15-2 村娘の逆襲

 アダマスの鎌の強烈な一撃に、またもや私は吹き飛ばされる。


 あんな早くて重い攻撃、まともに相手していたら私の身体が壊されてしまう。斧で受け止めるどころか、右へ左へ避けるのに必死な私に、アナスタシアが鎌を振りながら何事か叫んでいる。


「ああ、鬱陶しい! 先に王都に送ったメデューサたちを捕まえたのもあなたなんでしょう! 出しゃばりな村娘が、何度わたしの計画を狂わせれば気が済むんです?!」


 クラリス様と同じ銀の目の瞳孔をかっ開いて暴れるアナスタシアに、今の状態では近付くことができない。


 一瞬でも攻撃の隙がないかと伺っていると、アナスタシアの目が白く光った。びっくりした私の首元に鎌が迫る。

 間一髪で避けたそのタイミングに、文字通り光の速さで私の懐に入り込んだアナスタシアが、胸ぐらを掴み上げてきた。


 まずい。彼女の手が伸びた先には、懐中時計の入っている胸ポケット。私はすばやく相手の胴を蹴って突き放し、斧を振りかぶった。

 次の瞬間、鎌で弾き返される。斧を伝って衝撃を受けた身体がぎしぎし言った。


 アナスタシアは舌打ちをして宙から私を見下ろした。


「わたしの邪眼も効かないなんて……ネメアの獅子さえ、神話の存在だから、星の守護を受けているのに。まるですっからかんな村娘は逆に厄介ですね」


 そう言うわりに、アナスタシアは全く余裕を乱していなかった。望めばすぐにでも狩れる食材の獣を前に、どうやって料理してやろうかと考えている人間の目をしている。


 私は冷や汗を流す。アナスタシアの強さは異様だ。私がまだ致命傷を受けずにいるのは、彼女が私に激しい攻撃を当てて懐中時計を壊さないように注意しているからだろう。ただでさえ通常の時間軸を超えた存在であるこの時計を、安易に破壊したりしたら、どんな影響があるか分からない。興奮した頭で、そこまで考慮することのできるアナスタシアは、なるほど聡い人間と言える。


 ドォォオン……。

 風の音と、鎌がそばを掠める音でいっぱいの耳に、時折爆発の振動が届く。


 地上で戦っているオリバーたちだ。もくもく上がる煙の中で、金色の羊が縦横無尽にメデューサたちの間を駆け巡り、戦況を混乱させている。

 メデューサたちは、指揮を取る者がいないのか統制が上手く取れず、大群であることが裏目に出ているみたいだ。その結果、あまり血を流さずに足止めが成功している。何やらバーサーカーモードに入ってしまったパトリックがメデューサを蹴散らして高笑いしている声もするが、無視しておこう。


「ほら、油断大敵ですよ!」


 ほんの少しの隙を見逃さず、アナスタシアが突進してきたので、慌てて身体を倒す。

 鎌の刃をすれすれで避けた私は、くるりと回転して斧を振る。力を込めた戦斧は、確かにアナスタシアの鎌を持つ腕に当たったはずだった。


 しかし、カキンと固いものを打つ音がして、私の攻撃は跳ね返された。なに?


「あなたのお仲間さん、便利な権能を持ってるんですね」


 アナスタシアの言葉に私はハッとして地上を見た。爆風とメデューサたちの攻撃から、ハネルとオリバーを守っているパトリック。文字通りにその身を盾にしている彼の権能は『ポルックスの剛健』。あれをコピーしたんだ。


 やられた……! これじゃ、一発で致命傷を与えない限り、アナスタシアを倒すことができない……!

