12-1 王女の出現

 ざわめき出す会場の片隅で、私は頭を抱えていた。


「ああああもお! 何してくれてんだあの人たちは! メデューサの身元は王女のクラリス様が保護してるんでしょうが! その本人不在の間に処刑執行とか内乱待ったなしじゃない!」

「おいルイーゼ、気持ちは分かるから荒ぶるな」

「兄上に難癖つけるしか脳のないアホだとは常々思ってたけど、ついにスッカラカンの頭を満天下に晒したね。あンの馬鹿博士が」

「パトリック、お前もかよ……」


 しかし、パトリックもこれほど呆れ返っているところを見るに、私の反応は上流階級の常識的にも正解なのだろう。


 人々の反応はさまざまだ。半分くらいの人たちは、私たちと同じように開いた口が塞がらないといった様子だが、残りがボライトン博士たちに熱狂的な声援を送っているせいで、良識ある人たちの非難がかき消されてしまっている。騒ぎ立てている人たちはボライトン卿が集めたアナさん支持派だろう。抜け目なく計画してきてる訳ね。


 喧騒の中、目の前に並べられたメデューサたちを退屈そうに眺めていた女王陛下は、ふっとため息をついた。それでいったん会場が静まり返る。

 女王陛下は玉座の肘掛けにひじをついて、ボライトン博士たちを見据えると言った。


「余興としては、なかなかのインパクトでいいと思いますよ。血なまぐさいのは嫌いではありません。処刑されるのがよりによって彼女たちではなく、また事前に私の許可を取っていたらの話ですが」


 聞く者をひやりとさせる声。私は、いつも無表情なこの人が、何を考えているのか分からない。


「ボライトン博士にダーシー嬢、いつからあなた方は処刑執行の命を下せるだけの力を持ったというのですか?」

「僭越ながら女王陛下、まもなくそれだけの地位を我々は手にする予定です」

「ほう? どのようにして?」

「このようにして。さあ、おいでアナ」


 ボライトン博士に呼ばれて、アナさんはまさか自分が呼ばれるとは思っていなかったのか、困惑しながら会場の中心へやって来た。博士はアナさんの肩をぐっと抱くと、


「ここに私は、次期王アナ・ベーカーとの婚約を宣言致します! そして王配権限により、アナ女王の代行として、国賊のメデューサどもを処刑する!」


 なんてめちゃくちゃな。言葉も出ない私たちを置いてきぼりに、ダーシー嬢は「私のことは宰相にしてくれるのよね! ね!」と浮かれて騒いでいた。


「待ちなさい君たち! まだアナ・ベーカーは次期王に決まっていない! 君たちにメデューサを処刑する権限はないぞ!」


 慌てて叫んだのはモールポール卿だ。彼の主張はごくまっとうだったが、ダーシー嬢は鼻で笑った。


「あら、アナさんはもう次期王に決まったようなものよ? だって対抗馬のあの方が、選抜試験から脱落するのですから。皆さま!」


 芝居がかった身振りで、ダーシー嬢は会場の人々に語りかけた。


「アナさんはこの数週間、姑息な嫌がらせを受けていました。特に、食事に妙なものを混ぜられたりして、体調を崩したりもしましたわ。その妙なものとは、毒ではない……なんと忌まわしいメデューサの血なのですわ!」


 聴衆はざわっとした。私は額に手を当てる。ここで明かすのか、血の効能を。


「女王陛下。お待ちかねでいらっしゃった、メデューサ研究の進展を報告申し上げます」


 ボライトン博士は青い液体が入った小瓶を取り出して見せ、メデューサの血が催眠効果を持つことをみんなに説明した。驚き冷めやらぬ聴衆に、彼はたたみかける。


「つまり、王宮の厨房に通じ、メデューサの血の効能も知っている何者かが、アナを次期王選抜から蹴落とすためにこのような罠を仕掛けたのです。そんな動機を持つ人間は誰でしょう? そして、やたらとメデューサの味方をし、たった今も、アルブス地方へ行ったきりこの場へ出てこない誰かは……まさか紅騎士団長としての任務についている訳でもございませんね? もう姫君をなんのかんのと理由をつけて逃してやることはできませんよ、エリザベス女王陛下」

