15-1 村娘の逆襲

「それいけロックンロール!」

「メェー!」


 寝静まった王都の街並みを、金色に光る羊が人を乗せて駆け抜けていく。


 ハネルの上に乗っているのは、私とオリバーとパトリック。オリバーがハネルの頭を撫でて「三人も乗って重いよな、頑張ってくれ」と声をかけると、ハネルは不服そうにしながらも「メェ!」と元気な返事をした。


 風を切って走るハネルの毛にしがみついた私たちは、空の向こうにきらきらと光る光線を見つけた。あれがアナスタシアだ。


「ところでルイーゼ、俺もお前がどうするつもりなのか心配なんだが。まさか無策で突っ込んでいく訳じゃないよな?」


 オリバーの問いかけに、私はうなずいた。

 この先の城門の付近には、師匠が亡命のために待機しているはずだ。師匠はマチルダさんと共謀していたのだから、アナスタシアの秘密についても少なからず察している可能性が高い。きっと何かしらの策を用意してあるだろう。


「えっ亡命ってなに? 兄上、そんなにボクと王都で顔を合わせるのが嫌だったわけ?」

「あやば、言っちゃった……。事情は言えないけど違うからね、落ち込まないで」

「そっか、確かにいくら嫌いでも国を捨てるほどの価値はボクにないもんね……」

「どうしてあなたはお兄さんのことになるとネガティブ思考になるんだろうね?! もっと自己肯定感高めにいこうよ!」

「お前たちーうるさいぞー」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら進んでいると、門番も置かれていない寂れた城門にたどり着いた。

 木製の大扉を勢いのままぶち破って、急ブレーキをかける。私は辺りを見回して、師匠の姿を探した。

 城壁のそばに王室専用のユニコーン馬車が止めてあるのを見つけて、私は駆け寄ると「開けてください! ルイーゼです!」と叫んで窓をバンバン叩いた。中にいた師匠は慌ててドアから首を出した。


「ルイーゼさん! ごめんね、僕今ちょっと忙しくて、まもなく出発しないといけないんだけど」

「クラリス様とマチルダさんなら来ませんよ。アナスタシアに襲われたんです」


 師匠は目を見開いた……。


「師匠はアナスタシアの企みに気付いていたんですか?」

「いや……あの子のことは何も知らない。ただ、僕はあの子がメデューサの呪いの術を使っていることに気付いただけだ。ほらこれ」


 師匠が取り出したのは、いつかアナスタシアが師匠に渡していたマフィンが入った袋。


「メデューサの血の効果を発見した後、僕はメデューサたちにかけられた口封じを解くために呪いの術について研究していたんだ。そんな時にアナさんからお菓子をもらうようになって、マチルダから警戒するように注意されたから、まさかと思って調べてみたら……メデューサの血が検出された」


 そのマフィンを解析すると、さらに、人の心を操るための高度な呪いの術がかけられていたのだという。

 師匠はそこで、アナスタシアが実は占星術及びメデューサの力について下手な学者よりもずっと博識なことを知った。


「その時点では、まだ、アナさんがボライトン家にその力を利用されているだけか判断がつかなかったんだ。でも、そうか、全てのことははっきりしたんだね」


 私がアナスタシアが隣国に向かったことを語り、アナスタシアの目的を話すと、師匠は暗い顔つきになって考え込んだ。


「とにかく、彼女を追いかけるしかない。空に囚われたクラリスを解放するためにも、『ヘパイストスの網』を解除させないといけないしね」

「この馬車を使ってすぐに向かいましょう」


 私たちが話し合っていると、何やら遠くの方から地鳴りと振動が地面を伝ってきた。

 揺れる馬車の中で師匠が「何事だろう?」と首を傾げた時に、オリバーが走ってきて叫んだ。


「ルイーゼ、大変だ! 北東の方角からメデューサの大群が押し寄せてきている!」

「ええ?!」


 慌てて飛び出すと、地平線の彼方から、大勢の黒い影がわらわらと蠢いて来ているのが分かった。人間にあるまじきその巨体と、うねうねする髪は、どう見てもメデューサ。

 王都を攻めにきたんだ……まずい。アナスタシアも追わなきゃならないのに、あんな数を相手にしたら死ぬ。


 気が遠くなる私の隣で、オリバーが静かに「じゃ、ここは俺たちが応戦する」と言ったので、私は驚いて彼に向いた。


「なっ! それは無茶すぎるよオリバー! 今から仲間を呼んでも、増援が来る前に攻め込まれるし、メデューサ一体相手でも私たちは太刀打ちできなかったのに。その上、あなたは邪眼に……」

