10-2 村娘の休日

 むかしむかし……と言っても、たった十八年前のことだけれど。

 セント=エルド大王国の女王陛下に姫君がお生まれになりました。


 彼女は少し身体が弱かったけれど、大事に育てられました。恋愛結婚で仲睦まじい両親からも非常に愛されていた……そうです。


 なぜ伝聞なのかと言うと、姫君がごく幼い頃に、王配殿下が死んでしまったからです。


「それまでの母は、名家の令嬢らしく傲慢なところはあっても、父と共に良政に励み、賢王を目指していたそうだ。しかし、父の死後から冷徹になり、私にも笑いかけてくれることがなくなった」


 放ったらかされた姫君の周りには、笑顔を貼り付けた大人たちが集まってきました。初めは王配殿下の実家のモールポール家が近付いてこようとしましたが、妙な薬を飲まされるようになってから、女王が追っ払って強制的に当主を変えさせました。


 薬のせいもあってか、もともと弱かった身体を壊した姫君は、当時の流行り病にかかって、死の間際に至るまで悪化しました。その時に周りの大人がこそこそと「死なれたらどうする」「今こそスペアがいれば」等々と話しているのを、朦朧とした意識の中で聞きました。そこで初めて知ったのです。


「私には下にきょうだいがいたようなのだ。それが、父親の死の原因でもあるらしい」


 女王はある日、天から予言を受けました。

 銀の瞳の子供たちのうち、下の子どもが王位につけば、必ずや大きな厄災がもたらされるだろうと。


 女王は恐れました。しかし、では幼いうちに殺してしまえとなるには、親の情が許さなかったのでしょうか。女王は下の子どもを、王宮から追放し、一般庶民として育てさせることにしました。

 赤子を養い手に預けに行く時、子どもを可愛がっていた王配は、無理を言ってついて行きました。その先で巻き込まれたのが……。


「メデューサと人間の小競り合いだ。父親は蛇の毒で殺されたのだと。王都まで生きて帰って、そのことを伝えたのは侍従たったひとりだったから、真偽のほどは分からないがな」


 赤子の生死は不明なままです。


 そのことを聞いた姫君は、王宮の外はなんて恐ろしい所なのだろうと思いました。メデューサはひどい化け物だ。父親と赤子はなんて可哀想な目に遭ったのだろう。


 姫君は、あらゆる医者、あらゆる治療薬を試して、病から回復しました。姫君は自分の幸運を喜びました。捨てられることもなく、病気も乗り越え、こうして生きている自分は幸福なのだとしみじみ思いました。


 姫君は外に出ることはなく、王宮の中で生活していましたが、同年代の友人たちがいたので寂しくありませんでした。

 内気なローレンスという「お友だち」とは、病弱であることが共通していて気があいました。一方で、世話係として自分に仕えるマチルダという少女とは、なかなか打ち解けられませんでした。


「えっ、お二人は仲が悪かったんですか」

「意外かい? まあ、仲が悪いというより、私が嫌われていたというのが正しいんだがな」


 もとは王都の孤児院にいて、権能を発揮したために侍女長・執事長の老夫婦に引き取られ王宮入りしたというマチルダ少女は、その経歴のせいか、警戒心の強い子供でした。姫君には慇懃に接するものの、心を開くことは絶対にありません。


 姫君は必死で彼女に気に入られようとしました。世話係という身近な人間と信頼関係を築いておく大切さは、薬を飲まされたりした短い人生経験から嫌というほど思い知っていたからです。姫君は色々とマチルダ少女に話しかけましたけれど、相槌が返ってくることさえまれでした。


 しかし、ある日珍しく、「姫さまは外に出ることはないんですか」とマチルダ少女の方から質問がありました。

 姫君は嬉しく思いながら、外の世界は危険なこと、病弱な自分はなおさらであることを語りました。流行り病で一時危篤に陥った時の話もしました。だから、王宮にいるのが一番安全で、自分は幸せなのだと。


