15-3 村娘の逆襲

 大気圏を突破し、王都に向かって墜落してきた隕石に対して、当たり前だが、私たちはなす術がなかった。

 このまま王都は潰れる。セント=エルド大王国の終わりだと、誰もがそう思った。


 すさまじい爆発音を響かせて、隕石が落ちる。街並みは粉々に砕け散り、人々は一瞬で命を奪われる……ことは、なかった。


「い、生きてる?」


 死の覚悟を決めてぎゅっと目を瞑っていた人々は、ぱちぱちと瞬きをして、いっこうに落ちてこない隕石を見た。

 隕石はなぜか、見えない壁に阻まれるかのように、空中で火花を散らしながら静止していた。


 アナスタシアも想定外のことらしく、「どうして……」と目を凝らしてハッとすると、空を仰いだ。

 東には太陽が顔を見せ始め、西には月が降りようとしている。この瞬間こそ、天の王と女王が顔を合わせる聖なる暁。そのほのかな光が結界となって、隕石を止めている。


「まさか……こんな巨大な防御結界を張れるのは、この世界ではあの老婆しか……!」

「その通り。これは私たちの母様の力だ」


 朗々とした、聞き心地のいいアルトの声。

 その声に皆が、同じあるひとりの人間を思い浮かべるその前に、一筋の光線が隕石に突っ込んで行き、次の瞬間には隕石がバラバラに粉砕されていた。


 石の欠片が飛び散る中で、浮かんでいる赤マントの騎士の姿があった。

 朝日が昇りかけた東雲の、かすかな黎明を背にして佇むかの人は、セント=エルド大王国の王女……第一王女、クラリス様だ。


 クラリス様は固い表情でアナスタシアのことを見ていた。そして、何か話しかけようとしているようだったが、口籠ってなかなか言葉が出てこない。

 しかし、心を決めたのか、クラリス様はアナスタシアの方へ手を差し伸べながら、真剣な眼差しで言った。


「どうしてこんなことをしたのかとか、女王陛下暗殺の手引きをしたらしい件とかは、今は不問にしておく。私はただ君を迎えに来たんだ。母様が私たち、、、娘に、最後の言葉を伝えたいと仰っている。一緒に聞きに行こう、だって私たちは、」


 家族じゃないか。


 声は小さかったが、はっきり私たちのもとへ届いた。アナスタシアは一瞬、あらゆる感情が抜け落ちたような顔をして、銀の瞳を暗くした。そこに映ったのは、憤怒、憎悪、不安、迷い、そしてほんの一欠片の暖かい色……。


 そして、そんな何かを断ち切ろうとするように首を振ったアナスタシアは、クラリス様を見据えて皮肉っぽく笑った。彼女の目は少しだけ潤んで見えた。


「今更、家族がなんだって、よく言ってくれますね。その女王陛下はわたしを捨てた人で、」


 アダマスの鎌の黒い輝きが増していく。アナスタシアが呪いの術で力を付与しているらしい。

 すさまじい禍々しさと怨念を纏いながら、アナスタシアが鎌を振りかぶった。


「あなたは、お姉さまは、……捨てられたわたしのことを助けにも来てくれなかったくせに!」


 それこそ、クラリス様が妹から聞くのを最も恐れていた言葉だった。

 怯むクラリス様に向かって、アナスタシアが飛んでいこうと『ペガサスの足』に力を込めた時に、


「……なっ?!」


 アナスタシアの胸に、ぷすりと光る黄金の矢が突き刺さった。


「よう。今度は間違えなかったぜ」


 城壁の上に立ち、こちらに向けて弓を構える赤髪の騎士。部下に肩を支えられ、全身包帯まみれになりながらも、見事に矢を当てたマチルダさんはにやりと満足そうに笑った。

 それは『ポルックスの剛健』を唯一破る、一撃で人を致命傷に至らせる矢。


 ぐったり力が抜けて、落ちていくアナスタシア。

 私たちや師匠は、慌てて彼女を受け止めようとしたが、アナスタシアは薄目を開くと、最後の一踏ん張りとばかりに私たちの手から逃れると、遠くへゆるやかに落下して行った。彼女の耳にきらめいたのは、クラリス様が姉妹の証として渡した、ラピスラズリのピアスだろうか。


