11-2 村娘と下町娘
アナさんが仮住まいをしている王宮の部屋は、シンプルながら客室にふさわしく、雅やかな空間だった。電灯が照らす書き物机には、いくつかの本とホロスコープを描いたノートなどが広げてあって、アナさんが勉強家であることが分かる。
「さっきおっしゃった、すばるの夜って何ですか?」
私が聞くと、アナさんはふかふかの天蓋付きベッドに腰掛けて答えた。
「私もよく存じないのですけど、王宮で開かれる舞踏会のことみたいですよ。ちょうど公卿会議で各地の領主たちが王都に集まっているし、この時期は社交シーズンらしくて。それに合わせて最終試験も行われるんです。現女王陛下が皆さんから、誰が次期王になるべきか意見を聞いて、決定を下すんだとか」
つまりは選挙じゃないか、それも私情入りまくりの。私は心の中で呟いた。ダーシー嬢がアナさんをあちこちの学会や有力家に連れて回っているのも、票集めの一環なのだろう。それと同時に、気になることもあった。
「青薔薇人が必ず王になるって訳でもないんですね? それに、最終的に女王陛下が後継者を選ぶとなると、こんなことを言うのは失礼ですけど……」
「分かってます。わたし、エリザベス女王さまから嫌われてますよね」
アナさんが悲しそうに笑った。
それもあるけれど、私は、クラリス様の行動がますます不可解だった。根回しと口利きで結果が決まるような最終試験を前に、王都を留守にしているなんて、クラリス様は本気で勝負を投げてしまったのかな。
私は、「ドレスはボライトン博士が送ってくれたんです」と笑ってクローゼットを開くアナさんを見た。そして、部屋をぐるりと一べつした。美しく整えられたシーツに、瑞々しさを保っている花瓶の花など、王宮の召使いたちは肩書きに恥じない一流の仕事ぶりをしているらしい。
王宮の使用人たちは、自分の職業に高い誇りを持っている。そんな彼らが、いくら女王陛下に命令されたからといって、信念を曲げて陳腐な嫌がらせをするだろうか。食事は料理人の管轄だから、なんとも言えないけど……。
「この指輪はアーバスノット博士がくれたんですよ」
アナさんの言葉に、私は瞬きして振り返った。アナさんの手には、地味だが品のいい金のリングがある。
「ししょ……アーバスノット博士とも交流があるんですね」
「はい! 時々、作ったお菓子を食べていただいているんですけど、それのお礼にって。舞踏会につけていこうと思ってます」
ふふっと嬉しそうに頬を赤らめるアナさん。本当に可愛らしい人だ。
「お菓子作りがお上手なのは、やっぱりパン屋で働いていたからですか?」
「あ、はい……そうなんですけど」
アナさんの声のトーンが急に落ちて、笑顔も消えてしまった。私は、アナさんがパン屋のおかみに虐待されていたという話を思い出して、「すみません! 嫌な質問でしたか」と慌てて言った。アナさんは首を振った。
「いいんです。ただ、お菓子作りは別に、そこで身につけた訳じゃないから……。パン屋では小麦粉をひいたり、かまどの火を調整したり、本当に下働きしかしてないんです。貧しい地域で、私のような孤児が生活させてもらう場所は、埃まみれの掘立て小屋しかなかった。そんな所に住む汚い子供にパンを触らせられないでしょう?」
「……権能持ちの子供は大事にされますけど、アナさんの権能は、身近に権能持ちの人がいないと判明しないものでしたしね」
「はい。それが、私が青薔薇人だと分かった途端、急に旦那さまに引き取られて、次期王選抜試験を受けることになって、みんな親切にしてくれるようになって……手のひらを返したみたいに」
アナさんの声が一瞬、とても低くなった気がした。しかし、私が顔を上げた時には、アナさんはいつもの可憐な笑顔で、髪に飾った青いつぼみに触れていた。
「王なんて自信ないけど、みんなが期待してくれてるから、頑張ります! でも、クラリスさまもひょっこり青薔薇を咲かせたりしそうで、まだつぼみの私は焦っちゃいますよ」
「え? 同じ世代に、二人も青薔薇人が誕生する可能性があるんですか?」
「はい、めったにないですけど。青薔薇は、星の神さまたちに愛されている証拠なんです。要は、セント=エルド大王国の王の役目は、地球を代表して天と交渉する外交官で、だから青薔薇人が適していると言われるんだって、アーバスノット先生が教えてくださいました」
「へえ。じゃ、歴代王の肖像画になんとなく美形が多いのも、もしかして天の星々の好みなんですかね?」
「ふふっ、やだ、ルイーゼさんってば」
冗談を二人で笑い合った後、「おやすみなさい」と私はアナさんの部屋を退出し、侍女や執事が泊まる部屋に向かった。
歩きながら考える。アナさんはクラリス様に対して今のところ負の感情はなさそうだ。とてもいい子だし、純粋すぎてダーシー嬢やボライトン家につきまとわれてるという点以外では、心配なことはない。
だったら、やはりクラリス様を陥れたのは、ボライトン卿たちなのだろうか。急にダーシー嬢がアナさんに近付いてきたことや、コーヒーの件も気がかりだ。
青い血に催眠効果があることは、師匠しか知らないはずなんだけど。でも……いや、よく考えてみたら、いくら師匠が天才とはいえ、師匠が数ヶ月そこらで発見できたことを、何十年もメデューサ研究をしているボライトン家が知らないなんてことがあるのか?
