14-2 妹の覚醒

 わたしはお姫さま。

 小さい頃から、そう言われて育った。メデューサたちから。


 「大婆さま」と呼ばれるメデューサの王さまが、わたしをすごく大事にするから、お姫さま。わたしを傷つけたり、わたしに妙なことを教えたメデューサは、大婆さまによって住む場所を追い出された。追放されたメデューサは、だいたい人間に見つかって殺された。

 わたしたちは人里を離れ、曇り空の荒野でひっそりと暮らしていた。


 大婆さまはわたしに色んなことを教えてくれた。

 普通の勉強から、占星術、禁断の呪いの術まで。覚えの早いわたしは、大婆さましか使えない秘術まで身につけて、よく可愛がられた。でも、もしわたしが出来の悪い子だったら、きっと簡単に捨てられていただろう。だから必死で学んだ。

 仲間意識の強いメデューサたちの中で、「家族」のいないわたしの孤独を大婆さまが癒してくれていた。


 わたしはメデューサたちの集落で唯一の人間だった。メデューサにとって、人間は万年の敵であり、迫害者だった。わたしはメデューサたちから丁重に扱われたけれど、本心ではわたしを蔑み、怖がっている者も多いことを知っていた。


 そういうメデューサたちを見返してやるには、この土地の領主に囚われたというメデューサの仲間たちを助けてやればいいと、大婆さまはわたしに言った。

 わたしは、もちろん、下っ端のくせに偉そうな口をきくメデューサたちのことが気に入らなかったので、大婆さまの提案に賛成して、大人になったら、お姫さまらしく人間どもを支配して見せてやろうと思った。


 そんな時だった。囚われていたメデューサたちや、下っ端のメデューサたちが暴動を起こして、人間をたくさん殺したあげく、たったひとりの騎士に鎮圧されてしまったのは。


 メデューサたちは大慌てで洞窟に逃げて行き、まんまとそこに封印された。そしてわたしだけが人里に残された。

 別れ際に、大婆さまは、いつか人間の国を乗っ取って、メデューサたちを救い出してくれと言った。わたしはその言葉を支えにして、ひとりぼっちに耐えた。


 下町の人間たちは最悪だった。学はないし、粗暴だし、何よりわたしのことを大事にしない。わたしは得体の知れないみなしごとして、さんざん殴られてこき使われた。そのくせ、埃まみれの物置小屋でぼろを着て横たわる私を、いやらしい目で見てくる輩もいた。メデューサたちに人間を見下すことを教えられてきたわたしにとって、下町でのこの扱いは何より屈辱だった。


 だから、青薔薇が咲いた時には、それはそれは喜んだ。領主や官僚といった上の身分の人たちは、わたしにとても親切だった。彼らもどうせ、心の中では、わたしのことを庶民の孤児だと馬鹿にしているのは分かっていたけれど、とにかくわたしを尊重してくれた。


 王都に連れて来られたわたしは、大婆さまに頼まれたことを果たそうと、次期王選抜試験に奮闘し、慣れない王宮の勢力争いも頑張った。わたしの有力な対抗馬は、王女のクラリス・フォン・エルドだった。


 変な人間だった。ライバルのわたしに近付いてきて、いくら突っぱねても、からからと笑いながら「君と仲良くなりたいんだ」なんて言う。そこに策略や思惑は感じられなかった。馬鹿なんじゃないのこいつ、と思った。


 目障りだった。クラリスはわたしをひとりぼっちにさせた原因だったし、わたしと違って本物の「お姫さま」であることも、むかついて仕方なかった。

 ダーシーとかいう令嬢を洗脳して、クラリスにいろいろと嫌がらせを仕掛けさせた。戦闘試験でひとりだけネメアの獅子をけしかけたり、毒を入れたお菓子を送って食べさせたり。ことごとく失敗に終わったけど。それがますます腹立たしかった。


