9-3 村娘の邂逅

「何度も呼び出しちまって悪いな。姫さんは試験で忙しいし、メデューサの相手ができるのはお前だけだから」


 地下階段の入り口で、マチルダさんが申し訳なさそうに言った。いつも厳しいマチルダさんには珍しい様子だったので、私は慌てて「そんな! 私はお役に立てるだけでいいんです!」と平気なことをアピールした。マチルダさんは、ふんと鼻を鳴らして、


「"クラリス様の"役に立てれば、なんだろ?」

「えへへ、まあ、その通りですけど」

「……お前はやけに姫さんに入れ込んでるよな。その理由を聞く気はないが。私から忠告できるのは、あまり自分の忠誠心を言いふらして回らない方がいいってことくらいだ」


 マチルダさんの言葉に、私は瞬きした。


「どうしてですか? 忠誠は騎士の基本でしょう」

「"クラリス団長"への忠誠なら、それは許されるだろうな。だが、"クラリス王女"への肩入れは……特に最近の情勢下だと、不必要な対立を生むかも知れん。王宮内が今、真っ二つに割れているのはお前も知ってるだろ」


 マチルダさんに言われて、私はうなずく。

 次期王選抜レースの筆頭馬は、クラリス様とアナさんであることは誰の目にも明らかだった。そして、王宮の有力者たちは、どちらを支持しようかと戦局を見定めているところらしい。


 クラリス様のバックには現女王陛下がついている。また王女として、もしくは紅騎士団長として実績が既に多くあり、コネクションも広く、貴賤問わず人気も高い。

 しかし、メデューサの問題や、クラリス様を王位につけるため女王陛下が苛烈な方法をとっていることなどから、上流社会ではクラリス様を敵視する集団も現れている。学会や行政の改革に乗り気なのも、既得権益層の領主や官僚からは敬遠されてしまう原因となっているようだ。


 対して、アナさんは平民の出でこそあるものの、青薔薇人のため占星術の才能は申し分なく、何より純朴な努力家ということで……とても御しやすく見える。しかし、操り人形にするには、先にボライトン家が彼女を独占してしまっているのが難点だ。

 それに、アナさんはまだつぼみのままだから、青薔薇人としてもまだ不完全だ。最終選考までは、いきなり王に即位ってことはないだろう。


「お前は姫さんに王になって欲しいのか?」


 マチルダさんに聞かれて、私は少し考え込んだ。


「……なって下さると、私は安心できます。きっとクラリス様なら、エルド王国を良くしてくれる。でも、それ以前に……」


 戦火に焼かれた故郷のことが頭をよぎる。新王に、国に、見捨てられたあの日。

 クラリス様がどこかに生きていて、きっと私たちを助けに来ると思えたら、あんな絶望は感じなかったはずだ。例え、実際にクラリス様が来なくても、クラリス様が生きているという事実は希望になる。少なくとも私にとっては。


「クラリス様が生きていて、幸せでありさえすればいいと思います。そのための手助けができたら嬉しいです!」

「気持ちが重い」


 私の言葉をばっさり切ったマチルダさんは、呆れた表情で私を見下ろした。私は少しムッとして、


「じゃ、マチルダさんはどうなんですか! クラリス様に王になって欲しいですか、それとも違うんですか?」

「そういうことを大声で聞いてくるな!」


 マチルダさんは慌ててぽこりと私の頭を殴る。痛い。頭をさする私に、マチルダさんが三白眼をきょろきょろさせて「王宮じゃ誰が聞き耳立ててるか分からないんだから、軽率な言動は控えておけ」と注意した。そして、聞こえるか聞こえないかくらいの小声で、


「私は姫さん付きのただの世話係だ。私が姫さんにどうなって欲しいとか、もしもの話でも言える立場じゃないんだぞ。私の意思は、雇い主である女王陛下の意思だ」

「そんなこと言ったって……。ただの世話係な訳がないでしょう、クラリス様はマチルダさんのこと大好きですよ」

「知ってる」


 即答だったので、私はずっこけそうになった。そんな私に、マチルダさんはため息をついて、


「とにかく、お前が妙な事態に巻き込まれた時、私じゃ守れる力がない。……私が、メデューサの件でお前をこちらに引き込んでしまったから、少し責任を感じているんだ。姫さんの味方でいてくれるのはありがたいが、まずいことになりそうだったら、脇目も振らずに逃げろよ。いいな」


 そうして、私を地下階段へ送り出した。

 階段を降りながら、そういえばマチルダさんは、メデューサたちの取調べに来たことが一度もないな、と考えていた。

 マチルダさんがつけている眼鏡は、ちゃんと邪眼の効果を消す特殊加工がされているはずだ。それでも階段を降りてこないのは、さっきマチルダさんが話したように、自分の立場を考慮しているからだろうか。