「……」


 女王陛下は眉ひとつ動かさず落ち着いているが、特に反論もしない。聴衆の中の、良識ある人たちさえも、やや不審そうな顔をし始めた。


 ボライトン博士は調子に乗って、「もちろん、あのローレンスとかいう若造も事件に関わっている! アナに色目を使っていた不逞な輩め、凶弾されることに怯えてこの舞踏会に出てこないのが証拠だ!」などとこれまた私怨まみれの戯言をたれていた。


「何言ってんだあのクソダボが」

「パトリック、口が悪いったら!」


 下町時代のヤンキーぶりが出てきてしまったパトリックを抑えて、オリバーは辺りを見回した。


「こんなことが起きているのに、なんで誰もマチルダ副団長を呼びに行かないんだ」

「……オリバー、正確には、呼びに行けないというのが正しいみたいだよ」


 私の呟きに「どういうことだ?」と振り返ったオリバーは、誰かに肩をがしっと掴まれて瞬きをした。

 気付けば、私たちの背後には甲冑を着た兵士たちが立っていた。会場を見渡すと、紅騎士団の騎士たちは全員、この謎の兵士が動きを封じている。パトリックが舌打ちした。


「私兵団だ! どうしよう、彼らに騎士が手を上げることは規律違反だぞ」


 そう、有力領主などが密かに雇っている私兵は、法律上は「一般国民」の枠に入る。だから、犯罪者でもない限り、騎士が一般国民に武力を行使することは禁じられているのだ。仲間たちは悔しそうにしながら、動くことができないでいる。


 そこへ、会場の扉が開き、息を切らした執務官が駆け込んで来た。執務官は叫んだ。


「緊急事態です! 北東部、ボライトン領地とアルブス地方の方角から、謎の集団が飛来しています!」

「なんと」

「まさか、隣国か、メデューサの襲撃では」


 一気に舞踏会会場はパニックに包まれた。伝播する不安は事実を捻じ曲げ、誰かが「クラリス殿下が隣国と手を結び、メデューサを率いて王都を襲来しにきたんだ!」と叫ぶと、途端に大騒ぎが起きてしまった。泰然として動じない女王陛下に「なんとかしてください!」「姫君を止めろ!」と詰る声が飛ぶ。


 私は悪夢の中にいるような目眩を覚えた。ああ、こうしてクラリス様は殺されたんだ。憤りでめちゃめちゃに暴れたくなる気持ちを堪えて、私は待つ。

 あと少し。もう少しだ。


 混乱の間をぬって、真打登場とばかりにボライトン卿が女王陛下の前へ進み出た。口髭を撫で、にこにことしてご老人は言った。


「心中お察ししますよ陛下。娘が親に牙を剥いてきたとあっては、衝撃のあまり言葉も出ないでしょう。後始末は全てこの老ボライトンにお任せを。さてさてさて、では、クラリス王女殿下と密接な関係にある紅騎士団は信用なりませんので、解散させましょう。敵襲には我が領地の私兵が対処します」


 腕を掴まれ、私たちは引っ立てられそうになった。怒り心頭に発した先輩騎士などは、いよいよ規律など無視して剣を抜き、遠慮なく殺気を放った。こうしてますます会場は混乱を極めた。


