9-2 村娘の邂逅

 これはどういうことだ?


 上は女王と共に政治を支える枢機卿たちから、下は最もへんぴな地域の村落まで、エルド王国全体がどよめいた「祝福の青薔薇人」登場から早くも一ヶ月。

 王都では、次期王選抜試験の経過報告が、毎日のメイントピックとなって人々に噂されている。話題の中心はもちろん、突然現れた下町娘のアナ・ベーカーだ。


 曰く、彼女は「アナ」としか名前のない孤児で、パン屋で下働きをしていたため「ベーカー」と名字をつけられた。

 曰く、親無し子ゆえに閉鎖的な町で虐待されて育った。青薔薇人だと判明したきっかけも、乱暴なおかみに花瓶の水をかけられた際に、触れたつぼみの色を変えたかららしい。

 曰く、非常に健気な娘で、不運な境遇にいた彼女を拾ったボライトン卿に恩返しをしようと頑張っている。


 秘められた過去から現在の動向まで、話の種が尽きない存在。しかし、こういう時にありがちなスキャンダルの類いはまったく聞こえず、人々の彼女への評価は不思議なくらいに好意的だ。


 そう、今も……。紅騎士団の広い訓練場を試験のために貸し出し、会場を護衛している私たちは、すぐ間近にいる金髪の少女をまじまじと見ている。大勢に注目されたアナは、顔を赤らめてはにかんだ。

 その様子に、近くの騎士の顔が自然とにやけたのを、隣にいたオリバーが足を踏んづけて表情を引き締めさせる。


 まあ、可愛いもんね、アナさん。恥じらって顔を赤くしているところなんて、もうとびっきりに愛らしいし。私たち騎士からしたら、庇護欲のそそられる相手は君主にうってつけだ。


 まさかこの人が、将来クラリス様を処刑し、血みどろの戦争を引き起こすだなんて想像もできない。


「学力試験を突破した候補生のみなさん、次の試験は、戦闘力を試すものになります。権能を使っても構いません。これから会場に解き放たれる動物を生け捕りにしてください」


 試験監督が説明を終えると、後ろに控えていた占星術師たちが前に出てきた。

 彼らはそれぞれ、何かの動物を使役できる権能を持っている。誰の、どんな動物に当たるかは、くじ引きによるランダム。獰猛な牛が飛び出してくることもあるし、蛇が大量に空から降ってくることもある。

 アナ・ベーカーの順番は、一番最後になったらしい。


「なお、候補生の一人であるクラリス殿下は、本日は試験に出席できません。その代わりとして昨日、ケリュネイアの山から三十頭ほど俊足の鹿を狩ってきて提出されて行ったので、特例で合格とさせていただきます」


 それを聞いた他の候補生たちは、なんだか納得がいかないという面持ちだったが、クラリス様が試験を受けるまでもなく合格ラインであることは一目瞭然なので、黙り込んでいた。

 私たち紅騎士団もひそひそと耳打ちし合う。


「こんな時に遠征の王命を下すなんて、女王陛下は何を考えてらっしゃるんだ。マチルダ副団長もついて行ってしまうし……」

「マチルダ様は、副団長である前にクラリス王女殿下の世話係だろう。直属の上司である女王陛下には逆らえないさ」


 私も、最近の女王陛下の動きには疑問を覚えていた。エリザベス女王は、クラリス様が紅騎士団長をやっていることを、快くは思っていないはずだ。それはひとえに、娘を次期王位につけたいがためなのだが、いざ試験が始まると、女王はクラリス様をあちこち連れ回して王都に居つかせない。試験にあまり乗り気ではないクラリス様はむしろ、この戦闘試験は、強者たちの勇姿が見られるからと楽しみにしていたのに。


