7-2 村娘の決闘

 突然の決着に、オリバーがやや呆然としていたが、はっとして勝敗を告げた。


「勝者、ルイーゼ!」


 ……私、勝っちゃった。

 ギャラリーも戸惑っているようだったが、結果にはまあ満足したらしく「ルイーゼ斧だとすごいじゃん」「パトリックの奴もあんな熱くなるのな」などと騒いで、自主鍛錬へ出かけて行った。残されたのは私とオリバー、そして様子のおかしいパトリック。


 というか、パトリック、兄上って言った?


「……とりあえずルイーゼさん。話したいことがあるから、早急に王宮の研究者棟に来て」


 最初に師匠が口を開いた。私は「は、はい」と返事をしながら、師匠の雰囲気がいつもと違うことに気付いた。私やクラリス様の前では、もっとふわふわと優しい感じなのに、今は無表情で冷え冷えとしている。

 困惑を視線で訴える私も無視して、足早に立ち去ろうとする師匠を、パトリックが呼び止めた。


「待ってください! ローレンス兄上、なぜあなたがルイーゼ・スミスと……」

「叫ばないでよ、うるさいな。僕が誰と顔見知りだろうとお前には関係ないでしょ、パトリック」


 取り縋るパトリック、それを冷淡に突き放す師匠。どちらも目を疑う光景だが、それ以上に、二人が兄弟だったという事実に衝撃を隠せない。

 あっけにとられた私の前で、アーバスノット兄弟は会話を続ける。


「だいたい、お前は何をしていたの? 見たところ決闘ってやつかな。余計な騒ぎを起こして、醜聞を広めないでおくれよ。それと、相手を不必要に傷つけないように」


 そこでちらりと私を見たので、おそらく私を心配してくれているみたいだ。……兄として、弟の方を見てやらなくていいのかと思うけど、パトリックの実力を知っているが故とも考えられる。なんだか微妙な気分だ。

 それはパトリックの方も同じらしく、突然現れた兄にどう声をかけるべきかと迷っているようだ。


「あの、まだ聞きたいことがあるんです。クラリス王女殿下との婚約はどういうことですか? まさかこのまま王配になるなんてことは」

「知らない。それは今後の未来と女王陛下の采配による」

「兄上待ってください、ボクはアーバスノットの家を継ぐ気はありません! 次期当主はあなたがなるもので……」

「それはどうだか!」


 師匠が皮肉げな笑いとともに、パトリックの言葉を遮った。


「お前も知ってるだろう? 我が家は一般の領主階級とは異なって、辺境の土地の守り手だ。国の防衛のため、領主も武に優れていることが求められる。適任なんじゃないの? 王都騎士団に入ってしまったとは言え、今からでも遅くないよ。パトリック、領地に戻って当主になりなさい。お前は僕と違って父にも気に入られていることだし」

「そんなことは……。ローレンス兄上、あの」

「兄って呼ばないで」


 ぴしゃりと低い声で告げた師匠。

 パトリックは怯んだ様子を見せた。そして振り絞るように、


「ローレンス、さん。やっぱり……ボクが、妾の子だから、認めてくださらないんですか……?」


 そう必死に投げかけられた問いさえ、


「そんなことは知らないよ」


 容赦なくぶった斬って、じゃあね、と師匠は王宮に向かって去っていく。私とオリバーは顔を見合わせ、立ち尽くすパトリックにそっと声をかけた。


「おーい、パトリック、大丈夫か?」

「と、とりあえず、決闘はこれで終わりかな?」

「……」


 振り返ったパトリックの顔には、いつもの不遜さは消え去って、代わりに迷子の子供のような表情が浮かんでいた。しかし、それを慌てて隠すと、片眉を上げて「ふん」と私を見下ろした。


「キミの勝ちでいいよ。じゃ、王宮にでもどこにでも行けば?」

「……一緒に来なくていいの?」


 たしか言い争いの時、そんなことをパトリックは口走っていたはずだ。もはや、作法がどうこうなんて問題になっていないことは、私も気付いていた。よくよく思い返すと、あの時のパトリックはどこか変だった。

