11-1 村娘と下町娘

 紅騎士団の訓練場に意外な客があったのは、最終選抜試験が始まって三日後のことだった。


「あらあら、皆さま、今日も励んでいらっしゃるのね」


 声が聞こえて、振り返った先には、レース傘をさして仁王立ちしたダーシー・ド・バーグ嬢。私たち騎士は重い盾を担いでランニングをしていたのだが、マチルダさんの合図でいったん中断する。騎士たちは「何用でしょうか」とダーシー嬢に問いかけた。


「いえね、この子に、女王を守る紅騎士団の様子をお見せした方がいいと思って、見学に連れてきて差し上げたのよ。ほら、もじもじしてないで、ご挨拶して?」


 さらに驚いたのは、ダーシー嬢の背後からアナ・ベーカーさんが現れたことだ。

 アナさんは、へへっとはにかんで、「お邪魔します」と言った。次期王候補生とド・バーグ家令嬢のお越しとあっては、相応のおもてなしをしなければならない。すぐ隣の見晴らしのいい丘まで彼女たちを連れて行き、お話をすることになった。


 誰かが、レモネードでも持ってきましょうか、と気を利かせたが、ダーシー嬢は「お構いなく。ランチと飲み物は持参しておりますわ。皆さまもコーヒーはいかが?」と逆に勧めてくる始末だ。選民意識が強く傲慢なダーシー嬢とは思えない変わりように、私たちはさらに困惑した。


 私はコーヒーカップを受け取りながら、こそこそオリバーに話しかける。


「ダーシー嬢とアナさんって親交があったの?」

「いや、俺も初耳だけど……。それにしても、二人とも何を考えてるんだろうな。既に試験に落ちたダーシー嬢はともかく、アナ・ベーカーは、今まさに最終選抜で争っているライバルのホームに突撃かましに来た訳だから」


 本当にそうだ。仲間たちはアナさんの扱いをどうしていいか分からず、悟られないようにしながらも警戒している。

 しかもダーシー嬢は「女王を守る紅騎士団」と強調した。その女王とは、エリザベス陛下ではなく、アナさんを指した嫌味なのだとしたら……冗談抜きで戦争大勃発だ。我々紅騎士団の団員たちは、クラリス様に団長を辞めて欲しくない反面、クラリス様をコケにされたら許せないという面倒なジレンマを抱えている。


 もちろん、私もそんな面倒な奴のひとりだが、私だけは他に少し特殊な事情も持っている。ちらりと見れば、アナさんがダーシー嬢に「サンドイッチをお食べなさい! コーヒーはお揃いのカップで飲むのよ」とお節介を焼かれているところだった。


 ダーシー嬢が他の騎士たちにコーヒーを振る舞いに行ったタイミングで、アナさんが私の視線に気付き、「こんにちは」と笑って手招きしてきた。私は促されるまま彼女の隣に座り、少しおしゃべりした。


「ダーシー嬢とは仲良くなられたんですね」

「はい。もしかして、心配してくれてましたか? 戦闘試験で助けてくれた騎士さまですよね」

「おや。私のこと覚えていたんですか」

「斧が特徴的ですから。ルイーゼさんでしょ? クラリスさまとお話しした時に、あなたが話題になったんです」


 ふふっと笑うアナさん。私は「え、クラリス様が私のことを?」とどぎまぎする。というか、アナさんとクラリス様も接する機会があったんだ。最終選抜中ということで、クラリス様とは金の林檎の試験以来会えてなくて、少し心配してるんだよね。師匠の呼び出しも最近ないし、なんとか王宮に潜り込みたいと画策してるんだけど……。


「ルイーゼさんは、時々無鉄砲だけど勇敢で、可愛い妹分だっておっしゃってました」


 えーっ、そんなこと言われてたの!

 照れる私に、アナさんがきらきらした目で「すごく信頼されてるんですね〜!」と言った。あれっ、アナさん、もしかしていい人?


 褒められてコロッと警戒を解きそうな私に、アナさんは少し顔を曇らせて「でも」と切り出した。


「クラリスさま、素敵な人だったんですけど、気がかりなことがあって。メデューサを王宮で保護してらっしゃるんですよね?」

「ええ。私も彼女たちの取調べに立ち会ってます」

「……私、ボライトンの旦那さまに、もし女王になったら、真っ先にそのメデューサたちを処刑して欲しいと頼まれているんです。私もご恩に報いたいので、特に何も考えず承諾していたのですが、それを話すとクラリスさまが悲しいお顔をなさるから、こちらまでなんだか悲しくなってしまって……」


 うつむき加減にこぼすアナさん。

 ボライトン卿はそんなことをアナさんに言い含めていたのか。私の胸に疑念が広がる。ボライトン父子がやたらとメデューサの処置に口を出すのは、クラリス様や女王陛下を責めたいがためだと思っていたが、アナさんの話だと、どうも積極的に彼女たちを抹殺してしまいたいらしい。その理由はなんだろう?