 事態の難しさに立ちすくむ私を見下ろしたアナスタシアは、優しい顔つきになって話しかけてきた。


「ねえ、ルイーゼさん。放っておいてくれれば、わたしはつつがなく新しい宇宙の創世主になるんですよ。世界をどう作るかもわたしの意のまま。わたし、時計を渡してくれるなら、新しい世界であなたを王さまにしてあげてもいいです。他にも望みを叶えてあげましょう。それでも不満がありますか?」

「はっ。ぺらぺらと御託を並べて、所詮気狂い娘の妄想じゃないの」


 鼻で笑って挑発してやれば、アナスタシアは聖女の仮面をひっぺがし、憎悪で顔を歪ませた。

 さあ、もっと余裕をなくしてしまえ。


「何を……薄汚い木こりのくせして! わたしはお姫さまなんです。わたしをいじめる、こんなクズな世界じゃなくて、もっと素敵で綺麗な場所で、みんなに大事にされるべき存在なんです! わたしにはその権利がある!」

「だから世界を作り変えるって? 大層なお話だね。そんなクズな世界で必死に、幸せに生きている人間のことなんか考えもしないで!」


 斧を握りしめれば思い出す。故郷と、そこに暮らす人々の姿。それから家族のこと。


 外界から離れて、森の奥にぽつんとある小さな村。それは昔、近隣の町から追放されて、森をさまよっていたはぐれ者たちが集まって作った村落だった。

 いろんな人がいたという。犯罪者もいれば、捨てられた子供や、病人、障がい者もいた。森は暗くて、そこら中にオオカミやヘビがいて、危険な場所だった。


 それでも、何とかして明日を生き延びることを選んだ彼らは、木こりになった。そして手を取り合い、斧を持って、「クズみたい」な環境の森を開拓した。その末に私や弟妹たちが産まれたのだ。

 今の私がいるのは、祖先たちの生きる意思のおかけだ。そして、今度は私が、弟妹たちの、故郷の未来を守るために戦っている。


「世界を作り変えたり……時間を巻き戻したりすれば、殺されたり傷ついた人の痛みがまっさらに消える訳じゃない」


 戦禍に巻き込まれて森が焼かれて、村の人たちが次々に息絶えていく光景は、この先そんな未来を回避できたとしても、忘れられるものではない。あの時のみんなの苦しみは本物だったし、その苦しみは報われなかった。


「ましてや、あなたはクラリス様を泣かせた」


 王女として生かされた自分の命を、民のために、国を守るために使うのだと言ったクラリス様。その姿に私は、ありきたりな憧憬以外の、何か切なくて暖かい気持ちを抱いた。

 そんなクラリス様の覚悟と愛情を、アナスタシアは当然のように踏みにじったのだ。クラリス様が愛したこの国と世界を、平気で壊そうとしているのだ。


 許されることではない。いや、私が許さない。


「クラリス様の妹分として、不義理な実妹を成敗させてもらうよ!」


 私の宣言を聞いたアナスタシアは、目を大きく見開いた後、薄く微笑んだと思えば、こめかみからぶちぶちっと鈍い音をさせた。

 アナスタシアの堪忍袋の緒が盛大に切れたらしい。


「ああそう……そうですか……あなたの度胸だけは買ってあげましょう」


 そして大きく、月さえ狩るように高く鎌を掲げると、銀の瞳を暗く染めて、


「死ね」


 黒光りする切先が私の喉を狙う……。

 目前に迫った危機にも怯まず、私は瞬きをしないで彼女を睨み続けた。


 もう諦めない。私は死なない。こんな奴のわがままのために、私は死なない!


「師匠、今です!」


 私の叫びに、「は?」とあっけに取られたアナスタシア。そんな彼女の腕を、後ろから突然ぐいっと引っ張る手があった。


「こんにちはー、白馬の王子でーす」


 爽やかに長い銀髪を風になびかせる師匠は、正確には馬ではなく白いユニコーンに乗っているし、さらに言えば王子でもないのだが、それにツッコむ人間は今いない。アナスタシアは自分の腕を掴んだ師匠に気付いた途端、全てを理解したのか、顔色を変えた。