 私は腕を捻り上げてくる私兵を睨みつけて、「なんだこの野郎」と頭を殴られた。雇い主があれなら兵もこのザマか。

 それを見たオリバーは「ルイーゼ! もういい、お前も剣を抜け!」と言って私兵に体当たりした。そのまま戦闘態勢に入るオリバーに、私は叫んだ。


「オリバー、焦らないで! もうちょっとだけ耐えて!」

「これ以上、何を耐える必要がある! お前はさっきから何を待っているんだ!」

「いつもこういう時、やって来てくれる人がいるでしょう! ほら、星空を見上げて!」

「はあ?!」


 私が指さすと、律儀なオリバーは視線を六連星が覗く天窓に向けた。静かに輝くすばる星には、特に変化はない。

 ボライトン卿は数人の私兵を近くに連れてくると、メデューサたちを前にして命じた。


「さあ、殺せ! この怪物どもを! そして徒花の悪姫を捕まえて処刑するのだ!」


 しかし、その命令が施行されることはなかった。


 バンと天窓が開かれて、冷たい夜風が会場に吹き込む。人々は一瞬、混乱から覚めてそちらを見た。

 ドレスの裾をはためかせ、眩い光の玉をまとったその人は、会場の様子に首を傾げた。


「おや。紳士淑女の皆様方はずいぶん興奮しておられるようだが、宴もたけなわといったところか?」


 クラリス様?! と会場中の人々は、それぞれの思いを込めながら声なき声で叫んだ。それは、クラリス様の文字通り輝くばかりの美しさに、みんなが言葉を失ってしまったからだ。


 クラリス様が着ていたのは、アナさんのようなふわふわしたドレスではなく、ぴったりとしたシックなロングワンピース……コタルディというらしいドレスだった。夜空や深海を思わせる碧色は、広がった袖や裾に近付くにつれて薄くなり、見事なグラデーションになっている。型はシンプルで装飾は少なく、質素な印象さえ与えるほどだったが、それが余計に、クラリス様が本来持っている端麗な艶やかさを際立たせている。


 銀の瞳はぱちぱちと不思議そうに瞬いて、長いまつげの影を落としていた。耳につけたラピスラズリのピアスは青く光って揺れている。そして、ぬばたまの髪には、葉のついた月桂冠が載っていた。


 着飾ったところが一切ない自然体、まるで森の泉から出てきてふらっと舞踏会に訪れた水の妖精か、月から生まれ落ちて星を纏った光明の精霊かといったその姿は、まる十秒ほど、人々の声を奪い去るほどの力があった。


「……な、何のつもりでのこのこ舞踏会に現れたのだ、堕ちた姫君よ!」


 見た者は跪かずにはいられない神々しさを放つクラリス様に、威勢よく吠える命知らず……もとい、ボライトン博士が口火を切った。クラリス様は会場に降り立つと、彼らのもとへ近寄った。


「舞踏会に遅れてしまった非礼は謝ろう。しかし紅騎士団長としてやらねばならない仕事があったのだ。どうか許していただきたい」

「はっ! 聞きましたか皆さん! 敵軍を率いて王都まで来ながら、この白々しい言い訳はなんだ!」


 ボライトン博士が大袈裟に騒ぎ立てるのを、クラリス様は怪訝な顔をして見た。


「敵軍……? まあ、そうか。君にとっては敵か、ボライトン家の令息」

「訳の分からないことを言うな! さあ、罪人は引っ込んでいろ、これからメデューサの処刑を始めるのだからな!」

「なんだと。おい、やめたまえ!」


 メデューサの首を掴んで、刃をかざした私兵をクラリス様は止めた。そしてメデューサたちと私兵を引き剥がすと、ボライトン博士を見据えて言った。


「なんのつもりだ君たち。彼女たちを殺すことが何を意味するのか理解しているのか?」


 そして会場を見渡し、私兵に押さえられている私たちを見つけると、クラリス様は眉をひそめた。


「そうか……。こんな強硬手段をとってしまったんだな、君たちは。そうなれば仕方がない、本当はなるべく騒がれないよう、密かにやるつもりだったが」

「何をだ? 国家転覆の陰謀をか?」

「ああ。君たちが、、、、企てた、セント=エルド大王国転覆の陰謀を、ここで暴かせていただこう!」


 クラリス様がウィンクした。

 さあ、反撃開始だ。

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