13-2 副団長の記憶

 紅騎士団が解散された後も、少女はあくまで「女王陛下」直属の使用人だったために、王宮に残ることを許されました。

 少女は自分だけが無事でいることを屈辱に思いながらも、姫君を処刑待ちの状態から助け出すために、新王のそばで暗躍を続けました。姫君とあれだけ親しかった自分が、わざわざ新王に取り立てられている真の理由にも気付かずに。

 そして処刑が迫った姫君を塔から逃がす計画を、着々と裏で進めていたのです。


 約束の日が来ました。

 それは普段に比べて、むしろ穏やかな日でした。ただ、新王から、少女の実家の孤児院が、経営難で潰れそうらしいという世間話を聞かされた以外には、気になることもありませんでした。

 少女は心配したものの、とにかく今は姫君を救い出す方を優先させようと思って、一度その話を忘れることにしました。


 少女はその夜、塔の周りに衛兵が立っていないよう事前に手引きしておき、元部下たちを連れて、姫君を助けに行きました。


 いつも底抜けに明るかった姫君は、長い幽閉生活に疲れたのか、なにやら考え込んでいるような暗い面持ちでした。少女はそんな姫君をせっつき、空を飛んで隣国へ逃げるように言いました。どういう訳か、姫君は逃げることを躊躇いました。


『待ってくれマチルダ。私はまだ彼女と……妹と話したいことが……』

『何言ってんだ姫さん! 早くこの国から逃げろ!』


 窓から無理やり押し出してやると、姫君は戸惑いながらも飛んで行きました。しかし。


『どこへ行かれるんですか?』


 向かった先には新王が、姫君からコピーした『ペガサスの足』で宙に浮いて待ち伏せしていました。


 まずい。そう思った少女は、なぜか新王を前にして固まっている姫君を逃すために、即座に弓を構えて新王に狙いを定めました。

 しかし、その時、王宮に大勢の群衆が押しかけて、何かを叫んでいることに気付いて、唖然としました。


『徒花の悪姫、万歳!』

『メデューサの王、クラリス様万歳!』


 姫君と新王の下に集まった群衆は、姫君を慕っていたはずの町の人々です。彼らは目を白く輝かせ、狂ったように姫君を誹る言葉を吐いていました。

 さらに、道の向こうから、メデューサの大群がこちらへやって来ています。


 王都の町人たちは、根も葉もないと知りながら、繰り返し姫君に関する噂を聞き続けた結果、メデューサの邪眼にわずかに芽生えた疑いの心を操られていたのでした。

 王都はメデューサに占拠されていたのです。


 あまりの光景に矢を持つ手が止まったその一瞬、新王がぐるんと首を回して、はるか遠くから少女と目を合わせてきました。

 新王の瞳が白く光ったように見えたその時、少女は突然、新王とした会話を思い出しました。


 まさか。少女は定期的に実家の孤児院の様子を見に行っていましたが、おかしなことは何もありませんでした。

 何が経営難だ。あれは自分への脅しだ! 

 少女の脳裏に孤児院の子供たちの顔が浮かびました。少女が新王を裏切ったら、あの子たちはどうなる?


 ほんの少しの心の隙。

 邪眼はそれを見逃さず、少女の心に侵入してきました。少女の腕は弓をひき、その標的は新王ではなく……姫君に移りました。


 血の凍るような一瞬の後に、少女の手から矢が放たれました。貫いた者を痛みなく即死させるという、月光で作った銀の矢が。


 百発百中の弓の腕は、姫君に対しても容赦がありませんでした。矢が姫君の胸を貫く瞬間、姫君の見開かれた銀の瞳が、少女を捉えたようでした。

 姫君は光の玉を夜空に散らしながら、ゆっくりと地面に落ちていきました……。


「その後のことは覚えていない。そもそも、ここまではっきり記憶を取り戻したのも、つい最近のことなんだ。しかし忌々しいことに、姫さんが矢を受けて落ちていく場面だけは、昔から悪夢としてよく見ていた」


 マチルダさんはそう語って、黒縁メガネを外した。初めて特殊レンズを隔てないで見たマチルダさんの三白眼は、綺麗な琥珀色をしていた。


「このメガネが外せないのも、メデューサの取調べに同行できないのも、あの時のことがずっと頭にこびりついているからさ。情けねえよな、邪眼が怖いんだ。……また姫さんを殺しちまうかと思うと」

「……マチルダさんはいつから、記憶を取り戻していたんですか?」


 私は質問した。だって、本来なら紅騎士団なんかにいないはずの私やオリバーの姿を見た時に、マチルダさんに時間を遡る前の記憶があったのなら、何かしらの反応があったはずだからだ。

 いや。私をメデューサの取り調べに同行させたのが、マチルダさんから私に対して行われたアクションと言えばそうか。


「お前さんの存在にずっと違和感はあった。特にお前がメデューサを倒し、姫さんがメデューサの保護を訴えて王宮を騒がせたあたりの頃から、得体の知れない不安がまとわりついて消えなかった。だからお前を、姫さんの味方か見極めようとして、ごたごたの渦中に引き入れちまったんだが……」


