第29話 俺が欲しかったモノ


「まだだ! そんな小細工に、俺は負けない!」

「————ガッ!?」


 強烈なタックルに視界が、意識が揺らぐ。


「(あ、やば……)」


 気づいた時にはもう遅い。

 

 最後まで見誤っていた。

 最後まで測りきれなかった。


 現役で、エースとして、主将として、フィールドを駆けていた人間の強さを。


 地面を転がってから、この一瞬で俺に追いつくのかよ…………!?

 どんな体力、体幹、瞬発力————そして、意地。


「ぐ、お…………っ」


 バランスを崩した俺の斜め後方から、小早川先輩の身体がねじ込まれる。


「青山凪月————最後までキミは、弱者だな」


 まるで捨て台詞のように、小早川先輩が言う。


 あっけなくもボールは奪われ、今度は俺がその場に崩れ落ちた。


「あ」


 もう、ダメだ、これ……。


「ハァ、ハァ、ハァッ………」


 息、こんな切れてたっけ。

 カラダ、いてぇな……それに、思うように動かねぇ。

 膝も、笑ってやがる。


 立つことさえ、できねぇよ。


 なぁ、おい。

 誰にでもなく問いかける。

 俺、頑張っただろう?


 そうだよ、俺は弱者だ。

 一点目は、何の干渉もあり得ない完全なる不意打ち。

 二点目は、みんなのチカラを借りることで完成した最後の切り札。


 俺一人じゃ、こんなもんだ。


 あの人に勝つことなんて到底できやしない。

 土台無理な話だったんだよ。


 そりゃそうだ。

 多少頭を使ったところで、彼の愚直な性質を利用したところで、俺には何の積み重ねも存在しない。


 高校3年間、いやもっと長い間、サッカーのために心血を注ぎ努力してきた人間が、俺なんかに負けていいはずかない。


 サッカーという競技を好こうともせず、選り好みして、シュートしかしてこなかった俺なんかに……。


 もう、いいよな?