 アナスタシアの姿が消えた先は、暗くて深い魔女の森。

 ……生死は、不明。




「マチルダさん、ご無事で何よりです」

「マチルダ、すごい怪我だけど大丈夫?」


 地上に降りてきた私と師匠を迎えて、マチルダさんは鷹揚に手を上げた。いつもの黒縁メガネは、先の戦闘でひび割れて使えなくなってしまったためか、つけていない。

 特殊レンズの眼鏡がない状態で、大勢のメデューサたちに囲まれていて大丈夫なのか。私の心配に気付いたらしいマチルダさんは、疲れたように笑って首を振った。


「正直、まったく平気じゃねえよ。あの白い邪眼、見ると嫌な汗が出てくるが、お前たちの前で無様な姿は見せられないからな」


 そこへ、きらきらと光を散らしながら、クラリス様がやって来た。マチルダさんと一度目を合わせたクラリス様は、ちょっと物憂げに瞳を伏せたが、先に私たちに話しかけた。


「ローレンス、君にはひどく迷惑をかけてしまったみたいだな。話の詳細はまだ分からないが、なんだ、私と駆け落ちしようとしてくれたんだって?」

「語弊しかない言い方やめてくれない? ま、事実っちゃ事実なんだけどね」


 師匠は肩をすくめる。クラリス様は私の方を向いて、


「ルイーゼも……君がいなければ、王都は陥落してしまっていただろう。心から感謝する。マチルダの傷の応急処置も……」


 そこで、クラリス様はマチルダさんにちらっと向くと、痛ましそうに胸の傷の包帯を見た。マチルダさんはそんなクラリス様を緊張した面持ちで眺めていたが、やがてため息をつくと、舌打ちをした。クラリス様はぴくっと肩を跳ねさせた。


「そんな同情した顔はいらねえんだ。私は副団長としてやるべきことをしたつもりだ。アナスタシアの行方は後で森を捜索して調べればいい」

「違うんだ、マチルダ。私は何か君に、とんでもないことを言ってしまったような……」

「ああ。言ったな。キレた」


 平坦な声で告げるマチルダさん。クラリス様はすっかり縮み上がって、びゃっと師匠の背中に隠れた。

 勝手に盾にされた師匠とクラリス様で「ちょっと! 僕も怒ったマチルダの相手すんのやだよ!」「後生だからここは助けてくれ、婚約者だろう!」と攻防が繰り広げられるのを、マチルダさんは手を叩いて止めさせた。


「あーあー、もういいだろ、私がいくらキレようがどうでもいいんだ。どうせ私は姫さんのそばから離れないからな。ただ、姫さん、あんたが私を許すならだが」


 マチルダさんは、事情を知らない師匠もいることを考慮してか、ほのめかす程度で口をつぐんだ。それでも、クラリス様や私には、マチルダさんが何を言いたいのか伝わった。

 クラリス様はおずおずと師匠の肩から頭を出して、マチルダさんのことを見た。


「……許すも何もない。君にとって必要なら私を殺してくれたって全然構わないんだ。私はただ、君に嫌われることだけが恐ろしかった。昔からマチルダとローレンスの存在だけが私の拠り所だったからな。なあ、私を見捨てないでいてくれるか? 私は君に仕えられるだけの資格があるかな?」

