第30話 最初で最後の……
「んん……」
生ぬるくもどこか心地よい西日を感じて意識が鮮明になる。
夕方だ。
場所は教室の自席。
すでに放課後なのだろう。教室は閑散としていた。
どうやら疲れ果て、眠りこけていたらしい。
「あら、お目覚めですか?」
「ああ……聖良か」
目の前の席に、見慣れた黒髪を流す聖良が座っていた。
オレンジ色の夕焼けが、彼女の姿をより美しくて、麗しく演出する。
「おはようございます」
「おはよう。待っててくれたのか?」
「はい」
「そか。……さんきゅー」
きっと昼休みの約束を覚えていてくれたのだろう。
つまりは、ここがその場所になるわけか。
夕暮れの教室。
ベタだが悪くない。
「クラスの皆さんが、お疲れ様って。あと、ありがとうって」
「そか」
「二冠達成の祝勝会は夏休みに入ってからになるそうです。今日は里桜ちゃんがいませんしね」
「そりゃ……楽しそう、だな」
言いながら、自分の言葉に少し驚いた。
今日一日で、俺も何かが変わったのかもしれない。
「そうですね。ふふ、私たちが主役ですよ?」
「主役は聖良だろ。俺は脇役だよ」
「そんなわけないです。男子サッカーを勝利に導いたのは凪月さんです」
「いんや、俺一人じゃ何も出来なかった。そう甘くなかった。小早川先輩つよすぎなんよ。……だからまあ、それを言うなら一緒に戦ったみんなが主役、だな」
「そうですね。私も、ひとりではダメでした」
「そうなのか?」
「はい。試合中、皆さんがたくさん励ましてくれました。もうダメだって思ってしまう、弱い私を支えてくれました」
試合中にコミュニケーションを取っているように見えたのはそういうことだったのか。
チームメイトと会話することで、自分自身のメンタル補助にも繋がっていたんだ。
「凪月さん、サッカーって面白いですね。一人じゃ、決して勝てない。人と人との繋がりが、サッカーというスポーツなんです」
「……俺も今日、それを思い知ったよ」
最後の最後、個人の闘いにもつれ込んだあの時でさえ、倒れた俺を再び立ち上がらせたのは聖良の応援だった。
球技大会がサッカーで良かったと、心から思う。
もしも個人種目であの小早川先輩と相対していたらと思うとゾッとした。
俺はとてもじゃないが、一人で戦えるような強い人間ではないらしい。
先輩の言う、弱者そのものだ。
ふいに、聖良がこちらへ手を伸ばす。
「お疲れ様です。凪月さん」
ふわりと頭に乗せられた手が、髪を柔らかく撫でる。
「とても、かっこよかったです」
「……そうかよ」
上手くいったのは最初だけ。
あとは地面を這いずり、針に糸を通し続けるような試合だったけどな。
「ふふっ」
聖良はなぜか嬉しそうに、俺の頭を撫で続ける。
それが心地よくて、リラックスするのを感じた。
だから、ずっと言えなかったはずのこの言葉はいとも簡単に喉を抜けて出てきた。
「好きだよ」
やっと、言えた。
それは、俺がこの人生において初めて誰かに対して本気で使った言葉。
どこかで、いつかは言わなきゃいけなかった。
雅史くんの言った通りだ。そうしなければ、この関係は終わらない。
きっと小早川先輩もまた、それを肌で感じていた。
言ってしまわなければ、前に進めない。
そして俺はこの言葉を伝えるために、伝える理由を得るために、勝たなきゃならなかった。
あの小早川先輩に勝って。本気を見せて。今の聖良と同じ景色に立って。
その上でやっと、この告白が許されるような気がした。
自己満足だ。
でも、それだけ本気だった。
どれだけ傷付けられようと、弄ばれようと、最初に彼女へ抱いてしまった気持ちは消えてくれなかった。
むしろ、どんどん大きくなっていく。
こんなにも苛立つのに、ムカつくのに、彼女と話すことが出来ているというだけで全てが霧散してしまう。
まったくもって都合がいいことで。
そんな自分に今度はイライラした。
それでも。
「聖良。好きだ。好きなんだ」
「凪月さん……」
「俺と、付き合ってくれるか?」
長い道のりだった。
再会してからたいした時間が経ったわけではないけれど。
きっと、俺なんかより彼女にとっては長く、険しい道のりだった。
この瞬間のために、彼女がどれだけの時間を費やし、努力したのか。
昔その場所に立っていた俺には、それがわかるのだ。
だから、この日のために生きてきた彼女は————
「凪月さん。いえ、なつくん」
――――ぐんにゃりと、今までに見たことのない冷笑を見せる。
「ありがとう。とっても、嬉しいです」
歓喜。興奮。爽快。満足。同情。哀憐。躊躇。失望。空虚。憎悪。絶望。悔恨。恍惚。
そこには無数の感情が入り乱れていて、おぞましいとさえ感じた。
夜空の星々が分厚い雲で隠されてしまったかのように輝きを失った瞳から、涙が溢れる。
そしてその言葉、満願の想いと共に。
「ごめんなさい。お断りします」
「そっか」
「はい」
聖良の表情が、まるで魂が抜け落ちたような能面に移り変わる。
「これで、私の復讐はおしまいです」
そして、また。
堪え切れないと言ったふうに、それは吹き出す。
「あは。あはは」
「私があなたのことを好きなわけ……ないじゃ、ないですか……」
「期待、していたんですか?」
「今更……もう、そんな都合のいいことあるわけ、ないじゃ……ないですかぁ……」
「ぷっ。ぷふふっ」
「あはははははははははは!!!!!!」
聖良はまるで壊れてしまったかのように、涙を流し続けたまま、笑っていた。
ずっと、ずっと、笑っていた。
夕日の降りた空には、分厚い雲が多い始めていた。
光を失い、暗闇に包まれていく教室。
ふと、またしても笑いが止む。
そして、狂気の少女は言った。
『ざ
ま
あ
み
ろ』
すべての目的を果たしたはずの聖良が、俺にはもう、まったく嬉しそうに見えなかった。
復讐って、そういうことらしい。
俺の心もまた、空っぽで。
まるで暗い暗い闇の中へ堕ちてゆくかのようだった。
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