12-2 王女の出現
「わ、我々が、国を乗っ取る陰謀などと……たわけたことを!」
いきなりのクラリス様の発言に動揺するボライトン博士。クラリス様はからからと笑って、
「その通り! 実にふざけた話だ。まさかボライトン家が何十年も前からメデューサの研究結果を隠蔽し、その知識を悪用して膨大な利益と権力を得ていたばかりか、亡き王配を……私の父を、前モールポール卿と手を組んで暗殺しただなんてな! これが本当でなければ、私も大笑いしているところさ!」
にこにこ笑顔のクラリス様だが、銀の瞳は冷え冷えとして鋭く光っている。
顔色を青くしたり赤くしたりしているボライトン博士を使えないと判断したのか、ボライトン卿がクラリス様の前に進み出た。
「まあまあまあ、落ち着いてください王女殿下。あなたはメデューサなどという怪物と長く対峙してきたせいで、精神をおかしくしているのです」
「ああ。確かに卿の言う通り、メデューサの血のせいで被害を受けたことは過去にあったな」
「なに? メデューサの血?」
「ルイーゼ! こちらに来てくれないか」
呼ばれた私は「はい!」と元気よく返事をして、私兵に掴まれた腕を振り解くと、クラリス様たちのもとへ向かった。
女王陛下の御前ということで、騎士の礼を済ませた私は、懐から書類を取り出して読み上げた。
「ここに、前モールポール卿がクラリス王女殿下に成分不明の毒を盛った事件の調書がございます。前モールポール卿は、何やら
最後はしっかり皮肉ってやって、再びざわめきだした聴衆のささやき声をバックに、私はボライトン卿を見据えた。
クラリス様がメデューサの目をまともに見ても無事なのは、きっと、長期に渡って少量ずつメデューサの血を摂取したことで、ある種の耐性がついていたからだろう。
しかしそれならば、幼いクラリス様の苦痛はどれほどだったのだろうか。
『ルイーゼ、君が私の役に立ってくれると言ってくれたことを思い出して、少し頼みごとをしようと思う』
私は、あの日飛んできた矢文の指示で、過去のボライトン家の動向を調べているうちにいろんなことが分かってきた。クラリス様の過去が、クラリス様自身が私に語ったよりも、ずっと厳しいものだったらしいことも。
ボライトン卿は笑顔を絶やさず、
「愚息の研究が過去の事件の真相を解明することになり、光栄です。が、そのお話は、今は関係がないのではないですかねえ?」
「いいえ。最近、この事件と同じようなことが、アナ・ベーカー様の身の回りで起きています」
私はダーシー嬢に視線を移した。ダーシー嬢は「何ですの」と警戒する。
ボライトン卿は手強い。まずはダーシー嬢の方から詰めさせてもらおう。
「ダーシー様は、アナ様が召使いたちから嫌がらせを受けているとおっしゃっていましたが……」
「そうよ! そしてそれは全て、そこのクラリスとかいうお姫様の指図ですわ!」
しかし、必死で主張するダーシー嬢は見落としている。
靴に針を仕込む。服を汚す。そんなことは身辺を世話する召使いにしかできないことだと言っていたが、それを言うなら、アナさんの私生活にひっついて回っていたダーシー嬢にも等しく嫌疑がかけられなければおかしい。
おまけにダーシー嬢は、アナさんに
「王宮の優秀な料理人たちは、クラリス王女殿下に起きたことをよく覚えていて、二度と事件が起きないように対策していたんです。『ろ座』の守護を授けた炉で調理し、『コップ座』の守護を授けた食器で料理を守り……アナ様に毒が盛られたとダーシー様が主張なさった時は、学者に頼んで、徹底した調査が行われました」
その学者とは、もちろん、師匠のことだ。
ダーシー嬢が色を失った……。
「ダーシー様、あなたが持参した食べ物も解析されました。あなたはアナ様に、メデューサの青い血を摂取させていたんですね」
「嘘! 嘘よ! だって、メデューサの血なんてどこから手に入れるって言うの!」
ダーシー嬢の叫びに、事の次第を固唾を飲んで見守っていた聴衆たちは、そっと視線をボライトン父子に向ける。
風向きは確実に変わった。
クラリス様がアナさんのそばに近付いた。
「アナ・ベーカー。君は私に話してくれたな。故郷のボライトン領地の様子……メデューサの死体が、領主の家に運び込まれていることを。時に危険を冒し、積極的にメデューサを狩ってまで、研究サンプルを手に入れていたことを」
「は……はい」
「アナ?! なんでそんな話を」
「してはまずい話だったのか? ボライトン博士。上流階級の一部では、周知の事実だったんだろう? 君たちがメデューサの血や蛇の髪の毛などを、政敵を倒すのに有効な毒として諸領主たちに売っていることは」
ボライトン博士は目に見えてうろたえたが、今度は聴衆のうちにも顔面蒼白になる人たちがいた。きっと話題のメデューサビジネスに関わった領主や有力官僚たちだろう。