 わたしたちが姉妹だと判明した経緯は単純だった。舞踏会に現れたクラリスがあまりにも綺麗で、そのくせぬけぬけと「君の方が似合う」なんて言って月桂冠を渡してきたのが吐きそうなほど悔しかったから、聖水の滝に突き落としてやろうとしたら、反対にわたしが足を滑らせた。


 そこで、わたしこそが捨てられた第二王女だったのだと分かり、即位が決まって、めでたしめでたしの大団円。たいした茶番だった。


 わたしはショックを受けた。大婆さまがわたしを大事に育てたのは、わたしが銀の瞳の子供だからだったんだ。わたしは必死で大婆さまの期待に応えてきたのに、大婆さまにとって、わたしは端から人間たちへの復讐のための道具でしかなかった。わたしは裏切られたと思った。


 それからのわたしは、誰にも心を許せなくなった。新王になったわたしにすり寄ってくる者たちは、みんなわたしを利用することしか考えてなかった。どうせ誰を信用したところで裏切られるのがおちだから、わたしも大いにそいつらを利用し返してやって、気に入らない者は次々処罰した。

 だんだんわたしに口答えする者はいなくなっていった。ただひとり、生き別れの姉であり、紅騎士団長のクラリス以外には。


 クラリスはうるさかった。激しい処罰をし過ぎだとか、そんなことをしていては疑心暗鬼に陥ってしまうぞとか。少し黙らせようと、過酷な地域へ支援もなしに遠征に出しても、しぶとく生きて帰ってきて、またわたしに忠告を繰り返した。


 ある日、付き人がいない時を見計らって、刺客がわたしを襲ってきた。無実の罪で投獄された家族を返せだかなんだかと喚いているそいつらを、わたしは呪いの術でなぶり殺してやろうとしたけれど、それより前にクラリスが現れて敵を気絶させた。遠征帰りなのに加えて、大勢をひとりで相手して、クラリスは傷だらけだったけれど、真っ先にわたしの無事を確認した。


 さんざん酷使したわたしを助けて、クラリスに何の利益があるんだろう。理解できないでいるわたしに、クラリスはほっと安堵の息をついて微笑んだ。


「よかった。……こんなことを既に王になった君に言うのは不敬だろうが、アナスタシア、私は君という妹が見つかってとても嬉しかったんだよ。どうか私のために、人々から恨みを買わないようにしておくれ」


 ……やっぱり、馬鹿なんじゃないのと思った。


 胸がむずむずして気持ち悪かった。そんなにわたしの味方ぶるなら、どこまでわたしの横暴が聞けるのか、試してみようと思った。裁判を通さずに投獄する人数を増やし、愚かな領主に割り当てる領地を広くし、税率を上げた。クラリスはわたしが起こした悪影響の後始末に奔走しているみたいだった。その間に、クラリスの悪い噂を流して、王都でクラリスを孤立させるようにした。

 それでもクラリスはじっとわたしに仕えて、「目を覚ませ」「君は本来は賢い子のはずだ」と説得を続けた。わたしを見捨てる気配はなかった。


 こうなったら、何がなんでもしっぽを掴んでやらないと気が済まなかった。わたしはアーバスノット博士が、錬金術を学んでいるという密告を受けた。わたしは面白いことを思いついた。


 わたしはクラリスがあの博士と仲良さそうにしているのが前から気に入らなかった。アーバスノット博士は、権力を握るためにわたしを利用しようとしたことがなく、王宮の中では割と話の分かる相手だった。候補生時代には勉強も教えてもらったりもした。クラリスの婚約者だと聞かされて、密かに絶望したりもしていたのだ。

 でもわたしが王となった今では、そんなの関係ない。わたしはクラリスに言った。


「あの人をわたしの愛人にしたいと思います。あなたの婚約者ですけど、いいですよね?」


 クラリスは難色を示した。そして、国が誇る占星術博士を、私生活を完全に管理される愛人にしてみすみす才能を腐らせる道理はないと反論してきた。どうせそんなの建前だ。わたしは、アーバスノット博士を召し上げなければ、錬金術などという異端の学問をしていた咎で彼を処刑すると言った。