「また操られるかもって? お前なあ、いつまで俺がつまらない感情に引きずられてると思ってるんだ」


 複雑な気持ちがこもってそうなため息をついたオリバーは、メデューサの大群を見据えて言った。


「大丈夫。俺もあの時ほど未熟じゃない。騎士が大切にするべきなのは、他人と比較して自分が弱いかどうかじゃなくて、きちんと守りたいものを守れるかどうかだ。今度は間違えない。俺は紅騎士団として王都を守る」


 厳しい表情をしたオリバーは、すぐに相好を崩して「まっ、本当のところは、まだまだ劣等感ありまくりなんだけどな。行ってこいよ、ルイーゼ、しんがりの役目は果たす」と物騒なことを言い放ったので、私の心配は微妙に晴れなかったが、彼を信頼してうなずきを返した。


 オリバーが王宮に向けて増援を頼む伝令矢を飛ばした時に、パトリックが走り寄ってきて「ルイーゼ。兄上と少し話させて」と言った。


「パトリック、でも……」

「今はアーバスノット領が云々の話をするつもりはないよ。騎士として聞きたいことがあるんだ」


 迷ったが、真剣な目をするパトリックのために、私は扉の前から退いて二人を引き合わせた。パトリックがいることに気付いた師匠は、少し目を丸くして眉をひそめた。

 パトリックはそんな兄の態度にも怯まずに言った。


「アーバスノット博士、亡命のことはお尋ねしません。ボクが聞きたいのは、城壁に隠されているという火薬についてです。王都防衛のために、門の近くには必ず武器と火薬が保管されているらしいですが、新人のボクは場所を知りません。貴方ならご存知かと」

「火薬? それでメデューサに対抗する気? 悪いけど、あの数を倒すには明らかに量が足りないよ」

「いえ、それで結構です。メデューサを全滅させなくても、撹乱して、王都を攻める意志を失くさせればいい」


 私はパトリックの作戦に内心驚いた。戦力が絶望的な今の状況では、たしかに英断だと思うけれど、およそ騎士らしくない戦い方だ。師匠も首を横に振った。


「お前たちに爆薬は扱えない。足止めで死ぬくらいなら援護を待って逃げなさい」

「扱えますとも。小さい頃、屋敷の裏で楽しい楽しい爆発実験をしてくれて、森の一部が焼け野原になったことをお忘れですか」


 師匠は黙り込んだ。そして、何か言いたげにしてはいたが、最後には諦めて火薬の隠し場所をパトリックに教えた。

 馬車で空へと飛び立つ前に、師匠はオリバーたちに言った。


「本当は貴方たちにこんな重い役目を背負わせたくなかったんだけど。どうか気をつけて、女王陛下が瀕死で、太陽系の望みを託されたクラリスがアナスタシアの手の内にある今、王都が陥落したら、セント=エルド大王国が占領されるだけでは済まされない。この騒動は宇宙の勢力争いと連動しているから……」

「エリスの勝利と、新たな宇宙の誕生を意味する訳ですね」


 すなわち、既存のこの世界は崩壊する。


 説明を聞くと、オリバーは冷や汗を流して「ちょっと待って、責任重すぎる」と今更になって気後れしたみたいだったが、パトリックに「ほら! もうメデューサたちそこまで来てるよ!」と背中を突かれると、迷いなく剣を抜いて私に叫んだ。