 私に言いがかりをつけてきたのは、パトリック自身が王宮に会いたい人がいたから。その相手はおそらく……。


「師匠って呼んでたね」


 パトリックが呟いたので、私は瞬きして彼の目を見た。


「キミは、兄上に何かを教わったのかい?」

「あ、うん。占星術とその他、いろんな勉強の面倒を見てもらってね。私が初弟子なの」


 私と師匠が知り合った経緯も聞かれるかと警戒したが、パトリックは首を振ると、


「そうか。初弟子。そうか……」


 そして顔を逸らしたパトリックは、騎士の象徴たる剣を杖代わりにもたれかかって、「はあ~」と長いため息をついた。オリバーが恐る恐る話しかける。


「あー、パトリック? お前ん家のややこしい事情はなんとなく察しているけどさ、お前、次期アーバスノット家当主になるつもりなのか? だったら、いずれ紅騎士団を出て行っちまうのか」

「そんな訳ないだろう!」


 パトリックが食い気味に叫んだ。そして、冷静じゃなくなっている自分にハッとすると、少し視線を迷わせた後で、「木こり娘。いや、ルイーゼ」と話しかけてきた。


「なに?」

「兄上の、王宮での様子を教えてくれないかな。元気になさってるのかい?」


 そう言ったパトリックは、嫌味な奴でも、戦闘狂でもなく、兄を心配するただの弟だった。






 アーバスノット家は、辺境の地の領主として武を尊ぶ家系である。生まれた子供は、次期当主であっても騎士として育てるのが習わしだった。

 しかし、当代の当主にできた一番目の子は、戦闘系の権能も持たず、身体が弱くてとても剣など握れないような男の子だった。


 それが私の師匠、ローレンス・アーバスノット。


 当主である父親はそんな我が子を疎み、政略結婚だった妻が没すると、幼い息子を王宮に預けて、家に妾とその子供を迎え入れた。

 その子供がパトリックという訳だ。


「だいたい妾なんて存在も前時代的で嫌だけど、そこまでして強い子供が欲しかったってことかな。だからボクは、幼少期を粗野な下町で過ごしたんだ。喧嘩好きでね、そんなところが、あの父親には勇敢とかそんな風に見えたらしい」


 突如アーバスノット家に引き取られたパトリック少年は、その家で生きていくため、父親に気に入られようと努めた。

 すなわち、喧嘩……戦闘により強くなること、また上流階級らしく、騎士らしい振る舞いを身につけることに尽力し、必死でその環境に適応しようとしたのである。パトリックがやたらと作法やマナーにうるさいのは、この時の体験が関係しているのかもしれない。


 そうして、すっかりパトリックが家に馴染んだ頃に、王宮にいた長男が帰ってきた。

 長男にしてみたら、幼い時には王宮へ奉公に出され、帰って来てみれば後妻とその子が自宅にのさばっている状況、しかも当主である父親は、学者などを目指している非力な兄をこき下ろし、弟の方を可愛がっている有様だ。さぞかし居心地が悪いことだろう。


「ローレンス兄上はアカデミーに入り浸るか、自室に籠るようになって、家族と顔を合わせないようにした。たまにボクと会うと、冷たい表情で顔を逸らしてしまう。そりゃ、後妻の子なんて目障りだろうさ」


 訓練場の隅で、座り込んだパトリックは淡々と語った。


「ボクは下町時代に兄上とたびたび会っていたんだ。時折、王宮から里帰りしてきた兄上は、その頃から家が苦手だったのか、屋敷の裏の原っぱとか森によくいて、そこはボクら下町の子の遊び場だった。気まぐれに本の読み聞かせをしてくれたり、不思議な実験を見せてくれたりしてね」


 どうやら昔から森の中を放浪する癖があったらしい師匠は、領地の子供たちからまあまあ懐かれていたそうな。

 それが、急に兄弟となると態度が変わってしまったのだから、パトリックはショックだったろう。


「その時にやっと、ボクは兄上から居場所を奪ってしまっていたことに気付いた。あまつさえ、次期当主の座すら危うくさせていることを知った」


 それはパトリックにとって、不本意もいいところだった。彼はただ周囲の期待に応えたかっただけで、家を乗っ取ってやろうなんて考えもしていなかったのだ。


 ようやく自分の立場を客観的に見られるようになった彼は、自分が兄の敵ではないことを示すため、領地を離れて王都の騎士学校に入った。そして万が一、家に呼び戻されそうになっても拒否できる立場と名誉を手にするために、紅騎士団入りを目指した。

