第4話 正当なる権利

なんで好きって思った途端、臆病になるのはどうしてだろう。


恋心を自覚すればするほど、どんどん乙女心は弱くなる。




★★★★★★




「仕事どう?ちょっとは慣れた?」


結構な賑わいを見せる週末の店内はざわめきと、話し声と、静かに流れるBGMで満たされている。


それら全てが渦みたいに押し寄せてくるのになんでだろう?


この人の声だけは、ちゃん舞の耳まで届いて、響く。


そんな些細なことが、嬉しい。


頬張った甘い南瓜を飲み込んで、ひとつ頷く。


「ちょーっとだけです」


人差し指と、親指で僅かな隙間を作って見せたら、橘が笑った。


「もーちょっと慣れただろ?」


「まだまだですよー。これまでと、全然違う仕事だし・・・・そもそも、志堂グループのこと、私何も知らないし。本店やら分家やら言われても、いったいどこのことだか・・・」


本家を支える分家の存在と、そこに名を連ねる一族たち。


志堂の血を引く人間が会社に何人かいることは知っていたけれど名前だけじゃ、その人がいったい何処の分家筋かなんてわからない。


広報部に所属されている以上、一族の情報は正確に把握しておく必要があるのだが、いかんせん人数が多いのだ。


ケーキの材料を揃えるみたいに簡単にはいかない。


分家間の力関係についても、正確に理解しておかなくては、案内状の名簿順ひとつで揉めることになる。


「会社に居たら、嫌でも覚えれるよ。俺も、新入社員の頃、志堂の後継者を呼び捨てにしてえらく怒られたし」


「えっ!!志堂って・・・・うちの・・・ですか?」


「そうそう。あの、志堂専務。年だけ言えば、俺とタメだから、同期だと思ってさ。若い頃志堂専務は、関連会社ぐるっと挨拶がてら視察で回ってたんだよ。育ちの良さそうな普通のぼっちゃんって感じだったな。まあ、声掛けた途端、すかさずそばに居た別の同期に口塞がれたけど。でも、あの頃も、今も、変わらない、いい奴だよ・・・まあ、もうすぐ雲の上の存在だけど」


「・・・同期・・・・すごいですね」


愛妻家で知られる志堂専務が、数年のうちには社長に就任する事は決まっている。


現社長は少しでも早く引退して、妻と余生を楽しみたいと訴えているのだが、子供が小さい事を理由に志堂専務がそれを拒んでいる事は、広報部では周知の事実だ。


孫の面倒は任せろと真顔で訴える現社長と、子供が小さいうちだからこそ、親子の時間を優先させてくださいと突っぱねる専務との小競り合いは、役員フロアではお馴染みの光景でもあった。


まさか彼が、志堂専務と同期だったなんて。


本社会議の時くらいしか顔を拝んだことの無い専務が、急に身近な人間に思えて来る。


呆然とする舞に微笑んで、橘が笑う。


「ごめん。今日は話聞くために、会ってるのにな」


「いえ・・・十分聞いて頂いてます。仕事は・・・慣れるしかないって思ってるんで」


「部署の人数の多さにもびっくりだろ?前は、料理家の先生のアシスタント・・だっけ。小さい会社だったんだろ?」


「はい。社員みんなで5人の会社でしたから・・でも、今じゃ会う人みんな社員でしょ?名前覚えるのだけでも一苦労です」


“お疲れ様です”だけでも、1日何十回言ってるのやら・・・


”会社”というものが初めての舞は、社会人デビューしたての新人のようなものだ。


「息抜き出来てる?」


「・・・まだそこまでいかないです」


「そっかー・・」


「って・・・・あの・・・すいません・・・なんか、愚痴みたいなことばっかり言ってますよね。ごめんなさい・・」


もっと、楽しい話を・・・と思っていたのに、つい油断して余計な事を言ってしまった。


印象が悪くなっていたらどうしようと思ったけれど、彼から返ってきた答えは


「え・・・?なんで、いいよ全然」


というあっさりした一言。


「だって・・・私の話、つまんなくないですか?」


初対面の人とはあまりうまく喋れない。


はずなのに・・・・・最初から、この人だけは違った。


いつもみたいに、迷う前に口から言葉が出てくるのだ。


会話に詰まっても、彼は急かすことなく待ってくれるので、舞はきちんと自分の言葉を掴むことが出来る。


いつの間にかうんざりされてたらどうしよう?


生まれて初めて信じた“運命”からも見放されてしまいそう。


橘は、舞の言葉に呆れたように笑った。


頬杖ついて口を開く。


「俺が、話聞きたくて誘ったんだけど?」


「え・・・あー・・・・・はい」


「だから、つまんないことは無いよ」


「・・・・えっと・・・・・あの・・・・」


思わず言葉に詰まってしまう。


だってこういう場合なんて言えばいいのかわかんない!


どれだって当てはまるようで、たぶん、どれも当てはまらない。


正解を見つけ出す前に、彼が助け船を出した。


「もう、料理教室の手伝いはしないの?」


話題が代わってホッとする。


舞は俯いてしまった顔をやっと上げることができた。


「・・・先生個人の教室は、これからも続けられるんで・・土日なんかは、お邪魔させてもらう予定です」


「じゃあ、ケーキ焼いたら、気分転換になるかな?」


舞の脳裏に、卵と砂糖の甘い匂いに包まれたふかふかのスポンジが浮かんだ。


真っ赤なイチゴに、8分立ての生クリーム。


先生の教室は、いつも笑顔に溢れていた。


陽の当たる調理室と、庭に繋がるサロン。


先生のお母様が趣味でされているガーデニングで彩られた、小さいけれど眩しいお庭。


オーブンからスポンジを取り出す瞬間の幸せな香りを思い出す。


「・・・・きっと夢中になります」


舞が、一番自分らしくいられる場所。


眩しくて、愛しい、大好きな場所。


「やーっと笑ったなぁ」


橘がホッとしたように微笑んだ。


全てを包み込むような笑顔だった。


「・・・・・え」


「ケーキ焼いたら、また食わせてよ」


彼の言葉に、跳ねた心臓を抑えて、真っ赤になって頷く自分がいた。


これくらい・・・喜ぶ権利あるよね???

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