 話を聞き終えたマチルダ少女は、いつものように無関心そうに見えましたが、しばらくして、小さな声で呟きました。


「その流行り病なら、孤児院の子も何人か、かかりました。みんな死にました。姫さまのおっしゃる通りです。いいお医者、いい薬を手に入れられる身分に生まれて、姫さまは幸運ですね」と。


 マチルダ少女の目には暗い憤りがありました。姫君は、少女から完全に拒絶されたことを悟って、強い衝撃を受けました。


「初めは理不尽だと思った。王女に生まれたのは私の意思じゃない。王女に生まれたせいで受難したこともある。でも、それからゆっくり考えて……きょうだいのことが、ふと頭に浮かんだ」


 同じ女王の子供でありながら、庶民の中に捨てられたというその子が、もし生きていて、姫君と同じ病にかかっていたとしたら。少なくとも、姫君と同じだけの治療は受けられなかっただろう。苦しんだ末に死んでしまったかもしれない。


 どうして、その子は死ななければいけなかったのか? どうして、自分は生き長らえることができたのか?

 自分は幸運だ。と、いうことは、この世には不運な子供が他にいるということだ。姫君は気付いてしまいました。


 それから、姫君のすぐ後ろには「影」がついて回るようになりました。それは、見たことも会ったこともない、きょうだいの影でした。食事をしている時には、どこかで飢えている子どもの影がちらつきました。暖炉に火をつける時は、凍えている子どもの影が部屋の隅から姫君をじっと見つめてくるようになりました。


 きょうだいのくせに。姉のくせに。どうしてお前ばかりいい思いをしてるんだ。そっちへ連れて行ってくれ。早く迎えに来てくれ。


 助けて。


 その声に導かれるように、姫君は初めて外へ出ました。家出でした。


「王都の人々は優しかった。外は、私が想像していたような怖い場所ではなかった。いや、それは、騎士団が街を守っていたからだ。私は彼らに憧れたんだよ」


 姫君は騎士団に入ることを決めました。


 身体の弱かった姫君は、最初は鍛錬の最中によく倒れました。姫君にそう何度も死にかけられると、困るのは世話係のマチルダ少女で、お目付役も兼ねて一緒に剣を握るようになりました。


 そのうち、あまりに無茶をする姫君に対して「ちょっ……姫さま、綱渡りの技術は騎士に必要ありませんよ」「姫さま、度胸試しにライオンの口に頭突っ込むとかしなくていいですから!」「姫さん! あんた騎士を目指してるのか曲芸師を目指してるのかどっちだよ!」とだんだんマチルダ少女の口調も崩れてきたので、だいぶ打ち解けられたと見ていいのでしょう。たぶん。


 持ち腐れにしていた『ペガサスの足』もどんどん使って、遠くまで飛んでいけるようになりました。腰に刺した剣のおかげで、怖いものはなくなっていました。

 姫君は広い世界へ飛び出して行きました。


「そうして、紅騎士団長になり、国中を飛び回ったんだが、未だにきょうだいらしき人間は見つけられていないんだ。やはり、もう死んでしまったのだろうか」


 空を仰いだクラリス様は、太陽の光に眩しそうに目を細めて、


「しかし、たとえきょうだいが死んでいたとしても、私は王女として、私が享受した全てのものを国民に返さなければならない。それはすなわち、生かしてもらったこの身を挺して、皆の幸福な生活と安全を守ることだ。まあ、とにかく、私が騎士をしている理由はこういうことさ」


 クラリス様は話を終わらせた。私は聞かされた内容に目が覚める思いだった。

 クラリス様……そんなことを考えていたんだ。というか、自分は幸せだから他人を助けなければいけないとかおっしゃいましたが、クラリス様の幼少期も客観的に見たらあまり幸せいっぱいではないですよ、ね……?