 クラリスはしばらく悲しそうな目でわたしを見てから、承諾し、うつむいて立ち去った。


 後に、ローレンス博士が隣国に亡命したという知らせがあった。クラリスが逃亡を手引きしたのだ。わたしはさっそくクラリスを塔に幽閉した。

 それ見ろ、クラリスだって男のためにわたしを裏切った。汚らわしい、馬鹿な奴。さんざん嘲笑ってやるつもりだったのに、なぜか涙が止まらなかった。


 ひとりになれるアステロイド殿の儀式の間で泣いていたら、天から声が聞こえた。


『ありがとう、ありがとう! あの忌々しい姫君を幽閉してくれて! 太陽系の奴らがあの姫君を青薔薇人にして、ワタシに反旗を翻そうとしていたから、助かったわ!』


 わたしは驚いた。実は、王になってから、わたしは一度も天啓を授かったことがなかった。このことがばれて、青薔薇人は偽りだ、なんて言われないためにも、わたしは独裁政治を進めて隠蔽していたのに。

 天の声は狂った笑いを響かせた。


『アナタを青薔薇人にしていたのはワタシなのよ。青薔薇は星の神に愛された証拠だから……どんな星であれ、ね。ワタシはエリス。長きにわたる太陽と月による銀河統治を終わらせて、新しくこの宇宙に王として君臨する神』


 ねえ、ワタシと手を結ばない?


 エリスが望んだのは、この地球がある太陽系と銀河を一度崩壊させ、新しく宇宙を作ることだった。

 わたしは二つ返事で了承した。この世はゴミだ。下の庶民たちは汚らしくて愚かな家畜同然だし、上流階級には外面がいいだけの腹黒い人非人どもしかいない。守るべき人間なんかいない。


 全て破壊してやる。

 そして、こんな世界を、こんな国の民を愛している馬鹿なクラリスの目を覚まさせてやる。


 わたしはメデューサたちを密かに王都へ連れてきて、水道に血を流し、町中の人間を邪眼の支配下に置いた。隣国への侵略の準備も進めた。天と地上は連動するから、これは太陽系とエリスの代理戦争になるはずだった。


 クラリスの脱走はそんな時に起きた。

 ああ、王都中の人間たちに裏切られて呆然としていたクラリスの顔が忘れられない。本当なら、国民たちが戦争でばたばた死んでいく様や、姉が必死で逃したアーバスノット博士を敵国から捕まえてきて処刑するところも見せてやりたかったのに。


 姉を処刑するつもりはなかった。クラリスの俊敏性なら、世話係だったというあの副団長の矢も避けられたはずだった。最も信頼していた相手に裏切られた絶望と、さらに……副団長と殺し合わせて、仲間を手にかける絶望も味わわせてやる予定だった。あっさりクラリスが殺されてしまったのは、諦めと、副団長への同情からだろう。


 この期に及んで、まだクラリスはわたしよりも他人を優先させた。なんなの。腹が立ったから、紅騎士団の残党は皆殺しにしておいた。


 クラリスの遺体は丁寧に保存して、誰にも触れさせないようにした。それを眺めながら考えた。死んでたって大丈夫。大婆さまが言っていた、死者をよみがえらせる秘術があるって。あれ? よみがえり? なんでわたしはクラリスをよみがえらせようとしているんだ?

 

 いいや。秘術なんかなくても、私が新しい宇宙を作った時に、欲しいものは全部そこへ持っていけばいいだけのことだ。この忌々しいクラリスも、何度だって生き返らせられる。何度でも、わたしの願う通りに。だから大丈夫。


 そしたらもうわたしのことを絶対にぜったいに裏切らないで見捨てないで今度こそわたしだけを見て助けて守ってくれるような人にするのだってわたしはきょうだいだからしまいだからいもうとだからはじめてのかぞくなんだからいいでしょいいでしょおねえさまおねえさまおねえさま!!!






