのアイスクリームを取り出して、常温で柔らかくする。


その間に、本日のメインディッシュである葡萄の皮を剥いて、軽く刻んで砂糖と共に、鍋にかける。


葡萄のコンフィチュールにするつもりらしい。


残りの葡萄は、白の大きな皿に並べられた。


プロの料理家についていただけの事はあって、舞は料理の見た目にも気を遣う。


程よく柔らかくなったビターアイスを大き目のスプーンですくって盛り付ける。


料理中に見せる、いつになく真剣な表情。


舞のこの顔を見ると、徹はいつも声を掛けるのを躊躇ってしまう。


「ミントの葉を飾ったらいいかなー・・・」


「写真撮ってやろうな」


悩む妻に告げると、舞が嬉しそうに微笑んだ。


舞が力作を作るたびに、徹は食べる前にそれを写真に残す。


始めは恥ずかしがっていた舞も、今では慣れた。


粗熱を取ったコンフィチュールをアイスの回りに添える。


確かに、買ってきた葡萄をそのまま食べるよりは、数段高級感も、贅沢感もあるデザートだ。


素材を見る度、舞はいつもこれをどう料理して、どんな盛り付けをすれば、さらに美味しくなるかを考えると言う。


徹には一生出来ない芸当だ。


それを、真顔で”徹に、一番美味しく食べて貰える方法を考えてるの”と言うから恐ろしい。


この完璧すぎる妻を選んだ事で、自分の人生の幸運は全部使い切ったのではないだろうかと、真剣に悩みそうになる。


勿論、不平不満なんてあるわけもないが。


舞が料理をしている間に徹がした事と言えば、ポットでお湯を沸かす事位だ。


デザートが完成した頃合いで、カップ2杯分の湯が沸いた。


「紅茶かな?コーヒーかな?」


「両方入れろよ、どっちも楽しめるだろ」


「あ、そっか、うん。そうよね」


微笑んだ舞が、ティーパックと、インスタントコーヒーの瓶を両方手にする。


「こういう時、二人っていいよね」


しみじみ呟いた妻の発言に、徹がソファに引き返しながら眉を上げた。


「こういう時だけか?」


失言を指摘されて、舞が笑う。


いつも大人で優しい夫が、妻をからかうのはこういう時だ。


二人の間に流れる、特有の甘い雰囲気が心地よい。


「いつも思ってるけど、今日は特に」


「うまいこと返したな」


しどろもどろになって黙り込むと思っていたが、意外にも綺麗に返事が来た。


赤くなって黙り込むところも可愛くて好きなのに、と徹は内心思う。


「そんなことないのにー。そんな意地悪言うなら、デザート上げない」


「待て、嘘だよ」


徹が即座に降伏して、舞の手からデザートの皿を受け取る。


慣れた手つきでスマホで写真を撮ると、誇らしげに笑った。


「しっかし、毎回思うが、ほんっとに店で売れるぞ、コレ」


「ほんとにー?」


「この間行った、屋上カフェで食べたケーキセット。アレもこんな感じで綺麗に飾ってあっただろ?」


白磁の皿にチョコレートで綺麗な模様が描かれていたのを、舞が見てとても喜んだのだ。


と同時に、店員に何を使ってデコレーションしたのか事細かに尋ねるのも忘れなかった。


家に帰る車の中でも、手持ちの調理器具で十分出来ると思う!と意気込んでいたので覚えていたのだ。


「うん、アレ凄かったよね!!」


「俺は、こっちの方が好きだな。カラフルだし、なにより見た目も美味そうだし」


徹は、舞の料理に関しては嘘はつかない。


結婚するときに、舞から、味付けの好みはきちんと伝えてほしいと言われているからだ。


どうせなら、徹が一番美味しいと思う味付けを覚えたいから、少しでも違うと思ったら指摘して欲しいと舞は言った。


それ以来、徹は極力自分の要望を伝えるようにしている。


とは言っても、舞の出てくる料理が失敗だったためしがないので、味の指摘をした事は無い。


「それ、家族の欲目入ってるでしょ?」


苦笑した舞の瞳を覗き込んで、徹が笑う。


「当たり前だろ。お前が俺の為に作ったんだ。欲目が無くてどうする」


「ホント美味しいといいけど・・」


心配そうな舞を前に、徹は彼女の手にした皿に指を伸ばした。


アイスの隣に盛られたコンフィチュールと、アイスを指で軽く掬う。


「あ・・」


驚く舞の目の前で、指先を口へと運んで、徹が大きく頷いた。


「ほら、やっぱり美味いよ」


「ほんと?」


徹は片眉を上げて笑うと、疑わしい視線を向けてくる舞の唇に、黙って証拠のキスをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る