 マチルダさんの意思は女王の意思。女王陛下がメデューサの保護を認めたと噂されれば、王宮内の対立構造はさらにややこしくなる。マチルダさんも大変だ。私はそう納得して、地下牢の扉を開いた。


 残された二体のメデューサは、気が向いた時にはしゃべってくれるが、やはり"あの方"に関連することになると、急に口をつぐんでしまう。いつまでも牢に入れられたままの彼女たちを可哀想に思うが、一方で、王宮の召使いたちと交流するようになって、寂しさは多少和らいでいるのではないだろうか。


『最近、あの姫君は来ないのね』


 私が鉄格子に近付くと、片方のメデューサがぼそっと言った。メデューサたちには名前がないので、彼女は召使いたちから「アルファ」とあだ名されている。

 私が、クラリス様は次期王選抜で忙しい旨を伝えると、『そう……』と言って口を閉ざした。代わりに、「ベータ」と呼ばれている方のメデューサが呟いた。


『アイツがもし王になったら、俺たちはどうなるんだろうな。それか、もし、アイツ以外の奴が王になったら』


 彼女たちは、自分がクラリス様の働きのおかげで生かされていることを知っている。クラリス様を恨んでいることに変化はないが、彼女たちの気持ちは複雑なものになっているようだ。


『残してきた仲間は、キョーダイたちはどうしてるだろうな』

『変わんないわよ。洞窟で細々と生きているでしょう、あたしたちメデューサって本来は慎ましい種族なんだから』


 仲間に想いを馳せるアルファさんたちは、故郷のことを思う私と似ていて微笑ましかった。


「そうですね、クラリス様は次期王の有力候補ではあるけど、どうなるか分かりませんよ。数世紀ぶりの祝福の青薔薇人が現れたんです、聞きました? ボライトン家の当主がどこからか発見してきて……」


 そこで、あっと滑った口を抑えた。ボライトン領はメデューサが討伐された地。彼女たちには不愉快な話題だっただろうか。不安になって、二人の様子をちらっと見る。


 しかし、彼女たちは不思議な反応をした。ただでさえ青っぽい顔色を、さらに悪くして黙り込んだのだ。


「アルファさん? ベータさん? どうしたんですか?」


 二体は不自然に口をつぐんだままだ。そして、言葉こそ発さないが、首をふるふると振って、懸命に何かを訴えかけている。

 彼女たちは、"あの方"に関連することになると、急に口をつぐむ……。


 私は息を呑んだ。そんな私にメデューサたちは、私が察した内容は正解だとでも言うようにうなずいた。

 さっきの話に、"あの方"に関係することがあったんだ。


 しんとする牢屋。これ以上この話を続けると、呪いの術に反応されて、彼女たちの命に関わるかも知れない。私はメデューサたちに礼をすると、地下牢を出た。


 マチルダさんと別れて、私は研究棟へ向かった。今日は師匠にも呼ばれていたのだ。メデューサたちのことをじっくり考えたかったけれど、銀の懐中時計の調査が終わったというので、そちらの話も早く聞きたかった。

 研究棟に入る時、私は建物の陰に、誰かがいるのを発見した。なんだ、こんなところで?


 見つからないよう、そうっと角の壁から覗き込んでみる。人気の少ない場所で話しているのは、アナさんと、ボライトン卿と博士。

 博士はまだ分かるとしても、なぜアナさんと卿がここにいるんだ?


 何か話しているようだが、会話の内容までは聞こえない。アナさんはきらきらした瞳で卿を見上げている。彼女がボライトン卿を恩人として慕っているというのは本当らしい。

 博士の方は、馴れ馴れしくアナさんの肩に触れている。不埒な真似をしたら殴り込んでやろうと見守っていたけれど、特に目立った動きもないので、私は師匠の実験室に向かった。

 アナさんは、すっかりボライトン家に取り込まれてしまっているんだな……。


 私は考える。アナさんは、私の記憶では、たしかに殺戮の新王になるはずだ。でも、あの恐怖政治と民を見捨てた戦争は、アナさんが傀儡王として祭り上げられて行われたものと考えることもできる。今までの歴史の例を見ても、その可能性は否定できない。


 メデューサたちはボライトンの名前を話題に出された途端に顔色を変えた。メデューサ研究を独占しているボライトン家。


 うーむ、と唸っていたところ、実験室の扉が開いて「あっルイーゼさん! 早く来て来て、すごいことが分かったんだ!」と師匠が呼んだので、私はとりあえず思考を中止して「なんですか?」と尋ねた。


「貴女の懐中時計を分解してみたら、こんなものが隠されていたんだ。見せたことあるでしょ、アストロラーべ」


 師匠が示したのは、金属の錆びた手のひらサイズの円盤で、大小いくつかのメーターの縁には目盛が刻まれている。これは、占星術学者たちが使う天体観測用の道具だ。


「まあ、アストロラーべが見つかっただけなら、僕もそんなに大騒ぎしないんだけど。でもここ、よく見て。製造者の名前が書いてあるんだ。読める?」


 掠れた意味不明な記号の列に、私は眉をひそめて「いや、読める訳ないでしょう。何語ですか?」と言った。師匠は興奮すると、他人との知識量の差をまったく考えずに話を進めてしまう悪い癖があるのだ。