 もちろん、そんなことを言えるはずもないので、とりあえず「……マチルダさんとはそうやって仲良くなったんですね!」と言ってみた。すると、クラリス様はちょっと首をかしげてうなった。


「うーん、どうだろう。今のマチルダは私に心を開いてくれているのだろうか」

「えっ! まだ分からないんですかそれ!」

「だってなあ、迷惑をかけている自覚はあるし、嫌われていても仕方ないだろう? あとマチルダ、いつも私のこと叱るし……ピーマン残しても怒るし……もうちょっと優しくして欲しいかなーなんてな、わはは」


 いじける子供と同じじゃないか……。

 マチルダさんのことが少し可哀想になったが、それよりも体育座りで拗ねるクラリス様が可愛かったので、なんだかどうでもよくなった。髪と目の色変えたくらいじゃ美少女が全然隠せてないよ! 変装失敗してるよ!


 しかし私は、緩みそうになる頬をぱしぱしと叩いて気を落ち着かせると、「クラリス様」と呼びかけた。


「クラリス様は、もっとご自分が大事にされていることを自覚した方がいいと思います。それは、クラリス様が王女だからでも、紅騎士団長だからでもなくて、その……あなたが好きだから、助けたいから、そばにいる者もいるんです」


 だって、私がそうだから。師匠も、マチルダさんだって、きっとそう。他の紅騎士団の仲間たちは、まだ将来裏切るかもという私の疑念は拭えていないけれど、少なくとも今、クラリス様を嫌いな人はいない。

 クラリス様が国民たちを守りたいと思うのは素敵なことだけど、クラリス様の時々危なっかしい振る舞いを見ていると、他者を助けるという王女の義務を果たさないことには、自分が幸せに暮らす権利はないと思い込んでいるところがある気がする。


「だから、もし万が一、クラリス様が困ることがあれば、私が……木こりのルイーゼが、いつでもお役に立ちたいと思っていること、忘れないでください」


 言った! 緊張で息切れしそうになりながら、なんとか言い切ったぞ!

 私の、新人騎士としてはかなり大胆な告白を聞いたクラリス様は、驚いたように瞬きした後で「……ありがとう」と小さく呟いた。おや? もしかして出過ぎたこと言って引かれた? 

 不安になる私から少し顔を背けて、クラリス様は心なしかやや赤くなった頬を掻きながら、慌てて話題を変えるように、


「あー、自分のことを話すのは何だか恥ずかしいな! せっかくだから、君が騎士になった理由も教えてくれ、ルイーゼ」


 と聞いてきた。不意打ちの質問に、私は一瞬固まった。


「……故郷と、家族を守るためです」


 わあ~! 今こそ、あなたのためです! っていうタイミングだったのに! さっきの告白で勇気を使い切っちゃったよ! バカバカバカ私のヘタレ~!


「立派な目的じゃないか! しかし、それならどうして王都に上って来たんだ?」

「それはその、バタフライ効果を狙って……」

「バターのフライ? 油分が多すぎないか? 健康に悪いぞ」


 噛み合わない会話をしていたら、ゴーンゴーンと音が響いた。王宮の塔から聞こえる真鍮の鐘の音だ。


「試験終了の合図だ。そろそろ試験監督も探しに来るだろう。では、私はこれで」


 立ち上がったクラリス様は、手ぶらのまま王宮へ向かおうとする。金の林檎は結局見つからなかった。試験は失敗だ。


 私は、クラリス様が騎士として生きる覚悟を決めているのを知ったけれど、クラリス様が試験を合格できなかったと誰かに後ろ指をさされるのも嫌だった。元はと言えば、私のせいでクラリス様は試験を中断しなきゃいけなくなったんだから……。


 悔しく思っていると、「おーい! おーい!」と私の横を通り抜けて、クラリス様の方へ走っていく人たちがいた。

 あれ? 彼らは、スリをしていた不良少年たちじゃないか。


 彼らの手に光るものが見えたので、また何か金目のものでも盗んだのかと思ったら、あれは……金の林檎!