「ねえ、いくら王女だからと言って、試験をすっぽかすなんてあり得まして? 特例合格なんて贔屓よ」


 きんきんと響く声が、順番待ちの候補者たちの列から聞こえてきたので、私はそちらの方を見た。

 戦闘試験にやって来たとは思えないような派手な身なりに、誇らしげに胸に飾られた家紋。あれはド・バーグ家のダーシー嬢だ。


 女王陛下の実家の令嬢で、まあまあ優秀と評価されている人なのだが、どういう訳か、彼女はクラリス様をひどく目の敵にしているようだ。


「エリザベス伯母様も可哀想よね、大切な銀の瞳の娘が、騎士に身を落としたりして。そうは思いません? アナ・ベーカーさん!」


 急に話しかけられたアナさんは「えっ」と戸惑ったようだが、ダーシー嬢は構わず続ける。


「あら、アナタはもしかして、クラリス王女殿下を知らない? まっ、今まで薄汚れたパン屋で下働きをしていたんですものね、王都の有名人なんかご存知ないわよねえ」


 くすくすと意地悪く笑うダーシー嬢。周りの候補生たちは、アナさんに「面倒な奴に捕まっちまったな」という視線を投げていくが、みんな自分の試験のことで手いっぱいなので、誰も止めに入らない。


「で、祝福の青薔薇人でしたっけ? そんなのお伽話だと思ってたわ。見せびらかすように頭に飾っちゃって、そのつぼみ」

「あ、あ、あの……」

「ボライトン卿に拾われたっていうけど、アナタ、自分からがつがつ売り込みに行ったんじゃないの? つぼみの青色だってインチキよ、きっと。確かめてあげる!」

「きゃっ!」


 ぐいっと強引に手を伸ばしてくるダーシー嬢から、髪飾りとしてつけた青いつぼみを咄嗟に守るアナさん。さすがに私は放っておけず、ダーシー嬢の肩を引っ張って止めた。

「何するのよ!」とわめくダーシー嬢を「順番が回って来たようですよ」と試験監督の前に押し出す。とりあえず、ダーシー嬢は大人しくなって、試験を受けに行った。


 ぽかんとしていたアナさんは、ハッとして私に「えっと、ありがとうございます」とおずおずとお礼を言ってきた。私は首を振って、


「騎士として当然のことです。そのつぼみは大切になさってください」

「はい……。ああ、試験だなんて緊張しちゃう……。あなたは、わたしと同い年くらいに見えるのに、しっかりしてて素敵ですね」


 アナさんは不安げにため息をついて、私をきらきらした目で見上げてきた。彼女の未来を知る私としては複雑極まりない気分だ。


 数年後のそう遠くない未来、彼女は国中を戦火に巻き込み、クラリス様に手をかけた狂王になる。少なくとも私の記憶ではそう。

 でも、今のところ彼女は、ただの純朴な娘さんに見える。


「いやーっ、何よこれ!」


 その時、ダーシー嬢の悲鳴が聞こえてきたので振り向くと、彼女はどうやら金の毛の羊に当たったようだった。

 「メェー!」と突進してくる羊から逃げまどうダーシー嬢を見て、私や新人騎士たちが抱いたのは、ざまあみろという気持ちでも同情でもなく、


「金の毛の羊って、次期王選抜試験に使われるレベルの動物だったんだ……」

「それを百匹引きずって来させられた俺たちっていったい……」


 と、今更ながらに知った紅騎士団のスパルタぶりへの恐怖心だった。オリバーだけは、試験の様子を見ながらボソッと、


「ハネルもあれくらい元気に散歩させてやった方がいいのかな」


 なんて呟いていたけれど。あれくらい元気にって……オリバー、羊に蹴飛ばされて茂みに頭から突っ込んだダーシー嬢が見えてる? 彼女、弾丸みたいな勢いで飛んでいったよ?