「なぜよりによってあなたが……きゃっ!」


 ふいに、アナスタシアは空中でバランスを失い、宙を踏んで足をぱたぱたさせた。彼女が纏っていたきらきらとした光が消えていく。

 呆然とするアナスタシアに師匠は鋭い目を向けた。


「僕を毒入りマフィンで操ろうとしたのは、君にとって特に厄介な僕の権能を抑えておきたかったからだよね。アンドロメダ座の守護を受けた僕の権能『アンドロメダ姫の解放』が、他者の権能を無効化するものだということを、どうして貴女は知っていたのかな。っと、おわ、やばいやばい、落ちる!」


 『ペガサスの足』が無効化されたために、その細腕にアナスタシアの全体重とアダマスの鎌の重みがかかった師匠は情けない悲鳴を上げた。そんな師匠に構わず、アナスタシアは王宮の方をばっと向いた。

 そう、たった今、クラリス様を拘束していた『ヘパイストスの網』も解除されたはずなのだ。


「逃げられる! くそ、この!」


 アナスタシアはもがいたが、権能が無効化されている今は、重い鎌を上手く扱えないでいる。権能や呪いの術の力がなければ、戦闘職でない彼女はただの人間である。だからこそアナスタシアは師匠を警戒していたのだろう。


 師匠が他人にあまり権能のことを明かさないのは、その権能単体では何の力もない割に、何かと悪用されやすいからだ。そして、師匠がパトリックを自分から遠ざけるのは……弟の身を守る『ポルックスの剛健』を無効化し、彼を傷つけることを恐れているためでもある。

 弟を思う兄の気持ちが、妹に囚われた姉を解放させたのだ。


 ドォォオン……。

 爆発音と、誰かさんが「それメデューサども! ボクは無敵だぞー!」と元気に戦っている声がする。それを遠い目になりながら聞いている師匠を見て、私は心の中で合掌した。きょうだいは大変だ。


 じたばたしていたアナスタシアは、いったん抵抗を諦めたのか、ふっと息をついて師匠を見上げた。


「捕まっちゃいました……ここは大人しく引き下がります。牢にでも何でも放り込んでください」

「そうやって王都に留まり、次の反撃の機会を狙うつもり? そうはさせないよ」

「へえ? 博士、王都が今、絶賛メデューサに攻め込まれ中なこと忘れていませんか? あれを止められるのはわたしだけです。爆薬で撹乱しながら頑張ってるみたいですけど、城壁を突破されるのは時間の問題……」


 しかし、アナスタシアが言い終わらないうちに、勇ましい雄叫びが私たちの耳に届いた。門が大きく開かれて、赤いマントの集団が飛び出してくる。

 紅騎士団の援軍がやっと到着したんだ。


 先輩たちがボロボロになっているオリバーとパトリックを見つけて、「よくやった!」「偉いぞ」と声をかけていく。それを聞いて安心したらしい二人が、力が抜けたように、ちりちりになったハネルの金の毛に倒れ込むのが見えた。よく頑張ったね、二人とも。