「あれ、僕、貴女に古代ギルシュ語を教えたことなかったっけ? とにかくね、ここにはこう書いてあるんだ。『六代目聖王ペトラより、土星の主神クロノスへ捧ぐ』」

「聖王?」


 さすがに私も驚いた。「聖王」とは、まだこの世に存在する国がエルド王国一つしか無かった時代の王の称号だからだ。いずれ、民たちが分裂し、隣国が生まれるまで聖王統治の時代は続いた。しかし、そんな大昔の物がまだ遺っているだなんてこと、ある?


「この懐中時計だけは特別なんだよ。書かれている通り、これは土星の守護を受けた時計だ。そして主神クロノスは時の神……つまり、この時計は、通常の時の流れから外れた存在なのさ。だから、時間が経っても、劣化したり酸化したりすることがない」

「待ってください、そもそも土星の守護って……星座ではなく、惑星から直接守護を受けるなんてことができるんですか?」

「伝説では、歴代聖王たちはみんな、太陽系惑星の守護を受けていたらしいよ。そして、冥王星の守護を受けた予言者が、最後の聖王になった」


 師匠は神聖なものに触れるように、アストロラーべの表面を撫でた。


「……知っての通り、冥王星は太陽の主神に逆らい、軌道を歪めて、太陽系惑星の地位を剥奪された星だ。ちょうどその時期に国内が分裂したから、やはり星と連動して、何かしらの影響が当時の聖王にあったためだと言われているよ。そして、星の神々と相互の交流ができた時代は終わり、僕たちは予言や天啓を一方的に受け取るだけになった」


 私は呆然として、分解された銀の懐中時計を見つめた。ただの時計なはずはないと思っていたけど、そんなにすごい物だったとは……。

 師匠は「ねえねえ、こんなもの、どこで見つけてきたの?」と興味津々といった様子で尋ねてくる。私は言葉に詰まった。


「えっとお、雑貨屋で安売りしてて……」


 嘘は言ってないのに、怪しさ満載な返答になってしまった。師匠は案の定、目を細めて、


「そんなことある? 聖王ペトラの懐中時計なんて、占星術学的にも考古学的にも、とんでもない大発見だよ? 本当なら、すぐにでも女王陛下に献上しないといけない国宝級の代物なのに」

「えっ、女王陛下に?」


 私が瞬きすると、師匠はうなずく。


「今日はそのことを聞きたかったんだ。この時計は国で保管しておくべき聖具だ。でも、貴女がどうしてもと言うなら、僕はこっそりこれを貴女に返して、聖王ペトラの懐中時計なんて無かったことにもできる。貴女はこの時計をとても大切にしているし、何か特別な事情がありそうだからね」


 師匠はにっこり微笑んだ。いや、雑貨屋で買ったってのは、誤魔化しでも何でもない事実なんですけど……。

 私はかなり悩んだ。そして、


「お言葉に甘えて、返していただけませんか」


 この時計の力が多くの人に知られてしまったら、悪用される危険がある。私が持っていたところで持ち腐れかも知れないけれど、せめてクラリス様の無事が確定するまでは。


 師匠は「そっか」と言って返してくれたが、渡す時に声をひそめて、


「ただ、もちろん他人に見せびらかしちゃ駄目だからね。それこそ女王陛下ほどの立場の方は、幻の懐中時計の存在くらいご存知かも。見つかったらどうなるか分からないよ。注意して」


 私はちょっと冷や汗をかきながら、こくこくとうなずいた。私、もしかしてヤバいことに手を出しちゃった感じ?


 師匠にお礼を言って、実験室を出ようとした時に、コーヒーカップなどが並べられている隣に手作りっぽいマフィンが置いてあるのに気付いた。私は首を傾げる。師匠、お菓子作りなんてできたのかな。


「あー、それはね、アナさんがくれたやつ」


 意外な名前が出てきて、私はびっくりした。師匠とアナさん。どういう接点だ?


「アナさん、貴女と同じで平民の出身でしょ。今まで触れてこなかった占星術の勉強の面倒をボライトン博士に見てもらっているみたいなんだけど、そのお礼に持ってきたお菓子を、通りすがりの僕にもくれたの。僕は人見知り発揮しちゃったけど、いい子だったよー」


 つまり、パトリックに対する時のような冷淡な態度の師匠にも、親切にしてくれた訳だ。

 私は改めてマフィンを見つめ直した。パン屋で働いていたという噂に違わず、アナさんのお菓子は素朴で、美味しそうな見た目だった。

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