「とにかく、後は任せてくれ! 行け、ルイーゼ、世界平和のために!」

「オリバーこそ、世界の平和を頼んだよ!」


 もはや大袈裟でもなんでもなくなった、壮大すぎる激励の言葉を交わして、私たちは空と地に別れた。

 星の散る夜空を駆ける馬車の中で、私は師匠に尋ねた。


「……で、アナスタシアを止めるのに何かいい案はありませんか? このまま戦うと私、たぶん負けちゃうんですけど」

「清々しいまでの丸投げだね?!」


 たまらず叫んだ師匠に、私は不甲斐ないと思いながら頭をかく。いやー、希望を胸に勇ましくやって来たはいいけど、やっぱり私もまだまだ未熟な十六歳でしかない訳でして。

 村娘あがりの新人騎士である私にあるのは、無鉄砲に限りなく近い勇気と、この腰にさした斧だけだ。


 深いため息をついた師匠は、椅子の下から何かを取り出して、ぽいっと私に向かって投げた。慌てて受け取ったが、これは……妙な飾りがついたサンダル?


「それは水星の守護を受けたといわれる聖王が作った翼のあるサンダル。伝令神ヘルメスの力が付与されていて、普通の人間でも空を飛ぶことができるよ」

「聖王のハンドメイドって意外にたくさんあるんですね。というか師匠、これって聖具じゃないですか? 王宮で保管しておくべき物でしょう?」

「国外逃亡にあたって、マチルダが宝物庫からかっぱらって来てくれたの。他言無用だからね」


 釘を刺してくる師匠に、私は遠い目をした。クラリス様もたいがいだが、錬金術に手を出す師匠といい、マチルダさんといい、国の要人のくせに躊躇なく法律や禁忌を破る人たちばかりだな……。

 私はサンダルを握りしめて、師匠を見た。


「じゃあ、これでアナスタシアに近付いて、私が気を引きます」

「気を引く?」

「はい。とどめは、あなたに。アナスタシアの権能を止めさせるためには、師匠の権能『アンドロメダ姫の解放』が必要です」


 そう告げると、師匠は肩をすくめて「なーんだ、ちゃんと策は練ってたんじゃない」と言った。

 窓の外にきらきらと輝く光線。見えた。私はサンダルを履き、馬車の扉を開くと、風にかき消されないよう、遠いアナスタシアの背中に向かって大声で呼びかけた。


「アナスタシア・フォン・エルド! 国家反逆罪のもと、大人しく連行されるか……」


 私はふわりと空に浮いた。まだこのクツに慣れていないので、足元がぐらつく。そこを踏ん張って、私は言い放つ。


「ここで処刑されるか、選べ!」


 振り返ったアナスタシアは、ふんと嘲笑を浮かべた。そりゃそうだ。『ペガサスの足』に比べれば、ユニコーンもサンダルも牛の歩みレベルに遅い。彼女と戦うどころか、追いつくことさえできない。


 しかし、私が胸ポケットから銀の懐中時計を取り出して掲げると、わずかにアナスタシアが怪訝そうな表情をした。

 私は懐中時計のネジ巻きに手をかけて言った。


「貴様が止まらなければ、また何度でも時を巻き戻すまでだ!」


 アナスタシアの顔色がさっと変わって、私を睨んだ。そしてちらちらと天を見上げて、月の姿を確認している。私は繰り返す。


「さっき、この時計が異様な輝きを放つのを見ただろう! この聖具は今も土星の主神クロノスの力を帯びているぞ!」


 もちろん、これはハッタリだ。先程はたまたまホロスコープの上にいたため天から一瞬力が通じただけだし、あの時の逆行は、月食が起きて、星々の力のバランスが崩れた隙に起こされた奇跡だったから。アナスタシアを守護するエリスの力が盤石な今は、そんな芸当できるはずがない。アナスタシアはそれを知っている。


 それでも、アナスタシアはぴたっとその場に止まって、無表情で私を迎えた。不穏分子はどんなに小さくても潰しておきたいようだ。よほど目的を果たすことに焦っているらしい。それは、私が一度時間を巻き戻して、彼女の計画を真っ白にしてしまったからだろうか。


 なんでもいい……私は、斧を抜きながらアナスタシアに笑いかけた。


「月が綺麗ですね」


 曇りのない満月の夜に、戦いの火蓋は切って落とされた。

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