第7話 恋せよオトメ

「まぁーい」


「・・・はーあーいー」


「あれ・・・なに?浮かない顔・・幸せ絶頂なんじゃないのーお?」


友世の声に部室の入口を振り返る。


点てたばかりのお抹茶。


静かな空間。


昼間の忙しさが嘘のような異空間は、茶道部員の憩いの場である。


靴を脱ぎながら友世が舞の顔をまじまじと見つめてきた。


「・・・幸せじゃないの!」


ぶすっと脹れっ面で言い返す。


だって友達に見栄張ったってしかたない。


それになにより、思いっきり愚痴こぼしたい気分なのだ。


「あらら・・どしたの?橘さん忙しいの?」


つい先日お付き合いを始めたばかりの彼の名前を上げて友世が尋ねてくる。


「・・・まーた出張」


「なるほどねー。あ、あたしも入れて?」


苦笑いして畳の上に上がった彼女のために、舞はポットからアツアツのお湯を


注いで即席抹茶を点てることにする。


「付き合って三か月よ?」


「一番いい時だよねーいいなー」


社内きっての高嶺の花として有名な川上友世を射止めた男性社員は未だおらず、麗しの姫君は高い塔の上で待ちぼうけを続けている。


「肝心の彼は東京だけどね」


「拗ねたってしょうがないでしょー」


「だって・・・」


「そーよねー久々の恋人だもんねー会えないと寂しいし、メール来ないと不安になるよねー・・分かるよ」


「・・・・うん・・」


高校卒業後ほんの少しだけお付き合いした、製菓メーカーの彼とは交際8か月で破局。


その後ずっと仕事一筋でやってきた舞にとって、橘は久方ぶりの彼氏だった。


舞は綺麗に粟立った抹茶のお椀を見下ろして小さく頷く。


じわっと広がった空虚感。


朝起きて一番に考えること。


先生のスケジュール、お教室のメニューと材料のこと。


昨夜寝る前に見た雑誌の美味しそうなお料理。


・・・そう。


舞はこれまでは完全仕事人間だったのだ。


甘口の見た目だと言われても、恋愛一色に世界が染まったことなんてこれまで一度だって無かった。


当然一人になって寂しいなんて思ったこと無かった。


だって、仕事は山積みだし、勉強することも調べることも、沢山あって。


お料理は好きだし、楽しいし、仕事場のメンバーはみんな良い人だし・・・


恋しなくても、自分の人生が潤っていたのだ。


それなのに、暇さえあれば携帯を見てしまう自分がいる。


時計気にしてしまう自分がいる。


1人の時間を持て余してる・・・これってこれって・・・


「見事に橘さんに嵌まってるね」


あーおいしい。


なんて言いながら呑気にお抹茶を飲む友世の方にずずいっと身を乗り出して舞は掴みかからんばかりの勢いで尋ねる。


「・・・やっぱり!?まずいよね!?」


意識していなくても、四六時中彼の事を思い浮かべてしまうのだ。


電車の待ち時間とか、駅からの帰り道とか・・寝る前とか・・・朝起きた時とか・・


「いいんじゃない?だって恋ってそうゆうもんでしょ?相手のことしか見えなくて、いっぱいになる。舞のこと見てれば分かるよ?橘さんに夢中だって」


「・・でも・・・・私ばっかり・・」


見えてる部分が少なすぎるから。


(だって会社での彼を知らないし)


ちょっとでも側にいて彼を知りたいと思ってしまうのだ。


独占、束縛、好きじゃないのに。


それでも大人でいたいから。


意地でも、見栄でも、貫いて、必死に聞き分けの良いフリをする。


二十歳すぎたら当たり前。


それなのに・・・割り切れない自分がいる。




☆★☆★




”こっちでトラブルがあって、帰るの一日遅れるよ。ごめんな”


届いたばかりのメールを眺めること3回。


何度見たって内容は同じ。


えー・・・・土曜日は朝から会えるって思ってたのに・・


ベッドで転がったまま天井を見上げる。


会いたいのに・・・


”仕事だもん、しょうがないよね”


“頑張ってね、待ってるから”


”疲れてるんじゃない?無理しないでね”


何て返事しようか迷って携帯を握りしめていたら着信を告げるメロディが鳴り出した。


画面を確かめることもなく通話ボタンを押す。


「もしもーし・・・」


「不貞腐れてるなぁ」


聞こえて来た声に舞は慌てて飛び起きる。


「とっ・・・と・・・徹さん!?」


「メール見た?」


「・・・見た・・返事考えてたの・・」


「なんて送るつもりだった?」


笑み交じりの声が甘やかすように耳をくすぐる。


さっきまで思ってたこと、どうせならこの際全部言っちゃえ。


ぎゅっと目を閉じて息を吸う。


「・・仕事頑張ってねって」


ほら、また。


心にもないこと言っちゃうし。


あーもう・・・


「それだけ?」


「・・・待ってるからねって」


「・・・それだけ?あとは?」


電波越しって分かってるのに、視界のどこかに彼のことを探してしまう。


いないって分かってるのに。


会えないって分かってるのに。


とうとう観念して舞は息を吐く。


「・・・・寂しいんですけど・・」


「うん」


優しい声がなぜだかとても嬉しそうで・・・泣きたくなった。


「・・・会いたいし・・・楽しみにしてたのに・・」


「うん。ごめんな。日曜日は朝から付き合うよ」


「買い物して、映画行って・・・こないだ見た雑誌のアイスも食べる」


早起きしてとびきり可愛い可愛い服着て・・メイクも頑張って、髪も巻いて・・・新しいサンダルを履いて行こう。


ようやく楽しい発想が浮かんできて、気分が少しだけ浮上する。


「いいよ」


彼が機嫌よく返事したのを良いことに次のおねだりを上げる事にする。


「お夕飯は私の好きなパスタにしてくれる?」


「トマトとバジルの美味い店探しとく」


舞が好きな組み合わせがすぐに飛び出して、頬が緩んだ。


「・・・・我儘過ぎ?」


「そんなことないよ。ついでに俺の我儘にも付き合ってくれよ」


「いいよーなあに?」


「婚約指輪買いに行こうか」


「・・・・・」


黙りこんでしまった舞の耳に聞こえてくるのは彼の穏やかな声。


「まーいー?」


「・・電話で泣かさないでっ」


抱きしめても貰えないのに。


必死で涙をぬぐったら、彼が一段と優しい声で言った。


「嬉し泣きだろ?」

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