 これで終わりにしよう。


 聖良は先輩に告白なりなんなりされるだろうが、元々彼女が勝手に了承した話だ。

 そうだよ、俺には関係ない。

 これは元々、俺が色んな蟠りとか後悔とか想いとか願いとかを、胸の内に抱え込めばいいだけのことだったのだ。


 初めから、そのつもりだった。


 だから、この勝負は俺の負け————————




「がんばれ———————!!!!!!!!」




 …………おい、ざけんな。




「なつくん!!!! 負けるなーーーー!!!!」




 今更、どの口が叫んでやがる。




「がんばれ! がんばれーーーー!!!!」




 応援、できないんじゃなかったのかよ。


 つーか今までどこにいたんだよ。


 試合中も、ハーフタイムにだって、どこにも見かけなかったぞてめぇ。


『がんばれ、がんばれ。なつくん、がんばれ〜っ!』


 幼い頃の記憶。

 つまんねぇ、クソみたいな思い出。

 色を失ったはずのそれらの中で、唯一まだ、俺の中に残るモノ。

 失ってから、大事だと気づいたモノ。


 ざけんな。

 ざけんな。

 ふざけんなよ。


 応援なんていらねぇ。

 応援があるから頑張れるなんて、そんな女々しいこと言ってたまるか。


 俺は。

 俺は。

 俺はぁ……。


「ぐ、う、ぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 あいつの応援が、ずっとずっと欲しくて。

 それ以外はいらなくて。


 それだけが、ちっぽけな俺の心を満たしてくれた。


 だけどもう、俺にそんな資格はないから。


 もう、二度と手に入らないモノだから。


 俺の罪だから。


 俺は一度、自分を殺したのだ。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 だけど。

 もし。

 おまえが今、そんな俺に応援のコトバを掛けてくれると言うのなら。


「(ごめんな、小早川先輩)」


 初めて会った時、あんたの言葉に虫唾が走った。

 それはただの自己嫌悪だったみたいだ。


「なつくんーーーーーーーー!!!!」


 俺は何度でも、立ち上がれる。


 立ち上がった瞬間、ゴール脇にいた聖良と目が合った気がした。

 その瞳には涙が流れていたが、俺にはそのワケを聞く時間もない。


「いっけーーーーーーーーーーー!!」


 すぐさま、背後の小早川先輩に喰らいつく。


「それはまだ、俺のボールだっ……!!」

「青山凪月……!? まだそんなチカラが……!」


 わずかに嬉しそうな、小早川先輩の声音。

 渾身の力を込めたタックルで、さすがの先輩もわずかに揺らいだ。

 だが、すぐに押し返されて力は均衡。とてもじゃないが奪い返すには至らない。


 ここで少年漫画よろしく奇跡の超パワーアップでもあれば、楽なんだがな……。


「ぐ、が、あぁ! がぁぁあ!!!!」


 まるで言葉を失ったケモノのように、俺は小早川先輩へ身体をぶつける。

 こんな荒々しいプレーは初めてだ。

 しかしそれでも、小早川先輩は倒れない。


「…………見苦しいな、青山凪月」


 自我失ったかのように不様を晒す俺の有様を見てか、今度は悲しそうに呟く。


「これで、終わりにしよう」


 そして次の瞬間、渾身のチカラを込めたショルダーチャージが俺を襲う。


 が、


「なっ、に…………っ!?」

「…………正々堂々。そんなコトバ、やっぱり俺の辞書にはないよ、先輩」


 俺は先輩のタックルと同方向へ身体を引くことで、タックルを避けた。


「最後まで、キサマは…………」


 対象を失ったチカラに抗えず、小早川先輩は地面にもんどり打って倒れ伏す。

 自らの意思で体を投げ出した1回目とはわけが違う。受け身も取れない。

 今度こそ、すぐには立ち上がれまい。


 無闇やたらとタックルしていたのは、疲れ果て、頭に血が上っていると思わせるため。

 そしてあちらからのタックルを誘発するため。


 冷静だ。冷静だったさ。

 誰よりもクールで、そしてズル賢くなければ、幼い俺は神童なんて呼ばれちゃいない。


 そんなハリボテの称号を得ちゃいないんだよ。


 俺が冷静さを欠いたのは、あの頃も今も、聖良に関することばかり…………って嫌なこと思い出した。忘れろ忘れろ。


 今はそれどころじゃない。


 俺は奪い返したボールを持ってドリブルを開始すると、パニクって突っ込んできたキーパーを軽くかわしてボールをネットに流し込んだ。


 ぱさり、と乾いた音が響く。


「あんま好きなタイプのゴールじゃ、ねぇなぁ」

 

 爽快感など微塵もない。

 そもそもシュートと言えるのか? これ。


 しかし、ゴールはゴールだ。


 シーンと静まり返ったままのグラウンド。


 これくらいはしてもいいだろう。

 得点者の、そして————勝者の特権だ。


 俺は高々と右手を空に突き上げる。

 割れんばかりの大歓声が湧き上がり、同時に試合終了のホイッスルが聞こえた。


 たまには歓声も、悪くないかな。

 まぁ、べつにいらんけど。


 ゴールのあたりを見やるが、聖良は消えていた。


 おい。

 まさか俺の超超超頑張ったシーンを見てないとか言わないよな……?


 そもそもあれって本当に聖良だったのか?

 俺の願望が見せた幻だった可能性も捨て切れない……。


「って……あれ、うお?」


 視界がぐらつき、チカラが抜ける。


「おっと。大丈夫? 大将」

「危ねぇ危ねぇ。ヒーローが倒れちゃ締まらないぜ」


 膝が折れる直前、霧島と細谷さんが両肩を支えてくれる。


「ああ、大丈夫大丈夫…………じゃねぇよぉもぉぉぉぉぉぉぉうおおおおおおん」


 2人に全体重を預けて疲れのままに両手両足ブラブラする。


「身体うごかねぇよぉなんだよこれなんだよこれマジぃ……つーか痛い。やっぱ身体痛い。なに俺ってばもしかして岩石にタックルでもしてたの意味わかんねぇよもぉ。ねぇよく勝てたよね。ねぇ俺頑張ったよね。ねぇもぉゴールするよさよならお家返してぇ……!」


 泣き言が無限に出てくる。

 マジぜんぶ本音だから。

 許してもぉぉぉぉん。

 

「それだけ喋れるなら大丈夫そうだね」

「違いない」


 グズグズの俺を見て、なぜか2人は笑っていた。


 それからチームメイトやクラスメイトたちが合流して、めちゃくちゃ胴上げされたりもみくちゃにされた。

 だから身体いてぇんだって。

 勘弁してください。


 その場にも聖良はやはりいなかったが…………


「篠崎聖良、キミが好きだ!」


 は……?