 そして同時に、アナさんが処刑の判断さえもボライトン卿の言いなりになっていることに驚いた。このままでは本当に、アナさんは都合のいい傀儡にされてしまう。その末にクラリス様が殺されるかもしれないと思うと、私は黙っていられなかった。


「アナ様ご自身は、メデューサたちに対してどんな考えを持っていらっしゃるんですか?」


 そう聞くと、アナさんはきょとんとして「私の考え?」と首を傾げた。そして、


「うーん、分からないです。でも、下町の頃の人たちは、もしメデューサを捕まえて殺せたら大金が手に入るからって、むしろメデューサと遭遇するのを心待ちにしていたみたいでした」

「大金が手に入る? なぜです?」

「えっ、王都では違うんですか? ボライトン領地では、メデューサを殺して死体を旦那さまの家に運んだら、すごい金額の褒賞がもらえるんです。たぶん研究のためですね。あの暴動以前には、定期的にメデューサ狩りが行われていたりして」


 意外にタフなボライトン領地の領民たちに、私はびっくりした。


「狩りって、危険じゃないんですか?」

「もちろん危険ですよ! でも、メデューサの中にも分裂直後の幼体とかがいて、そういった弱い個体なら、数人がかりで、金槌や棍棒で殴り殺せるんです」


 かなり残酷な仕留め方に、私は顔を引き攣らせた。アナさんは笑って、「まあ、暴動が起きてからはみんなこりごりしてるみたいですよ! クラリスさまが洞窟に押し込んだから、もうメデューサと遭うこともないですしね」と言った。


 私もそうだったけど、一般的なメデューサのイメージは、言葉をしゃべるだけの怪物なんだな……と痛感した。

 もしかして、クラリス様が洞窟にメデューサたちを封印したのにも、彼女たちへの配慮を含んでいたのかも知れない。


 そんなことを考えていたら、ダーシー嬢が戻ってきて「マチルダ副団長はパトロールに行くとかで、コーヒーを受け取ってくれなかったわ。愛想のない人ね」と文句を言いつつ座った。私はこの場から退こうかと思ったが、コーヒーに口をつけた時、ふと違和感を抱いた。


 陽射しのいい昼に外で飲むには、ホットコーヒーは少しおかしい。この絶好のレモネード日和に、わざわざ人数分のカップを用意してきてまで、ダーシー嬢が我々騎士をもてなす理由は何なのか。

 私は、師匠にメデューサの血が入ったコーヒーを飲まされた時のことを思い出した。師匠がわざわざブラックでコーヒーを淹れたのは、青い血が混入してあることを誤魔化すためでもあったのだ。


 いやいやいや、まさかまさか……。

 私はぐっとコーヒーを飲み干すと、それでも一応、周りの様子に気を付けておくことにした。


 ダーシー嬢は、周りの人間があらかたコーヒーを飲み終えたのを見届けると、「それにしても皆さま、クラリス王女の行方はご存知ありませんこと? おとといから王宮にいらっしゃらないみたいですわよ」と誰にともなく尋ねた。