 そして、城壁を背にする紅騎士団と、メデューサの大群が正面から対峙する。

 これから、人間対メデューサの大決戦が始まってしまうのだろうか。そうなったら、どちらが勝とうとも双方無事では済まないだろう。私は固唾を飲んで見守った。


 ところが、どちらが先に戦いを仕掛けるかと様子見がされている時に、『待った!』という声が人間側からした。

 前に出てきたのは、手枷を外したアルファさんとベータさん。それを見たメデューサたちは、『なぜ自分たちの仲間が紅騎士団の方についている』と混乱しているようだった。


 眉をひそめたアナスタシアは、アルファさんたちに向かって手をかざし、何やら首を捻っている。

 そんな彼女の様子を見て、師匠がにっこり笑った。


「僕がプレゼントした指輪、つけてくれてありがとうね」


 アナスタシアがわずかに息を呑んだ。彼女のほっそりした手には、金の指輪。

 ……呪いの術封じの力が施されたものか。なるほど、これを作るために、師匠は舞踏会の直前まで研究室に篭りっぱなしだったのね。


 颯爽と現れたアルファさんは空を仰いで、アナスタシアの姿を見つけると、ふふんと得意そうに笑った。


『お世話になったわ、大婆様の秘蔵っ子ちゃん。あたしたちの復讐に手を貸してくれたことは感謝するけど、首輪が鬱陶しくなっちゃったから、もうあんたの子飼いはやめるわ』


 高らかに宣言した彼女から、もう口封じの呪いの術が解けたことが分かった。

 アルファさんの後ろから出てきたベータさんは、何かを腕に抱えたまま、白い眼光をさらに鋭くすると、目の前のメデューサたちに話しかけた。


『キョーダイたち、聞いてくれ。オレはクラリスとかいう奴が嫌いだ。オレたちの仲間を殺したからだ。だからオレは"お姫サマ"も憎い。……口封じの術で、仲間を殺しやがったからだ』


 ベータさんは脇に抱えていた丸い物体を突き出した。

 それはホルマリン漬けにされたメデューサの頭……それも二つ。一つは、クラリス様が切った擬態の権能を持ったメデューサだろう。そしてもう一つは、きっと、牢の中で死んだあの個体。どよめくメデューサたちに向けて、ベータさんは生首を高々と掲げた。


『見ろ、どっちも人間に殺されたんだ。オレたちは、人間に楯ついても、従っても殺される。ならどうすれば安心して暮らせるか、頭が悪い俺には分からない。だが、ここでオレたちが人間どもと戦ったら、また数え切れねえくらい仲間が死ぬってことだけは分かる』


 メデューサの白い目からは涙が出ないという。しかし、ベータさんは泣いているかのように肩を震わせて訴えた。


『もうやめてくれ。帰ろうぜ、キョーダイ。ここにいる赤マントの奴らは、オレたちをお前らの所まで連れてきてくれた。敵意はねえんだ。ボライトンの糞野郎も捕まった。もう怯えなくていいんだ。だから、もう、オレはただ帰りたい。帰りてえよ……』


 小さくなっていく声に従うかのごとく、メデューサたちの様子も目に見えて大人しくなる。仲間思いの彼女たちは戦意を失っていっているようだ。


 それを紅騎士団も黙って見ている。門の向こう側には、いつの間に集まったのか、街の人々がベータさんの言葉に聞き入っていた。どうやら、派手な爆発音を響かせたりして戦っているうちに、眠っていた街の人々も起きてしまったらしい。


 何千人の人々、メデューサがいる戦場に、あり得ないほどの静けさが訪れた……。


「この恩知らずどもが」


 アナスタシアの低い呟きに、私がハッとして振り返ると、師匠はとっさの隙に、アナスタシアに手を捻られて「うわっ!」と彼女を離してしまった。


 再び宙に浮かんだアナスタシアは、今度はどんなひどい暴れ方をするかと思ったら、鎌の柄で自分の手を打ちつけた。その指からこぼれ落ちるのは指輪の破片。呪いの術封じを解いたのだ。

 アナスタシアはだらりと鎌を持つ手を下げて、もう片方の手を高く上げた。


「メデューサたちさえ、最後までわたしを認めなかった。結局わたしには、家族や、家族の代わりとして接してくれる存在はいないんですね。いいでしょう、あなたたちがわたしを受け入れないというのなら、相応の報復を食らわせるまでです」


 ぱちんとアナスタシアが指を弾くと、天の星々にまぎれて、一際きらりと強く光るものが現れた。それは徐々にこちらに近付いてきて大きくなり、夜空がじわりと明るくなった。


 地上の人々は不思議そうな顔でそれを見上げていたが、だんだん事態が分かってくると、一斉に真っ青になって悲鳴をあげた。わたしもその内のひとりだ。

 ……こんなことってある?


「クズはクズらしく、銀河の塵を食らってお死になさい!」


 アナスタシアの言葉に従って、特大級の隕石が王都に落ちようとしていた……。

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