「な、なんだったんだ今の……」


 私は草むらの中で意識を取り戻した。アステロイド殿から吹き飛ばされた途端、強烈な誰かの追憶と思念が頭にねじこまれて、ちょっとしたパニックを起こしていたようだ。

 額を押さえて息を整える。すさまじかった……。でもこれで、あの狂った新王様が何を目的として、どんなことをしようとしているのかが分かった。


 胸ポケットの上から懐中時計に触れる。これがちょうどホロスコープの真上で光ったということは、土星の主神クロノスの力がたまたまこの世界に通じて、私にアナスタシアの記憶を見せてくれたということか。

 つまり、侵略されかけている太陽系の星々は、クラリス様を助けたい私にも、きっと力を貸してくれる。


 希望はまだある。

 そうと分かれば、いつまでも寝ていられない。あちこちを怪我している身体をなんとか起こして、傍らに倒れていたマチルダさんの介抱をする。マチルダさんは気を失いながらもしっかりと弓を握りしめていた。


 マチルダさんの傷を止血していると、「クラリス団長はどこだ!」という叫び声がした。息を切らして駆けてくるのはオリバーだ。その後ろからパトリックもやってきて、


「大変だ! エリザベス女王陛下が何者かに暗殺されかけて致命傷を負った! 医者が見ているけど、ほぼ助からない見込みらしい。今すぐクラリス殿下と……あとアナスタシア殿下をお呼びして遺言を聞かないと、って、うわ、マチルダ副団長?!」


 驚くふたりに、私はもっと驚くべきことを告げなければならなかった。


「マチルダさんはアナスタシア新王に攻撃された。クラリス様は今、あそこにいる」


 私が指差した先には、王宮のずっと上空、低い雲が重なり合っている高さに、ぼんやり光りながら浮いている人影。おそらく『ヘパイストスの網』で拘束されているのだ。

 事態の急展開に理解が追いつかないのか、ぽかんと口を開けている二人の肩をばしばし叩いて、「とにかく、まずはマチルダさんの救護を! それから、アナスタシアはどこに行ったか分かる?!」と聞くと、慌ててオリバーが答えた。


「あ、アナスタシア次期王はさっき、おそらくクラリス団長の『ペガサスの足』をコピーして、北東に向かって空を飛んでいく姿が確認されたらしい」


 北東……メデューサたちのいる地域への方角。また、山脈を超えた先には隣国もある。

 アナスタシアはメデューサの決起と戦争勃発を早める気だ。そうはさせるか。


「オリバーたちは、マチルダさんを先輩たちに預けて。私は彼女を追いかける!」


 私の宣言に、パトリックは信じられないというように顔をしかめた。


「はあ? ひとりで行くの、正気? マチルダ副団長がこんな傷を負わされる相手なんだろう?」

「アナスタシアはメデューサと同じ邪眼を使うの。影響を受けない私が行くべきでしょ」

「それにしても無謀だよ。あと、ユニコーンは今ボライトン領の領民たちを送るためにほぼ出払ってるのに、どうやって空を飛ぶ人を追いかけるつもり」

「それは……」


 確かに、方法が見つからない。詰まった私に、オリバーが首を傾げて「何がなんだか分からないけど、なんだ、クラリス団長と並ぶくらいに足が早い奴なら紅騎士団にもいるぞ」と言ったので、勢いよく彼に振り返った。


「え、誰、その人!」

「いや、人、じゃないけど」


 人じゃない? どういうことだ?

 その時、向こうから仲間の騎士たちが「何事だ」「副団長が倒れてるぞ」と駆けつけてきた。それらの言葉に混じって「メェメェ」というのんきな鳴き声が聞こえた途端、私とパトリックは同時に叫んだ。


「ハネル!」

「あいつもたまには思いっきり走らせてやらないとなー」


 いたずらっぽくオリバーが笑う。私とパトリックは顔を見合わせた……。


 さあ、逆襲開始の合図だ。

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