「例のメデューサたちとこそこそ話していたのを目撃されたのが最後で、姿が見当たりませんの。それなのに、女王陛下はご自分の娘を探そうともしないで……」

「まあ、クラリス団長はもともと放浪癖のある方ですから」


 オリバーの言葉に、周りの騎士はうんうんと大きくうなずいた。クラリス様が唐突にどこかへ消えるなど、今さら問題にもならない。しかし、パトリックがふと呟いた。


「でも、だったらなぜ、マチルダ副団長はクラリス殿下を探さないんだろう?」


 私たちはハッとした。そうだ、クラリス様が行方不明になったら真っ先に捕まえに行くマチルダさんが、今回は動いていない。

 ダーシー嬢はわざとらしくため息をついて、


「候補生が王宮にいないなんて、今回の次期王選抜はどうなっているのかしら」

「あ、あの、最終選抜は"すばるの夜"で皆さまから王に選ばれればいいんですから、それまではどこに出かけようと構わないのですが……」

「何を言ってるのよアナさん! クラリス殿下がいなくなってから、ぱったり嫌がらせが無くなったことについて、何も思わないんですの?」


 ダーシー嬢は勢いこんだように大声で言った。


「服が汚されていたり、靴に針が仕込まれていたり! 食事にも毒が仕掛けられていたから、今は私が手ずから食べ物をあげている状態じゃないの!」


 私は眉をひそめた。嫌がらせもそこまで深刻な状況なら、犯罪の域に達している。さらにこの場合、まずい要素が他にもある。


「そんなことができるのは、あなたの身辺を世話している王宮の召使いたちくらいよね? いったい誰の指示なのかしらね?」


 ダーシー嬢はくすくす笑った。アナさんの身の危険を心配しているようには少しも見えなかったが、発言の内容は気がかりで、騎士たちは顔を見合わせた。


「もし本当にそんなことが起きているなら、騎士団にも一報来ているはずだぞ」

「何も知らされていないということは……クラリス団長とマチルダ副団長が黙っているとしか……」


 なまじ、食事に妙なものを混入されるのは王宮ではあるあるな事件であるために、そんな話は虚言だと退けることはできなかった。そして、王宮の召使いたちの総元締めは、女王陛下……。


 もちろん、全て不確かな推測でしかない。しかし一瞬、試しに可能性を考えてみるくらいの疑念が湧くほんの一瞬が、メデューサの血につけ込む隙を与えることになる。

 ダーシー嬢が語りかけてくる。


「こんなことも教えてくれないなんて、みなさん、団長たちから信用されていないのですね?」

「……」

「みなさんは騙されているんですわ。紅騎士団なんて、クラリス殿下は王になるまでの腰掛けとしか思ってないのよ。ねえ、そんな人間を王にしたいかしら?」


 俯いているみんなの目が一斉に白く輝き出さないかと、私は斧の柄に手をかけながら、冷や汗を流して見届けていた。


「……クラリス団長は王にふさわしくない」


 誰かがぼそっと言った。私は息をのんだ。ダーシー嬢がほくそ笑む。


 顔を上げた騎士たちの目は……輝いていた。

 白く、ではない。怒りで燃えていたのだ。


 堰を切ったように、騎士たちは口々にクラリス団長の悪口を言い始めた。


「そうだ、建国記念パーティーへの出費を理由に災害地への救援資金を渋る財務官を、王女権限で黙らせるような暴君が、王になってたまるものか!」

「それに団長は平気で職権濫用をする。婚約者のローレンス殿を軽んじたからとか言って、王都学院の教授たちをしょっぴいたし。まあ、後で彼らの汚職が判明したけど」

「流行り病で苦しむ下町のために、名家お抱えの医者たちを拉致したりもしました。あれ、もはや犯罪ですよね?」


 わいわいと盛り上がる仲間たちに、ダーシー嬢は拍子抜けしたように「え?」と目を白黒させている。

 騎士たちはにこやかにコーヒーのカップを返しながら、ダーシー嬢に言った。


「ご安心ください。クラリス団長は我々が、絶対に国王などにはさせません」

「ついでに、クラリス様のフィアンセだとか言ってる若学者も血祭りに上げておきます」

「とにかく、クラリス殿下はいつまでも紅騎士団にいるんだ! いかに女王陛下がお子様を王位につけたがっていようとも!」


 女王を護衛する騎士団とは思えない発言が次々飛び出してくる。「フィアンセの若学者」のところで、パトリックが目を白く光らせたように見えたが、オリバーが頭を叩いて正気に戻させていたので大丈夫だろう、たぶん。……師匠に、夜道に気をつけるよう言っておこうかな。


 でも、私はほっと息をつき、みんなの様子を微笑んで見ていた。この人たちは信頼できると、やっと心の底から信じることができたからだ。


 ダーシー嬢は、おそらく思い描いていたのとは違う反応に顔を引き攣らせていたが、結果的にクラリス様を王にしたくないという点でみんなから同意を得られたとして、無理やり納得したみたいだった。その隣でおろおろしているアナさんに、我々は「嫌がらせが事実なら、護衛として誰か騎士をつけておきましょうか」と提案した。


「誰がいいかな。やっぱり部屋まで入っていくなら、同性がいいね」

「間もなく舞踏会もあるし、王宮のことによく通じている奴だと、なおいいな」


 おっと。これはチャンスだ。


「じゃあ、私が行きます。アナさん、よろしいですか?」


 手を上げて、アナさんに尋ねる。ダーシー嬢は「あなたの護衛なんて要らないわよ!」と喚いていたけれど、アナさんはやはり今のままでは不安なのか、私の手を取ると「よろしくお願いします」とはにかんで言った。


 こうして私は、臨時のアナ・ベーカー付きの騎士として、王宮に潜り込むことになったのだった。

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