 また、自分の喧嘩好きな野蛮さを学者肌の兄が軽蔑しているのではないかとも考えて、幼い頃から染み付いていた戦闘狂的な性質を気取った態度で押さえ込もうとした。あなた、つまりは優等生のフリをした元ヤンキーってことじゃない……。


 兄の地位を脅かさないところで強くなれば、アーバスノット家の一員として武勲を立てれば、きっといつかは見てくれる。パトリックはそう信じた。


「要は、承認欲求が強い人間なんだろうね、ボクは。自分を認めてくれない相手に過剰に反応してしまうのさ」


 そう言って肩をすくめたパトリックは、「でも」とその先を続ける。


「本当に、以前は優しかったんだよ。アーバスノット家に入るまでは母にも放置されていたボクに、読み書きを教えてくれたのは兄上だ」


 最初から邪険にされていたのならまだしも、昔は優しかった相手が冷淡になると、痛みも大きい一方で「また元に戻ってくれるかも知れない」という期待が残ってしまう。パトリックはそれに縋ったのだ。


 だってローレンスは、父のことしか見ない母に、家のことしか考えない父の中で、子どもの彼に学びを教え、暖かく接してくれていた唯一の家族だから。

 それなのに。


「婚約ってなんなのさあー!」


 どこかで聞いたような叫びを上げて、くたっとパトリックは頭を落とした。オリバーはそれを慰めようとしてか、「は、ハネル連れてこようか? 家族のことで悩んでる時には羊に相談するといいんだぞ」と熱弁し始めたので、彼がどんな育ち方をしたのかが分かって複雑な気持ちになる。どいつもこいつも、上流階級の家庭が冷え切っているのはどういうことなの。


「でもそうか、ボクじゃなくて、キミが兄上の初弟子か、ルイーゼ。なんだか悔しいけど、納得しておこう。とにかく、兄上はこの婚約についてどう思ってるんだい?」

「え? あ、うーん、えっとねえ」


 私は何と答えるべきか悩んだ。それというのも、私から見た師匠の姿と、パトリックから見た師匠の姿にギャップがあり過ぎるからなんだけれども……。


 私は考える。パトリックに対して、師匠がああも淡白な対応をする理由。下町の子として接していた相手が、ある日突然弟になった時、私の知る師匠が取りそうな行動。


 ……それ、人見知りしてるだけじゃない?


 いやだって、師匠って別に次期当主の座とかどうでもよさそうだし。王宮にも馴染みまくってて実家とか忘れてそうだし。

 パトリックが妾の子であることに「知らないよ」と言っていたのも、パトリックが次期アーバスノット家当主として「適任なんじゃない」と言ったのも、割と本音では?


「……クラリス様と師匠の関係は、良好みたいだよ」


 とりあえず、伝える情報をこの程度に抑えてみたが、パトリックは考え込む。


「そうなのかい? でも、ほぼ次期王と目されているクラリス王女殿下と婚約するとなると、兄上だってご自身の将来を考えざるを得なかったはずだ。兄上は一応、疎まれながらも当主の後継者教育をみっちり受けさせられたんだから、急に王配にさせられたら納得できない部分もあるだろう」


 師匠なら「え、後継者教育? あー、あったね、そんなの! 僕ってば天才だから、ちゃちゃっと片手間に終わらせたよ」とか言ってそうだけどなあ……。

 オリバーがうんうんとうなずきながら、


「それに、人嫌いで引きこもりの変人と噂の、天才アーバスノット博士だもんな。王配候補になるなんてのは、王宮の勢力争いのど真ん中に投げ込まれることになる訳だし、そういう世俗のことって嫌いそうだよな」


 人嫌いな変人って。

 師匠、人見知りが行きすぎて、すごい偏屈な世捨て人みたいに思われてるんだな……。


「仮にクラリス殿下が王にならず、アーバスノット家に嫁ぐことになっても、ボライトン家と大揉めに揉めるだろうね。ボライトン領ではただでさえ、メデューサの暴動を収めてくれたクラリス殿下を英雄として崇める者が多い。そこへ、隣領地にクラリス殿下が来たりしたら、領民たちがどっとアーバスノット領に流れてくるかも知れない。そうなると、民がいなくなったボライトン領は破滅だ。それどころか反乱が起きるかも」


