……正直に言うと、作り話としか思えない。これが、副官の話を聞いた後の、俺の感想だった。

「副官殿は、いじめられていた亀を助けて、海の城へ行ったのでありますか……?」

「ああ、そうだ。城の暮らしは楽しかったが、私は実家に帰りたくなった。だから暇乞いを告げて、三年ぶりに故郷へ戻った……」

 俺は自分で気づかぬ内に、渋い顔をしていたらしい。副官は突然、言葉を切って、俺の方を覗き見た。

「……笑いたければ、笑え。甚だ、おかしな話だと」

「い、いえ! そんなこと、ないであります!」

 慌ててその場を取り繕うと、彼はそのまま話を続けた。曰く、久しぶりの故郷では、七百年もの時が流れていたそうだ。

「両親はどこかと尋ねたら、粗末な墓に連れていかれた。それを見て、私はやっと気がついた。ここは、私の見知った故郷ではないと」

「はぁ、それは……。大変なことで、ありますね……」


 ――適当に相づちを打った、その直後。副官が突如、立ち上がった。


「貴様に何が分かる!!」

 物凄い力で組み伏せられ、俺は首を絞められる。乱雑に切られた鋭い爪が、汚れた肌に食い込んで、痛い。

「七百年だぞ!! 七百年!! 私の知る故郷の全てが、何もかも、変わっていた!!」

 一瞬、視界が暗転する。恐怖で気絶したときの感覚に似ていた。

「三年経ったと思って、帰って来た故郷が……!! 七百年も経っていたときの気持ちが、貴様なんぞに分かるものか!!」

 ……苦しい。喉が絞まる。激昂した副官は、俺のことなどお構いなしに、両手の力をいっそう強める。

「父もいない!! 母もいない!! 想い人ですら、死んだと言われた!!」

 これほどまでに怒った副官を、俺は初めて目の当たりにした。気の狂いそうな戦場ですら、至って冷静であった彼が。黒い両目を見開いて、心の底から叫んでいる。

「皆が皆、見知らぬ格好をしていた!! 皆が皆、私を陰で嘲笑った!! 頭のおかしい変人が、この村にもいたもんだと!!」

 彼は大きく息を吐き、はっと気づいて俺から離れた。小さな声で、「すまない」と言いながら。

「……とにかく、私は愚かだった。姫から渡された玉手箱を、開けていれば良かったのだ。あの蓋は頑丈だったが、開けるべき私ならば開けられるだろうと、あの姫は言っていた」

「ひ、姫……?」

「姫は姫だ。確か、乙姫と言った」

 遠くを見つめた副官は、思い出したように語った。海の城を離れるとき、彼は姫から「玉手箱」を貰った。決して蓋を開けてはならないと、妙な約束をさせられながら。

「そうだ、玉手箱だ……。俺は姫に言われた通り、箱の蓋を開けなかった。だが、それが間違いだった……」

 禁忌を守った浦島太郎は、歳を取ることを忘れてしまった。玉手箱の中には、彼の「時間」が入っていた。だから、あの箱が開かない限り、彼の人生は動かない。どれほど自分を傷つけようと、時が止まり続ける限り、死ぬことさえできはしない。

「ははは……。そうだ、そうだよ……。開けないという選択肢は、初めからなかったのだ……」

 浦島太郎は絶望した。失意を抱えたまま、彼は故郷だった村を離れた。そして、何の理由も目的もなく、気づけば軍に入っていた。人がいればいるだけいい。そういう場所だったからだ。

「姫は必ず、私が蓋を開けると思って……! だが私は、それに気づかなかった……!」

 生きる意味もない。だが、死ぬ術もない。まるで、生きる屍のようだ。

 副官は、声を殺して泣いた。俺はただ、彼の肩が震えるのを、じっと見つめ続けた。

「その『玉手箱』と言うのは、一体どこにあるのですか……?」

「……分からん」

 その声は、あまりにもか細すぎた。近くを飛び回るハエよりも、聞き取りづらい音だった。

「流されたのだ、津波でな。故郷へ帰って来て、数週間が過ぎた頃だった。海辺の村にあった物は、揃いも揃って、灰色の波に呑まれてしまった」

 魔法の掛かった玉手箱は、開けるべき人の下を離れ、遠い世界に行ってしまった。なんとも不思議なことだが、俺は海底に沈んだ箱の様子を、容易に想像することができた。

「おそらく今頃は、世界の果てにでも沈んでいるのだろう。私はただ、誰の手にも届くことのない玉手箱が、開くようにと祈ることしかできない……」

 そうすれば、私は死ぬことができるのだからな。副官はそう言って、ひどく寂しそうに笑った。

「とても……、哀しい話で、あります……」

 ――俺には、それしか言えなかった。夜の帳が降りた島で、見張りの炎だけが明るかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る