 振り返ったクラリス様も驚いている。不良少年たちは「この林檎、探してたんだろ! 見つけて来てやったよ」と得意げだ。

 クラリス様が「どうして……」とこぼすと、少年たちの後ろから八百屋のおじさんがひょっこり現れて、


「俺が教えたんだよ、あの姉さんは金の林檎を探してるって」


 彼の他にも続々と、街の人たちが集まってきて「私たちが林檎を探しました!」と口々に言った。


「両親の夫婦喧嘩を止めてくれてありがとう! あのままだと殺傷沙汰になってたよ」

「ウチのかまどの小火も、消すの手伝ってくれたろ? 恩返しにちょっとな」

「おねえさんが、迷子のあたしを助けてくれたってみんなに言ったら、こんなことになっちゃったー。えへへ」


 そうして、気付けばこの辺りの人々総出で林檎の探索を始めていたらしい。この広場が異様にすいていたのは、そういう訳だったのか。


 クラリス様は呆然としていたが、少年たちに金の林檎をぐっと押し付けられると、おずおずと受け取った。

 ちょうどそこへ、試験監督が他の候補生を連れてぞろぞろとやって来た。


「こんなところにいた! 他の人の合否はあらかた決まりましたよ。あとは貴女とアナ・ベーカーだけですが……おや、合格みたいですね」


 クラリス様の手の内で輝く金の林檎を見て、他の多くの候補生たちは悔しそうに顔を歪めた。どうやらこの試験で大半の候補生たちは落とされてしまったらしい。

 クラリス様は慌てて、「いや、私は失格です。この通り、騎士団の部下に見つかってしまった」と申し出たが、その後ろから、


「髪と目の色、戻しますね」


 占星術師がクラリス様の頭に霧吹きで聖水をかけた。みるみるうちに本来の漆黒の髪が現れて、ぱちりと開いた瞳は銀に戻った。

 それを見ていた周りの街の人々は息を呑んだ。


「まあ、クラリス様だったの!」

「じゃあ、俺たちはクラリス殿下の手助けができたってことか!」


 そして、いっそう大きな歓声が上がった。「クラリス殿下万歳!」「王女様万歳!」

 王になる前からすごい熱狂ぶりだ。さすが王都の人気者。クラリス様はこそばゆそうな、困ったような笑顔を浮かべた。私の胸に暖かい気持ちが広がる。そうだよ、クラリス様を助けてくれる人は、確かにこうしてここにいる。クラリス様に守られた人たちが、今度はクラリス様を助ける。そして私も。


 広場に集まって叫ぶ人々と、それに手を上げて応える黒髪の麗人。


「まるで神聖な宗教画みたいな光景ですね」


 新しい声が聞こえて、そちらを見ると、金の林檎を持ったアナさん。彼女も合格したのだ。しかし、不思議なことに、アナさんは髪も瞳も色を変えていない。

 他の候補生たちも怪訝そうな顔をしているので、試験監督が説明する。


「アナ・ベーカーはどういう訳か、化粧品の効果が出なかったのです。それで、彼女は王都に知り合いもおらず、顔も知られていないということで、特別に素顔で試験をすることを許可しました。さて、一方、クラリス殿下のことですが……」


 試験監督は、ふむ。とうなずいて、


「変装が見破られたと言いましたが、本人の知名度を利用しなければいいので、街の人々に気付かれていなかったのであれば、合格としましょう。たいていの候補生は仲間を集めることさえ叶わなかったのですから。これにて、最終選抜に残ったのは、クラリス・フォン・エルドとアナ・ベーカーの二人になります」


 最終選抜は、青薔薇の試験。

 これで次期王が決まるんだ。


 私はもう一度、クラリス様たちの方を見た。アナさんの言う通り、神聖な宗教画のような、希望に満ちた光景。

 しかし、その中にはいくつかの不安要素が潜んでいる……例えば、ひどい形相でクラリス様を睨んでいるダーシー嬢など。


 私は、これから起きるであろうことのために、改めて気を引き締めた。

 そしてその後、ずっと私を探していたオリバーとパトリックに見つかり、こっぴどく叱られることになる……。

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