 マチルダさんは苦い顔をして眉間に手を当てた。


「次期王選抜試験が始まってすぐに、宮人である私は即位の儀の準備を手伝っていた。そこで、祝儀のために打つ聖具だという金の矢と銀の矢に触れた時、私は全てを思い出したんだ。……夢で姫さんを何度も殺した矢とまったく同じだったから気付いたのもそうだが、おそらく、『狩人の腕』を持つ私に、太陽と月が聖具を通じて干渉してきたから、記憶を取り戻せたんだろうな」


 銀の矢が月の光をもとに作られて、貫いた者を即死させる力がある一方、金の矢は太陽の光をもとに作られて、貫いたものを死なせはしないが苦しめ抜く効果があるらしい。

 死と安らぎ。生と苦しみ。逆行前のマチルダさんは、クラリス様に前者を与えることを選んでしまった。

 結果、待っていたのは破滅の未来……。


「……それで、クラリス様を師匠と一緒に亡命させるんですね」


 今度はクラリス様に、何が何でも生きていてもらうために。逃げ出した後で、愛する王国と民たちが滅んでいく光景をクラリス様がまざまざと見せつけられることになったとしても。

 マチルダさんはうなずいた。


「もっと早く記憶が戻っていたら、他にも打つ手があっただろうが、仕方ない。今度こそなんとしでても、姫さんを逃がしてみせる。誰も姫さんを傷つけられない所まで」


 厳格で、私たち部下には決して弱みを見せないマチルダさんが、握った拳を震わせているのが見えた。


「私には責任がある。姫さんと新王の一番近くにいて、あの惨状を止められなかった私にはな。あの未来を避けるために、私は残ってひとりでカタをつけるつもりだ。それを、お前さんを巻き込んじまった償いにさせてくれないか」


 マチルダさんの声に強い決意を感じ取った私は、アナさんが悪人だという話もすぐには信じられなかったが、黙るしかなかった。そして、空っぽの馬車を振り返って聞いた。


「クラリス様ならご自分で飛んで行けるのに、わざわざ馬車を準備したのは、無理に連れて行こうとしているからですね?」

「……今の姫さんは何も知らなくていいだろ。妹ができた、見つかったって、あんなに嬉しそうにしてる姫さんにさ。どうせ後で真相を思い知らされることになるんだ」


 マチルダさんは、そう自分にも言い聞かせるように呟いた。やはり、いくら覚悟を決めたと言っても、甘さを捨てきれない面もあるらしい。


「そろそろ姫さんはここに来るはずだ。私は姫さんを気絶させて、馬車に乗せ、王都の城壁の外で待っているローレンスに引き渡す。きっと大人しく気絶させられてくれるとも、身内には警戒心のカケラもない姫さんなら」

「……それは、クラリス様がマチルダさんを信頼しているからでしょう。それをいいように利用するのは、クラリス様を裏切ることになるのでは……」

「ああそうとも、どうせ私は裏切り者さ!」


 淡々と語っていたマチルダさんが、初めて声を荒らげた。いつものように恐ろしくないのは、マチルダさんが悲しそうな目をしているからだろうか。


「女王陛下の意向も、新王の脅しも、きっぱり無視するべきだったんだ。私が仕えていたのは、他の何を犠牲にしようと守るべき相手は姫さんだった! そこを間違えたから最悪の結果になった。姫さんはセント=エルド大王国と、その国民を愛しているが、どうせその相手からは裏切られる。だったら、私ひとりに裏切られる方が、姫さんの悲しみも少なくて済むんだよ」

「それは違います、マチルダさん!」

「うるさい。黙ってろ、新人」


 マチルダさんは焦っていた。


 塔の鐘が重々しく鳴り響き、真夜中の十二時を告げた。マチルダさんが「姫さん、遅いな」と眉をひそめたその時。

 アステロイド殿に繋がる渡り廊下から、ひそひそとした話し声が聞こえた。


「すまない、アナ……じゃなくて、アナスタシア。マチルダに呼ばれているんだ。早く彼女の所に行かなければ」

「少しくらい、いいでしょう? わたし、明日には王になるんですよ。王と騎士の関係になっちゃう前に、あなたと姉妹としてお話してみたいんです。クラリスさま」

「……まあ、そこまで言うなら」


 アステロイド殿の中に消えていった二人の影。その耳には、片方ずつラピスラズリのピアスが光っていた。

 顔色を変えたマチルダさんが走り出したのを、私も追いかける。アステロイド殿の入り口の扉から、クラリス様たちの会話が聞こえた。


「明日の儀式はここで行われるんですよね。聖水とかアストロラーべとか、必要なものは全部もう揃ってるみたい」

「そうだな。儀式は君がひとりでやるんだろう? 私も様子が見たかったな」

「じゃ、今、やってみましょうよ! 床に描かれたホロスコープの中心に立って、古代ギルシュ語でこう言うんです。『太陽の威光を仰ぎ、月の慈悲を受ける、我こそは選ばれし青薔薇の使徒である』って!」

「おいおい、それは即位の儀の中でも、青薔薇人のための祝詞だろう。私がやっても意味がないぞ」

「だから、ごっこですよ、儀式ごっこ! ねえお願い、クラリスお姉さま!」

「わはは、仕方ないな」


 マチルダさんが扉を開き、「待て! 姫さん!」と叫んだ時には、もう遅かった。

 クラリス様の姿が、稲妻のような強い閃光に包まれた……。

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