14-1 妹の覚醒

 いったい何が起きているの?


 床に描かれたホロスコープの中心に、ぼんやり宙に浮いて光に包まれているクラリス様の姿があった。ドレスを脱ぎ、普段の騎士服に着替えていたクラリス様は、赤いマントをはためかせながら、何が起きたのか自分でも分かっていないようだった。


「クラリス様!」


 私が呼ぶと、クラリス様は私を振り返って「おや、ルイーゼ」と応えようとしたが、その時、急に頭を押さえて悶え始めた。


「うっ……?! な、なんだ、頭が」


 苦痛に見開かれたクラリス様の瞳は……片目が、銀色から金に変わって輝いていた。

 金の瞳。太陽と月の守護を受け、予言を賜る王の色。

 なんで、クラリス様が。


 状況が理解できないで立ち尽くす私の耳に、「うふふふ」という場違いな笑い声が届いた。バッとそちらを向くと、真っ白な儀式服を着たアナさん……改め、アナスタシアが苦しむクラリス様を見て微笑んでいた。

 マチルダさんが怒りの形相で叫ぶ。


「テメッ……姫さんに何しやがった!」

「見ての通りです。クラリスお姉さまに、即位の儀を行ってもらってるんです」

「おかしいだろ! 姫さんが唱えたのは青薔薇人の祝詞だ、なのになんで儀式が行えてんだ!」


 アナスタシアはつまらなそうにため息をつくと、「みなまで説明されないと分からないんですか? 儀式ができる理由なんてひとつしかないでしょう」と言って、髪にさした青い薔薇に触れた。


 私は、舞踏会での情景を思い出した。クラリス様がアナスタシアへ月桂冠を託した瞬間に咲いた青薔薇。

 あの場では誰もそんなこと考えなかったけど、あれはアナスタシアが咲かせたのではなく、クラリス様が薔薇に触れたから開花したのだとしたら。


 青薔薇人のための祝詞で儀式が行える理由。

 それは、クラリス様が青薔薇人だから。

 アナスタシアは楽しそうにクラリス様を見上げた。


「さすがクラリスお姉さま。天の王たる太陽と、天の女王たる月に愛された人。まあ、元、王と女王なんですけど」

「ちょっと待って……じゃ、あなたは何者なの? 青薔薇人でないとしたら、どうやってつぼみを青くしたの?」


 私が聞くと、アナスタシアは肩をすくめた。


「やだなぁ、わたしだって青薔薇人ですよ。これでもわたし、古代の聖王と並ぶほどの占星術の才能に溢れた予言者だったんですからね?」


 聖王だって? 私は思わず、銀の懐中時計が入っている胸ポケットに触れた。

 それに、預言者だった、、、なんていう物言い……間違いない。アナスタシアにも逆行前の記憶があるんだ。

 アナスタシアは全てを見通しているかのように私を見つめて、


「あそこで月食さえ起きなければ、もう少しで目的を果たせたのに! ……もう少しで、この宇宙の全てを手に入れられたのに!」

「宇宙の全てを手に入れる?」

「そう! わたしは天と直接交流するどころか、地上から天を逆に操るほどの力を持っていた! そしてわたしは契約したの!」


 アナスタシアは髪から青薔薇を抜きとり、両手に握った。アナスタシアに触れられた青薔薇は、みるみるうちに色を変え、固まった血を思わせるような赤みがかったどす黒い色に染まった。

 開いたその瞳を黄金に輝かせ、アナスタシアは哄笑した。


「不和と争いの神エリス、その守護する星と! ああ、お姉さまが青薔薇人として目覚めてくれて助かりました。これでまだ太陽と月に従っている残党の星々を炙り出せる! そしてこの宇宙を支配下に置いたわたしは、神に等しい存在になるんです!」


 狂ってる! 私は顔を引き攣らせたが、アナスタシアにばかり構ってもいられなかった。閃光の中で悶えていたクラリス様が、ひときわ激しく苦しみだしたからだ。


「ぐ、あぁッ……! いた、痛い、だれか」

「姫さん!」


 マチルダさんが悲痛な声をあげて、クラリス様を助けに光に突っ込んで行ったが、直後に弾き飛ばされる。


「ダメですよぉ、邪魔しちゃ」


 妨害してきたアナスタシアが持っているのは、巨大な黒い鎌だった。マチルダさんが憎悪を込めて睨みつける。


「アダマスの鎌……! 即位の儀には必要ない、呪われた神器がなぜここにある! さっきから思ってたんだが、貴様、この儀式、わざと失敗させようとしてるな! だから姫さんはこんなに苦しんでるんだろ!」


 言われてみれば、クラリス様は儀式服を着ていないし、ホロスコープの文字もところどころ乱れている。その不具合のせいでクラリス様はすさまじい痛みを感じているらしい。マチルダさんはアナスタシアに吠えかかった。


