第9話 ショコラキス

待ちに待った休日、日曜日の午後から近くのアウトレットモールに買い物を予定していたのにあいにくの雨に邪魔をされてしまった。


彼は、どうせ車だから行けばいい。そう言っていたけれど、


ここのところ遅くまで残業で疲れているのを知っているから、どうせなら、部屋でのんびりするのもいいかなと思ったのだ。


結婚して良かった事は、家で二人で過ごす休日も十分素敵なデートになることだ。


恋人期間にあれほどヤキモキしていた心は、嘘のように落ち着いて、すっかり奥さんのポジションに慣れてしまった。


今はもう会えない時間に苛立ちを募らせることも、不安になる事も無い。


毎日仕事が忙しい旦那様には休暇を満喫してもらって、その間に新婚旅行の写真の整理とか、年賀状の下準備など忙しくて放っておいた色んなことを片付けることにする。


その提案に、彼は


「お前がいいならいいけど?」


とあっさり頷いてくれた。


一日自宅で過ごすと決めた後で、彼は久しぶりに映画を見始めてそれを眺めながら、久しぶりに本格的なお菓子づくりをすることにした。


結婚後も仕事を続けているので、平日は作り置きおかずにプラス一品がお決まり。


ここ最近とくに簡単なものばかりだったから、久しぶりにレシピ集を開くのは嬉しい。


学生の頃から貯めていたそれはB5サイズのファイル3冊分にもなる。


タブレットで検索するレシピも楽しいけれど、思い入れのある切り抜きやメモを見ながら作る料理はまた違った楽しみがあるのだ。


それをゆっくり眺めていたら、懐かしいレシピを見つけた。


材料も、家にあるもので大丈夫そうだと確認して、常日頃から製菓材料をストックしている自分を褒め称える。


久しぶりのお菓子作りに自然に上がるテンション。


いつもは苦手なチョコの湯せんも全く苦にならない。


彼はそんな舞の様子を不思議そうに眺めて


「機嫌いいなぁ」


と嬉しそうに言う。


「うん。あ、あのね、たまにはすごく甘いお菓子でもいい?」


念のため訊いてみると、案の定”いいよ”と言う返事が返ってきた。


結婚前も今も、橘は舞の作るお菓子に口を出さない。


差し出したものを喜んで受け取って、いつも美味しいと言ってくれる人の存在は、料理をする励みになる。




★★★★★★





写真を床に並べて選別をしている彼の横に、お菓子とお茶を用意して座り込む。


ウェディングドレスで、少し緊張気味な舞の横顔を彼が撮った写真。


挙式の前に、ふたりだけで撮った写真。


「ドレス選び悩んでたなー」


そう言って彼が、舞が試着した際の写真をズラッと並べた。


赤、青、緑、ピンク、水色、グレー・・・・


色とりどりのドレスを着たプレ花嫁が映っている。


「なかなか気に入ったのが無くって探したよねー」


仕事帰りと休日。


色んなお店を回って、結局最後に行ったサロンで見つかったドレスに決めた。


プリンセスラインの可愛らしいデザインで真っ白ではなくて少しエクリュな白を選んだ。


試着して見せたときの彼の微妙に赤い顔に、舞の方が恥ずかしくて俯いてしまったことまで思い出して、照れ笑いする。


「これ着たとき嬉しそうだったもんな」


「・・・・あんな風に可愛いって褒められたの初めてでビックリした」


「・・・・そーだっけ」


分かりやすく橘が視線を逸らす。


絶対覚えてるくせに!!!


「なあ、腹減った」


照れ隠しみたいに彼が言ってトレイを指した。


舞は砂糖抜きのカフェオレと、お皿に載ったフォンダンショコラを彼の前に差し出す。


それを見て橘が一瞬目を丸くして、笑う。


「・・・・これは覚えてる・・・前みたいに食べさせてくれるわけ?」



その言葉に今度は舞が一瞬目を丸くして、赤くなった。


そうだった・・・・


これは二人がまだ恋人の頃、ドライブの最中に舞が彼の口に運んだ思い出のケーキなのだ。



「恋人気分でってことだろ?」


「・・・・そうだけど・・・」



明らかに何かを待っている顔の彼。


こうして面と向かって言われると恥ずかしい。


あの時は、運転中だったのでそうしたのだ。


改まってあーんを強請られると、どうして良いか分からなくなる。


他の誰もいる訳がないのに、ぐるりとリビングを見渡してしまった。


舞が迷っている間にも橘の腕は、しっかりと妻の腰を抱え込んでいて、逃がさないと言外に告げて来る。



舞は覚悟を決めるとフォンダンショコラをフォークで一口サイズにするとそれを彼の口へと運んだ。


「はい・・・」


「んー・・・・・あまっ・・・・」


口に広がる甘さに彼がそんな感想を漏らす。


「甘すぎ?」


「いや、いいけど・・・なんかこれ、前のより甘い気がする」


的確な指摘に舞は慌てて目を逸らす。


だって、甘くしたんだもん。


舞の顔を見て、答えを見つけたらしい彼が、眼差しを甘ったるくしてこちらを覗き込む。


抱きしめられてるから逃げられない。


「すっごい甘いんですけど?」


「そっ・・・そう、良かったね」


「たしかめて」


そう言って唇にキスが落ちた。


予想以上の甘さが口いっぱいに広がる。


チョコの甘さと、別のところからくる甘さにクラクラする。



舞の気持ちを見透かすみたいに、深くなるキス。


昔以上に、大好きだよ?

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