「はいはい。昔から姫さんが臆病者なのも知ってんだぜ、こっちはよ。私が姫さんを支えてやらないでどうする」


 マチルダさんは仕方がないなというように肩をすくめたが、その目は穏やかだった。

 クラリス様の顔がぱっと輝いた……。


「本当か! それならよかった! もし欲しければ、いくらでも私の寝首をかきたまえ」

「貴女たちはさっきからなんて物騒な話をしてるの」


 呆れた表情の師匠が、クラリス様に振り向いて「ところで、女王陛下が危篤なんでしょ? のうのうとしていて大丈夫なの?」と聞いた。あ、そうだった。

 クラリス様はうなずいた。


「へびつかい座の権能を持つ医師たちが総出で延命をしてくれているが、長くは持たないだろう。とにかく、王宮へ急がなければ」


 ふわりと浮かんだクラリス様に、首根っこを掴まれて抱えられたので、私は大いに焦る。


「あわ、ちょっとクラリス様、私は馬にでも乗って向かいますので!」

「それじゃ遅くて間に合わないだろう? 君にも来て欲しいんだ。ルイーゼ、君はどうやら普通の新人騎士とは少し違うらしいからな」


 私は瞬きをした。クラリス様はにこにこして何も言わない。

 私が時間を巻き戻ってきたことがバレたのだろうか? でも、そんなことを聞く間もなく、ユニコーンに乗った師匠とマチルダさんを後ろからクラリス様が押して、東の方からだんだん明るくなっている空を超特急で飛び始めた。他の紅騎士団の騎士たちは、後から馬でついてきていたが、すぐに姿が遠くなって見えなくなった。


 飛びながら、女王陛下がどんな風に襲われていたのかをマチルダさんたちに聞いた。プレアデス・ホールにひとり残っていた女王陛下は、少し護衛が目を離した隙に、突然の強風に胸部を十字に深く斬られたのだという。その傷口が、マチルダさんの受けたものと酷似していたため、アナスタシアの犯行だということが分かったらしい。


 白亜の王宮は、朝日に照り輝いていたが、やけにひっそりと静まり返っていた。プレアデス・ホールに足を踏み入れると、会場の中心に、白衣を着た医師たちが集まっていた。

 クラリス様が声をかけると、医師たちはくっきりとした隈が浮かんだ顔で私たちを迎えた。いくつものホロスコープやアストロラーべ、散らかった器具の数々に、彼らがどれほど手を尽くして女王を助けようとしたかが分かった。


「もう延命は結構。あなた方は下がってよろしい」


 ふいに重々しい声がした。絨毯の床に横たわった、当のエリザベス女王だ。医師たちは渋る様子を見せたけれど、


「いい加減にしませんか。最期の時くらい、静かに過ごさせなさい。わたくしは死なんて怖くありません。やっとアレクサンダーのもとへ逝けるのですからね。さあ、見せ物になるのはたくさん」


 死の淵にいるはずの女王陛下は、ちょっと冷たすぎるような言葉で医師たちを追い払った。涙を堪えながら退出していく医師たちの姿から、私は、無慈悲と言われる女王陛下にも慕う人々がいたことを知った。


 喪服のドレスを血で赤黒くした女王陛下は「クラリス、こっちへ」と娘を呼んだ。そばに座り、顔を覗き込んだクラリス様の髪に、女王陛下は震える手を伸ばした。


「……私に似た漆黒の髪と顔立ちに、アレクサンダーに似たその人柄。クラリス、あなたに次期王になって欲しかったのは本当です。しかし、あの人と同じように赤マントを羽織り、あちこち飛び回って楽しそうなあなたを見るのは、決して嫌ではありませんでした」


 クラリス様が目を見開いた。それは、初めて語られる、冷徹な女王の本音。

 息切れを混じえて、ぽつりぽつりと言葉が紡がれる。


「わたくしは……こうして振り返ってみれば、王としても親としても、愚かな人間でした。アレクサンダーを失った痛みから立ち直れず、メデューサのよみがえりの秘法とやらに縋り、ボライトン家の悪事を見逃し続けた結果が……あなたの死と国の滅亡では、わたくしは何度地獄に落とされても足りない罪人でしょうね」


 かろうじて聞こえたその内容に、私は衝撃を受ける。でも、そうか、エリザベス陛下は女王なのだから、あの最悪の未来をクラリス様と同じように予知、、していてもおかしくはない。