「そうしてじわじわと裏側から国を掌握していき、最後にはアナを傀儡王として据えて、貴君らの国家転覆計画は見事に成就する予定だったというわけだ。まったく、そこまで回る頭と実践力をメデューサの反乱の際に使っていれば、あれほど民たちが死ななくても良かったものを」
責めるというよりは、本当に惜しむような様子で呟くクラリス様。
ボライトン卿もいくぶんか余裕をなくして吠えた。
「事実無根だ! 王女殿下の妄言に過ぎませんぞ!」
「それはこれから確かめよう。こちらの証人たちに」
クラリス様が手で示した先には、未だ目隠しと手枷をつけられたままのメデューサたち。彼女たちは粘り強く沈黙を守っていた。
クラリス様は優しく目隠しをとって、手枷を外した。白い目がぱちりと開かれた時、会場の方々から悲鳴が上がった。
『……無理矢理連れて来られたと思ったら、何よ。人間同士で仲間割れ?』
憎まれ口を叩くアルファさんに、クラリス様は肩をすくめた。そしてベータさんも引き寄せると、
「さあ二人とも、他の者に影響がないよう、私の目だけを見て答えてくれ。君たちは、ボライトン家に搾取されてきたのではないのか? そうだな、例えば十八年前……王配を殺せば、居住地域を増やしてやるとボライトン家に持ちかけられて承諾したものの、実際は囚われの身になり、近隣のスラムの住人によって定期的に狩りが行われていたとか」
『……ふん』
アルファさんは馬鹿にするように鼻で笑うと、『そんなことにも今まで気付かなかったの?』と言った。
「そんな化け物の証言が何になる! 言葉が通じているかすら分からない怪物ですぞ? まるきり茶番だ!」
喚くボライトン卿をクラリス様は「うるさいぞ、静かにしてくれ」と一度はねつけたが、ふと思い直したのか、くすっと微笑んで言った。
「そういうことなら、ボライトン卿。人間の証人をここにお呼びしようじゃないか」
「何を……」
人々がその言葉の意味を理解しないうちに、会場の大扉が両側にバンと開かれ、どやどやと群衆が入り込んできた。
彼らの身なりは、擦り切れたチョッキや泥のついたズボンなどで、明らかに下町かスラム出身の人々で、百人か二百人はいただろうか。彼らを見慣れない上流階級の皆さんは揃ってぽかんとしていたが、侵入者たちは吠え立てた。
「おい領主サマよぉ! 命がけでメデューサを殺して届けたら、別の領地に移住する許可をくれるって話は嘘だったのか?!」
「姫様から全部聞いたわよ! 二年前の暴動の復興金も、あんたらが横領してたって! ふざけんじゃないわよ!」
「元はと言えば、お前さんがメデューサどもを怒らせたのが悪いんだろうが! 馬鹿にしやがって、舐めんじゃねえぞ!」
クラリス様が空を駆って連れてきた軍団、ボライトン領の領民たちだ。
憤怒の形相で迫ってくる彼らは、今にもボライトン卿を取って食い殺してしまいそうだ。あまりの光景に慄くボライトン卿に、クラリス様が取り出した何かの書類で、ひらひらと紙吹雪を浴びせた。
「ほら。これがこの数日間、卿の領地に赴いて調べ上げた経営状況の調査書だ。過去の記録を洗うために、ちょっと卿の屋敷に不法侵入させていただいたが、こうして経営報告の偽造が明るみに出たのだから、まあ、紅騎士団長権限ということでいいだろう。なあ?」
「ぼ、暴君……」
膝から崩れ落ちたボライトン卿を無視し、クラリス様は私たち騎士を見回すと、手を上げた。合図だ。騎士たちはにやりと笑って、
「おっと手が滑った!」
「足が滑った!」
各々を押さえつけていた私兵を背負い投げ、蹴り飛ばすと、クラリス様の元に集まった。
大勢の騎士たちに睨まれたボライトン博士は縮み上がって、「アナ! そうだ、お前は我々の味方をしてくれるだろう?!」と隣のアナさんにしがみついた。
アナさんは、今まで信じていた人に縋られて大いに動揺しているらしい。
「旦那さまにボライトン先生……」
「なあ、俺を助けてくれるだろう?」
「はい……ボライトン先生。こんなことをしてきて、今まで辛かったですね」
え、と固まるボライトン博士の肩に手を置き、アナさんはきらきらした目を彼に向けた。
「半年ほど前に、ここにいるメデューサたちを集めてひそひそ話していたのも、王都に忍び込ませるためだったんですね……わたし、考えてもみませんでした。旦那さまたちを疑うのは悪いことだと思って」
「アナ? 何を言っている? 王都に忍び込ませるって……?」
「だから、王に即位したら、すぐメデューサたちを処刑しろと言ったんですね。ああ、悪いことをして、それをずっと隠し続けるのは、さぞ辛かったでしょう。もう苦しまなくていいんですよ?」
ぽんぽんと肩を叩くアナさん。ボライトン博士の「違う、王都の件は俺のせいじゃないぞ、何でだアナ!」という悲鳴は、巻き起こった拍手によってかき消された。