 私はパトリックの慧眼に感嘆した。そうか、クラリス様が婚約を無しにしようとしているのは、そういった事情もあるからなんだ。師匠本人はあんまりよく分かってないみたいだけど。


 要するに、アーバスノット兄弟はすれ違っているだけなんじゃないか。しかし、それだと「兄って呼ばないで」とまで師匠が弟を突き放す理由が掴めない。

 後で師匠に直接尋ねてみるのが早いかな。そう考えていると、パトリックが立ち上がって、ぐいっと手を突き出してきた。


「え、なに」

「決闘が終わったら、こうして握手をして別れるのが礼儀なんだよ。それ見ろ、やっぱりキミは作法が分かってないね」


 以前だったらイラッとしていた憎まれ口だが、今はそんなに気にならない。それというのも、なんとなくパトリックの本性が察せられるようになってきたからだ。

 私はオリバーに耳打ちした。


「パトリックって、さては人見知りだよね」


 というより、上手く他人とコミュニケーションがとれない面倒な人。なんだ、似た者兄弟じゃないか。


 オリバーは苦笑いをして何も言わなかった。私はパトリックの手を取って「いい試合でした!」と笑ったが、次の瞬間にはその笑顔を消した。


「お前たち、今は自主鍛錬の時間であって、休み時間じゃねぇんだがなあ……?」


 ドスの効いた声。私たち三人は振り返って、弓を構えたマチルダさんの姿を確認すると、一斉に青ざめた。


「聞いたぜ、まだヒヨッ子の新人騎士のくせして、いっちょ前に決闘騒ぎを起こしたんだって? 堂々と規律違反をしてくる胆力は認めてやろうか。特別に、私の鍛錬に付き合わせてやる。弓矢の千本ノックだ!」


 そして、ごうごうと矢の雨あられが降ってきた。

 ぎゃーっ、いっつも思うけど、この異常な量の矢はどういう打ち方してるんだ?!


「ルイーゼ、こっちへ! パトリック、悪いが盾になってもらっていいか?」

「仕方がないなあ。後で破れた服と鎧は弁償してよ」


 オリバーに引っ張られてパトリックの背後に隠れた。何をしているんだ? これじゃ、パトリックが矢を受けてしまう。

 混乱していると、さっそくグサッと矢が突き刺さる音がした。音の出どころはもちろんパトリックだ。私は血の気が引いた。


「パトリック! すぐに医務室へ……」

「いたたたたっ! あーもう、こんなに刺さると、さすがにボクも痛いよ」

 想像していたよりずっと呑気な声。私が目を丸くしていると、オリバーが「あいつの権能、何だか知ってるか」と聞いてきた。


「ふたご座の守護を受けたパトリックの権能は『ポルックスの剛健』。一撃で致命傷にならない限りは、どんな攻撃も跳ね返せる強靭な身体をしてるんだ」


 なにそれ、無敵かよ!

 どうやら、パトリックの攻撃あるのみな捨て身戦法は、この体質が原因で防御を無視できるためらしい。なんかズルい。


「でもさ、こいつが一人いると、俺たちの身の安全も保障されるから、ありがたいっちゃありがたいよな」


 のほほんと言うオリバー。おいおい、その考え方もかなりセコいぞ。

 しかし、そんなことは口に出さず、代わりに私は矢の雨の中で叫んだ。


「パトリック、私たち、友だちになろうねえー!」


 私だって怒れるマチルダさんの前では、パトリックの権能の恩恵に授かりたい。セコくてなんだ。我が身のためなら何だって利用するべしだ!


 急に友だち宣言されたパトリックは、顔を赤くして「ま、まあ、どうしてもって言うなら、なってあげるよ!」と絵に描いたようなツンデレを発揮していた。

 チョロいね、あなた。


 こうして、私とオリバーとパトリックは、のちに「どうして友情が芽生えたんだか想像がつかない」という意味で「奇跡の三人組」などと呼ばれるようになる……。



*****



 村娘に仲間ができました! やったね!

 物語もちょうど折り返し地点です。ここまで読んでくださった方はもうしばらくお付き合いくださいませ。

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