 数名の騎士に救出されたダーシー嬢が、なんとか自身の権能『ヘパイストスの網』で羊を拘束し、試験合格が決まった後で、アナ・ベーカーの順番がやってきた。


「地面に描いたこちらのホロスコープから、動物が召喚されます」


 案内されて、会場の中心に立ったアナさん。さあ、何の動物が出てくるのか……。


 現れたものを見て、会場の人々は驚愕した。猛々しい息づかいに揺れるたてがみ。おそらく、獅子座の権能を持つ占星術師に召喚されたライオン……しかし、問題なのはそこではない。

 そのライオンは、異様な巨体をしていた。


「おい、なぜネメアの谷の獅子を呼び出したんだ! 普通の野生のライオンで良かったのに!」


 試験監督が叫ぶ。やはりこれは異常事態だったみたい。私たち紅騎士団も、慌ててアナさんの救助に向かう。

 状況が分かっていないのか、ライオンの前でぼんやりと立っているアナさんに、騎士たちが「逃げてください!」と呼びかけたが、ネメアの獅子は既にアナさんに襲い掛かろうとしていた。


 巨体をしならせて飛びかかるライオン。先輩騎士たちはさすがに行動が早く、間に滑り込んで剣を構えたが、戦いが始まるより先に驚くべきことが起こった。


 アナさんが祈るように手を組み合わせて「止まれ!」と叫んだのが聞こえると、ネメアの獅子はぴたっと石になったかのように動きを止めたのだ。

 何が起きたんだろう? 不思議に思っているうちに、上空に巨大な網が現れて、ライオンに覆い被さった。会場の人々が目を剥く。


 この網は……ダーシー嬢の『ヘパイストスの網』? なぜアナさんが使えるんだ?


 会場の注目を一身に浴びて恥ずかしそうにするアナさんの隣に、試験監督の補佐をしていた占星術学者らしき青年がやって来た。

 たしか彼は、公卿会議でクラリス様を睨んでいたボライトン家の息子だ。彼は勝手にアナさんの肩を引き寄せると、周囲に向かって言った。


「みなさん、びっくりなさったかも知れませんが、アナ・ベーカーはヘルクレス座の守護を受けており、その権能は『へーラーの栄光』……目撃した他者の権能をコピーすることができるのです!」


 鼻高々に語るボライトン博士だが、その内容はたしかに驚嘆に値するものだ。博士は人々の反応を満足そうに見届けた後で、ぎろりと占星術師たちに視線を向けた。


「ところで……単体で街をひとつ壊滅させたと言われる、ネメアの谷の獅子をけしかけるなんて、やり過ぎではありませんか? 誰が獅子を呼んだんだ? そいつを突き出さなければ、俺の力でお前たちも占星術学会から追放処分にしてやるぞ」


 職権濫用も甚だしい脅しだったが、占星術師たちは真っ青になって、お互いに顔を見合わせた。そして誰かが「あいつ! 逃げていくぞ!」と叫んだので、そちらを見ると、ローブの裾をからげて走って行く占星術師の姿があった。

 その占星術師は、道に待機されてあった馬車に乗って去ってしまったが、ボライトン博士はその馬車を見て顔をしかめた。


「王室専用の馬車……? 王宮の馬車だと、貸し出した記録から足がついてしまうから、女王陛下の管轄下にある馬車を引いてきたのか?」


 でも、それだと。


「ネメアの獅子は、女王陛下の差し金なのか?」


 そういうことになる。私たち紅騎士団は押し黙っているしかなかったけれど、ボライトン博士はべらべらと自身の疑念をしゃべった。


「陛下は血統主義の意識が強く、また王配殿下の忘れ形見とも言えるクラリス殿下をなんとしても王にしたがっていることは周知の事実だが、まさかこんな罠まで仕掛けてくるなんて」


 やたら大きな声でぶつぶつと呟くボライトン博士。


「今日、クラリス殿下が試験にいないのも、何か細工をしていたからでは? 親子でグルになっているんじゃないか?」


 そこまでは分からないのに、上手く疑惑の範囲を広げてくる。私は彼にイラついてきたが、一介の騎士が口を挟めるはずもない。


「そしてきっと、獅子を呼んだあの占星術師の陰では、天才などと評されて調子に乗ってるローレンス・アーバスノットとかいう小僧が糸を引いているに違いない!」


 それは完全に言いがかりでしょうが!