「なんだ、半年前の事件の首謀者はボライトン家か」
「案外あっさりした結末だったな」
そんな言葉を、メデューサたちは俯いたまま静かに聞いていた。クラリス様は彼女たちを怪訝そうに見ていたが、アナさんに「すみません」と袖を引かれて、そちらを向いた。
「アナ・ベーカー。……良かっただろうか。家族のいない君に、恩人一家の悪事をこんな風に暴いて見せてしまった」
「いいんです。これからは、ちゃんと信頼できる人を見極めます。次期王候補生として」
「偉いな。では、そんな君に私から、ささやかな贈り物だ」
クラリス様は、その漆黒の髪にいただいた月桂冠を取り外すと、そっとアナさんの頭に置いた。目を見開くアナさんに、クラリス様は照れたように笑って、
「いくら職務のためとは言え、私は舞踏会に堂々と遅刻したばかりか、神聖なすばるの夜を騒がせてしまった。私はその責任を負って、次期王選抜を辞退する。そして、王となった君を紅騎士団長として支えよう」
それは敗北宣言か。いや、違う。
クラリス様の覚悟だ。私たち紅騎士団の騎士たちは顔を見合わせた。
クラリス様にとって紅騎士団は、腰掛けでも一時的な居場所でもない。女王と国民を守るために率いる仲間であると。自分はその長でい続けるのだと、クラリス様自身が選んだんだ。
それに反対する者など、ここにいるはずがなかった。
誰かが叫んだ。
「見て! 青薔薇が……」
アナさんの髪に結えられた青薔薇のつぼみが花開いていく。月桂冠に添えられるように咲いた一輪の薔薇は、儚げで幻想的だった。
真の青薔薇人の誕生だ。会場の人々は、上流階級の者もスラムの者も、手を叩いて声をあげた。
「祝福の青薔薇人の誕生だ!」
「アナ女王万歳! クラリス団長万歳!」
現女王エリザベス陛下を面前にして、その囃子言葉は不敬だったけれど、クラリス様が女王陛下を仰いで「陛下、ご決断を」と尋ねると、エリザベス陛下は陰のある顔でしばらくじっとアナさんを見つめていたが、ふっと息を吐いて……それが諦めのため息だったかどうかは、その時の私には分からなかった……言った。
「ここに、次期王選抜試験の終了と、新たな王の決定を宣言します。その名は、アナ・ベーカー……」
「なんてこと! 冗談じゃありませんわ!」
平穏に終わるはずだった次期王決定宣言は、しかし、甲高い声に遮られた。
ダーシー嬢だ。今まで不気味なほど黙り込んでいた彼女は、この時になってようやく感情をあらわにしていた。もはやなりふり構わず、目をちかちかと白く点滅させた彼女は、クラリス様をびしっと指差して叫んだ。
「なんなのよ、なんなのよ、なんなのよ! あなたって昔からそうだわ、銀の瞳だから、王女だからってちやほやされて、ド・バーグ家の嫡子である私はいつも置いてきぼり! 人気も称賛も、次期王の座も、私が欲しいものは全部手に入れられるくせに、簡単にそれを捨てて……本当に気に入らないわ!」
「どうしたんだ、メデューサの目に当てられたのか? おい、しっかりしなさい」
「近付くんじゃないわよ!」
ダーシー嬢が手から『ヘパイストスの網』を出現させ、それを長い一本の縄にすると、ぶんぶんと鞭にしてふるい始めた。私たち騎士はすぐに彼女を取り押さえたが、勢いのついた鞭は壁に流れる滝へ聖水を送るパイプを壊し、噴き出た水がアナさんにかかった。
「アナ! 大丈夫、か……」
クラリス様の言葉が、途中で途切れてしまったのも無理はない。
何故なら、アナさんの髪と瞳の色が、聖水を浴びて変化していたからだ。
くすんだ金髪は、今や光り輝く黄金色に変わっていた。ぱちぱちと瞬いた瞳の色は……銀。
この国では、君主の子供にしか許されていない色。
ああ、そうか。カメレオン座の化粧品の効果が出なかったのは、もとから色を変えていたからか。そしてたしか、捨てられた女王の子供は、庶民に混ざるにあたって、銀の瞳を別の色で隠したとか言われていたっけ……。
一斉にみんなが息を呑む。耳鳴りがするような静寂さが場を支配した。クラリス様は濡れたアナさんの銀の瞳を覗き込んで、しばらく呆然としていた。
そして、自分の容姿の変化にただひとり気付いていないらしいアナさんが「クラリスさま?」と可愛らしく首を傾げた時、がばっとクラリス様がアナさんに抱きついた。
クラリス様は泣いているのか笑っているのか、肩を震わせて、驚くアナさんをしかと抱きしめた。
「アナ……そうか、君が……! 私のきょうだい、私の妹……!
君の本当の名前は……」
アナスタシア・フォン・エルド。
衝撃的なことがいくつも明るみになり、史上最大の波乱を見せたすばるの夜は更けていく。
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