「貴様はなんなんだ! そこまで姫さんが憎いか! そこまでして姫さんを殺したいのか! 宇宙を支配下に置くとかいう、狂った目的のためだけに……!」

「はい? ふざけたこと言わないでください」


 真顔になったアナスタシアが鎌を振るった。マチルダさんは私を攻撃から庇いながら後退し、弓を構えて戦闘態勢に入った。アナスタシアはそんなマチルダさんを嘲笑して、


「宇宙を手に入れるのは、あくまで目的のための手段に過ぎません。わたしはもっともっと素敵なことのために動いてるんです。ねぇ、お姉さま?」

「は、いたい、うう、マチルダ……」


 名前を呼ばれて、マチルダさんは必死で「姫さん! 私はここだ!」と呼びかけた。しかし、返ってきた言葉は、マチルダさんを絶望のどん底に突き落とした。


「マチルダ……君が……私を殺したのか……?」


 涙をこぼしながら開かれたクラリス様の瞳にあったのは……怯えの色だった。

 そして、マチルダさんが構えた弓を震える手で指さすと、諦めたような微笑みを浮かべて、


「やっぱり、君は、私が、嫌いだったんだな……! ああ、私を好きな人間なんて、誰もいなかったんだな……!」


 それを聞いたマチルダさんは、怒りのあまり髪を逆立てんばかりだった。わなわなと腕を震わせて怒鳴りつける。


「何を……おい、やっぱりって何だ、ふざけるな! この悪魔、姫さんに何をしたァ!」


 叫んだ瞬間、ずっとアステロイド殿の中を満たしていた光が消えて、宙に浮かんでいたクラリス様がどさりと床に落ちた。アナスタシアは、肩で息をするクラリス様のそばにしゃがんで、クラリス様を抱きしめた。


「よしよし、お姉さま、怖かったですね。今、未来、、を見てきたんですよね? 地上の時間は巻き戻っても、星々は記憶を保っていますから」


 ハッとした。クラリス様が行っていたのは、不完全とはいえ、即位の儀だ。太陽と月の力を受け、星々から予言を賜る。クラリス様は予知として、時間が逆行する前の未来のことを教えられてきたんだ。


 私は血の気が失せる感覚がした。あの最悪の未来を、クラリス様が知ってしまった!


 アナスタシアに背中と頭を撫でられて、されるがままになっているクラリス様は、うわごとのように呟いていた。


「皆が、私に死ねと言っていた……。民たちが、私を殺そうとしていた……」

「そうです、あなたの周りの人間なんか信用できない。そうでしょう?」

「怖い……本当は昔から恐れていたんだ。いつか皆から、愛する人々から嫌われるんじゃないかって、本当はずっと怖かった……」

「可哀想なお姉さま。わたしだけは、お姉さまのことを嫌いになりませんよ」


 その「お姉さま」を貶めたのも殺したのもお前じゃないか。ふざけたことをぬかして、アナスタシアはきらきらした目でクラリス様の顔を覗き込んだ。


「だからお姉さまも、わたしのそばから離れないでくださいね? わたしの味方でいてくださいね?」

「……」


 クラリス様はゆらゆらと瞳を迷わせている。私やマチルダさんの方に顔を向けようとしたが、アナスタシアに強く腕を引かれて、肩をぴくっと驚かした。

 いつも明朗快活で泰然としているクラリス様が、こんなに追い詰められるなんて……。


 そうだ。アナスタシアはやたらと「きらきらした目」で人を見上げる癖があった。さっきのマチルダさんの話からしても間違いない、あれは邪眼の力を使っているサインだったんだ。つまり彼女には、メデューサとの密接な関係がある。

 しかし、それだけだと、説明がつかないこともある。例えば、ネメアの獅子は網で捕まる前の一瞬、ぴたっと「石になったかのように」動きを止めた。あれは何の力だったのだろう。


「あなた、もしかして、メデューサの……それも初代メデューサの力を持っているんじゃ……」


 分裂による増殖を何代にも渡って続けるうちに、メデューサの呪いの術の力は徐々に弱まった。メデューサの中に権能持ちが少ないのも、その影響だという。

 しかし古代、それこそ聖王統治の時代までのメデューサは、初代メデューサの本来の力を受け継ぎ、見たものを石にできる能力を兼ね備えた邪眼を持っていたらしい。

 私は、呪いの術の口封じで死んだメデューサが言いかけていた言葉を思い出した。


『我らの、王……大婆様、の……』


 百歳や二百歳は当たり前とされるメデューサたちをして「大婆様」と言わしめる相手。その関係者なら、石化の能力を持ち合わせていても不思議では……。


「あなたはいつもわたしの邪魔をする」


 ひゅっと、耳元を風が通り抜ける音がした。マチルダさんが飛び込んできて、私を突き飛ばすまで、私は攻撃されたことに気付かなかった。

 ハッとして傍を見ると、マチルダさんが鎌に斬られて倒れていた。


「マチルダさん! 大丈夫ですか!」

「……私のことは、いい……姫さんを助けろ……!」

「ルイーゼさんもマチルダさんも、クラリスお姉さまのことが大好きですね」


 アナスタシアが鎌を構えてクラリス様を背中に回した。


「でも、一番強い繋がりって、やっぱり血縁じゃないですか? 所詮あなたたちは、お姉さまにとって他人なんですから」


 そう言うと、アナスタシアはパチンと指を弾いた。クラリス様の姿がぱっと消えた。


「なっ……! クラリス様にいったい何を」

「遠ーいお空の上に避難してもらいました。あ、お空の上っていうのは、比喩じゃないですからね? 物騒な誤解をしないでくださいよ。この世の崩壊を見届けるのに絶好な特等席にいてもらうんです」


 勝手なことを言って、アナスタシアはアダマスの鎌を大きく振りかぶった。私は斧を構えると、彼女を見据えて言った。


「はっきり分かったよ。あなたは敵で、間違いなく殺戮の新王だった。アナスタシア」


 私はぐっと床を踏みしめると、アナスタシアに向かって飛び、斧を振り下ろそうとした。アナスタシアは身じろぎもしないで、


「さんざんわたしの計画を混乱させた異分子。大人しく排除されてください!」


 叫びながら鎌を振り抜いた。斧と鎌は、ちょうど乱れたホロスコープの中心の真上でぶつかり合った。その瞬間、懐中時計が入っている私の胸ポケットから、異様な光が放たれた。

 え、なに……?!


 光線が四方八方に拡散して、強烈な爆風が起きた。私はアステロイド殿から外へ吹き飛ばされた……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る