 2年の集まりから少し離れたところで、あまりにも堂々と、その会話は行われていた。


 幻聴かなと思い耳をほじくるが、ちょっぴり泥がついただけだった。

 グラウンドにいる生徒全員の視線が、彼ら————篠崎聖良と小早川柊斗に注がれる。


「俺と付き合ってくれ!」


 おいおい。

 何してんだあの人こんな衆目の中で。

 そもそも、これじゃあの勝負は何だったのん?

 あんた負けたよね……?


 まぁ、たしかに負けた側が告白しちゃいけないなんて約束はないが……。


 さすがに格好悪くないかい?


 しかし、その威風堂々とした態度たるや。

 

 あれ?

 球技大会で勝ったのって小早川先輩だったっけ? って生徒の8割が思ったことだろう。


 かく言う俺も、実は負けてて、今までの胴上げは頑張ったで賞だったのかなと疑った。


 だが事実、小早川柊斗は負けたのだ。

 負け犬のくせに、往生際の悪いやっちゃ。


 だけどどうしてか、そんな行為をしている先輩が俺には眩しい。

 彼の告白には、想いには、初めから理由など必要なかったのだ。


 見方を変えればもしかしたら、あの勝負は彼から俺への配慮でもあったのかも。

 いや、それにしてもとんでもねぇわ。


「俺の苦労もしらないでまったくまぁ……」


 生き方が、真っ直ぐすぎるからだろうか。

 本当に気に入らないが、なんだか嫌いにはなれない先輩だ。


 そして長い長い沈黙の後。


「ごめんなさい。お断りします」

「……そうか」

「はい」

「理由を聞いても?」

「まぁ色々ありますが……負けた癖になんなのこの先輩マジウケるー。ちょ、写メ写メ。あとでSNSに晒しちゃおー、とか。思っちゃいますが」

「んなにっ!?」


 聖良さんマジ鬼畜。

 でも、その意見には俺も賛成だ!

 みんなで拡散しよう!


 しかしそれでも、小早川先輩にとってはノーダメージなんだろうなぁ。

 彼にとってこの告白は、きっとなんら恥ずかしいことではないのだから。


「でも……一番の理由は」


 聖良はにっこりと笑って、先輩に告げる。


「私には、好きな人がいるので」

「そう、か」

「ごめんなさい。ではこれで」

「ああ。ありがとう」

「どういたしまして、先輩」


 くるりと一転、聖良は先輩に背を向ける。


「これで俺も、前に進めそうだ」


 そう言って聖良と反対方向へ歩き出した小早川先輩は、何もかもに破れ去った一日だと言うのになんだか晴れやかに見えた。


 そんな小早川先輩の元に、そさくさと近づく女子生徒がひとり。

 たしか、3年の葛城凛子先輩だっただろうか。女子サッカーに出ていた。


 はーぁ?

 女に振られてすぐまた次の女だよおい。


「あーもぉ! 何やってんのよ柊斗あんた! 格好悪い格好悪い格好悪い恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!」

「お、おう葛城か。なぜそんなに怒っている?」


「あんたのせいでしょう!? あんたが恥ずいことばっかすると、幼馴染の私だって立場がないんだからね!? ほんとあんたって顔がいいばっかりで世間知らず非常識の大バカなんだから!!」

「そこまで言われることを俺はしたのか……? そもそも、俺が振られたからといって葛城には関係ないだろう」


「〜〜〜〜っ!!!! あ〜〜もぉ! 私が今日をどんな気待ちで〜〜〜〜!! …………まぁ私も負けたけどさぁ……そりゃもぉ完膚なきまでに、無様に、篠崎聖良に負けたけどさぁ……。はぁ私だって勝ったら胸を張って告白って……ごにょごにょ」

「すまない。なんだって? 最後の方がよく聞き取れなかったのだが」


「何でもないわよバカ! 死ね! 鈍感クソ真面目ゴリラ!」

「ゴリラではないと思うぞ。俺はおそらく人間だ」


 その会話を聞いて、今度は全生徒がこう思ったことだろう。


 ああ、ラブコメしてんなぁ。

 さっさと爆発しろ。と。


 俺もあんな甘酸っぱいラブコメがしたかったなぁ(遠い目)。


 そんなこんなで、球技大会は幕を閉じた。

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