とりとめもない思考を巡らせて回廊を渡っていると、ヒュッと風を切る音がして、地面に何か突き刺さった。びっくりしたけど、そこは訓練された騎士らしく、警戒しながら冷静にそれを確認した。
それは「や座」の守護を受けた伝令矢だった。朱色の羽根は紅騎士団用だ。私は夜空を飛んできた矢を拾い上げ、手紙を広げると、目を見開いた。
「これは……」
*****
それから一週間後。
王宮のプレアデス・ホールは、煌びやかに着飾った人々で賑わっていた。
ガラスのシャンデリアは光を砕けさせ、会場を照らしている。壁一面に飾られた花は、室内に流れる滝から聖水を吸って、美しく色づいていた。ヒールの靴で絨毯の上を歩きながらおしゃべりを楽しむ人たちもいれば、赤いビロードのカーテンの影で、ひそひそ話をしている人もいる。白いレースがかかったテーブルの間を、ボーイがグラスを配りつつ横切っていく。天窓から覗くのは六連星。
これが噂の宮廷舞踏会「すばるの夜」。
ホールの両側にはらせん階段があって、それを上がった先に、主催者である女王陛下の玉座が設置されている。
王配殿下が亡くなってから、一度として舞踏会には出席しなかったという陛下が、今そこに座っていることも、最終選抜試験のことを人々の話題に上げさせるきっかけとなっていた。
「おーい、ルイーゼ久しぶり」
隅っこから会場を観察していた私のもとへ、オリバーが駆け寄ってきてくれた。と、いうより、何かから逃げてくるような速足だ。
「久しぶり。どうしたの、急いでるけど」
「いや、この舞踏会には国中の領主一家が集まってるから、親父たちに捕まってて……なんとか話を切り上げて離れてきたんだ。あー、もうあの人と顔合わせたくない」
「そんなに? そこまで嫌な人なの?」
「俺にクラリス団長へアタックしろとか言ってくる人だぞ」
「極悪人じゃん。え? その親父さんどこにいるの?」
腰の斧に手をかけながらオリバーに迫ると、オリバーは冷や汗を流して「俺もあの人は好かないけど、さすがに命を売り渡すまでのことは……」とかなんとか言って、教えてくれなかった。ちっ。オリバーは誰に対しても優しすぎるんだよね。
「そうだ、久しぶりついでに悪いが、パトリックを一緒に助けてやってくれないか」
「何? パトリック襲われてでもいるの?」
「まーあながち間違ってはいないな」
私たちは護衛としてこの場に出ているけれど、赤地に金の刺繍とエポレットをつけた豪華な騎士服は、この会場でも目立ってかっこいい。つまりは、よくモテるという訳だ。
オリバーも何人かの令嬢に声をかけられて、上手いこと断っていたのだが、見た目だけなら整っていて王子様っぽいパトリックは、強引なお嬢さんに腕を引っ張られて固まっている。いい加減あの人見知りもなんとかしないとな……。
「私たち職務中だけど、普通に舞踏会を楽しんでもいいの?」
「本当はご法度。だが、お愛想でダンスの相手をしたりするくらいなら、許される範囲だろ。マチルダ副団長は外の見張りをしてるから、咎められることもないしな。お前にも誘いがあったんじゃないのか? 持ち場は俺が見ててやるから、行ってきていいぞ」
「うーん、私には大事な役目があるから」
意味ありげに笑って見せると、オリバーは首を傾げたが、音楽団が曲を奏で始めるとダンスの方に目を向けた。
「あ、パトリックを助けるの、遅れちまったな」
パトリックは令嬢に引かれて、ワルツを踊っていた。不機嫌そうな表情を隠そうともしないけれど、動きは完璧だ。
一方、会場の中心のあたりでは、ぎこちなく踊るひと組の男女がいる。
「あ、また足、踏んじゃいました……」
申し訳なさそうにしているのは、ふんわりしたガウンドレスに身を包んだアナさんだ。真珠を散らした真っ赤なドレスは、おそらくボライトン博士が送った代物で、アナさんには少し扇情的すぎるような気もするが、踊っている彼女はとても可憐でかわいい。
ボライトン博士は、きらきらした瞳で見上げてくるアナさんに気分をよくしているのか、ばんばん足を踏まれても「大丈夫だよ」と返している。アナさん、もしかしてかなりドジっ子?