 だから、アナスタシアが王にならないように妨害工作をしながら、いざという時にクラリス様を逃がせるよう、師匠と婚約を結ばせるのを早めたりした。


 そして全ての危険を回避した今、あの未来と同じように起きたのは、女王陛下暗殺だけ。それを不運ととるか、幸運ととるか。


「わたくしの最後の力で張った結界が、この国の防衛に貢献できたのなら、この上ない幸福です」


 エリザベス女王は後者と捉えた。

 クラリス様は髪に触れる女王陛下の手を握り返して、「そうです、そうです、母様は頑張りました、もう充分です」と掠れた声で繰り返していた。

 しかし、女王陛下はまだ言いたいことがあるのか、もうほとんど血の気を失った唇を動かして伝えた。


「アナスタシアは、あの子は……姿はアレクサンダーに、性格は、わたくしに似ています……。わたくしは、あの子が王位につけば、必ずや災いをもたらすだろうと予言しました。しかし、その予言の本当の意味は、あの子に、、、、災いがもたらされるだろう、ということでした。あの子は産まれた時から呪われた運命に魅入られていました。あの子は不幸な、孤独な子供です、わたくしがそうしてしまいました……!」


 女王陛下はくぐもった咳をし、赤い血を吐いた。死の瞬間が迫っている。それでも、女王陛下は手を伸ばして、クラリス様ではない誰かに語りかける。


「どうか、みなさん、わたくしの娘たちを助けてください、どうか、どうか……」


 徐々にその声は小さくなり、ついにはふつっと途切れてしまった。プレアデス・ホールは澄み渡るような静けさに包まれた。


 ……若き日には理想に燃え、伴侶亡き後は冷徹さの仮面を被り、やや利己的で優柔不断でもあったが、治める国を身を挺して守って死んだ。

 女王エリザベスの崩御。


 会場の外から、朝を告げるニワトリの鳴き声と、いくつもの馬の足音がした。扉が大きく開かれて、やっと到着した紅騎士団の仲間たちが「女王陛下!」「団長!」と口々に叫びながら駆け寄ってきた。

 彼らに向けて、唇の前に人差し指を立てたマチルダさんの背後では、クラリス様が女王陛下の死顔に涙をぼとぼとと落としながら、遺体の髪から青薔薇を抜き取っていた。


 持ち主の死により急速に枯れかけていた青薔薇は、クラリス様の手の中でみるみるうちに生命力を取り戻し、溌剌と花開いた。その青薔薇を手に、クラリス様が部下たちを振り返った時、クラリス様の瞳は片方が金色に輝いていた。

 それを見た仲間たちは、クラリス様の身に起きたことを察したらしい。


「……なるほど、原因はよく分からないけど、泣いた時だけ片目を金色にする体質になっちゃったみたいだ」


 師匠は難しい顔をして、「つまり、クラリスは不完全な状態だけれど、即位の儀を受けてしまった……次期王になるべき人間だということになる」と告げた。私たちはどよめく。


「クラリス団長は、王になってしまうんですか?」

「紅騎士団長ではなくなるのか……?」


 不安の滲んだ声があがる。少し考え込んでから、クラリス様は口を開いた。


「次期王選抜で正式に勝ち抜いたのはアナスタシアだ。もう彼女を次期王にすることはできないが、かと言って、勝手に私がなる訳にもいかないだろう。しかし、後継者を決定すべき女王陛下は、今、永眠してしまった」

「とすると、どうやって次期王を決めるんですか?」


 私が聞くと、マチルダさんが答えた。


「民意だ。この国の民たちが、誰を王に据えたいか、直接判断する」


 クラリス様は、青薔薇を手にして立ち上がると、私たち一人ひとりを見回して言った。


「では、まず諸君に聞きたい。私は次期王になるべきだろうか、それとも……」


 紅騎士団の騎士たちは、それぞれ顔を見合わせた。そして、いたずらっぽい目つきになると、うなずきあって、クラリス様に向き直った。

 私たちの返事はもちろん、ひとつだった。

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