第3話 再会から繋がるのならどこ?

ビル街の雑踏の中で、彼女を見かけた。


そのまま通り過ぎることもできた。


けれど、気づいた時にはもう声をかけていた。


・・・・本人には言ったこと無いけど・・・たぶん、一目惚れだったんだと思う。



「安藤さん」


紙袋片手に、駅の方へ向かう彼女の隣に並ぶ。


やっぱりあの時と同じ甘い香りがした。


橘の顔を見てぱあっと表情を明るくした彼女が、頬を染めて見上げて来る。


必死に欲目を引っこ抜いても、目を細めたくなる位可愛らしい笑顔だった。


「この間の・・・橘さん!その説はありがとうございました」


丁寧に頭を下げられて、こちらこそと会釈を返す。


やっぱり声をかけて正解だった。


「こっちこそ。取材遅くなったんじゃないんですか?」


あの後、そのままの流れでお茶が始まって結局あの店を出たのは午後16時を回っていた。


それから取材を受けたのなら、かなりの時間になったに違いない。


「17時過ぎにはお店出れました。あのバームクーヘンを食べていただく為だけにお受けしたようなもんでしたから。楽しいお話も聞けたし・・・でも、まだまだ話し足りない位でしたね」


たぶん、裏の無い彼女の本音そのままなんだろうということは分かっていた。


料理教室以外の職場を知らない彼女にとって、普通の企業はかなり真新しい事だらけだったに違いない。


けれど、小さな期待を膨らませるには十分だった。


「今から出かけるんですか?」


「いえ、会社に戻るところなんです・・・あ、実はあの後、色々あって志堂に転職しまして」


飛び出した本店の名前に、思わず目を剥いた。


志堂にこの時期から転職できるとなれば、縁故採用は間違いない。


ひと月ちょっと前に会った時には、お世話になっている先生とは上手く行っている様子だったのに。


「色々って、あんまり突っ込まない方がいいのかな・・・?なんかあった?」


「あ、いえ!何か問題が起こったわけではなくて、先生が教室を閉じられることになって、次の就職先として、志堂を見つけてくださったんです。この不景気に有難いですよね・・・ようやく会社員に慣れて来たところです」


どこか着慣れない様子のビジネススーツのジャケットを軽く引っ張って、舞が苦笑いする。


彼女の身に何かが起こったわけでは無いのだと知ってホッとした。


そして、本店に転職したという事は、完全に無関係ではなくなったのだ、と胸の奥底がこそばゆくなる。


「ちょうど良かった。俺も今から本社に寄るとこなんです。そこの駐車場に車置いてるんで、送りますよ」


「え・・・でも・・・」


「本社ビルでしょ?うちの本社もすぐ近くだから、遠慮しないで」


まだ迷っているらしい彼女をやんわりと促してパーキングのあるビルの方へと爪先を向ける。


「ほんとにいいんですか?」


「もちろん。荷物もあることだしね」


そう言って彼女の持つ大きめの紙袋を指さす。


「・・・じゃあお言葉に甘えます。すいません」


にこりと微笑んだ彼女の柔らかい笑顔につられてこちらも笑顔になる。


「それ、持とうか?」


「いえ、そんな!・・・すいません」


彼女の手から取り上げた紙袋は結構な重さだった。


ちらりと見えた中身は・・・


「料理本か何か?」


「そうです。イベントのコラボレーションでお世話になった研究家の先生のレシピ本」


「へー・・・料理本なんて初めて見た」


「ですよね!」






ラッシュ前の大橋は意外と空いていて車は滑るように道路を走って行く。


順調なドライブは快適だが、このままだと予定よりも早く彼女を下ろすことになってしまいそうで、それだけが残念だ。


助手席に納まった彼女が、ちらりとこちらを見ながら尋ねてきた。


「橘さんって・・・甘いものとかお嫌いですか?」


「いや・・そんなことないよ。まあ、自分で進んで買ったりしないけど。事務所とか取引先への手土産にはよく買う」


「・・・男の人って、そうですよねー頑張って作ったチョコレート、友達にあげちゃったりするんですよね」


「ははっバレンタインかなんかの話?」


「そうです。学生の時に、一生懸命作ったチョコレートケーキを渡した途端、仲の良い男の子たちとみんなで分けて食べちゃったんです。あれはショックだったなー・・・」


「手紙とか渡さなかったの?」


「チョコレート渡したら、伝わるって思ったんですよね・・・甘かったのかあ・・・」


「中学、高校の頃の男なんて、ガキと一緒だよ。そいつも嬉しくて、みんなに見せちゃったんじゃないかなぁ」


「そうですかね・・・・ちょっと苦いけど、いい思い出です」


この間よりずっとよく喋る彼女は、表情も柔らかい。


緊張も取れたようで、気安い雰囲気のままドライブは続き、遠回りすることもなく(出来るはずなく)彼女の会社の前に車を停める。


「ほんっとに助かりました。ありがとうございました。実は、ケーキ持ってたんでできるだけ早く戻りたかったんです」


そう言って、膝の上に抱えていた小さい紙袋から小さな袋を取り出した。


指しだされた、オレンジの袋に自然に手が出る。


カップケーキ?


「打ち合わせ用に、私が作ってきたものなんです。残り物なんですけど、良かったら、召し上がってください」


「え・・・いいの?」


「はい。乗せていただいたお礼です」


にこりと笑って舞が車から降りる。


橘は慌てて身を乗り出すと、華奢なその腕を掴んだ。


迷っている暇はなかった。


「良かったら、今度夕飯食べに行かないかな?・・・・お菓子の話も聞きたいし。これの感想もその時に話すよ」


ケーキを持ち上げて言うと、彼女が頬を染めて頷いた。


「あ、はい・・喜んで」


「これ、俺の携帯番号。いつでもいいから、電話して」


ビルに入って行く彼女を見送ってから走り出す。


自分の行動の速さに、今更ながら驚いていた。

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