しばらくダンスの様子を見ていたオリバーは、「クラリス団長、来ないな」と不安げに呟いた。
「今日にはちゃんと帰ってくるはずなんだよな? 失踪してる間に、ずいぶん嫌な噂も流されたし……この舞踏会で次期王が決まるのに。とんでもないことが起きそうで心配だ」
「紅騎士団のみんなもぴりぴりしてるしね。クラリス様を中傷している人たちは早くしょっぴけないの?」
「どうせボライトン家とその周辺だろ。ただ、クラリス団長が北東の城門に向かって飛んでいくのを見たっていう証言が、執事や侍女の複数人から寄せられていて信用できるだけに、下手に反論もできない」
話すオリバーも悔しそうだ。
北東の城門。今は衛兵さえ立っておらず、使われていない寂れた門だ。そこを出てすぐそばには「魔女の森」と呼ばれる暗くて入り組んだ森が広がっており、地平線のさらに向こうにはアルブス地方がある。ちょうどメデューサ問題で渦中にいるクラリス様がその方角へ行ったとなると、難癖をつけてくる連中がいても不思議ではない。
何かとんでもないことが起きる……。その予感は、私も肌に感じている。会場の隅で仲間たちとワインを飲み交わしているボライトン卿は、ちらちらと周りの人に目配せをしているし、ダーシー嬢もなんだか落ち着かない様子で、アナさんにまとわりついている。
ダーシー嬢とボライトン家は手を結んでいるみたいだ。ボライトン家はアナさんを次期王にするため、そして、ダーシー嬢はひたすらクラリス様を王位につけさせないために、利害が一致したのだろう。
考えを巡らせていると、会場ではちょうどダンスが終わったところらしく、解放されたパトリックが私たちのもとへやって来て「ちょっと! 助けてよ!」と理不尽な文句をつけてきた。ごめんごめん、と私とオリバーが笑いながら謝った時、にわかにシャンデリアの光が鈍くなり、音楽がやんだ。
なんだ? きょろきょろしていると、女王陛下がいる玉座がぱっと照らされた。人々はしずしずと壁際に寄って、会場の中心に空間ができた。パトリックが説明する。
「宮廷舞踏会ではパーティーの中頃で、女王陛下に良家の子女が余興をお見せするのさ。今までは女王陛下が舞踏会に出席してなかったから、代わりにクラリス殿下が剣舞を披露していたんだけど、今年は通例通りにやるみたい。でも、誰が余興をするんだろう?」
人々も興味津々で息をひそめているようだ。会場の中心に歩いていく影がある。オリバーは眉をひそめた。
「ダーシー嬢とボライトン博士? 二人でメヌエットでもやるのか?」
この二人が現れて、ただで終わるはずがなかった。ひときわ大きなシャンデリアの下に立ち、光に照らされた博士はもったいぶって口上を始めた。
「紳士淑女の皆さま、今回我々は、皆さまを存分に驚かせ、かつ存分に楽しんでいただけるであろう、素晴らしい余興を準備しております」
「ほら、ここに連れて来なさい!」
ダーシー嬢が会場の端に控えていた者たちに指示すると、扉が開いて、外から巨大な影が会場に入ってきた。人々は息をのみ、私たち紅騎士団は緊張を走らせた。
目隠しと猿ぐつわをされ、手枷をつけられたまま歩かされている、二体のメデューサ。
アルファさんとベータさんが……。
ボライトン博士は高らかに宣言した。
「これより、王宮の牢に囚われていたメデューサたちの処刑を、この場でお見せいたしましょう!」
プレアデス・ホールは一気に騒然とした。
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