第8話 電話と嫉妬

仕事を終えて、家に戻ると彼女がソファで電話を掛けていた。


こちらがリビングに顔を出すと、にこりと笑って手を振ってくる。


話し方から察するに、目上の人間と話しているらしい。


テーブルを指されて見ると、ラップをかけた八宝菜と春雨サラダにエビチリがおいてある。


本日のメニューは中華ですか。


電話を切ろうかと逡巡している彼女が通話を続けたままでキッチンに向かうのを、手で制した。


炊飯ジャーから飯をよそうの位ひとりで出来る。


安心したように会話を続ける彼女。


とりあえず着替えに行って戻ると、台所で味噌汁の火を止める彼女を見つけた。


いいって言ったのに・・・・


「後はやるから」


そういうと、頷いて電話の相手との会話に戻った。


「あ、いえ、大丈夫みたいです。はい」


話しながらリビングに戻ろうとする彼女の持つ電話から、聞き慣れない声がした。


男の声・・・だった。


彼女が敬語でこんなに親しげに話す年上の男。


誰・・・だよ?


数か月前の結婚式で挨拶を交わした彼女の上司は感じの良い女性だったし、友人は同世代の女の子のみで安心していたのに。


もしかして、以前の職場の知り合いなのだろうか、だとしたら完全にノーマークだ。


料理教室イコール女性限定のイメージを持っていた自分に歯噛みする。


複雑な気分のままテーブルで食事をするも、彼女の会話が気になってしまう。


「えー、そんなことあったんですか?ええっ、私何も知らなくて・・」


楽しげに繰り広げられる会話は、否が応でも耳に入って来る。


「はい、じゃあぜひ今度ご一緒させてください」


一体どこに行くつもりなのかと眉間に皺が寄る。


「何でもご存知なんですね。すごいです、尊敬しちゃう」


お前より年上でお前より知識が少なかったらそれこそおかしいだろ。


続けられる会話に、そろそろこちらも限界がやってきた。


食べかけの食事を中断して、彼女の座るソファに腰掛ける。


クッションを抱えている彼女の腕からそれを取り上げて、腰に腕を回して引き寄せた。


「あ、はい!そうで・・・やっ・・・なに?」


思わずこちらを見返した彼女に向かって不機嫌そのままで告げる。


「いつまで喋ってるんだよ」


そう言うと、舞は慌てて携帯を押さえた。


「そーゆう言い方しないでっ」


こちらを睨んでくる彼女の耳元で言ってやる。


「早く切って」


とどめに頬にキスをすると、少し躊躇うような顔をして


「ん・・・だから・・・あっごめんなさい、は?いえっ・・・そんな」


慌てて会話に戻る彼女。


俺は髪を止めていたバレッダを外して舞の髪を弄ぶ。


こうなったら絶対離れてやらない。


床に投げ出されたままの素足をゆっくり撫で上げるとその手を叩かれた。


「既婚者の女に電話掛けてくるなんてどこの男だよ」


そう言ってやると、彼女から恐ろしい目線で睨まれた。


そして、舞が剣呑な視線のまま携帯を差し出した。


「出て」


は・・・・・?


ワケが分からないまま受け取った携帯を耳に当てる。


「もしもし」


「このバカ息子。電話ぐらいでいちいち下らないやきもちを妬くんじゃない。情けない」


「親父!?」


思わず大声を出してしまう。


振り向くと彼女は素知らぬ顔で食べかけの食事を温め直していた。


「・・・・義父さん怒ってらしたでしょ」


電話を終えて、食事を再開した俺の向かいで頬杖を付いて舞が笑う。


まさか、妙な嫉妬を覚えた相手が父親だったとは。


いつのまに仲良くなったのか、ふたりは結構マメに連絡を取っていたらしい。


仲が良いのは嬉しいけれど・・・・


「絞られたけど・・・」


親父なら何も俺が帰って来てまで話すことないのに。


そう言うと彼女が眉根を寄せた。


「だって、義父さんがせっかく話してらっしゃるから、ご飯の支度するって切り出しずらくて」


親父と俺と天秤にかけて親父が勝った図式が頭に浮かぶ。


余計複雑になった。


「親父なんかほっときゃいーんだよ。お前は俺の奥さんなの」


「分かってるけどっ・・・電話で喋ってる時にあーゆーことしないでね」


「・・・・・あーゆーことって?」


訊き返すと、慌てて目を逸らした。


分かりやすい反応は、結婚してからそれなりに時間が経っても相変わらず初々しいままだ。


教えた事などないのに、視線を揺らて見せるから堪らない気持ちになる。


「・・・キスとか・・」


「・・・考えとく」


「かっ・・」


反論しようとした舞の前に空になった茶碗を差し出す。


「おかわり」


「・・・・はい・・」


反射的に茶碗を受け取って、舞が立ち上がると台所に戻る。


ふと、閃いてその後を追った。


炊飯ジャーを開けようとする彼女の腕を捕まえる。


「なあに。他にも何かいる?」


そう聞いてきた彼女の顎に指を引っ掻けて振り向かせた。


瞬きをする舞と視線を合わせたままで、柔らかい唇を啄んだ。


慌てた舞が後ろ足を引くけれど、狭いキッチンで逃げ場なんてある訳がない。


半歩踏み込んで引き戻した身体を腕の中に閉じ込めて、もう一度キスを落とした。


上唇と下唇を交互に食んでから解放すれば、涙目でこちらを睨みつけて来る。


「キスはしたいときにするもんだろ?」


「んっ・・そう・・・だけど・・・」


時と場所をと言い出しかねない彼女を制して先に告げる。


「今したいから、今する」


「もうっ・・・・」


諦めに似た返事が返ってきて、けれど言葉とは裏腹にその腕は俺の首へと回された。

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