 私怨の混ざりまくった推理を披露して、ボライトン博士は嘲笑した。


「我が娘を王位につけるために、こんな姑息な手段しかとれないとは! 女王陛下も落ち目だな。しかし、かの凶暴なネメアの獅子を生け捕りにしたのだから、この試験はアナがトップで間違いないだろう。クラリス殿下の三十頭の鹿ごとき何になる。試験から尻尾巻いて逃げただけなんじゃないか? まったく母子揃って性根の悪い……」


 しかし、言葉の最後は「わははは!」という私たちには聞き慣れた高笑いと、会場に落ちた巨大な陰への人々のざわめきに掻き消された。

 私は空を見上げて、あっと叫んだ。


「クラリス様! お帰りになられたんですね。あの、これはいったい……」

「いやあ、壊滅した都市の復興支援を手伝いに行っていたんだが、少しでも試験に顔を出したくて早めに帰ってきたんだ。ついでに、付近の谷で仲良くなったネコも連れてきた。可愛いだろう?」


 ズドンと地面を震わせて降り立ったのは、たてがみこそないが、どう見ても噂のネメアの獅子だ。


 目の前に突然ライオンが現れて、ボライトン博士は口をぱくぱくさせていたが、そのライオンが牙を剥いて鋭く吠えると、すっかり肝を潰して「ぎゃー!」と逃げ出し、騎士たちの後ろに隠れた。我々は一応騎士として彼を守らなければならないので、仲間たちはしぶしぶ、本当にしぶしぶとボライトン博士を背中に匿った。


 何やら怒っている様子のライオンにクラリス様は首を傾げていたけれど、『ヘパイストスの網』に囚われているオスのライオンに気がつくと、ぽんと手を打った。


「そうか! この網に捕まっているのが、お前のボーイフレンドなんだな。やはり、いきなり消えたのは、試験のため王都に召喚されてしまったからか。すまない、すぐに解放させよう。おーい、この網を出現させた誰か、権能の力を解いてやってくれないか!」


 呼びかけられて、ぽかんとしていたアナさんが「あっ、はい!」と網を消滅させた。会場に二体ものネメアの獅子が解き放たれて、絶体絶命かと思った人々が悲鳴をあげたが、私たち紅騎士団はクラリス様が現れた時点でもう獅子を恐れる気持ちはカケラもなくなっていた。


 感動の再会を果たしたライオンカップルは、べったりくっついて、人を襲う気配などない。クラリス様は空に向かって大声で言った。


「マチルダー! この子たちを紅騎士団で飼うのはダメかー!」

「ダメに決まってるだろが、いい加減にしろ!」


 ユニコーンに乗って降りてきたマチルダさんは、クラリス様の頭を引っ叩いて「ネメアの谷に帰して来い!」と怒鳴りつける。紅騎士団の騎士たちは、やっぱりそうくるか、と呆れた表情だ。動物好きなクラリス様は、クマでも鹿でも羊でも、飼うのも食べるのも大好きなのだ。


 ちぇっと下手な舌打ちをしたクラリス様は、「じゃ、帰るぞネコたち」と二匹のネメアの獅子を両手で持ち上げ……「ペガサスの足」で飛んでいる間のクラリス様は、どんなに重くて大きいものでも軽々と運ぶことができる……空に浮かんだ。

 恐るべきネメアの獅子をネコ呼ばわりし、生け捕りにするどころか手懐けて去っていくクラリス様に、会場の人々はあっけに取られていた。


 ボライトン博士が歯軋りして悔しがるのを騎士仲間たちが宥める横で、アナさんが遠く小さくなっていくクラリス様の背中を見つめているのに、私は気が付いていた。

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